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第二章 -14
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元の場所まで戻った祐貴を待っていたのは、散らばった土産たちだった。祐貴がアールに捕まってばら撒いてしまったときのまま、それらは土の上に転がっていた。
「おお、よかったな。足りない分はないか?」
「たぶん…ぜんぶある」
細い路地は薄暗く、人の通りはまったくない。おかげで荷物は無事だったわけだ。
ファイラに手伝ってもらいながら荷を全て抱え、祐貴は最初シッチを待っていた場所に向かったが、当然そこに少年の姿はない。もう別れてから随分時間が経ってしまっている。
周りに目を巡らせてみても姿は見当たらないので、祐貴は馬車の元へ戻ることにした。シッチに頼りっぱなしだった祐貴にはそこに迷わず辿り着ける自信がなかったため、結局ファイラに連れていってもらうことになった。
大通りは昼間に比べれば人通りが少なくなっていて、二人並んでいても歩きやすかった。スムーズに町の入口にまで辿り着いた先で、しかし、祐貴は首を傾げることとなった。
「あれ…あれ…?」
「どうした?」
「馬車…ない…」
馬車を預けていたところ。そこには他の馬車が何台か並んでいるが、祐貴が乗ってきたものはない。
「あ、おい…」
声を掛けてくるファイラを振り切って、祐貴は周りをぐるぐると回った。しかし、やはり何度見てもあの馬車は見当たらなかった。
どうしてと思うより先に、祐貴の頭には理由が浮かんだ。
「……置いてかれた…のか…」
追いかけてきたファイラを見遣ると、祐貴の呟きが聞こえたのだろう、その瞳に憐憫の色が浮かぶ。それを見ると、祐貴の中で置き去りにされたという予想が確信に変わっていった。
一気に沸き起こってきたのは喪失感だ。体の一部をぽっかり抉り取られたかのような。
「あー…まあ、貴族なんてそんなもんだろ」
表情をなくして立ちつくす祐貴に、ファイラは気まずそうにガシガシと頭を掻く。
「屋敷まで送ってやるから大丈夫、ちゃんと帰れるって。ほら、屋敷はどこだ?」
直ぐにそれと解るほどわざとらしい笑顔を浮かべたファイラの質問に、祐貴は答えなかった。『帰る』という言葉にひどい違和感を覚え、不安げに顔が歪んだ。
祐貴は今確かに、グラッドストン屋敷に帰りたいと、アイザやシッチ、使用人の皆が居るあの場所を懐かしく恋しく感じてしまっている。祐貴が本当に帰るべき場所は、あの屋敷ではなく日本なのに。
しかし、いくら祐貴がそう思っていても、アイザ達にとって祐貴は不要な存在なのだ。いや、カインの言葉を思い出せば、むしろ邪魔だとも言える。そんな大した仕事もできておらず好意に甘えるだけで、しかもアイザの出世の障害になりえる存在。いなくなってしまえばそれで、気にも留めない存在。
もともと、祐貴はいつかあの屋敷を出るつもりだった。離れがたくなる前にと思っていた。心はすでにあの屋敷に住みついてしまっているが、そうであれば余計に早く離れた方がいい。
ならばこのまま、あの屋敷には戻らない方がいい。
言葉と、最低限の常識は手に入れた。世話になった人たちにお礼を言えないのは残念だが、会えばまた名残惜しくもなるだろうから丁度いいのかもしれない。
「おいおい…大丈夫か?」
じっと黙り込んでしまった祐貴を、ファイラは恐る恐ると行った体で窺ってくる。
祐貴は一つ決心すると、ファイラを仰いだ。
「屋敷には帰らない」
「え?」
瞠目するファイラに、祐貴は頭を下げた。
「いろいろ、ありがとう。もういいから」
「いや、いいわけないだろ。帰らないって…行くあてあんのか?」
「あて……ある」
とりあえず王都に向かおう。馬もないが、そもそもあっても乗れないので、歩いていけばいい。遠いのかもしれないが、マーシィア川を遡って行けばいつかは着くのだ。そうだ、申し訳ないがこの土産たちを餞別として戴いてしまおう。そうすればいくらか金も手に入る。城の中に入る方法は、王都に向かいながら考えればいい。
決めれば、祐貴は行ける気がした。もっと早くこうするべきだったのだと思えてきたほどだ。
「マーシィア川ってどっちにあるの?」
「え…?こっからだと東だから…この道まっすぐ行けば……って、待て!おい、ユゥキ!」
指差す方向へ歩き出した祐貴を、ファイラは慌てて止めた。しかし祐貴は振り返らない。
「ユゥキ!待てって…」
心配してくれているのだろうが、振り返ってしまえば決心が鈍る気がして、祐貴は歩みを速める。
「ユゥキ!!」
しかし、次に聞こえた呼び声は、ファイラのものではなかった。焦りを滲ませたその声はとても馴染み深い。
思わず祐貴は振り返ってしまった。
「あ…」
ファイラの後ろから息せき切って駆け寄ってくるブルネットが見えた。
「アイザ…」
祐貴の呟きが音になる前に、アイザに腕を掴まれ引き寄せられた。そのまま力強く引き寄せられ、その腕にすっぽりと包まれてしまう。
「ユゥキ…!」
ぎゅうぎゅうと締め付けてくる力は強く、痛い。けれどそんなこと気にならないくらい、密着した体からアイザのどくどくと早く脈打つ鼓動が染みてきて、その温かさに祐貴は心から安堵した。
「良かった…もう…帰ってしまったのかと…会えないのかと…っ」
祐貴を覆うアイザから漏れ聞こえる声は震えていて、祐貴は目を瞠った。恐る恐る見上げたアイザの目は、少し赤い。
ぎゅうと心臓が痛くなった。もう祐貴を置いて帰ってしまっていたのだと思った。だけど今ここにいるアイザは、どう見ても祐貴を探してくれていて、会えなくなることを心底厭っている。
祐貴には、それが嬉しい。
祐貴はアイザの背中をぎゅっと掴んだ。するとそれに呼応するように、アイザの力も少し強くなった。
祐貴はこの温もりから離れたくはなかった。先ほどまで王都を目指そうと歩き出していたのが嘘みたいに、アイザに縋りつく。
「ごめん…なさい…」
心配を掛けてしまったこと、何も言わずに旅立とうとまでしていたとことに対する謝罪だ。アイザはその言葉に対して何も言わず、ただ祐貴の存在を確かめるように何度も頭を撫で、前髪を掻き上げたそこに長いキスを贈った。
「おぉーい…」
永遠に続くような抱擁を交わしている二人に、声が降ってきた。祐貴はその声にハッとすると、慌ててアイザの体を引きはがそうともがいた。
ファイラの存在をすっかり忘れていた。いや、ファイラがいないとしても、こんな道端で恥ずかしげもなく人と抱き合うだなんて、祐貴にとってはありえないことだ。
顔を真っ赤にしてもがく祐貴に、アイザはしぶしぶといった様子で体を放してくれた。しかし、祐貴の側にぴったりと寄って離れてはくれない。
アイザはファイラを見て首を傾げた。なぜ彼が祐貴といるのか謎だったのだろう。祐貴の方は恥ずかしくてファイラの方を見れなかったが、ファイラは祐貴に尋ねてきた。
「ユゥキの主人か?」
「あ、うん…そう」
「ユゥキ、彼は…?」
アイザも疑問顔で祐貴を窺う。
「ファイラだよ。ここまで案内してくれて…」
祐貴が説明をしていると、ファイラが口を開こうとした。しかし祐貴はそれを目で制した。ファイラは視線を受け、意を解してくれたようで口をまた閉じる。ファイラに召喚獣の話をされると、また余計な心配を掛けてしまう。それは避けたかった。
「シッチとはぐれちゃって…すごく迷ったんだ。それで、ファイラがここまで連れて来てくれた」
「そうか…」
アイザはファイラに向き直ると、頭を下げた。
「ユゥキがお世話になりました。ありがとうございます」
「い、いや、そんな…俺は…」
もともと祐貴を祭り会場から遠ざけてしまったのはファイラの召喚獣だ。ファイラは決まり悪げに視線を泳がす。
「私はアイザ=グラッドストンと申します。確か――舞台に立たれていた魔導士の方ですよね?お名前は…」
アイザが名乗ると、ファイラはぎょっと目を剥いた。それから祐貴の方に視線を遣る。祐貴はなぜ見られたのかが解らずに首を傾げた。
「グラッドストンって……」
ぽつりと呟いて何故か溜め息を落とし、ファイラはアイザに視線を戻した。
「これは、グラッドストン伯、失礼しました。魔導士のファイラ=トーンと申します」
ファイラは急に慇懃な態度に変わった。恭しく頭を下げる姿は舞台上で見たときよりも丁寧だ。アイザは慌ててファイラに顔を上げさせた。
「ファイラ殿、改めてお礼をさせていただきたい。よかったら、屋敷にお招きしたいのだが…」
「えっ!」
アイザの提案に、ファイラはぱっと明るい顔になってすぐに頷いた。
「よろこんで!」
「では、馬車の手配をしてきます。ファイラ殿、申し訳ありませんが、もうしばらくユゥキを頼めますか」
「ええ、しっかりみているので大丈夫ですよ!」
その場から立ち去ろうとするアイザに、またはぐれてしまうのではないかと不安にかられた。手を伸ばそうとしてしまい、慌てて引っ込める。馬車の手配の仕方など祐貴には解らないのだから、大人しく待っているべきだ。
そんな祐貴の様子に気付いたのか、アイザは一度祐貴の頭を撫でて微笑んでから行った。
ファイラと二人、ぽつりと残される。祐貴はちらりと隣に立つ男を見遣った。
「ファイラ、すごい笑顔…」
「お前、グラッドストン家の使用人だったのか。いやー、グラッドストン伯は若いって聞いていたが、本当だな。まあ、良い伝手ができそうだぜ」
「つて…?」
「俺みたいな落ちぶれ魔導士には、お貴族様は大事なお客なんだよ」
祐貴にはファイラの言葉がよく解らなかったが、別に理解できなくてもいい。
「ねえ、ファイラ」
「なんだ?」
「召喚獣に連れてかれたこと、アイザに言わないで」
先ほどはアイコンタクトが通じて助かった。アイザのいない今のうちに、しっかり口止めしておかなければと、祐貴はファイラをじっと見ながら言った。
「ああ、わかったが…いいのか?」
「うん。あと、自分に…資質があるとかの話、やめて」
「うーん…わかった」
ただでさえ祐貴は不審者なのだ。エマヌエーレの人間でないと解っているのに、魔導士の資質がある可能性などをほのめかせば、ますます怪しい存在になってしまう。
「言わないなら言わない方が俺も助かるぜ。なんだよあの溺愛っぷりは。アールが暴走したなんて言ったら、俺殺されるかも知れねぇよ」
はあ、とわざとらしくため息を吐くファイラに、祐貴はさきほどの醜態を思い出して赤面した。
「お前はただの使用人なんだよな?あの主人は誰にでもああなのか?」
「え、あ、う、うん…?」
アイザは使用人全員に優しい。祐貴は曖昧に頷く。
すると、そのアイザが戻ってきて、三人はグラッドストン家に戻ることになった。
「さあ、帰ろう」
そう言われながらアイザに手を引かれ、祐貴は頷いた。今度はその言葉に違和感を覚えなかった。
馬車は貸し馬車らしく、御者もすでにいた。祐貴たちが乗ってきたものよりも断然貧相だったが、三人乗るには十分な大きさだった。
がたがたと揺れる馬車の中で、祐貴は服が濡れていることや擦り傷ができてしまっていることをアイザに指摘され、ファイラと何とか口裏を合わせながら誤魔化した。あまり多くを聞かれたくなくて話を逸らし、アイザ達の動向を聞けば、リーナ達は先に帰ってアイザだけが残って祐貴を探してくれていたという。申し訳なさと嬉しさに、祐貴は何度もごめんなさいとありがとうを繰り返した。
屋敷に着いたころにはしっかり夜も更けていて、たくさんの明りで照らされた玄関にシッチが立って待っていた。祐貴の姿を見るなり駆け寄ってきて、ぎゅっと抱きついてくる。
「ユゥキ、ごめん、ごめんね、一人にして、ごめん…ユゥキ…!」
その目が赤く腫れてしまっているのを見つけ、祐貴は自分の愚かさを呪った。なんで、自分がいなくなっても誰も気に留めないなどと勘違いをしていたのだろう。抱きとめた体は冷たい。きっとずっとここで待っていてくれたのだ。シッチはこんなにも自身を責め、泣いて心配してくれたのだ。
「ごめんね、シッチ、勝手にいなくなって……謝らないで。ごめん…」
それから、夕食もとらずに待っていてくれたシッチと、祐貴たちは共に遅い夕食を取った。使用人たちにも祐貴がいなくなったことは伝えられていたらしく、会う人会う人に言葉を掛けられ、祐貴はその度申し訳なさと恥ずかしさに窮した。
ファイラは出された食事をいたく気に入ったらしく、上機嫌だった。酒も入ったせいか、えらく陽気にファイラは話す。アイザはにこやかにそんなファイラに受け応えていた。
祐貴とシッチは片付けとファイラの部屋を準備するために先にその場を辞したが、二人はその後も盛り上がっていた。
簡単な湯浴みをして、祐貴は自室のベッドにもぐりこんだ。もうすでにいつも眠っている時間を過ぎているのだが、まったく眠気はなかった。
今日はいろいろありすぎて、心が落ち着かなかった。ひとつ、思ったことがあった。
――このまま、ここにいてもいいんじゃないだろうか。
頑なに、ひたすら、日本に帰りたいと願い続けていた。
家族や友人は、祐貴が居なくなってしまったことにもう気付いているだろうか。どう思っているだろう。心配し、警察に届けを出しているかもしれない。それを思うと胸が痛くなる。もっと大学で勉強したいこともあった。見たいテレビや読みたい本もあった。やはり日本が恋しいと思ってしまう。
しかし、こちらに来て、もう一ヶ月半以上。祐貴はここに、グラッドストン家に確かな居場所を作っているのだと、今日実感した。
たとえ城へ入れたとしても、日本に確実に戻れるとは限らないのだ。それならば、もういっそここで一生を送る覚悟を決めた方がいいのではないだろうか。ここで、シッチ達とともにアイザに仕え暮らしていけば、きっとそれなりに平和で幸せな生活を送れる気がする。
どうしたらいいか解らない。目頭が熱くなり、祐貴はひっそりと涙を零した。
祐貴がちょうど寝がえりをうったとき、ドアの向こうに足音が聞こえた。それからかすかな音を立てながら扉が開いた。
「ユゥキ、もう寝ているか…」
ぽそりと聞こえた声はアイザのものだった。すぐに起き上がればよかったのに、祐貴は泣いていたのを見られなくて、ドアに背を向けたまま寝た振りをした。
背中越しに、アイザが近づいてくる気配がする。
そっと、祐貴の頭に手が触れた。大きな手は祐貴の少し湿った髪を慈しむように撫でる。
「本当に…いなくなってしまうかと思った…帰ってきてくれてありがとう…」
囁くような言葉には熱が籠っていて、祐貴はどきりとした。
髪を撫でる手が離れたかと思うと、耳元に熱い唇が押し当てられた。
「おやすみ、良い夢を」
そう告げて、アイザはすぐ部屋から出ていってしまった。
祐貴はベッドの中でぎゅっと体を縮めた。顔だけでなく、全身が沸騰してしまったみたいに熱い。ありがとうなんて、祐貴が言うべき言葉だ。言葉にできない気持ちが湧き上がって、また涙が零れてきた。
――ここにいてもいい、とかじゃない。ここにいたいんだ。
祐貴は痛切に感じた。
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