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第二章 -17

 アイザが部屋から遠ざかって行くのを確認した後、祐貴は荷づくりを開始した。荷づくりと言っても物は少ない。抽斗に溜めこんでいた食料を、レコイからもらった袋に詰め込むだけだ。数分も経たないうちに終わった。  それからテーブルへ向かうと、文字の書きとり練習で使っていた紙を取り出し、そこに手紙を書いた。アイザとこの屋敷の使用人たちに向けて。  書き終えると、その手紙の上に腕時計を外して置いた。これがいままで世話になった僅かばかりのお礼だ。壊れているし全く使えないものだけど、この世界では珍しいものだから高く売れるかもしれない。ずっと付けていたあちらのものがなくなってしまうのは寂しいが、祐貴には買ってもらって取り戻したジーンズがある。それは食料を入れた袋に一緒に入れた。  寝間着から昼間着ているホーズとシャツ、ベストに着替え、しっかりと靴も穿き、防寒用のローブを羽織る。  これで準備はできた。  祐貴は部屋の明かりを消すと、屋敷の皆が寝静まってしまうのをじっと待った。  一時間くらいは過ぎただろうか。祐貴はそっと部屋の扉から首を出し、辺りを窺った。明かりはどこも点いておらず、物音もない。そろそろ頃あいだ。  荷物の口を縛った紐を肩にかけ、なるべく音を立てないように廊下に出た。明りを持っていないため、かなり視界が悪い。祐貴はゆっくり、忍び足で廊下を進んでいく。廊下を真っ直ぐ進み、左へ曲がれば裏口から外へ出られる。  寝静まってしまった屋敷は本当に静かで、少し怖いほどだった。だが、おかげで誰にも出くわさずに済みそうだと、そう思ったときだった。  曲がり角に差し掛かった祐貴は、思い切り何かにぶつかった。 「!?」 「わっ!」  ぶつかったものから声がして、瞬時にそれが人だと理解した祐貴はさっと顔色をなくした。 「あ?ユゥキ?お前、何してんだ。こんな時間に明りも持たずに…」  そこにいたのはファイラだった。ファイラこそ、ランプは持っているくせに火は灯していない。なぜ、彼がここにいるのだろう。 「お前、その格好…」 「ファイラは、なにしてるの」  訝しげなファイラの質問を断ち切るように、祐貴は慌てて声を被せた。ファイラは片眉を上げて不満そうにしてみせたが、祐貴の質問に答えてくれた。 「俺は書庫で本読んでたら夢中になっちまって…ランプの油が切れたから部屋に戻っているとこだ」  ファイラはランプを掲げながら言う。そう言えば、ファイラは夕食の時もいなかった。それほどまでに本に夢中になっていたのだろう。 「それで?お前はどこに行こうとしているんだ。どう見ても、外に出る格好だな。その荷物はなんだ?」 「………」  途中で誰かに出くわしてしまう可能性を考えなかったわけではないが、祐貴は咄嗟に言い訳が思い浮かばない。返答に窮していると、ファイラはぎゅっと眉間にしわを寄せた。 「今からお使いなんてわけないよな。お前、ここを出ていく気か?」  ファイラは確信した様子で言った。祐貴は唇を噛みしめた。 「泥棒や詐欺…ってわけでもなさそうだな」  ファイラは目を眇め、祐貴をじっと見つめる。祐貴は観念して息を吐いた。ここは素直に言って、見逃してもらうしかない。 「ここにいちゃ、いけないから…」 「なに言ってんだ。ほら、部屋に戻れ。お前のご主人様が心配するだろうが」 「出ていかなきゃいけないんだよ!ここにいたら、アイザがだめになる!」  祐貴はぎっとファイラを睨みつけた。ファイラが息を飲んだのが解った。 「だから、日本に――…自分の国に、帰る。お願いだから…邪魔しないで!」  祐貴はファイラを避けて駆けだそうとした。しかし、それより速くファイラに腕を掴まれ、がくりと体は止まってしまった。祐貴は反射的に振り払おうとしたが、掴んだ手の力が強くなった。 「俺も行く」 「――え?」  言われた意味が解らずに、祐貴はぽかんとファイラを見つめる。暗くてよく見えないが、その表情は苦々しいものだった。 「お前のおかげでこの屋敷に招かれてるのに、いなくなっちまったらいられるわけないだろ。まして見逃したとばれたらきっと殺されるぜ。まだ読みたい本があったが…仕方ない」  そこまで言うと、ファイラは祐貴の腕を放した。確かに、祐貴が消えてしまえばファイラの居心地は悪くなるだろうが、この屋敷の人間はファイラを責めるようなまねはしないだろう。 「そんなの、大丈夫…」 「俺が気になるんだよ!荷物取ってくるから、ここで待ってろ。直ぐ戻るからな。待ってなかったら主人を叩き起こしてくるぞ」  ファイラは一方的に告げて、さっといなくなってしまった。祐貴は少し呆然としながら、大人しくそこにしゃがみこんでファイラを待った。  ファイラは言葉通り、あっという間に戻ってきた。もともと彼の持ち物は少なかったが、全部で祐貴が肩から提げている袋よりも少し多いくらいだ。 「行くぞ」  ファイラは祐貴を促し、さっさと歩きだす。祐貴は慌てて彼の後を追いかけた。 「いいの…?」  脅されたというのもあるが、ファイラを待っていたのは一緒に来てくれると言われたからというのが大きい。本当は一人で出ていかなければならないと解っていたが、心細い気持ちでいっぱいのなか、ファイラの存在はありがたかった。祐貴が聞くと、ファイラはふっと頬を歪ませ苦笑する。 「きっと俺がお前を誘拐したとか思われるんだろうな」 「だ、大丈夫。手紙、書いたから」 「そうか。でも、ま、こんな立ち去り方しちゃもうグラッドストンには来れないな。営業もしばらく休みだ」 「え…」  ではなぜ、一緒に来てくれるのだろうか。祐貴の疑問を、ファイラはすぐ汲み取って答えてくれた。 「どうやって故郷まで帰るつもりか知らないが、お前みたいな世間知らずを一人で放り出した方が、寝覚めが悪い」  自分の頼りなさを恥じるより、ファイラの優しさが嬉しかった。祐貴は礼を述べようとしたが、それはファイラの言葉に遮られた。 「それに…まあ、少し罪悪感があってな」 「え?」 「お前に魔導士の資質があるって話を、アイザ様にしちまった」 「え…ええ!?言わないでって、言ったのに!」 「悪かったって。純粋に勿体ないと思ったんだ。でも、国へ帰るなら…もう、どうしようもないな」  もう一度「すまん」と謝るファイラに、祐貴は首を振った。 「別に、いい。どうせもうアイザには会わないし…」 「そうか…」  ぼそぼそと会話しているうちに、二人は屋敷の裏口から外へと出た。今日は満月のおかげで、いくらか視界は開けていた。  裏門をくぐれば直ぐに小さな林がある。そこを通りぬけて、とりあえず屋敷から離れようと祐貴は考えていた。ファイラにその意志を告げると、その後はどこへ向かうのかと聞かれた。 「とりあえず、王都に行く」 「王都ね…解った。じゃあ、王都の手前までは付き合ってやる。王都の中には悪いが付き合ってやれないからな、そこからは一人で頑張ってくれ」 「あ、ありがとう!」  王都まで一緒に行ってくれるだけでも十分にありがたい。祐貴は何度も何度もお礼を言った。  林の中は月光が遮られ、暗く薄気味悪かった。祐貴は一人じゃなくて本当に良かったと思った。ファイラが先を行ってくれ、祐貴はそれを追いかける形になった。  だんだんと屋敷から遠ざかっていく。寂しかったが、祐貴はそれを断ち切るように一歩一歩踏みしめていった。 「林を抜けたらアールで距離を稼ごうと思うんだが、いいか?」  歩みを止めないまま、ファイラがちらりと振り返った。 「アールの背に乗れば、馬よりずっと速い。夜であればアールを出しても騒ぎにはならないから、今のうちに乗って進みたいんだが…平気か?」  たしかにあの召喚獣の脚はすこぶる速い。召喚獣が怖くないと言えば嘘になるが、祐貴の言うことを聞いてくれたあのアールに対する畏怖はいくらか和らいでいる。祐貴は馬に乗れないので、素早く道を行けるのは助かる。  祐貴が頷いたのを見て、ファイラも頷いた。  そのとき、遠くが俄に騒がしくなった。音は屋敷の方から聞こえる。 「やばいな、誰か起きたのかもしれない」 「急ごう…!」  祐貴は慌ててファイラの背を押した。 ◆◆◆  騒がしい音に、アイザは目を覚ました。眠りが浅かったため、意識は素早く覚醒する。部屋の中は暗く、窓掛けに遮られた外もまだ真っ暗だと直ぐに解った。こんな深夜に何かあったのだろうか。  アイザが寝台から体を起こした時、部屋の扉が激しくノックされた。 「アイザ様!アイザ様、大変です…!」  声の主はトルだった。ここまで焦った様子の彼は珍しく、アイザは急いで立ち上がり、ドアを開いた。 「どうした?」  トルはいつもの礼装でなく、寝間着姿だった。 「急に魔導国師団の……第一連隊の方々がいらっしゃって、黒髪黒目の男を出せと…」 「師団?どういうことだ…!?」 「とりあえず、屋敷内に入ってこないようお願いしているのですが…」  黒髪黒目の男――ユゥキしかいない。アイザは玄関に向けて駆けだした。  辿り着いた先は人垣ができていた。明りが点けられたそこには、使用人たちが壁を作り、訪れた者たちを中に入れない様立ちはだかっている。その中に、ユゥキの姿はなかった。 「アイザ様…!」  シッチが一番にアイザの姿に気付くと、皆口々にアイザの名を呼びながらほっとした表情を見せる。アイザは使用人たちの間を割って、前に進んだ。  玄関に立っているのは、五人の男たちだった。皆揃いの黒のローブを纏っていて、その身分は直ぐに解る。魔導国師団、第一連隊の制服だった。  魔導国師団は魔導院直属の師団であり、魔導士ばかりで構成されている。  中央に立つ一人、胸に銀の徽章を付けた壮年の男は、アイザの姿を認めると一歩前へ進み出た。 「夜分に失礼。魔導国師団第一連隊連隊長、リズ=フラットルだ。この屋敷に黒髪黒目の男がいるはずだ。その者を出してもらおう」  リズは魔導士とは思えないほど厳つく、口元に大きな傷があり威圧感があった。  連隊長という肩書に、アイザは内心目を瞠った。魔導国師団には第三連隊まであるが、第一連隊が一番地位も力もある組織だ。その中の長が動くなど、それこそ他国との戦争や国事に関わることくらいだ。  なぜ彼らがユゥキを探しているのかアイザには欠片も解らないが、直感が告げてくる。彼らにユゥキの身柄を預けてはいけない。 「そのような者は、我が屋敷にはおりません」  アイザが平静なままそう答えると、リズはくっと口を歪ませる。 「使用人たちも同じ答えだった。随分教育が行き届いてるな。しかし、ここにいるという報告があった。大人しく出さねば、貴殿に処分が下るぞ」  アイザには解らないことだらけだった。報告とは、一体誰がしたのだ。なぜユゥキの存在が魔導院に知れている?ユゥキが一体何をした?  困惑が一気に表情に出てしまったようだ。リズは嘲るような表情のまま、続けた。 「黒髪黒目の男には、重要参考人として召集が掛かっている。今すぐ差し出さねば公務執行妨害だ」 「重要参考人?一体何の…」 「それは機密事項だ」  周りの使用人たちは不安そうな顔でやり取りを見守っている。  皆、ユゥキがいることを伝えなかった。アイザと同じ気持ちだったのだろう。アイザは一つ深呼吸して、口を開いた。 「………先ほども言いましたが、そのような者はおりません」  リズの顔が不快そうに歪んだ。 「ああ、もう。まどろっこしいですよ、隊長」  不意に、高い声が割って入った。リズの隣に立っていた片眼鏡を付けた若い男だ。 「セレン」  男――セレンはリズと違い、背も低くひょろっとして頼りない。しかし、その目は爛々と生意気そうに輝いていて、じっとアイザを見上げてきた。 「この人たちが知らないのなら、そいつは勝手にこっそりこの屋敷に潜んでいるんだ。代わりに探してあげればいいんですよ。――出て来い、ノーム!」  セレンが声高に叫ぶと、その懐から赤いトカゲが現れた。その体は大人三人を丸飲みできそうなほどに大きい。  一瞬にして辺りが悲鳴に包まれる。  トカゲはぶんと大きな尾を振る。近くにいた数人がその尾に当たり、床へと叩きつけられた。皆、慌てて逃げ惑う。  アイザも眼前にトカゲのしっぽが迫り、慌てて避けたが先が頬をかすめた。大トカゲの皮膚はかなり硬く、かすっただけなのに血が流れた。先ほどぶつかった者たちが心配になる。 「ほらほら、みんな続け続けー!黒髪黒目の男を探せー!」 「あっ、待って下さいよ!マルギー隊補!」  セレンだけが楽しげに叫び、トカゲを使って道を開き屋敷の中へと進んでいく。残りの三人も自分の持つ召喚獣を呼び出して、慌ててセレンの後を追う。一気に四匹に増えた召喚獣に、誰も何の抵抗もできない。 「悪いな、なんせ上からの命令だ。できるだけ物は壊さないようにする。――おいセレン、あまり調子に乗るなよ!」  一人残っていたリズもそれだけ言って、屋敷の中へと進んで行ってしまった。奥から激しい音が聞こえてくる。扉を破壊しているのだ。 「アイザ様!大丈夫ですか!?」  トルとシッチが駆け寄ってくるのを見て、アイザは素早く頬を拭った。 「シッチ、直ぐにユゥキの部屋へ行け!時間を稼ぐから、あいつらに見つかる前に姿を隠すんだ!」 「わ、わかりましたっ!!」  アイザが鋭く命令を下すと、シッチは涙目になりながらも素早く駆けだした。外へ向かって走り、窓からユゥキの部屋を目指す。 「トル、お前は直ぐにサカリーを呼んでくれ。倒れた者たちに早く治療を」 「畏まりました」  頷くトルを見てから、アイザは怯える使用人たちを見回した。 「皆、この場でじっとしていろ!あいつらがまたここにきても、大人しくして、抵抗はするな!」  アイザはリズ達を追いかけた。

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