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第三章 -6
「イカサマ師だと?」
「そう、凄腕のな」
料理と酒だけを残し人が去っていった部屋の中には、再びヴェダとタンザの二人になった。
タンザからもたらされた情報は、『シィアのやくざたちが黒髪の異邦人を探している』といったものだ。そしてその理由が、『その青年がイカサマ師であるから』だという。
凄腕のイカサマ師。その言葉にヴェダは違和感を感じた。ヴェダが求めるあれは、この国の言葉すら知らなかった。受けた印象は育ちのいい甘ちゃん。それがイカサマ師だとは到底思えなかった。
「俺の思っている奴だとは思えねぇな。瞳は何色だ?」
「そこははっきりしてない。なんせ目撃情報は全て夜だからな。ただ、暗色だということは確かだ」
「…どこが確かな情報だ」
曖昧な情報に、ヴェダはあからさまに舌を打った。ここで黒目だと言われれば、間違いなかったのだが。
しかし、希望によるものなのか、ヴェダの勘はそのイカサマ師があれでないと決め付けることを拒否している。
「なんでそのイカサマ師はやくざどもに追われてんだ」
「シィアで一番幅をきかせてるスキッピオ一家の末端の野郎どもがイカサマに気付いたらしい。なんでも五軒連続で勝ってたそうだ」
「馬鹿か、そいつ…」
五軒連続で勝てるのはすごいが、そんなことをすれば目をつけられるだろうことは誰にでも解る。
「で、そいつらがそのイカサマ師を伸した。でも結局そいつからはイカサマの証拠らしきものは見つからないままで、金だけ巻き上げたんだと。結構な額を持ってたらしい」
「イカサマで稼いだ金か」
「たぶんね」
頷いたタンザは優雅なしぐさでチーズを摘んで口元へと運んだ。しかし、話は終わっていない。それが解っているヴェダも視線で続きを促す。
「――で、それから賭場の方でいろいろ調べたらしい。だけどやっぱりどうやってイカサマしていたかは解らないままだった。しかも、調べれば調べるほど、過去いろんな――スキッピオが元締めのところや他の一家も含めて、あらゆる賭博場に現れていたことが解ってきた」
「その全ての賭場で勝っていたって?」
半ば信じられない気持ちで聞き返したヴェダに、タンザは頷く。
「今のとこ解っている賭場だと、すべて勝ってる。イカサマとばれない程度に」
「すげぇな」
「だろう?誰でもそう思うわけだ。下っ端の報告を受けたスキッピオの親分ももちろんだ。そんなすばらしい技術があるなら殺してしまうのはもったいない、身の内に飼ってしまえってな。だけど時すでに遅しで、イカサマ師の行方は解らない。果たして、やくざどもの大捜索のはじまりはじまりぃってわけだ」
「なるほどな…」
行方が知れないと言っても、イカサマ師は怪我もしている。シィアか、少なくとも王都内にはいるだろう。
「で、ここから話が変わって」
ニィ、と片方の口角を上げ、タンザは嗤う。
「魔導国師団のことだけど」
「国師団だと?」
一気に話が変わって、ヴェダは目を剥く。先ほど、ウィスプの虎に関わる情報ではないと言っていたはずだ。なぜ国師団が出てくるのかと訝ってタンザを見遣る。
「現在、黒髪黒目の男を探しているらしい」
そちらは間違いなく、あれのことだ。驚いたヴェダだが、すぐに得心がいった。もともと、あれは罪人だったとケントとマルトが言っていた。国師団が探すのも頷ける。
タンザにそのことを告げると、目を丸くして、へぇ、と愉しそうな声を上げた。
「どれだけすごいことをやったんだ?第一連隊の連隊長が動いてるんだぞ?」
「第一連隊だと?」
「そうそう、お前のことが大好きなリズたいちょーとセレンちゃん」
ヴェダは厳つい無表情と戦闘狂の片眼鏡を思い出し、渋い顔をした。
でも今はそれ以上に、奴らが動いていることが驚きだった。普通の犯罪者なら第三連隊、重犯罪者でも第二連隊が動くのが常だ。第一連隊ともなると国事や、それこそウィスプの虎の討伐くらいにしか駆り出されないはずだ。
「しかも今回は極秘任務…魔導院もごく一部、貴族院の奴らはまったく知らないってさ」
「極秘ならなんでお前は知ってる」
「そりゃ、二人が俺のところに黒髪黒目の男の情報を買いにきたから。このことは誰にも漏らすなって何度も念押されたな。この商売は信用第一だから漏らさないって言うのにさぁ」
あっけらかんと返された言葉。今ここであっさりヴェダに漏らしてしまっているという事実は、タンザの中では大事ではない。彼とウィスプの虎には先代からの強固な絆があるのだ。
ヴェダはなるほどな、と頷くしかない。それならば知っていて当然だろう。
「さ、ここからが俺の情報が確かだって証拠さ。さっきしたスキッピオ一家の情報を二人にもやったんだ。そしたら彼らはそのイカサマ師が黒髪黒目の男だって確信した様子でシィアに帰っていった」
魔導国師団の二人がなぜ確信したかは解らないが、それならばイカサマ師があれである確率はぐんと上がる。
納得したヴェダだが、その言葉には引っかかるものがある。
「……ちょっと待て。お前、俺より先にあいつらにこの情報流したのか」
「だって、イカサマ師がお前のお気に入りだなんて思わなかったからな。フラットル隊長たちがイカサマ師に目つけて初めて、もしかしてって思ったくらいだし」
タンザはまるで悪びれた様子もなく言う。実際、ヴェダもそんなタンザを責めようとは思わない。ただ、少し憎らしく思うだけだ。
「ちっ…奴らが情報を買ったのはいつだ」
「四日前」
食事を続けているタンザを残し、ヴェダは立ち上がって懐から出した袋を投げた。がしゃんと料理が跳ね飛ぶ。
「残りの金だ」
「こりゃどぉも」
ヴェダはそのまま部屋の出口へと足を向ける。扉を開き、外に出ようとしたとき、タンザがヴェダを呼び止めた。
ヴェダは首を少しだけ回し、視線だけでなんだと問う。タンザの顔からは笑顔は消え、その目は鋭さを帯びている。
「魔導院と貴族院の均衡は崩れかけてる。もうすぐ国が揺れる。城をおとすなら早いうちがいい」
その言葉に頷くことすらせず、ヴェダは部屋の扉を閉めた。
泊まるために用意させた部屋に入ったヴェダを迎えたのは、寝台に腰を下ろして酒を飲むファイエットだけだった。
「終わったのか?エルザはよかったのか?」
ファイエットは尋ねながら酒瓶を渡してくる。それを受け取り、ヴェダはファイエットが座るベッドでなく、もう一方にどすっと腰を下ろした。
「ああ、次の競売だが――…」
さきほどまでタンザとしていた商談の内容を事細かに伝えていく。
「それを、全部お前に任せたい」
「…抜けるのか?」
「ああ、暫くシィアに行く」
「何かいい獲物の情報でもあったか?」
「個人的なもんだが…とびきりのやつがな」
「……できるだけ早く戻れよ」
少し訝しげに、ファイエットは眉間に皺を寄せながら言った。頭のいいファイエットは情報が少なくともすぐに理解をしてくれるので助かった。
翌朝、ヴェダは一人ランドックを発ったのだった。
◆◆◆
「リートのパンを二つちょうだい」
「はい、二つっと…」
祐貴は出来立てのホカホカとしたパンを、差し出された籠の中に二つ詰めた。それから差し出される硬貨を受け取り、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました」
店を出て行くふくよかな女性を見送ると、奥のほうから祐貴を呼ぶ声が響いてきた。
「次が焼けたのー!取りに来てー!」
「はぁい」
大きな声で返事をしながら、祐貴はカウンターを離れて店の奥へと向かう。そこは調理場になっていて、ただでさえ香っていたバターの匂いがいっそう強くなる。
そこではイリスと彼女の母が、せわしなく動きながらパンを作っている。
祐貴が来たことに気付いたイリスが、「それお願い」と台の上を指す。そこには天板に載ったパンが並んでいる。
「了解」
頷いた祐貴はミトンをつけて、それを抱えあげてカウンターへと戻った。するとそこには新しい客がいて、どうやら祐貴が戻るのを待っていたようだ。
「あ、お待たせしました」
会釈をすると、待っていた老婦人は特に気分を害した様子もなく、祐貴が抱えているパンを指差した。
「おはよう。それ、焼き立てなの?」
「はい。これは、えーっと…右半分がリートのパンで、左がリットのパンです」
「じゃあ、一つずつお願い」
「はい」
先ほどと同じように客の籠にパンを入れ、代金を受け取る。
その後も来る客とやり取りを何度も繰り返し、最後の一個のパンが売れると、祐貴は店の外に出てドアに掛かっている札を『閉店』の向きに変えた。今日の午前の販売はこれで終わりだ。次は、午後と明日の販売へ向けて仕込みと仕入れがある。
中へと戻り、厨房の方へ向かうとそちらの片付けもちょうど終わったようで、イリスが広い台を布巾で拭いていた。
「全部売れたよ」
声を掛けると、すぐ側にいたイリスの母――サリィがにっこりと笑いながらポンと祐貴の肩を叩いた。
「お疲れ様!お茶にしましょう」
祐貴は促されるまま厨房の隅にある小さめのテーブルに着き、二人と共に温かいお茶を飲んで一息ついた。
イリスの家はパン屋だった。父親はなく、母と二人で経営しているそうだ。
祐貴が初め目を覚ました部屋はイリスのもので、店の二階だった。ここで母娘二人暮らしていた。
イリスが祐貴に甘かったように、母のサリィも無条件に優しい人だった。祐貴が留まることを快く許し、むしろ出ていくことを許さない勢いだった。
二人は祐貴に何も聞かない。どこの国なのか、何故暴行を受けていたのか。祐貴も進んで話したりはしなかったが、ランドックを目指して旅をしていたことだけは打ち明けた。元気になって、幾らかお金を稼いでからランドックへ行けばいいわ、と二人は穏やかに言った。祐貴はただ頷いて、しばらく衣食住の世話になっている。
その代わりに祐貴は僅かだが店を手伝っている。パンなど作ったことはないので、製造には携われないが、売ることはできた。この店はなかなか人気があるようだった。いつもはイリスがやっているという店番を代わり、イリスが母を手伝うことで店の効率が上がったと二人は喜んでくれている。
彼女たちのおかげで、祐貴の中でこの国の人たちに対する意識は随分と変わってきた。売られそうになったり、財布を掏られたり、私刑にあったりといろいろあった。でもそれ以上の恩恵を祐貴は受けていると思う。アイザにファイラにイリス。優しい人の方がきっと多い。
二人と共にいると心が安らぐ。グラッドストンの屋敷と生活水準は随分違うが、そこには同じ温かさがあった。
三人で残ったパンの切れ端を食べ終えると、イリスがパンと手を打った。
「よっし!ユゥキ、これから私買い出しに行くから、お母さんの仕込みの手伝いをお願いできる?」
椅子から立ち上がりながら言うイリスに、祐貴は頷いた。
「うん。いいけど…俺が買い出しに行こうか?イリスより荷物たくさん持てるだろうし…」
買い出しは明日のパンに使う食材と、イリスたちの食事用の食材だ。結構な量のため買うものをちゃんと教えてもらえるならば祐貴が行った方がいいといつも思っているのだが、未だにイリスたちがそれをよしとしたことはない。
「駄目よ。祐貴はまだ怪我人なんだから、家でおとなしくしてて!」
「でも…」
イリスはそう言うが、祐貴の体はもうどこも痛くない。少しだけ痣が残っているが、痛みはないし擦り傷もすっかり消えてしまっている。自分でも驚くほどの回復ぶりだが、健康なことに変わりはない。
「いいのよ、ユゥキ。若い娘が行った方がいろいろまけてもらえるんだから」
サリィまで行くなと言ってくる。ふわりと皺を作って柔らかく笑うその顔はイリスとそっくりだ。二人掛かりで駄目と言われれば、祐貴にはもう従うしか術はなかった。
「わかった」
「じゃあ、頼んだわね。行ってきます、お母さん、祐貴」
「はい、行ってらっしゃい」
元気よく籠を抱えて出ていくイリスを見送って、祐貴はサリィと二人で午後に売るパンの仕込み作業を始めた。
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