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第三章 -11
この男の目的は、何だ。
祐貴はじっと目の前の男を油断なく見つめた。
あの状況から祐貴を助けたのだとは考えにくい。でも、祐貴を取り巻く状況に詳しい。
「お前には色々聞きたいことがある」
男の声に、祐貴はきゅっと拳を握った。
「まずは、名前だな。俺はヴェダだ」
「………祐貴」
名乗りたくはなかったが、向こうが名前を言ったのに言わないのはなんだか心苦しい。まるでその名を吟味するかのように、ヴェダは一瞬だけ目を細めた。
「言葉はあのグラッドストン伯に教えてもらったのか」
祐貴が恐々と頷くと、ヴェダはふぅん、と興味なさげに頷いた。
「それで…お前は何をして、魔導国師団の奴らに追われているんだ?」
「………」
答えたくない。というよりも、どう答えていいか解らない。賊だと勘違いされていると言っても、祐貴が城に入り込んでいたことは事実だ。
しかし、鋭い緑の瞳はだんまりを許さないとばかりにぎらついている。
「……わからない」
祐貴は唾を呑むと、苦し紛れにそう答えた。当然ヴェダがその回答に満足するはずもなく、ふん、と鼻で笑われた。
「なら、質問を変える。ケントたちがお前は城で捕らえたと言っていたが、何故城にいた?どうやって侵入した」
ヴェダの目は眇められ、ますます鋭さを増す。首を絞められているわけでもないのに、息が苦しい。祐貴は必死に言い訳を探したが、何も思い浮かばない。なぜあの城にいたのかなんて、祐貴が聞きたいくらいだ。
「答えろ」
「……わからない」
「解らないわけないだろうが。答えろ」
「………本当に、知らないんだよっ!!」
ヴェダからの抑圧に耐えきれず、祐貴は自棄になって怒鳴った。ヴェダが驚いたのが解かった。祐貴はそのまま捲し立てるように声を荒げた。
「気付いたらいきなりあの城にいたんだ!俺は、普通に、日本の、大学の、図書館にいただけ、なのに…っ」
思い返すと胸が苦しくなり、息が詰まる。
「いきなり、あんなとこにいて、言葉も通じないし!物騒な人とか、見たこともないような化け物に追いかけられるし!」
怖くて、助けてもらえたと思ったら、服を剥ぎ取られ変なことをされそうになった。逃げて、川に飛び込んで、死ぬかと思った。
じんわりと目に涙が溜まるが、祐貴は必死で堪えた。ヴェダの前で泣いたりしたくなかった。
それでも、やっと居場所を見つけたと思ったが、祐貴はそこでは迷惑をかけるばかりの邪魔者でしかなかった。だから、帰ろうと思っただけなのに。
「……俺は、ただ、帰りたいだけなのに…っ!!」
吐き出して、祐貴は大きく肩で息をした。ヴェダの驚いた顔に少しだけ溜飲が下がった。
暫く部屋の中には、祐貴の荒い息だけが響いた。
ややあって、ふう、とヴェダが息を吐いた。それにはどこか呆れた色がうかがえた。
「…つまり、お前は気を失っているうちにニホンって所からいきなり城に連れてこられたのか?」
気を失っている、というのは違うが、祐貴は敢えて否定はしなかった。
「…忍び込んだわけでも、盗みを働いて捕えられたわけでもない…」
祐貴の言葉を信じたのか、ヴェダは口元に手を当て、思案顔になった。そのまま黙り込んでしまったので、祐貴も口を噤み、じっと自分の手元に視線を落とした。
結局、ヴェダが何をしたいのかはまだわからない。祐貴が反抗的な態度でも暴力的なことはされていないが、拘束があるかぎり気は許せない。
長い沈黙を破ったのはヴェダだった。
「ニホンというのはどこにある?」
「…わからない」
先ほどから同じ答えしか返していないが、祐貴にはそれ以外言い様がない。
「それも解らないだと?」
ピクリとヴェダの眉が動く。その表情には明らかに嘲りが浮かんでいたが、祐貴が唇を噛みしめて俯くと、その表情も消えた。
「なら…何故、賭場で荒稼ぎをしていた」
「…帰るため」
「金があれば国に帰れるのか?場所も解らないのにか?」
「城に行けば、何か解ると思ったんだよ」
「白椿城は金があれば入れる場所じゃないぞ」
「そのくらい、知ってる。だから、俺は…その…ウィスプの…」
ウィスプの虎に入れてもらおうと思っていた。そう言いかけて、祐貴は慌てて止めた。そんなことこの男に話す必要はないし、言ってもまた馬鹿にされるだけだ。
しかし、祐貴の言葉はすでに耳に届いてしまっていたらしい。
「ウィスプ…?ああ…ははっ…なるほどな。『虎になりたきゃ百万セル』ってやつか。確かに、城に狙いをつけてる噂も随分出回ってるしな。それで健気にせっせと稼いでたって?」
ヴェダはあっさりと祐貴の意図を察してしまい、心底楽しそうに笑いだした。ずっと厳しい表情ばかりだったので、ヴェダの相好が崩れたことに祐貴は驚いた。しかし、ヴェダは祐貴の無謀さを笑っているのだ。喜べるはずもない。
「なんだ。どっちにしろ待ってたら来たわけか」
ヴェダが呟くように言った言葉の意味が解らず、祐貴は目を瞬く。その次の瞬間、視界が揺れ、背中にベッドの感触が広がった。仰向けに倒れた上から、ヴェダが押しかかってくる。戸惑う祐貴の肩をベッドに縫いつけるように押し付ける。
「百万セル積んだら虎に入れるなんて、大嘘だ。よくもまあ、信じたな」
「な、なんでそんなこと、お前が言いきれるんだ」
『百万セル』の噂は誰でも知っていた。嘘だなんて断言するヴェダに、祐貴は眉根を寄せる。すると、肩にかかる力が強まった。
「お前、盗賊団がどんなものか解ってんのか?」
「え…?」
急にヴェダの顔から笑みが消え、瞳の鋭さが蘇る。
「お前自身、売りとばされそうになっただろ。忘れたのか?」
忘れるはずもない。そうだ、この男だって盗賊なのだ。
「お遊びの集団じゃない、捕まれば極刑の犯罪者どもの集まりだ。金払って入るようなもんじゃねーんだよ。誰かが汗水垂らして世話した物を勝手に横からかっさらって、何の罪もない人間を殺めることもある。―――そういう覚悟があるのか?」
祐貴は瞠目し、言葉を失った。そんなこと、考えもしなかった。犯罪者だとは思っていたが、誰もが英雄のように語るから、入った後のことなど想像していなかった。ただ、ウィスプの虎には入れれば、城に忍び込めると漠然と思っていただけだ。
物を盗む、人を殺す。そんなこと…
今目の前にいるこの男は、盗み、殺してきたのだろうか。途端に、肩に触れている手が血に染まっている気がした。体が震え、その振動がヴェダにも伝わったのか、ふっとヴェダの頬が緩む。
「お前には無理だな」
その言葉を、祐貴は否定することができなかった。
今考えてみると、盗賊団に入って忍び込むなど、現実的ではない方法だ。それで無事あの部屋に辿り着ける可能性など、ほぼないだろうと思える。それなのに、一心に金を集めていたのは、希望に縋りつきたかったからだ。
なぜなら、今、こんなにも絶望を感じている。
「……なあ、物も盗まず、人も殺さずに城まで連れて行ってやろうか?」
急にそう言ったヴェダは、悪戯っ子のような表情で笑った。
「は…?」
意味が解らず、祐貴はぽかんとした表情でただヴェダを見返す。見下ろしてくる緑の目が、すっと細められた。
城に連れていく?そんなことがこの男にできるというのか。
「お前が俺のものになるのなら、ウィスプの虎に入れてやる。国師団の奴らからの隠れ蓑にもなるぞ。特別に、盗みも殺しもしなくていい。まあ、体は鍛えてもらうがな。それで、城を狩るときだけ連れて行ってやる」
「は…?」
つらつらと綴られた情報に、祐貴の頭はついていけない。この男のものになる、ウィスプの虎に入れる、城に連れていく…。出てきた単語がぐるぐると頭の中を巡る。
つまり、この男はウィスプの虎のメンバーだということか。
やっとそこに辿り着き、祐貴は愕然とした。
先ほど、大嘘だと断言できたのはそれでか。祐貴を捕らえた太った男や、背の高い男も、ウィスプの虎の一員なのか。あんな奴らがいるところを目指して、自分はあんなにも頑張っていたのか。
そして今、この男は何といった?この男のものに、なれ?
「俺のものになるってのは、国に帰るまででいいぞ。どうだ、好条件だろ?」
「お前の…ものって、どういう意味…」
「今この体勢で解らないのか?」
不敵な顔で言うヴェダに、祐貴はかっと頬を朱に染めた。二人は今、ベッドの上で折り重なっている。祐貴の体を要求しているのだ。
「なんで、そんなこと…」
「食ってみたいから。途中で飽きても帰るまではちゃんと面倒見てやるよ」
露骨な物言いに、祐貴は顔を顰める。
この男の目的は、祐貴自身だったのか?
今、ここで断ったどうなる?
この男の言葉は真実なのか?
どうするのが、一番ベストなんだ?
ぐるぐると渦巻く思考は纏まらない。
「――――さあ、どうする?」
囁くように訊ねてくる声。鋭い眼光が祐貴を射抜く。
祐貴はごくりと唾を呑んだ。
第三章 完
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