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第三章 -7

◆◆◆  王都内には宿屋がとても多い。なかでも中心部であるシィアであれば、ピンからキリまで、様々な宿が存在する。  その中でも値段が安めの宿を、アイザは虱潰しに回っていた。 「ウチは客が多いんですよ。いちいち客の風貌なんて覚えてないよ」  人を探している、と言うと、宿の主人は面倒くさそうな表情でそう言った。忙しいからかそわそわしている主人に、アイザはやや早口に説明した。 「とても特徴的な人です。異国人の幼さの残る若い男性で、髪の色は黒です」 「あー、そんな解りやすい人なら、ウチには泊まっちゃいないよ」 「そうですか。ありがとうございます」  礼を述べると、主人は直ぐどこかへ行ってしまった。アイザも宿から出て、すぐさま次の宿へと向かう。肩を落とす暇さえ惜しい。  ユゥキは王都にいると、アイザは予想していた。  初め、ディズールとの面会を終えたアイザは、屋敷の皆のことが気になっていたので一度グラッドストンへ戻ろうと考えていた。それから北か東へ向かうつもりだった。以前、ユゥキは祖国が島国だと言っていたので、海に面した北か東へ向かった可能性が大きいと思ったのだ。  グラッドストンへ向かう途中、アイザはいったん王都の端の街、アマーで宿を取った。そこの宿に決めたのは偶々だったのだが、アイザはこれは運命であると信じたかった。  その宿の女将に、アイザは無駄だと思いつつも黒髪の青年を知らないかと訊ねた。すると、最近一人客にいたと、意外な答えが返ってきたのだ。  女将曰く、薬を求めてテイ皇国からやってきた黒髪の青年が、数週間前に一人で泊まったという。彼はシィアに行くと言っていたらしい。  ユゥキはテイ皇国出身ではないし、ファイラと二人旅のはずだ。しかし女将から外見の特徴を聞けば聞くほど、その僅かながらの情報はすべてユゥキに合致した。  アイザは予定を変更し、シィアへ逆戻りする道を進んだ。しかしまっすぐは向かわず、途中の宿を訪ね歩いていった。  ユゥキはお金をあまり持っていないはずだと見当をつけ、安めの宿から順に当たっていく。かなりの日数がかかったが、粘った甲斐があってこれまでに三軒、最初の宿で聞いた黒髪の青年が泊まった宿を見つけられた。その泊まった日は、シィアに近い方が後だった。アイザがユゥキだと当たりを付けている人物の軌跡は、確実にシィアに向かっていた。  しかし、シィアに入ってから数日、アイザは宿屋を十軒は回ったが、まだユゥキらしき影は掴めていなかった。  さきほどの十一軒目でもやはり手掛かりを得られず、大通りを歩くアイザは更に値段の安い宿を当たってみようと路地へと足を進めた。  細い路地に入り裏通りに出れば、治安はあまり良くないが、安い宿がひしめいている。  しかし、アイザは裏通りに出る前に足を止めた。 「あれは…」  目を見開いたアイザの視線の先には、見たことある二人組がいた。制服こそ着ていないが、魔導国師団第一連隊の連隊長のリズとその補佐のセレンだった。  かっとアイザの中に怒りの気持ちが湧きあがってくる。彼らはユゥキを連れ去ろうとしていた。彼らのせいで、屋敷の者たちは怪我を負った。  だが、ここで彼らの元に飛び出すほどアイザは我をなくしてはいなかった。気持ちを落ち着かせ、こっそりと二人の様子を伺う。  二人は多分、飲み屋であろう店から出てきたばかりの様子だった。流石に声は聞こえないが、酔っている様子は見られない。私服とはいえ、休日だとは思えなかった。かと言って、魔導国師団として街頭警備を行っているわけでもなさそうだ。  彼らもきっと、まだユゥキを探している。つまり、この近辺にユゥキがいる可能性が高い。  それならなおさら、彼らより先にユゥキを見つけなければならない。  二人が歩き出した。アイザは後をつけるつもりだったが、予想外にこちらに向かって歩いてくる。  アイザはひとまず大通りに戻り、それから二人を追おうと決めた。  そのため、大通りに出て建物の影へ隠れようとした時だった。 「きゃっ!」 「!」  焦っていたあまり、人にぶつかってしまった。相手はこけてしまい、持っていた荷物がたくさん道に転がった。 「申し訳ない!余所見をしていました。大丈夫ですか?」  アイザは慌ててぶつかった相手――若い女性だった――に手を差し出した。顔を上げた女性は、直ぐに苦笑しながらアイザの手を取り立ち上がった。どこかを痛めた様子はなく、アイザは胸を撫で下ろした。 「こちらこそごめんなさい。荷物がありすぎて前が見えてなかったの。手を貸してくれてありがとう」  女性は人好きのする笑顔でそう言うと、荷物を拾い始めた。  アイザは来た道を振り返った。もう国師団の二人の姿はなかった。人とぶつかって目立ってしまったので、彼らの方もアイザの存在に気付いたかもしれない。  アイザはこっそりと息を吐き、女性が荷物を拾うのを手伝った。  香草やドライフルーツ、野菜に干し肉など食材ばかりだが、先ほど女性が言った通り、量がとても多い。一般家庭の買い物ではなく、店の買い出しなのかもしれないとアイザは思った。 「すみません、手伝ってもらって」 「いえ、すごい量ですね。運ぶのは大変でしょう」 「おまけしてくれるって言うから、買いすぎちゃって」  よいしょ、と声を上げながら荷物を抱え直した女性は、両手首に二つずつ袋をさげ、更に両手で大きな籠を抱えている。見ているこちらが倒れるのでは、と不安になってくる。 「よければ、運ぶのを手伝います。ぶつかってしまったお詫びに」  そう申し出たアイザに、女性は首を振った。 「いえ、大丈夫です。急いでいるんでしょう?それに、ぶつかったのは私のせいでもあるんですから」 「だったらなおさらだ。また人にぶつからないようにしないと」  アイザは苦笑しながら、女性の腕に抱えられた籠を取った。  急いでいるのは確かだが、ここで彼女を放置できるはずもない。  女性は少しはにかんだように笑い、「じゃあ、お願いします」と頭を下げた。 「とても親切なんですね。お名前を聞いてもいいですか?」 「ああ、失礼しました。アイザです。貴方は?」 「私はイリスといいます。アイザさん、本当にありがとう」  幸い、彼女――イリスの家は、そんなに遠い場所でもないそうだ。  アイザはイリスと二人並んで、久しぶりにゆっくりと通りを歩いた。 ◆◆◆ 「なんだよ、イリスいないのか」  不満そうなルッツの声に、祐貴は香草を擂り鉢でゴリゴリと潰しながら答えた。 「買い出しに行ったよ」 「なんでイリスに行かせんだよ。お前が行けばいいのに」  さらに返ってきた言葉も不貞腐れていた。ルッツは祐貴の正面に座り、手持ち無沙汰に近くのシロップの瓶を弄っている。  ルッツはイリスの幼馴染だ。傍から見てすぐ解るほど、彼はイリスに好意を寄せている。  祐貴が初めてルッツに合ったのは、この家に来た翌日だ。イリスから聞いた話によると、道に倒れていた祐貴を見つけたのはイリスだが、家まで運んでくれたのはイリスに頼まれたルッツだったそうだ。確かに、イリスやサリィの体形で祐貴を抱えられるとは思えない。  ルッツは祐貴に対してあからさまな敵意を向けてきた。祐貴がこの家に留まると決めると、駄目だと喚きまくってイリスに叱られていたほどだ。  そして今のように――まあ、以前からよく顔を出していたらしいのだが――毎日のようにここに来ては、祐貴がイリスに妙な気を起こしていないか監視するのだ。  イリスは確かに魅力的な女性だと思うが、祐貴に彼女をどうこうしようという気はないし、イリスの祐貴に対する反応も、異性として意識している気配はまるでない。ルッツの心配は杞憂なのだ。  祐貴は苦笑した。 「俺だって行こうとした。でも、怪我人は駄目だって言うから」  そう言った途端、ルッツの顔が僅かに強張ったのに祐貴は気付いた。 「……まだどっか痛てーのか?」 「いや。もう元気なんだけどね」 「ふーん」  祐貴はルッツが嫌いではない。ルッツの向ける敵意は、祐貴の外見や中身を忌避してのものではなく、純粋に恋敵になりうることを懸念しているだけのものだ。敵視しているくせに、今みたいに祐貴の体調を慮ってくれたりする。  それに、最近ではだんだんと当たりが柔らかくなってきている。祐貴としては同年代の男性との交流はかなり久しぶりで、嫌われるよりは仲良くできた方が嬉しい。 「あら、ルッツ、また来てたの?」  店の方で棚の整理をしていたサリィが戻ってきた。厨房にルッツの姿を見つけると、彼女は少し呆れた顔になった。  しかしルッツは対照的に、ニカっと笑う。 「こんちわ!」 「こんにちは。ルッツ…貴方、また配達さぼってここに来てるの?駄目よ、仕事はちゃんとしないと」  窘められ、ルッツは笑顔を引きつらせる。  ルッツは親子で酒問屋をやっているらしい。なんでも、王城にも納品しているすごい問屋だという話だ。祐貴もいつも仕事はいいのかと思っていたが、なるほど、配達の途中だったのか。 「大丈夫。やることはちゃんとやってるから」  そう言いつつも少し疾しい気持ちがあるのか、ルッツの声は弱々しかった。そんなルッツにサリィは溜め息を零す。しかし、それは仕方ないわね、とどこか包み込むようなものだった。k彼女は彼を息子のように思っているのかもしれない。  サリィは祐貴に向き直った。 「ユゥキ、それはそのくらいでいいわ。次はジャガイモの皮むきをお願いできる?」 「あ、うん」  祐貴は動かし続けていた手を止めて、擂り鉢をサリィに渡した。次いで、頼まれたジャガイモの皮を剥くべく、ジャガイモが詰め込まれた籠を取りに立った。籠は厨房の隅に置いてある。 「あ、俺も手伝う!」  何もしていないとサリィに追い出されてしまうと思ったのか、ルッツが慌てたようについてきた。  手伝ってもらうのはありがたいので、部屋の隅で二人並んでイモの皮を剥いていく。その様子を見ながら、サリィは朗らかに笑っていた。 「お前さぁ、これからどうすんの?」  無言での作業が続く中、ルッツが口を開いた。  祐貴は思わず手を止め、ルッツを見る。 「いつまでもここに世話になるわけじゃないだろ?つーか、家族とかいねぇの?」  ぎゅう、と心臓が痛くなる。 「家族……いるよ」  日本にいる。両親と、妹と。きっと元気で暮らしてる。元気だといい。  祐貴は何ともないふりをして、作業を再開させた。 「お金が溜まったら、国に帰るんだ」  ここを出ていくつもりだ。そしてまた金を稼いで、今度こそウィスプの虎に入れてもらう。その予定だ。  しかし、祐貴にはちゃんと金が稼げるかという不安がある。  祐貴はサリィから、子供の小遣い程度だが、給金を受け取っていた。本当なら辞退するべき金だが、本当の一文無しなので、厚かましいと自覚しながらも貰った。  受け取ったその日の夜、祐貴は賭場に行こうと思った。行けば、この金額をすぐに倍以上にできるし、イリスの家から発つこともできる。  だが、結果、祐貴は賭場には行かなかった。――いや、行けなかった。  賭場のある繁華街の方へ近付くと、体が不自然に強張るのだ。あの日受けた暴力が脳裏に蘇り、とてもじゃないが平静に賭け事ができる気がしない。 「国ってどこ?」 「――…テイ」  日本と答えてしまいたかったが、祐貴は堪えてそう答えた。嘘を吐くのにも随分慣れたものだと思う。 「テイの人間だったのか。見えないな」 「……そうかな」 「まあいいや。それなら今度、ウチの商隊に入るか?」 「え?」  言われた意味が解らず聞き返すと、ルッツは真面目な顔でこちらを見ていた。 「勘違いするなよ。とっとと追い出したいとか、俺はそんな心の狭い男じゃねぇからな」 「あ、いや…それは、わかってる…」 「ウチ、テイの酒蔵とも契約してて、定期的に酒の買い付けに行くんだ。その中に入れば、ただでテイまで行ける。まあ、テイって言っても、奥の方までは行かないから入った先は自力になるけど」  なんとありがたい申し出だろう。――祐貴が本当にテイ皇国の出身であれば、だが。 「いや、あの……」  嘘を吐くべきではなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいになり、祐貴は返答に窮した。  そのとき、ばたん、と扉の開く音が聞こえた。厨房にある扉ではなく、店の方からだ。  イリスかと思ったが、彼女は店の方ではなく、直接厨房につながっている裏口から出入りしている。今はクローズの札を掛けているが、客が気付かず入ってきたのかもしれない。  しかし、直後に数人分の足音がこちらに近づいてくる気配がした。その足音は淀みなく、数も多い。  なんだか、おかしい。  そう思ったのは祐貴だけではないようで、ルッツもサリィも顔に緊張を走らせている。  やがて、店へと続く扉が激しく開かれた。 「おお、いたいた」  卑下た笑い声を上げながら、大柄の男が一人、二人…と、次々に入ってくる。若い男から中年の男と様々だが、皆共通して柄が悪い。 「なんですか、貴方たち…」  サリィが戸惑いと怯えを含ませた声で男たちに訊ねた。  彼女は一人離れていたので、祐貴は急いでサリィの側に駆け寄ろうとした。しかし、その前に男たちのうちの一人が、サリィの腕を掴んで引き寄せた。 「あっ…!」 「おばさんにゃ用はねぇよ」  よろけるサリィを、男は物のように放り投げた。彼女はそのまま床に倒れ込む。 「サリィ!」  ルッツが悲鳴のような声を上げる。  同時に、違う男が調理台の上の物をなぎ倒した。生地や食材の入ったボウル、食器などが床に投げつけられ、ガシャーン、と大きな音が響く。 「おとなしくしてろよ」  どすの利いた声に、祐貴たちは皆体を強張らせた。  男たちの中で一際背の高い男が、一歩前へ進み出た。そいつはリーダー格なのかもしれない。  男は余裕を持った歩き方で、真っ直ぐ祐貴の方へ寄ってくる。  何が起こっているのかよく解らない。祐貴は逃げたいのに、体が動かず僅かに後退さることしかできなかった。  男の大きな手が祐貴の頭に伸びた。前髪をぐっと掴まれ、引っ張られる。 「いっ…」  男の目が眇められた。 「黒髪。この男だな――連れてけ」

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