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第三章 -9

 床に投げ飛ばされた祐貴は小さく呻いた。  体を起こそうとするとそれより先に腕を引っ張られ、無理やり半身が起き上がる。同時に、顔にかぶせられていた麻の袋が取られ、祐貴は大きく息を吸った。周りはぐるりと人で囲まれていた。  祐貴は無抵抗で捕まった。この男たちが誰なのかは解らないが、反抗してサリィ達にさらに被害が及ぶことだけは避けたかった。しかし、腕はしっかりと縄で後ろ手に縛られているし、ここに連れてくるまで顔に布が被せられどこにいるかも解らない。ここから逃げることは難しそうだった。  何より、怖い。怖くて体が竦み、思うように動けない。  腕を掴んでいた男が力任せに祐貴を引っ張り、引きずるように運ぶ。木製のテーブルの側に行くと、無理やり立たされテーブルの上にうつ伏せに体を抑えつけられた。  そのテーブルには、唯一椅子に座った男がいた。  壮年の男は白いものが混じった長い焦げ茶髪を一つに束ね、鼻の下に髭を生やしていた。服装こそ紳士然としているのに、その三白眼は細く、蛇のような印象を与える。  目が合った祐貴はぞくりと悪寒を感じた。 「こいつか?」  男が口を開くと、テーブルの脇からひとりの男がいそいそと近寄ってきた。  祐貴は目を見開いた。その男に見覚えがあったからだ。 「そうです!こいつです!(カーボ)!」  そう言う男は、あの日――祐貴に暴行を働いた男たちのひとりだった。  つまり、ここにいる奴らはあのときの奴らの仲間だ。いや、この目の前の蛇のような男に関して言えば、カーボ()と呼んだ。仲間と言うより上司だ。  祐貴からさっと血の気が引いていく。まさか、まだ祐貴に対する制裁が足りないとでも言うのだろうか。わざわざ祐貴を探していたようだ。今度は殺されるかもしれない。 「お前ら、袋にしたって話じゃなかったか?いやにぴんぴんしてるようだが?」  じろり、とカーボがやってきた男をねめつける。鋭い視線を浴び、男は頬を引きつらせた。 「いや、確かにあのときは暫く起きれないくらいに痛めつけたはずですが……」  男の言う通りだ。祐貴の回復が尋常でなく速かっただけで、あの暴行は十二分にひどいものだった。 「したはず、ねぇ…」  カーボの声がぐんと低くなる。周囲の温度が一気に下がり、男の口からひゅっと引き攣った息が漏れる。 「ウチの商売はさぁ、舐められるのが一番良くないんだって解ってんのか?あ?温いことしてんじゃねぇよ」 「す、すみませんっ」 「まあ、今回は金の生る木だったから、結果的には良かったわけだが――…それなりに反省はしてもらわないとなぁ?」  カーボがそう言うと、椅子の後ろに控えていた屈強な男が一歩前へ出た。そして怯えたように震える男に何のためらいもなく拳を振り下ろす。 「がっ…」  どさっと男が倒れる。男の口から血と歯が零れ、大きな体躯と共に床に散った。  男はそのまま意識を失ってしまったようで、ピクリとも動かない。 「っ…!」  目の前で起きた突然の暴力に、祐貴は息を呑んで震えた。次は自分の番かと冷や汗が吹き出してくる。 「さて、挨拶が遅れたな」  じろりと、カーボの視線が再び祐貴に戻ってきた。 「俺はケイニール=スキッピオだ。そうだな、まずは名前を聞かせてもらおうか?」 「!!」  ケイニール=スキッピオ。それはシィア一体を縄張りとし、恐れられているスキッピオ一家の頭の名前だ。暫く夜の街で賭場を巡っていた祐貴が知らないはずもなかった。シィアで祐貴が訪れた賭場のほとんどが、スキッピオ一家の息のかかったものだと聞いていた。  その事実に、祐貴はますます青くなる。何も言えずにいると、後ろから祐貴を抑えつけていた男が髪を引っ張った。 「ぃっ…!」 「さっさと答えねぇか!自分の名前も知らねぇのかてめぇ!」 「……っゆ…祐貴…っ」  間近で怒鳴られ、祐貴は何とか答える。するとケイニールは声を立てて笑った。 「ふん…ユゥキ、か。随分と小心者みたいだな。それでよくあんなに何度もイカサマなんかできたもんだ」  イカサマなんかしていない。だけどそんなことを主張したところで、祐貴が勝ち続けていたのは事実だ。  ケイニールが祐貴の方へと手を伸ばし、その手が頬に触れた。ひどく冷たい。何をされるのかと祐貴は固唾を呑んだ。 「はっ…こんなに震えてなぁ。かわいそうに」 「……っ」 「ユゥキ、お前殴られたくはないだろう?」  ケイニールはにやついた顔で、当たり前のことを問うてきた。殴られたい人間などいるはずもない。  しかもこの場合の殴るは先ほどのあれだ。いまだに殴られた男は床に転がっている。 「なぁ、嫌だろ?」 「…い、いや…だ…」 「なら、スキッピオ一家に入れ。そのイカサマの腕を買ってやる」  祐貴は声もなくただ目を瞠った。やっと探されていた理由が解った。確かに、祐貴の能力は魅力的なものだ。  どう答えていいか解らず、祐貴はただ顔を歪める。ここで断ってしまえば、すぐに暴力の雨が降ってくるだろう。  しかし、これはイカサマではない。ただの勘だ。スキッピオ一家に協力するとなると、イカサマのトリックを教えろと言ってくるだろう。そうなっても祐貴は何も答えられるはずもない。 「答えはもう決まってるよな?それともマーシィア川に沈みたいか?ああ、わりと綺麗な肌をしてるから…男娼楼に沈めるのもありだな」  目の前の三白眼が、ぎらりと光る。  とりあえずこの場だけでも、一家に入ると答えるべきだ。そう解っていても祐貴の口はからからに乾き、言葉を発しようとしてくれない。  いつまでも答えない祐貴に、ケイニールの顔からにやつきが消えた。ケイニールは祐貴を押さえている男に目を向け軽く顎をしゃくった。 「っ…!」  ぐいと後ろ髪が掴まれ、そのまま引っ張り上げられた。そして、今度は反対に、テーブルに向かって手が振り下ろされる。 「い…っ…!」  テーブルに頭を打ち付けられる。  祐貴が声にならない悲鳴を上げた時だった。  がくん、と、地面が下がった。 「わっ!!」  そのまま地面が大きく何度も揺れ、祐貴は後ろにいた男に重なるように床へと倒れた。  周りでも驚いたような声が次々上がり、揺れに耐えきれずにほとんどの人間が倒れたりしゃがみ込んだりする。ケイニールもテーブルに掴まって、なんとか倒れずに済んでいるといった様子だった。  地震は大きく、ぐらぐらと揺れる。部屋の中は軽いパニック状態だった。  祐貴は揺れる中、のそのそと立ち上がった。揺れはひどいが、何故か祐貴は立って歩くほどには耐えられた。これはチャンスだ。  あとは、あの扉さえ開けば、と、祐貴は部屋の唯一の出入口である扉を見た。その瞬間、揺れのせいか、扉が勢いよくバン、と開いた。 「!」  これで出られる。祐貴は扉に向かって駆け出した。 「っ待て!くそっ…あいつを追いかけろっ!」  ケイニールの怒鳴り声が部屋に響く。だが、誰も立ち上がることもできない。  部屋の外に出ると、不思議なことに揺れは一気に静まっていた。急いで外へ出ないと奴らが追いかけてくると思い、祐貴は外への出口を探した。  細い廊下を走り抜けると、そこは祐貴も来たことがある賭場だった。出口もすぐに解り、体当たりで無理やり扉を開け、転がるように外へ出た。 「いった…」  ごろごろと地面で何回転かした後、祐貴は何とか起き上がった。ここは繁華街の裏道だ。まだ太陽が高い位置にある今、人は全く見当たらなかった。  とにかく、人が多い場所に出なければいけない。祐貴はすぐに走りだした。 「待てっ!!」  賭博場から、数人の男たちが飛び出してきた。祐貴は振り返ることもなく、がむしゃらに走る。振り返っている暇などない。後ろ手に縛られているハンデは大きい。 「あっ!」  整備されていない道は悪く、足が取られた。祐貴は手をつくこともできず、ざっと道に倒れ込んだ。慌てて立ち上がろうとしている間に、足音が近付いてくる。  逃げ出したのだ。今度の扱いは先ほどの比ではなく酷いものとなるだろう。捕まるわけにはいかないのに―― 「ユゥキっ!!」  突如割って入った声は、今ここで聞こえるはずのない声だった。  祐貴は一瞬頭が真っ白になり、反射的に声の方を向いた。祐貴が向かっていた先、そこにひとつの影が見えた。  ありえない、何故、疑問ばかりが浮かぶ。しかし、間違いなく祐貴の思い描いた人物がこちらに向かって来ていた。 「アイ…ザ……?」  無意識に名前が口から零れた。それに呼応するように、駆け寄ってきたアイザは祐貴の体を抱き起こした。 「ユゥキ…!」  間違いない。この声も、この温もりも、アイザのものだ。 「な、んで…っ」  嬉しさなのか、驚愕なのか、罪悪感なのか、懐かしさなのか。一気に爆発するように湧きあがった気持ちにどう反応して良いか解らず、祐貴の顔がぐしゃっと歪む。  アイザも複雑そうな表情で眉が寄せられていたが、そこには安堵の色が一面に出ている。 「誰だ、てめぇは…っ」  ハッと祐貴は我に返った。  追いかけてきたやくざたちは、すでにそこにいた。突然の闖入者に少しだけ驚いた様子だが、とるに足らないことと思っているのか、余裕を持ってゆっくりと側に寄ってくる。それもそのはずだ。相手は十人はいる。こちらはたった二人だ。  このままではきっとアイザも危ない。 「アイザ、逃げてっ」  すぐ走って逃げれば大丈夫だ。  しかしアイザは素早く短剣でユゥキの腕の縄を切り、祐貴をかばうように一歩前へ出た。 「ユゥキ、大通りまで真っ直ぐ走れ!行けばルッツがいる!」 「えっ…」  祐貴が目を丸くしていると、アイザが背中を押してきた。そのまま、祐貴はアイザと共に走りだす。 「そうは行くか!そいつだけは持って帰んねぇといけないんだよ!!」  怒鳴った男が、ユゥキ達の前へと回り込んでくる。  行く手を阻まれたと立ち止りかけた祐貴だが、それより先に隣から何かが飛びだし、その男の頭を打った。男が倒れる。 「止まるな、走れ!」  同時に、アイザが怒鳴る。  祐貴は脚を止めないまま、斜め後ろのアイザを振り返った。その手には鞘に納められたままの剣が握られている。先ほどは、その鞘で相手を殴ったのだろう。 「ふざけやがって!!」  数人の怒号が細い路に轟く。  その直後、ガキっと金属がぶつかる音が響き、祐貴は思わず立ち止まって振り返った。  男のうちの一人がナイフを振りかざして、アイザが抜いた剣でそれを受け止めていた。その脇から、別の男が近付いてくる。  祐貴は一気に薄ら寒くなった。 「アイザっ!!」  アイザはナイフを持った男を弾き飛ばし、そのまま流れるように振るった刃は近付いてきた男の脚を切った。 「ぐあっ」  赤い血が流れ、人が倒れる。 「私は大丈夫だから、行けっ!」  そう言われても、祐貴は動けなかった。  なおも襲ってくる奴らをアイザはいなしていく。アイザが優勢に見えたが、男たちはまだまだいる。  隙をつかれたアイザの脇に、一人の蹴りが入った。アイザは倒れ、上から男が乗りかかってくる。その男の手には、鈍色に輝くナイフがある。 「やめろっ!!」  祐貴はアイザの上の男に体当たりをした。男は倒れたが、祐貴も勢い余りアイザの上に倒れ込む。  慌てて祐貴は起き上がった。アイザもすぐに身を起こす。 「ユゥキっ!逃げろと言っただろう!!」  アイザは本気で怒っていた。  しかし、祐貴は謝ることも言い訳することも敵わなかった。 「手間掛けさせやがって…」  すでに四方を男たちに囲まれてしまっていた。  アイザは祐貴を抱え込むように側に寄せ、ガチャリと剣を構える。周りの男たちは皆不敵な笑みを浮かべている。 「………っ」  男が一人、前へ出た。そのとき。 「うわあああっ」  叫び声と共に、離れたところで人が倒れた。 「なんだ、まだ仲間がいやがったのか!ちっ…いったん退くぞ!!」  男たちの焦った声が響く。  意識が祐貴たちからそちらへ移り、側にいた男たちがバタバタと逃げ出す。  祐貴はアイザの体の力が少し抜けたのを感じ、どういうことだと視線を向けた。 「応援をお願いしたんだ。だがまさか、こんなに早く来てもらえるとは…近衛師団だろうか…」  アイザは安堵の息を吐きながら説明してくれた。それに、祐貴も胸を撫で下ろす。一気に体から力が抜け、アイザにしがみついた。そうしないと立っていられない。  良かった、と思いながら来てくれた応援の人たちに目を向ける。そこには祐貴たち以外に二人の人間がいた。  祐貴は目を瞬いた。アイザは師団と言ったが、二人の服装はごく一般の市民が着ているような服だ。  そして次の瞬間、アイザが目を瞠ったのが解った。抜けていた緊張が一気に蘇り、祐貴を抱き寄せる腕に力がこもる。 「アイザ…?」 「なんで…やつらが…っ」  アイザの声には驚愕と嫌悪が籠っている。祐貴は訳が解らず、眉根を寄せた。 「あっれー、スキッピオって言っても案外弱っちいんですねぇ。素手の隊長にやられちゃうなんて。僕の出番がないじゃないですか」  二人の応援のうちの片方、背も低くほっそりとした片眼鏡の男が、つま先で倒れた男をつつきながら呑気な声を上げる。 「そう簡単に街中で召喚獣を出すなって言ってんだろ。何度言ったら覚える。お前の脳みそどうなってんだ」  もう一方の大柄で口元に傷のある男は、呆れたように片眼鏡を叱り飛ばした。  そして、二人の視線が同時にこちらに向く。 「…………みーつけた」  片眼鏡の男が楽しげに言った言葉に、何故だか祐貴は全身が粟立った。

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