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第二章 -18
ユゥキの部屋へ続く廊下に向かったアイザは、そこにセレンを見つけた。そこは彼と彼の召喚獣だけで、他の魔導師団の者たちは違う場所を探しているようだ。
「待て!」
アイザが怒鳴ると、セレンはくるりと振り返った。隣にいた召喚獣も、ゆっくり首を回す。広い廊下も、召喚獣がいると狭く感じた。
「あららー?お仕事なんだから邪魔しないでくださいよ、グラッドストン伯。邪魔するなら、容赦しませんよ?」
「出て行け!ここにはいないと言っているだろう!」
「嘘は嫌いです。ついでに言えば、貴族はもっともっと大嫌いです。――ノーム、やっちゃって」
セレンが言葉を掛けると、大トカゲはその巨体に見合わぬ速さでアイザの元へやってくる。びゅっと振りかざしてきたその尾を、アイザは剣で受け止めた。
ガキィっと、まるで刃を受け止めたかのような音がする。
なんとか受け止められたものの、その力にはやはり敵わず、アイザは後ろに引くことで均衡を解いた。
「剣まで用意していたんだ?」
セレンが面白そうに眼を丸めた。
丸腰で召喚獣に敵うはずがない。アイザは一番手に馴染んでいる剣を取ってきた。
「あははは。でもそんなので、ノームに勝てるわけないですよ」
そんなことはアイザにも解っている。今はただ、時間が稼げればそれでいいのだ。
大トカゲが口を開き、その牙を突きだす。アイザがさっと身をかわすと、その牙は背後の窓を突き破り、壁を壊した。ひとたまりもない。
しかし、室内であることが幸いし、大きな体の召喚獣は自由に身動きができないようだった。窓枠に噛みついた瞬間、避けたアイザに向かった尾は、壁にぶつかって威力がそぎ落とされていた。再びそれを剣で受け止め、弾き返す。
その後も防戦一方だが、アイザは大きな打撃を受けずにトカゲに対峙した。かなり体力を使うが、この調子ならまだまだ時間は稼げる。
「うーん、面白くない。ノームってば使えないの」
トカゲとアイザのやり取りを見ていたセレンが、ぽつりと漏らした。
「ミュゲ、出ておいで」
「!」
その瞬間、新たな召喚獣が姿を現した。アイザは短く舌を打つと、急いでトカゲと距離を取った。
しかし、新しく出てきたのはとても小さな蝙蝠だった。パタパタとはばたくその姿は、色が緑でさえなければただの蝙蝠と何も変わらない。
「あはは、僕ってば優秀だから、高位だって呼び出せちゃうんですよー」
安堵しかけたアイザは、その言葉に固まった。
「ミュゲ、攻撃しろ」
その瞬間、アイザの全身を強い衝撃が襲った。見えない何かに跳ね飛ばされ、背中から床へ叩きつけられる。一瞬耳が聞こえなくなり、床や壁、天井に一気にひびが広がった。
「……っ!」
全身が痛く、起き上がれなかった。アイザの近くにはトカゲまで倒れている。
こつこつと足音が近づき、セレンが仰向けに転がるアイザの顔を覗きこんできた。
「ミュゲ、ちっちゃいくせにすごいでしょ。音で攻撃できるんですよー。僕のお気に入り」
くすくすとセレンは笑う。
「さてと、殺さないでおいてあげますから、そこで大人しくしててくださいねー」
セレンはそう言ってからトカゲを懐に戻すと、ついにユゥキの部屋のドアに手を掛けた。
間に合っていてくれと、アイザは祈った。
がちゃ、と扉が開く。
「おや?」
セレンの声に、アイザはぎくりとした。まさか、間に合わなかったのか。傷む体に鞭打ち、アイザは剣を杖代わりにして慌てて立ち上がる。
真っ暗な部屋の中に佇んでいたのは、シッチだけだった。アイザはほっと胸を撫で下ろした。間に合っていたようだ。アイザとしては共に隠れていろというつもりだったのだが、シッチはユゥキだけを隠したのだろう。
「さっき玄関にいた子ですよねー?」
セレンの言葉に、シッチが振り返った。アイザはその姿を見て、違和感に襲われた。暗いためシッチの表情は見えないが、その体が僅かに震えているのが解る。
「…アイザ様……アイザ様!」
シッチはアイザの元へ一目散に駆け寄ってきた。その手にはぎゅっと何かが握られていて、シッチはそれをアイザに押しつけてくる。
「シッチ…?」
「これ、これ…!」
アイザはそれを受け取る。それは紙だ。広げてみれば、たどたどしい、子供のような文字が綴られている。最初には『アイザとグラッドストンの屋敷のみんなへ』と宛名されている。手紙だ。
その文字を目で追っていたアイザは言葉を失った。
「ちょっと、僕のこと無視しないでくださいよー」
二人を眺めながら、セレンは不貞腐れた顔で唇を突きだす。すると、遠くから声が降ってきた。
「セレンっ!貴様、またミュゲを出したな!」
怒号を飛ばしながら走り寄ってくるのは、リズだった。不機嫌なリズを見て、セレンの表情はますます曇る。
「ミュゲを使うときは必ず俺に許可を取れと言っただろうが!しかも、屋敷内で使うバカがいるか!崩れたらどうする!」
「だって、隊長いなかったから許可の取りようないじゃないですか。使わなきゃ宝の持ち腐れだしー。実際屋敷壊れてないしー」
そんな二人の会話を遠くに聞きながら、アイザはぐしゃりと手紙を握りしめた。
「アイザ様…?」
アイザは不安そうに見上げてくるシッチに手紙と剣を預け、身を翻した。走れば全身が悲鳴を上げるが、今はそんなことに構ってられなかった。
「アイザ様!」
「あれー?どこいったの?」
走り去るアイザを見ながら、セレンは首を傾げる。リズはアイザが直前まで見ていた手紙に目を向けた。
「おい、それを見せろ」
「えっ、あっ!」
手紙は簡単にシッチの手から奪われる。シッチは顔を青くしたが、リズが怖く返せとも言えない。
さっと手紙に目を通したリズは、一つ頷いた。
「……なるほど…」
リズは手紙をシッチに押し返すと、セレンの頭を一つ叩いた。
「いたっ!」
「帰るぞ。グラッドストン伯は嘘つきじゃなかったようだ。例の男はもうここにいない」
手紙は、ユゥキからのものだった。
恩を仇で返すようなことをしてしまって申し訳ないが、自分はこの屋敷を出ていく。国へ帰る。今までたくさん世話になって、本当に感謝している。皆が優しくしてくれて嬉しかった。グラッドストン家の一員になれて幸せだった。腕輪はお金に換えてくれ。ほんの少しにしかならないかもしれないがお礼だ。
そう、書かれていた。
アイザは急いで厩に向かい、寝ている馬を起こし跨った。
寝る前まで、確かにユゥキはいた。ユゥキは馬には乗れないから、きっとまだそんなに遠くには行っていないはずだ。探せばきっと間に合う。
正面玄関から出ていったとすれば、魔導国師団とかちあっているはずだ。アイザは可能性に賭けて裏の林に向かった。
走り出した馬の振動が響き、体が痛い。でもそれよりもずっと心が痛かった。
どうして。ここにずっといると言ってくれたのに。
「ユゥキ…!」
◆◆◆
祐貴とファイラは林を抜け出た。そこには小さな小川があって、そこを飛び越えれば舗装された道に出る。
不安定ででこぼこした道から、しっかり慣らされた場所に立ち、祐貴は一つ伸びをした。
「アール、出ろ」
息を吐く祐貴の隣で、ファイラはアールを呼び出した。青い毛並みの召喚獣は、月夜のもとでは濃紺に見える。
祐貴は恐る恐るアールに近づいた。これからこの獣に乗せてもらうのだ。そっと手を出して、その背に触れてみた。祐貴が触れてもアールは静かな目をしたままだ。よろしくという気持ちを込めて、そのままそこを撫でる。その毛は思ったより柔らかかった。
そのやりとりを見て、ファイラは頷く。
「よし、行くか。アール、屈め」
ファイラが命じると、アールはすっとしゃがみこむ。
ファイラに促され、祐貴がその背に乗ろうと手を掛けたときだった。
「ユゥキ!」
林の中から、馬に乗ったアイザが現れた。小川の岸に着いた馬は、ユゥキがいるせいか、興奮した様子で暴れだす。アイザは馬から降りると、川を飛び越え、ユゥキの目の前まで来た。
ファイラも祐貴も、動きを止めてそれを見ていた。というのも、アイザの姿が普通ではなかったからだ。
「あ、アイザ…どうしたの、それ…」
アイザはぼろぼろだった。頬からは血が流れているし、服はところどころ破れ、擦り傷がある。
「これはどうでもいい!なぜ、なぜ出ていこうとするんだ!」
「あ…」
言われて、やっと祐貴は自分の立場を思い出した。アイザがまさかこんなに早く気付き、追いかけてくるとは思ってもみなかった。
「行かないでくれ。私の気持ちが迷惑なら、なかったことにしてくれていい!」
アイザが一歩近づき、祐貴は怯んだ。がしっと腕を掴まれる。
アイザの手は変わらず温かい。そこから広がる温度は、甘い毒となって祐貴の決意を揺らめかせる。
「放して、アイザ」
「嫌だ。帰ってきてくれ」
「……放して!」
祐貴が叫ぶと、黒い影が二人の間に割り込んだ。アールだった。
「何…!?」
アイザはその存在に気付いていなかったらしい。その表情が驚愕に彩られる。
アールはその鼻面でアイザの胸をぐっと押す。
「っ…!」
アイザは顔を顰め、よろける。祐貴を掴んでいた手もあっさりと離れてしまった。消えてしまった温もりに、祐貴は泣きそうになった。
「……ファイラ、行こう!」
「あ…ああ」
祐貴は急いでアールの背に乗った。ファイラも慌てた様子で祐貴の後ろに跨る。
「ユゥキ!」
アイザが寄ってこようとする。しかしそれより早くアールが立ちあがり、祐貴は初めて、背の高いアイザを上から見下ろした。
アイザは本当に傷だらけで、何があったのか気になった。傍にいてやりたいと思うけれど。
「今までありがとう。アイザの気持ちも嬉しかった。本当に、嬉しかった。だけど…アイザに話してないことがたくさんあるんだ。秘密にしていることばかりで、アイザ、嫌になるよ」
「ありえない!これから話してくれればいい!言いたくないのなら聞かない、言わなくていい!」
「それでも、もう、自分の帰る場所はグラッドストンの屋敷じゃない。日本に帰るんだ」
祐貴は笑ってみせた。体を思いきり屈めると、そのままずり落ちそうになる。ファイラが後ろから支えてくれた。そのまま甘えて、祐貴は縋るような目のアイザに顔を寄せた。
傷のあるその頬に、そっと唇をあてる。初めて祐貴から贈るキスだったが、リップ音を鳴らすこともできず、ただ触れただけだった。
「――もう、忘れて。さようなら」
祐貴が小さな声で「行って」と言うと、アールは走り出した。馬の何倍ものスピードで奔る。
遠くに祐貴を呼ぶアイザの声が聞こえるが、それもあっという間に聞こえなくなった。
アールの背は強い風に晒されて、大きく揺れる。ファイラが後ろからしっかりと抱え込むように支えてくれているおかげで、祐貴は落ちずに済んでいた。
「……残っていた方が良かったんじゃないのか?」
直ぐ後ろから、声がした。
祐貴は応えられなかった。
そんなことはない、これで良かったのだと言いたいのに、溢れだした涙で息が詰まり、ただただ呻き声しか上げられなかった。
第二章 完
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