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第三章 -2

 翌朝、祐貴は起きてすぐ階下に向かった。庭にある井戸を借りて顔を洗ってから、カウンターの奥でパタパタと働きまわっている女将に声を掛けた。 「女将さん。朝食ください」 「はぁい」  宿の一階には小さな四人掛けの食卓がある。別料金だが安く食事を出してもらえるのだ。  食卓には祐貴のほかに、壮年の男が一人座ってすでに食事を始めている。その斜向かいに腰を下ろすと、すぐに女将がスープとパン、サラダの乗った盆を持ってきてくれた。 「ありがと」 「ゆっくり食べてくださいね」  祐貴が礼を言うと、女将は人好きのする柔らかい笑みを浮かべて再びカウンターの奥へ消えていった。 「おはよう。兄さん、どこの国の人?」  ご飯に取り掛かろうとした途端、男に声をかけられて祐貴はどきりとした。祐貴はできるだけ男と目を合わせないようにしながら答えた。 「おはようございます。えっと…テイ、です」  これも、ファイラに教えられたことだった。祐貴はどう見てもエマヌエーレの人間ではない。もし、どこの国かと聞かれたらテイ皇国と答えておけと言われた。  誰も聞いたこともない日本などと答えるのは都合が悪い。テイ皇国にも黒目はいないらしいが、黒髪はエマヌエーレよりもずっと多いらしい。目の色は近くでじっと覗きこまれなければ、はっきりばれることもない。  これまでも宿の中で主や他の客に話しかけられたこともあったが、祐貴はできるだけ関わらないようにしてきた。 「テイか。こっちの言葉、勉強したのかい?俺はエマヌエーレの南端にある港街から、苗の買い出しに来ているんだ。王都はやっぱりたくさん物があるから…」  しかし、祐貴に関わる気がなくとも、男はどうやら話好きらしい。聞いてもいないのにペラペラと楽しげに話し続ける。男は随分遠くから来たらしいが、毎年王都を訪れているらしい。  祐貴は話を耳半分で聞きながら、今度こそ食事に取り掛かった。パンをちぎって食べながら、たまに話に相槌を打つ。 「兄さんは、なにしにエマヌエーレへ?」 「えーと、薬を買いに…」 「おお、そうかそうか。もう買ったのか?」 「いや、シィアで…」 「これからシィアに向かうのかい」  これも、ファイラに仕込まれた嘘だ。エマヌエーレはテイより医学が進んでいるらしく、商人でなければ、薬の買いに来る者がほとんどらしい。  そうやって少しの嘘を織り交ぜて会話を進めていくと、ふと男が声をひそめた。 「そうかい、シィアか――…兄さん知っているかい。ウィスプの虎を」 「うぃすぷのとら?」  初めて聞く単語に、祐貴は食べる手を止めて男を見た。 「そう、ウィスプの虎、さ。」 「虎…は、知ってる、けど…?」 「違う違う、動物の虎じゃないのさ。盗賊団さ」 「とうぞくだん…?盗賊って、泥棒?」 「そうそう」  物騒な言葉に思わず眉根が寄る。しかし話す男はどこか得意げだ。  盗賊と聞いて、自分を売りとばそうとした男たちの顔がぼんやりと思い浮かぶ。あの時はまだ言葉も全く解っていなかったため、彼らの正体が何だったのかは解らないが、祐貴には彼らが盗賊のイメージにしっくりときた。 「この王都と、エマヌエーレの北に住む者はみんなが知ってる有名な盗賊団だよ。王都の北にウィスプの森ってあるんだが、奴らはそこをねぐらにしてるからウィスプの虎って呼ばれてるんだ」 「はあ…?」  それが何だって言うんだろう。祐貴は訝しげな顔をしているのに、男は話を止めはしない。 「テイの兄さんは知らんでも当然かもしれんが、ウィスプの虎ってのは凄い集団なんだよ。まず、あのウィスプの森をアジトにしてるっているのがすごいこった。ふつうあんなとこ住めねぇよ」  それから、何故か男の口からはその盗賊団を讃える言葉がつらつらと流れ出す。ウィスプの虎は攻撃的な盗賊団で、猛者が集っているとか。狙った獲物は逃さないとか。師団が討伐に何度か繰り出しているが、未だ一人も検挙できていないだとか。まさに無敵の盗賊団。  男は少し興奮気味で、もはや祐貴が聞いていようがいまいが関係なさそうだ。ウィスプの虎とやらは、盗賊団のくせにまるで英雄のように語られる。  辟易してしまった祐貴の元に、女将が寄ってきた。 「ちょっと、ロニさん。エマヌエーレの恥をそんな風に晒さないでくださいよ!」  男をたしなめながら、とっくに食事を終えている彼――ロニの器を下げていく。 「恥なものか!かっこいいじゃないか!奴らは女にももてるらしいぞ!」  女将は「お馬鹿!」と軽くロニの頭を叩く。二人は顔なじみらしく、その間に遠慮は見えない。 「まったく、盗賊なんて卑しい集団じゃないの。ロニさんは奴らの被害にあったことがないからそんなお気楽なことが言えるんでしょうよ」  女将の叱る声に、祐貴はその盗賊団が決して義賊のようなものでないと理解した。ちゃんと犯罪者だと認識されていることに少しだけ安堵した。 「俺があと二十若かったら、入団希望したのになぁ…」 「いい歳して馬鹿なことを言うもんじゃないですよ。ロニさんに盗賊なんて勤まるものですか」 「馬鹿なもんか。虎は金さえあれば入れてもらえんだ。二十年前の俺の財産がちいとばかし足りなかっただけで」 「はーい、はい」  女将は呆れかえった目をして、フンと鼻を鳴らし食器を持って行ってしまった。  ウィスプの虎というのは正真正銘の盗賊であって、このロニという男はその盗賊団をずいぶん憧憬しているのだろう。思春期の中学生が不良に憧れるようなものだろうか、と祐貴は思った。このロニという男はずいぶん年嵩だけれども。 「おっと、話がそれたな。それで、ここからが本題で…」  女将と軽快なやり取りをしていたロニが、祐貴に向き直った。まだ祐貴に対しての話は続いていたようだ。 「そのウィスプの虎ってのは、活動範囲は主にウィスプの森と、王都の北にあるランドックなんだがな、最近シィアにも頻繁に出没するらしいんだ」 「え…」 「だから、シィアに向かうのなら虎に気を付けた方がいいよ」  気を付けろと言われても、どう気を付けていいものか。ロニの話では随分と怖い集団のようだ。祐貴は少し困った。シィアに近付いていっているが、そんな物騒だとは。 「こら!旅人を困惑させるもんじゃありませんよ!」  再び戻ってきた女将が、ロニの目の前にどんと激しくカップを置いた。中身はお茶のようだ。ロニは「おお怖い」と茶化すように言いながらそれを啜る。  それから女将は少し怖かった顔を優しく緩め、祐貴の方へ微笑みかけた。 「大丈夫ですよ。奴らが狙うのはお貴族様や商隊で、個人の身ぐるみを剥いだなんて話は聞いたことないですから。シィアは王のお膝元、とても良い街ですよ」 「そ、そう…」 「お客さんは、お茶?それとも牛乳がいいかしら?」 「あ、お茶で」  フォローを入れた女将は祐貴の食べ終えた食器も下げ、ロニと同じようにお茶を持ってきてくれた。  女将は大丈夫と言ったが、その盗賊団がシィアに現れることに関しては否定してはいなかった。つまり、それは本当のことなのだろう。  些かの不安が胸に湧いたものの、お茶を啜っているとその温かさに落ち着いてきた。どうせ、祐貴には盗られるような物などないのだ。きっと大丈夫だろう。  そう思った矢先、またもロニが口を開いた。まだまだ話を終わらせる気がないようだ。 「実はな、虎がシィアに出てきてるのは、かなりでっかい獲物を狙っているからって噂があるんだよ」  にやりとしながら祐貴を窺ってくるロニに、これが一番話したかったことなのだと祐貴は悟った。もう部屋に戻って出発の準備をしたいと思いつつも、祐貴は聞き返した。 「でかい獲物?」 「そう、この国で一番大きな獲物―――白椿城さ!」  流石にその言葉は聞き流せなかった。祐貴は思わず目を丸くしてロニの方をじっと見つめてしまった。 「白椿城って……王様の住んでるお城?」  祐貴の目指している場所だ。  そんな祐貴の反応がお気に召したのか、男はにいっと片頬を上げてぱちりと指を鳴らした。 「そう、王様のいらっしゃるこの国一番の堅牢な城さ。そこに入り込んで、お宝を盗む算段をしているらしい」  どくりと心臓が一つ高鳴った。 「城は近衛師団にしっかり守られているからな。今は入念に下調べをしている段階――って、噂だ」 「城に…入りこむ……そんなことができるの?」 「そりゃあ、できるだろうさ。なんてったって、虎は無敵の盗賊団だもんな」  ロニは大きく首肯した。彼はウィスプの虎の失敗を少しも疑っていない。  ――――これだ。  どくどくと脈が上がる。頬が紅潮するのが解る。目を隠すことなどすっかり忘れ、祐貴は腰を浮かせてロニに詰めよった。さっき、この男は言っていた。 「その、ウィスプの虎、さっき、お金があったら入れてもらえるって言ってた!?」 「え?ああ…」  祐貴の勢いに押され、流石のロニも僅かに背を反ってコクコクと頷く。 「む、昔っから噂があるんだ。『虎になりたきゃ百万セル』って。百万セル納めたら、虎の仲間に入れてもらえるって」 「百万…」  膨大な数字に祐貴は目を剥いた。そんな大金、そうそう持っている人などいないだろう。 「なんだ兄さん、虎に興味持ったのか?」  調子を取り戻したロニが目を輝かせながら祐貴の両手をがしっと掴んだ。今度は祐貴が怯む番だ。 「えっ、あ、と…」 「ああ、やだよ。お客さん、盗賊なんて駄目ですよ。なんだって男の人は悪い奴に憧れるのかね」  女将の嘆く声が遠くから聞こえた。離れていても話は聞いていたようだ。  しかし、別に祐貴は悪に憧れているわけではない。ただウィスプの虎の情報が欲しいだけだ。 「女だって悪い男に惚れるだろうが!――ささ、聞きたいことはなんでも聞いてくれ!」  前半は女将に向けて、後半は祐貴に対してロニは声を弾ませる。手にまとわりつく体温はあまり心地いいものではないが、祐貴はそのまま質問を続けた。  そしてそれからお茶三杯分、ロニとの会話は続いた。  その後、宿屋の前でロニと別れた祐貴は、かなり興奮していた。  やっと、城に入る方法がひとつ浮かび上がってきた。ウィスプの虎という盗賊団が城に忍び込めるというのなら、その中に入れてもらえばいい。しかも、ロニの情報によると、金さえあれば――莫大な額だが――仲間に入れてもらえるという。  まったくなんのアイデアも浮かばなかった昨日までが嘘のように、一気に道が見えた気がした。盗賊など怖いが、ロニが憧れるくらいだ。誰もが避けたがる極悪非道な集団ではないのかもしれない。どのみち、正当な手段では城に入るなど到底無理な話なのだ。  ファイラと別れてから、素性を探られるのが怖く誰とも会話を控えていた。それがどうだ。少し会話をしただけで光が見えてきたのだ。  何も思い浮かばないのなら、なんでもいい、人と会話して情報を得るべきだった。祐貴は昨日まで無体に過ごしていた時間を酷くもったいなく感じた。  祐貴の手持ちの金は、三十セルと三エレ。百万セルにはまったくもって足りない。しかし、祐貴はその莫大な金を都合する術を持っている。――賭博だ。  賭場で金を稼ぎ、ウィスプの虎に入れてもらって、城に忍び込む。そしてあの部屋で帰る方法を探るのだ。もしかしたらあの部屋に行けばすぐ帰れるかもしれない。  まずはもっともっと情報が欲しい。ロニが話すウィスプの虎の情報は、どこぞの商隊の品を全てかっさらっていっただのの武勇伝ばかりで、あまり参考にならなかった。王都に住んでいる人の方が地元ならではの情報をたくさん持っているだろう。  祐貴はとりあえず歩いて距離を稼ぎ、夕刻が近くなった頃側にあった服屋に入った。  風が身を切るほど冷たくなってきたので、ローブをもっと分厚いものに買い替えようと思っていたのだ。  今着ているローブを買い取ってもらい、その金に手持ちを少し足して中綿の入った厚い物を選ぶ。ちょうどいい物は直ぐに見つかったが、祐貴は敢えて迷うふりをして恐る恐る店主に話を振ってみた。 「ウィスプの虎が、シィアまで出てきているそうですね」  そう言っただけで、店主はロニ並みにベラベラと話を始め、祐貴は驚いた。その内容はやはり武勇伝で、店主もウィスプの虎には好意的のようだった。 「サラベール伯の屋敷に盗みに入ったのはすごかったよ。鮮やかなもんだった。あの業突く張りのサラベール伯が盗まれたことすら三日も気づかなかったんだから!おかしいったらないよ!」  服屋の店主の話をひとしきり聞いた後、祐貴は今度は靴屋に行き、同じように買い変えながら話を聞いた。そこでも、話は似たようなものだ。『虎になりたきゃ百万セル』の話も出た。金さえあれば入れるというのも嘘でないようだ。  どうやら、ウィスプの虎の存在は王都の人たちにとって、平坦な日々に刺激をもたらす娯楽のようなものみたいだ。被害にあった人たちにとってみれば憎い存在だが、自分に一ミリも関係がなければ、大きな事件は大歓迎らしい。 「ウィスプの虎の話だったら、夜の人間のが詳しいよ。さすがにアマーまで本人たちがやってくることはないけどね。蛇の道は蛇ってね」  そう言う主人から近くの賭場を訊ねた。どのみち、賭場で金を稼がないといけない。そのとき、そこにいる人に話を聞いてみるのもいいかもしれない。あの場にいる人に声を掛けるのは怖いが、具体的にやるべきことを見つけられた祐貴には、今はなんだってできる気がした。

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