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第三章 追う者、追われる者。-1
最小限のランプしか置かれていない室内は、煙草の煙が充満していて視界が悪い。しかし、人々の話し声や酒が注がれたグラスの打ち合う音がそこかしこで響き、騒がしく活気に満ち溢れている。
等間隔に置かれたテーブルに、人々がそれぞれ集う。その面々は、男性の割合が大幅に高く、お世辞にも柄がいいとは言えなかった。
そんな中、祐貴も一つのテーブルの前に立っていた。ローブのフードを目深にかぶったまま、目の前のテーブルの上に並べられた五枚のカードを見つめる。
祐貴の周りにいる人々も同様に、その五枚のカードに期待と不安に満ちた視線を送っていた。
四角いテーブルの三面には人だかりができているが、一面には空間があいている。そこには小奇麗な服を着た若い男がいて、その手にテーブルに乗せられているカードと同様のものを持っている。彼は、親――ディーラーだった。
男の手から、カードが配られる。テーブルの上にある五枚のカードの上に、裏返したそれを一枚ずつ重ねていく。
五枚、全て並べ終わったところで、ディーラーはパンと一回手を叩いた。
「さあ、入った!」
その言葉と同時に、テーブルの周りの数人が声を上げながら硬貨を並べていく。
「チィ」
「ラーだ!」
祐貴も懐から数枚のコインを取り出すと、テーブルに載せた。
「スル」
周りの騒がしさに負けない程度に声を上げ、ディーラーが聞き取ったことを確認する。
「上がりです!」
ディーラーが声を掛け、周りの人々の動きが止まる。結局、その場の八人が硬貨を出した。
ここは王都南東に位置するアマーという街にある賭博場である。祐貴はそこで、今まさに賭けに参加していた。
「数当て」というゲーム。最初に並べられた五枚のカードは表向きで、それぞれリートの花弁が一枚から五枚まで描かれている。その上に、同じ花弁が一枚から五枚まで描かれたカードを裏向きに一枚ずつ重ねていく。その計五組のペアの中で、何組同じカードの組み合わせができているかを賭けるのだ。
全て違うのならばゼロ、一組が合っているはオウ、二組はチィ、三組はスル、そして五組全てはラーといったように呼び方だけが決まっている。それだけ覚えれば専門知識も緻密な計算もいらない、ただ勘だけを頼りにしたこのゲームはイカサマも少なく、エマヌエーレでは最もポピュラーだという。
ごくりと、隣に立つ男が唾を飲んだ音を祐貴は聞いた。たしか彼は、ラーに賭けていた。
ディーラーの器用そうな手が、裏返ったカードを捲る。一枚、二枚、三枚…開いていくたびに、歓喜と落胆の声が湧きおこる。
「スル!」
全てのカードを捲ったディーラーが、声を張った。
「ちくしょう、またやっちまった!」
「今日は運がいい、三連勝だっ!!」
「あー、惜しかった…!」
ただでさえ騒がしい場が、いっそう煩くなる。
――当たった。
祐貴はほっと息を吐き、分配されるコインを受け取った。その重みは出したものの八倍はある。
『このくらいで大丈夫かな…』
呟くと、祐貴は稼いだコインを懐に入れ、人ごみに紛れるようにその場から抜け出した。
半地下になっていた煙たい室内から外へと出れば、中の騒がしさが嘘のように静かに夜の帳が降りている。高く上っている月を見上げながら、祐貴は大きく深呼吸をした。空気はかなり冷たいが、その分澄んでいておいしい。
重くなった懐をもう一度確認すると、祐貴は宿に向かった。
アマーは王都の端の街だが、王都だけあってか、グラッドストンのどの街よりも大きく立派だ。建物も多く、宿屋や賭場などがたくさんあるのだ。
今日の昼のうちに荷物を預けていた宿に戻ると、カウンターに初老の女将が座っていた。顔を覚えていたらしく、「お帰り」と言う彼女にぺこりと頭を下げて、祐貴は二階にある部屋へ入った。
中は質素なもので、かなり狭く古びたベッドしかない。本当に寝るだけの宿だが、一人の客に対しては相部屋の宿も多い中、個室であるだけでありがたかった。
ローブを脱いでベッドのヘッドボードに掛け、ベッドへ寝ころぶ。そうしてやっと、祐貴はふうと息を吐いた。
王都に入って、今日で三日目。祐貴はなんとか一人でやっていけていた。
それも全て、ファイラのおかげである。
グラッドストンの屋敷を発ってから、アールのおかげで祐貴たちはかなりの距離を稼げた。
夜が明けてから少しだけ野宿をし、昼ごろに起きてからグラッドストンの外れの街に入った。その街を抜け、しばらく進めばすぐに王都だ。そうなればもう徒歩であっても、一日もあれば王都に辿り着く。思った以上に簡単にことが運び、祐貴は胸を撫で下ろしていた。
しかし、その街で困ったことが起きた。
その日は疲れているというのもあって、宿屋に泊まろうという話になった。ちょうどいい宿を探すため、街中を歩いているときだ。
祐貴は小さな子どもとぶつかった。しかし、ぶつかったと言っても軽いもので双方怪我もなく、数秒後には忘れてしまう出来事のはずだった。
直後、財布を掏られたと気付かなければ。
もともと祐貴は食料と衣服しかもっていなかったのだが、何かあったときのためにと、ファイラが幾らかの金を持たせてくれていた。それを丸ごと掏られてしまったのだ。
預かっていたお金を取られてしまい、祐貴は軽くパニックになった。小さな子がものを取るというのがにわかに信じがたく、ショックだった。しかし、それ以上にファイラは祐貴の危機感のなさに衝撃を受けていた。
それもそうだ。祐貴も今思い返してみれば、自分が馬鹿だと思う。そのとき、財布を誰からも見えるように腰から提げていたのだ。それはこの国では掏られたって仕方がないことになるらしい。この国に来た当初持っていた警戒心も、グラッドストンの屋敷で平和惚けした祐貴からはすっかりと失せてしまっていたのだ。
「このまま別れるわけにはいかない。お前に一般常識を叩き込まないと、一人になった途端、身ぐるみはがれるぞ」
予定では祐貴とファイラは翌日には王都の入口で別れる予定だった。しかしファイラはそう言って、その街にしばらく滞在しようと提案してきた。
王都に早く行きたいという気持ちが強かったが、祐貴はファイラに従った。自分が宿の取り方すら解らないということに気付いたからだ。
それから、その街でいろいろな宿屋を渡り歩きながら、祐貴はファイラに様々なことを叩き込まれた。街中を歩く時の常識、宿屋の選び方、店での買い物の仕方。
そして、簡単に金を稼ぐ方法――賭博だ。
予定外に宿屋を渡り歩いたため、そして何より祐貴が金を掏られてしまったため、ファイラの持ち金はすぐ残り少なくなった。
金を稼ぐにはアールを使い見世物をすればあっという間に稼げる。今までも、ファイラはそうしてきたらしい。
しかし、今回はグラッドストンから逃げるように飛び出してきたため、アールを出して目立つわけにもいかず、ファイラは賭場に行くことにした。
そこに祐貴も、勉強だといって連れて行かれた。初めて出た夜の街は昼間とは全く違う顔をしていて、祐貴は僅かに緊張した。日本にいた頃もそんなに夜出歩いたこともなかった。それが、賭博場など治安の悪そうな場所へ行くのかと思うと恐怖もあった。
そしてたどり着いた小さな賭場は、想像通りの場所だった。しかしファイラと共に居れば絡まれることもなく、そこで祐貴は「数当て」を教わったのだ。
賭博は確かに簡単に金を稼げもするが、逆に金を掏ってしまう可能性も大きい。しかしファイラは勘がいい方らしく、勝ち負けを何度か繰り返し、最終的には数セル勝っていた。
勝って気分のいいファイラに促され、祐貴も一度だけ「数当て」に参加してみた。そこで、信じられない自分の才能に気付いた。
全て、当てられるのだ。盗み見たというわけでもないのに、何故かカードの組み合わせが解ってしまう。勘がいいという言葉では片づけられない。まさに百発百中だった。
祐貴はこれで自分が掏られた分の金を返せると思ったが、少々怖くもあった。別に勘のいい人間ではなかったはずだ。テストのヤマもいつも外れたし、マークシートで良い点を取った覚えもないのだ。そんな不気味な祐貴をファイラも心底不思議がっていたが、祐貴のように不安は見せずにただすごいと感心していた。
そしてその翌日、祐貴はファイラから忠告を受けた。
「これから先、金に困ったら賭場に行くといい。でも、賭場に行くときは勝ちすぎたら駄目だ。程よく負けて、少しの儲けだけにしておけよ」
祐貴は素直に頷いた。これから先ファイラと別れた後、金は直ぐに底を尽きるだろう。その時、賭場に行くとしても十分に気を付ける。そう約束した。
そして、その街で五日を過ごした祐貴とファイラは、六日目にやっと王都へ向かった。徒歩での旅は順調に進み、その日の夕刻には二人は王都の最初の街、アマーに辿り着いた。
祐貴はファイラに何度も何度も礼を言い、寂しさと心細さを押し殺してそこで別れた。
ファイラには、感謝してもし足りない。
ファイラと別れて三日目にして金が尽きそうになった祐貴は、今日初めて一人で賭場に行った。無事に小金を稼ぐことができた。これでまた数日は大丈夫だろう。
腹のあたりに稼いだ硬貨の硬い感触がする。用心に過ぎることはないとファイラに散々言い含められたため、財布は服の間に忍ばせたまま眠っている。今日は数が増えたため少し寝心地が悪い。すわりのいい場所を探して身じろいでいると、枕の横に置いてある荷物が顔に当たった。
その荷物に入っているのは、もうジーンズだけだ。食料は全て食べてしまった。
祐貴は薄い毛布から手を出すと、袋からジーンズを取り出した。その硬い感触を撫でると、胸が苦しくなる。
祐貴は王都中央の街――シィアにある城を目指し、じわじわと進んでいた。生活の心配はもうしていないが、城に入る方法はまだ見いだせていないまま、数日を移動だけで過ごしている。
早く、城に入る方法を考えなければならない。街中を歩くだけでは何のヒントも得られない。何か行動を起こさなければと思うのに、どうしていいかわからないのだ。
気ばかりが焦る。何のためにアイザを傷つけてグラッドストンの屋敷を飛び出したのだ。そう何度も自分を叱咤した。
そして今日も何のアイデアも浮かばないまま、祐貴の意識は夢の中へと誘われていった。
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