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第三章 -8

◆◆◆ 「あそこです」  そう言ってイリスが指差したのは、商店が立ち並ぶ中の二階建ての一軒だった。パン屋だと話に聞いていたが、なるほど、パンの形をした看板がぶら下がっている。 「…あれ?」  店の玄関を見るイリスの顔が曇り、アイザもその視線の先を追った。 「扉が…」  アイザもすぐに異変に気付いた。店の玄関の扉が開いた状態のまま壊れて傾いている。イリスの反応を見る限り、出かける前は壊れてはいなかったのだろう。  駆けだしたイリスの後を追う。イリスは壊れた扉に手を掛け、はっと息を呑んだ。 「なにこれ……お母さん!?」  呆然としたまま、イリスは店の奥へと急ぐ。  店内に入ったアイザも、どういうことだと首を巡らせた。店内は棚が壊れていたり、床にガラスが散っていたり、嵐が過ぎ去ったかのように荒れている。  危険があるかもしれないと、アイザは迷うことなくイリスが入っていった奥の部屋へと足を進めた。 「お母さんっ!!」  奥の部屋――調理場も、店と同じく荒らされていた。床に座り込んだ中年の女性を、青い顔をした若い男が支えている。 「イリス…」  男の方がイリスを見つめ、声にならない声で呼ぶ。  アイザは素早く周りを見渡した。どうやら、ここを荒らしたと思われる人物はもういないようだ。  イリスは荷物を投げ出すと二人の側に行き、膝をついて女性の――母親の手を取った。 「お母さん、怪我したの!?」 「私は大丈夫よ、こけただけだから…びっくりしちゃって、ちょっと立てないんだけど…でも、大丈夫」  そう言う母親の顔は辛そうに歪んでいて、とてもじゃないが大丈夫に見えない。 「ルッツ、何があったの!?」  イリスは母親の手を握ったまま、傍らの男――ルッツの名を責めるように呼んだ。  ルッツも母親ほどではないが、表情が曇っている。しかしイリスの勢いにたじろぎながらも、口を開いた。 「急に、柄の悪い男たちが来て…店、荒らして…あいつが、連れてかれて…」 「あいつ…って…」  イリスは弾かれたように立ち上がり、きょろきょろと周りを見渡す。ここにいるのは座り込んでいる二人と、イリス、アイザだけだ。  さっとイリスの顔から血の気が引いた。 「………ユゥキ…が…?」  ぽつりと呟くようにイリスの口から零れた名前を、アイザは聞き洩らさなかった。 「今、ユゥキと言ったか!?」 「えっ?」 「ユゥキがここにいたのか!?」  アイザはイリスの肩を掴み詰め寄った。  ユゥキは珍しい名前だ。アイザの探し求めるその人であろうと、気持ちが急く。 「ユゥキ…そのユゥキというのは黒髪の青年だろう!?」 「貴方…ユゥキを知っているの?」  目を丸くしたイリスの言葉が答えだった。アイザは今度は座っているルッツに向き直る。 「ユゥキが連れ去られたのか!?」 「そう、だよ……」  肯定する声に、アイザは唇を噛みしめた。魔導院に先を越された。やり場のない苛立ちと焦りが胸に湧く。  すぐに城へ行き、ディズールに相談するべきだろう。そう思っていると、ルッツがゆっくり立ち上がった。 「あんた、誰だよ?」  ルッツは先ほどまでの動揺がやっと落ち着いたのか、アイザの方を睨みつけながら聞いてくる。 「……私は…」  アイザが返答に戸惑っていると、イリスが割って入った。 「アイザさんは、たまたま街であって…私の荷物が多いからって運ぶのを手伝ってくれたのよ」  イリスの説明に、しかし、ルッツの眼光は弱まらなかった。明らかに敵視していると解る視線のまま、ルッツはドアの方を指差し怒鳴った。 「それはどうも。でも、ユゥキと関わりあるやつならさっさと出て行ってくれ!これ以上この店に迷惑かけんなよ!」 「ルッツ!なんてこと言うの!!」  イリスが窘める声を上げる。しかし、ルッツはそれ以上の声でイリスを遮った。 「あいつは確かに悪い奴じゃなさそうだった!けど、ここに置くべきじゃなかったんだ!はじめっから、なんかのトラブルに巻き込まれてるってのは解ってたじゃねーか!」  激しい剣幕に、イリスがビクリと震える。  ルッツがどういう関係かは知らないが、イリスとその母親を心配しているということがアイザにはよく解った。アイザを危険視するのも仕方がないのかもしれない。  ルッツは言葉を和らげないまま続けた。 「今回は怪我もなかったからよかったけど、またあいつらが来たらどうすんだよ!イリスとサリィさんだけで、危ないだろっ!あいつら、スキッピオ一家だぞ!!」  予想外の言葉に、アイザは思わず声を上げた。 「スキッピオ一家だと?」 「そうだよ!俺酒場で見たことあんだよ!ユゥキを連れてったやつ、あいつスキッピオ一家に入ってる破落戸(ごろつき)どもだ!」  イリスと母親も蒼白な顔でぎょっと目を剥いた。  アイザも聞いたことがある。スキッピオ一家と言えばシィアで一番大きなやくざ者たちの集まりだ。情け容赦なく、住民たちには恐れられていると聞く。  しかし、アイザはユゥキがスキッピオ一家に連れ去られたことよりも、連れていったのが魔導院でなかったことに驚いていた。 「どういうことなんだ。頼む、話を聞かせてくれ!」  アイザが懇願すると、僅かにルッツの瞳が揺れた。しかし、やはりその目はアイザに対する拒絶の色を孕んでいる。  アイザは内心舌打ちすると、意を決した。 「――私はアイザ=グラッドストン、グラッドストン家当主、貴族院議員だ!ユゥキは犯罪者でもならず者でもないと誓う!私は彼を探しているんだ!」  アイザの言葉に、三人が目を丸くしたのが解った。  権威を振りかざすのは好きではない。相手を委縮させたくはない。しかし、大事な場面で使わないわけにはいかない。 「話を、聞かせてくれるか」  驚いた顔をしたまま、ルッツが少し不本意そうに、しかしぎこちなく頷いた。  ルッツやイリスからの情報は、そんなに多くはなかった。ユゥキは多くを語らなかったし、イリスたちも聞かなかったと言う。  何故暴行を受けていたのか、スキッピオ一家などにつけ狙われたかは解らない。ただ、話を聞く限り、アイザの知るユゥキは確かにここにいた。そして、ユゥキの周りに魔導院の影は見えなかった。  とにかく今は、やくざたちからユゥキを助け出すのが先だ。  イリスも涙ながらにアイザに懇願してきた。 「お願い、ユゥキを助けてあげて!私も、できることなら何でも手伝います!」  言われずとも、助ける。そう思っていても、イリスの叫びは切実で、その心配は本物だった。  ルッツがこれ以上首を突っ込むなと言っても、頑として譲らない。  アイザはイリスに城への使いを頼むことにした。ユゥキが見つかったこと、スキッピオ一家に囚われたことを手紙につづり、イリスに託した。  本当はアイザ自らディズールの元に赴き、応援を得てスキッピオ一家の元へ行く方がいいのだが、アイザはそれを待っていられなかった。頑ななイリスに折れたルッツに道を案内してもらいながら、大通りを走る。  早くユゥキに会いたかった。無事な姿を見たかった。 ◆◆◆  ドンドンドン、と激しく扉が叩かれる音に、ヴェダは唸り声を上げながら体を起こした。寝起きの脳はまだ睡眠がほしいと訴えかけるが、こううるさくては眠れはしない。 「ヴェダさーん、ヴェダさぁーん!」  ドンドンと鳴る音に重なり、少し高い声がヴェダの名を呼ぶ。 「うるせぇな…」  ヴェダは舌打ちをしながらベッドから下り、扉へ向かった。  かけていた鍵を外し、勢いよく扉を開く。 「ぎゃんっ!」  ごつっという音と共に、悲鳴が響く。  扉を開いた先には誰もおらず、ややあって、扉の影から額を赤くした小さな少年がひょっこりと顔を出した。 「痛いー!ひどいー!ヴェダ酷いぃぃ!」  少年は小さな手で額を押さえながら、大きなくりっとした目でヴェダを恨めしそうに見上げてくる。  開ける勢いが良すぎて扉で跳ね飛ばしてしまったようだ。 「うるっせぇな。ピーピー泣くんじゃねぇよ。あと、名前」 「うぇっ…ごめん、なさい、ヴェダさん…」  少年――ルークスは目を潤ませながらもぐっと涙を堪え、鼻を啜った。手招くヴェダに従い、部屋の中へと足を進める。  ヴェダは先ほどまで寝ていた寝台に腰を下ろした。ルークスは扉を閉めてから、ヴェダの前まで駆け寄った。 「何かあったか?」  ヴェダが問いかけると、ルークスはコクコクと頷いた。 「スキッピオの奴らが動いたよ!」 「こんな昼間にかよ」 「大人がひとり、運び込まれてた!俺ちゃんと見たんだ!」  そう言って、ルークスは胸を張る。  ルークスはシィアに住む孤児だ。孤児院にいたのだが、そこが嫌だと抜け出してひとりきりで生活している、甘ったれに見えてなんとも逞しい子供である。  子供がひとりで生きていくには、犯罪に手を染めるしかない。ルークスも例にもれず、掏りと大人たちの小間使いで生計を立てている。その掏りの腕はぴか一で、子供ならではの情報網や色々な場所への侵入経路も知っていて、なかなか上手くやっているようだ。不潔な子供が嫌われることを察知して、できるだけ小奇麗にしているので一見孤児にも見えない。  ヴェダもまた、ルークスの能力を買っているひとりである。ルークスもヴェダの言うことはよく聞いた。というのも、ルークスはウィスプの虎に入りたいと常日頃から言っている。その頭に懐かないはずもない。 「真昼間に動くのは予想外だったな…」  言いながら、ヴェダは大きく欠伸をした。  魔導院、スキッピオ一家の両方が探しているとなると、土地勘も情報網もあるスキッピオの方が先にあれを見つけるとヴェダは踏んでいた。なので、スキッピオ達をルークスに見張らせていたのだ。 「運び込まれたのはどこだ?」 「三番地の賭博場」 「よし、よくやった」  ヴェダは懐から取り出したお札をルークスの手に握らせ、そのふわふわしたベージュの猫っ毛を撫でた。  ルークスは途端に目をきらきらと輝かせ、ヴェダの膝に手を乗せた。 「じゃあ俺、もう虎に入れる!?」 「お前、何歳だったか」 「十二!!」 「嘘吐くな。お前まだ七つだろうが」 「知ってるなら聞かないでよ!て、わ、わぶっ!」  むっと頬を膨らませるルークスをベッドに放り投げ、ヴェダは立ち上がって着替え始めた。 「ヴェダー!お願いだよ。俺を虎に入れてよ!」 「あと五年したらな」 「うぅ…なんで駄目なんだよぉ。ヴェダだって五歳からやってるんだろ!」 「俺がどうだろうとお前には関係ない。敬語も使えない泣き虫なお子様なんて、居ても迷惑だ」  着替えを終えたヴェダは腰にダガーを差し、頭に布を巻いた。出かける準備はこれで完了だ。  めそめそとしているルークスの首根っこを掴み、部屋を出る。馴染みの宿屋の女将に挨拶して外へ出ると、ルークスが不安そうな顔でちらちらとこちらを見てきた。 「ヴェダ…さん、もう帰っ…帰っちゃうですか?」  不器用な敬語に鼻で笑いながら、ヴェダはルークスを下ろしてもう一度頭を撫でた。 「お前は帰れ。大人しく帰るならまた来てやる」  そう言うと、不満そうにしながらも、ルークスは小さく頷いた。  ヴェダはルークスを残し、歩き出した。目的地は三番地の賭博場。  狩りの始まりだ。 ◆◆◆

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