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第四章 -3
翌朝、祐貴が目覚めるとヴェダはいなかった。熟睡できずに寝たり起きたりを繰り返していた祐貴が、ちょうど眠りに落ちているときにどこかへ行ってしまったらしい。なんとなく拍子抜けして、祐貴ははぁ、と息を吐いた。
とりあえずそっとベッドから出ると、全身を冷たい空気が覆った。寒さにぶるっと体を震わせながら、テーブルの方へ向かう。そこには水差しと盥があって、祐貴は顔を洗った。水は温められていて、気持ちが良かった。
それから、昨夜脱いだローブを羽織る。これで荷物を持てばもうここから出てはいける。確か、今日はウィスプの森に行くとか言っていた。
さて、ならばこの部屋から出てヴェダを探すべきだろうか。探しに行きたい。祐貴がそう考えた時、ちょうど扉が開いてヴェダが戻ってきた。その姿を認め、祐貴の胸には安堵が湧いた。
「ああ、起きたか。行くぞ」
祐貴がしっかり準備できているのを確認すると、ヴェダは一歩も部屋に入ることなく踵を返す。彼もどうやら出発の準備は万端だったようだ。
すたすたと行ってしまうヴェダの後を、祐貴は荷物を抱えて慌てて追った。
建物の中は、昨夜とは打って変わって静かだ。こつこつと足音ばかりが響く中、全員寝静まってしまっているかと思っていたが、玄関の脇にタンザの姿があった。
タンザはにこやかな顔でヴェダに話しかけた。
「五人で良かったんだっけ?」
「ああ、明日にはここに遣る。頼んだ」
「ねじ込んでやるさ。お任せあれ」
挨拶も何もなしに交わされた言葉に、ヴェダは先ほどまでタンザに会っていたのかと祐貴は推測した。しかし、その会話の内容が何の事だかは全く解らない。
館を出る寸前、脇を通った祐貴に向かい、タンザが急に顔を寄せてきた。
「ヴェダを手玉にとるくらいしないと、生きていけないよ」
耳元でそっと囁かれ、祐貴はばっと距離を取った。驚いた顔でタンザを見れば、にやにやと笑っている。
「おい、早く来い」
立ち止まった祐貴を、ヴェダが振りかえり呼ぶ。
「頑張ってねーん」
ひらひらと手を振るタンザから戸惑った顔を隠すように、祐貴は走ってヴェダに寄っていった。
今日は屋根の上を歩くことはなかった。ただ、フードは目深にかぶらされ、朝市でごった返す人の中をかきわけて進む。途中、ヴェダが野菜と炙った肉を挟んだパンを買い、それを食べながらもずっと歩く。やがて人通りは少なくなり、だんだんと景色は建物から木々に変わり、道も石畳からただ踏みならされた土へと移っていった。
そうして、辿り着いたのは大きな森の入り口だった。
「ここが…ウィスプの森…?」
ひとりごつように疑問を口にすれば、意外にも返事が返ってきた。
「そうだ。この奥に俺たちの村がある」
「村…?」
「そう、村だ」
にっと笑うヴェダはどこか得意そうだ。それほどまでに彼らのアジトは大きいのだろうか。祐貴はもう一度森を見渡した。
そこは薄暗く、遠くから獣の鳴き声のようなものが聞こえてくる。見渡す限り、かなり広い森のようだった。木々は常緑樹なのか、全てを覆い隠すように生い茂っている。
薄気味悪いはずなのに、祐貴は何故か懐かしさのようなものも感じていた。マイナスイオンでも出ているのだろうか、などと思ってしまうほど心地がいい。
「できるだけゆっくり歩くが、絶対にはぐれないように着いてこいよ」
ヴェダが真面目な顔で告げてくるので、祐貴は僅かに緊張しながらも頷いた。
森に一歩入れば、道らしい道はない。でこぼことした獣道は歩きにくいが、宣言通り、ヴェダの歩みは祐貴が着いていくのに十分間に合う速さだった。
少し歩くと、僅かに拓けた場所に出た。そこでヴェダは立ち止まり、荷物の中から小型のランプを取り出しそれに火を灯す。
森は薄暗いがまだ朝で陽の光も届いている。ランプなど必要はない。首を傾げている祐貴に、ヴェダはランプを手渡した。
「これ持って、足元照らしながらいけ。少し潜って歩くからな」
ヴェダはそう言って、すぐ側にあった大きな倒木を蹴った。それはあっさりと転がってずれる。
「あ…っ」
今まで倒木があった場所を見れば、そこには大きな穴がある。屈めば人間が入れそうな洞窟だ。
「お前が先に入れ」
そう言われ、祐貴はなるほど、と思った。そこは通路で、倒木で入口を隠していたのだ。
祐貴は大人しくそこにもぐりこんだ。ランプで照らしながら、慎重に中へと下りていく。すぐにヴェダが後に続く。
「真っ直ぐいけ」
後ろから指示され、祐貴は身を屈めたままゆっくりと足を踏み出した。洞窟の中は木の板と石でしっかりと舗装がされていた。崩れる心配はなさそうだ。
「すごい…」
ウィスプの森は獣のほかにもはぐれ召喚獣がいるという話だった。地下を通れば、どちらにも襲われる心配がないのだろう。考えたものだ。
しかし、思ったよりも早く地下通路は終わりを迎えた。入口同様、倒木で隠されていた出口は、祐貴が軽く押しただけでごろんと転がって開いた。
よたよたと祐貴が出た後に、ヴェダがさっと出てきて倒木を元の位置に戻す。
「もう着いたのか…?」
祐貴はきょろきょろと回りを見渡したが、そこは変わらず森が広がるばかりで村らしき場所はない。すると後ろから呆れた声が聞こえた。
「そんなすぐ着くか。ここからもう少し歩く」
ヴェダは祐貴の手からランプを奪い取り、火を消す。
「歩くって…」
その時、ギャー、ギャー、と何かの鳴き声が聞こえた。祐貴はビクリと身を竦める。
「地下は?もうないの?危なくないか…?」
「ない。あれは対人間の目くらましだ。怖けりゃ獣にかち合わないよう祈ってるんだな」
やはり、それなりのリスクはあるらしい。歩き出すヴェダに続き、祐貴は言われた通りに無事に着くように祈った。
それからしばらくして、祐貴の息が上がり始めた頃、ヴェダが振り返った。
「着いたぞ。あれだ」
「え…?」
祐貴が顔を上げると、そこには森ではありえない景色が広がっていた。
「本当に村だ…」
思わず呟いた言葉通り、そこには結構な広さの村があった。グラッドストン家の屋敷より少し広いくらいの面積だろうか。ぐるりと回りを塀で囲まれたそこには、小さなロッジがたくさん並んでいる。奥の方には大きな平屋に、井戸、さらには家畜小屋のようなものまである。まばらに人の影も見えた。
森のど真ん中にそんな場所があるのが不思議で、なんだかふわふわとした気分になる。
「あそこに入ればもう獣の心配はいらない」
「なんで?」
「獣たちが嫌う樹液を外壁に塗ってる。よっぽどのことがなきゃ近寄ってこない」
「へぇ…」
言われてみれば、なんだかミントに似た独特の強い香りがする。祐貴もあまり好きではない匂いだ。獣はこれがもっと嫌いなのだろう。
ほっと祐貴が安堵すると、それを見てヴェダがふんと笑った。
「良かったなぁ、獣にかち合わなくて。珍しいぜ、一匹も襲われないってのは」
つまり、いつもは最低一匹には襲われているのか。祐貴は少しだけ青くなった。祈っていて良かった。心底そう思った。
「ヴェダ、おかえり!」
「よう、戻ったか」
村に一歩入った途端、いろんな方向から声が掛かった。ヴェダは「おー、戻った」とそれぞれに気だるげに応えていく。皆それぞれ何かをしているようだったが、ヴェダに気付けば必ず声を掛けてきた。ヴェダは仲間には慕われている様子だ。
祐貴は違和感を覚えた。ここにいるのは全員盗賊だと言うのに、そんな雰囲気は一切なく、どこかほのぼのとした空気が流れていた。
「あー!ヴェダ!おっかえりぃ!!」
一際大きな声が聞こえ、祐貴はそちらに目を向けた。小さなロッジのような建物が立ち並ぶ前から、洗濯の途中だったのか、衣服がたくさん入った大きな盥の側にいた若い男がこちらに駆け寄ってくる。
祐貴はその男に見覚えがあった。幼さの残る顔、ひよこのような黄色い髪。確かにあのときの盗賊の一員だった少年だ。彼も本当にウィスプの虎だったのだ。
「何狩ってきたんだ?ファイエット教えてくんなくてさぁ……あっ!そうだ、聞いてくれよ!この前の美術品の競りの時に俺が盗ってきたやつが……」
ヴェダの元まで嬉しそうにやってきたひよこ頭は、祐貴の姿に気付くとぴたりと言葉を止めた。そして、まじまじと祐貴を伺ってくる。祐貴は少したじろぎ、ヴェダの後ろに隠れるように一歩引いた。
「誰、これ」
しかし、男はそう言いながら、追いかけるように足を踏み出してローブの中を覗きこんでくる。ばちっと目が合うと、男はこれでもかと言うほどに目を瞠らせた。
「ああああああっ!!二十万セルっ!!」
どうやら、相手も祐貴を覚えていたらしい。二十万セル、というのはよく解らないが、目を白黒させながら、祐貴とヴェダを交互に見ている。
「ど、どういうこと!?えっ?ヴェダ、こいつ狩りにいってたのか!?」
祐貴はいたたまれなくなってもう一歩後ずさろうとしたが、それより早くヴェダが祐貴の腕を掴んで引っ張った。
「わっ?」
ひよこ頭の目の前に差し出され、祐貴は困惑する。
「ちょうどいい。エラー、こいつはユゥキだ。今日からウチに入る。お前、教育してやれ」
「はぁぁぁ!?入るって、なんで!?だってこいつは商品で…」
差し出された方の男も困惑しきった様子で、声を荒げている。しかし、そんな男の訴えなどどこ吹く風で、ヴェダは淡々と言葉を続けた。
「ずぶの素人だから、基礎からしっかり叩き込んでおけよ」
「ちょっ…ヴェダ!」
「俺が、決めた」
はっと男が息を呑む。祐貴は背を向けていたので、ヴェダがどのような顔をしていたのかは解らないが、その声は威圧感に満ちていた。
「……了解」
ややあって、目の前の男が不本意そうに頷いた。
「俺はファイエットに話がある。とりあえず、今日の夕方までみっちり扱いとけ。部屋は俺と同じでいい」
「…りょーかいっ!!」
自棄になったように大声で返事をし、男は祐貴の腕をがしっと掴んだ。そしてずっとヴェダに向けていた視線を祐貴に向けた。
「俺はエラーだ。俺のが先輩なんだから、ちゃんとエラーさんって呼べよ!」
「え、あ…」
祐貴が戸惑っていると、ヴェダがその隣をすり抜けて行った。そのままどこかへ行こうとする姿に、祐貴は俄に不安に襲われた。無意識のうちに手が伸びる。その手はそのままヴェダの服の裾を掴んだ。
「…なんだ?」
ヴェダが訝しげに振り返る。祐貴は慌てて手を離した。
ひよこ頭の方が幼く怖さがないのに、なぜだか彼よりヴェダと一緒の方が安心できた。その事実は不快で堪らないが、祐貴はなおもヴェダに手を伸ばしそうになっていた。不思議な感覚に戸惑いながら、しかし、そんなことを伝えても意味はないと祐貴は言葉を濁す。
「あ、いや…」
「後のことはエラーに聞いとけ」
ヴェダはそう言い残すと、今度こそ去っていった。どんどん背中が遠くなっていく。じっとその姿を眺めていると、隣からとんでもない質問が降ってきた。
「…お前、ユゥキだっけ?ヴェダとやったの?それで虎に入れてくれって強請ったの?そんな具合いいんだ、お前」
「はっ!?」
驚いてエラーの方を向けば、彼はどこか拗ねた顔をしている。
確かに祐貴が虎には入れたのは、ヴェダに体を差し出す約束をしたからだ。しかし、そのことを素直に教えたくもない。
「まあいいや。いっくらヴェダのオンナだろうが、虎の一員なら掟に従えよ。着いてこい」
「俺は、女じゃ……っ」
顔に朱を刷いて反論しようとした祐貴を遮って、エラーは歩き出す。着いてこいと言いながら、しっかりと祐貴の腕を掴んでいるため自然と並んで歩くことになった。
「ここ、それぞれ寝起きする部屋。んでもって、一番奥がヴェダの部屋だから、お前もあそこな」
同じロッジが並ぶ横を歩きながら、エラーが説明する。先ほどヴェダの口から出たときは素早くて追及できなかったが、やはり祐貴は不本意ながらもヴェダと同じ部屋らしい。ずんずんと進み、ヴェダの部屋だという一番奥に辿り着くと、エラーは無遠慮にそこを開けた。
中は思ったより広く、物はすごく少ない。ベッドと大きめの葛籠が置かれているだけだった。
「荷物はここ置いとけ」
「……わかった」
荷物を手放して置いておくのは少し不安だったが、祐貴は部屋の隅にそっと袋を置いた。盗まれないことを祈って。
それからすぐ部屋を出て、再び外を歩いた。ときどきいる人間は、年齢こそまちまちだったが皆男だった。無遠慮に祐貴を眺め、エラーに誰だと聞いていく。エラーが「新人」と答えると、まだ興味ありげにこちらを見ていたが、それ以上の追及はしてこなかった。
「あそこが集会場。飯も大抵あそこで食う。んで、その横が料理場。飯は一日三回。作んのは当番制だからな」
そう言いながら、エラーは大きな平屋を指差す。
「んで、こっちが家畜小屋。その裏が畑だ。家畜と畑の世話も当番制」
家畜のヤギは十頭いて、今森の方へ出ているらしい。そして言葉通り、小さいが畑があった。今は芋とカブ、白菜が植わっているそうだ。
祐貴は少し感心した。本当に村だ。ここだけで生活ができそうだ。
これからしばらくはここで生活していくのだ。盗賊という荒くれ者たちの住みかだからともっと殺伐としたものを想像していた祐貴だが、予想よりもずっとまともな生活になりそうだと安堵した。
「あと、向こうが水浴び場、それであっちの方が……」
その後も歩きまわりながら、祐貴は一通りの説明を受けていった。
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