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第四章 -4

 場所の説明を受けた後、祐貴は室内に通された。そこは先ほど行ったヴェダのロッジではなく、エラーが寝起きをしている場所らしい。服や酒瓶でとっちらかった部屋にはベッドが二つ置いてあり、もう一人誰かと生活しているのが解る。  その並んだベッドに向かい合わせになるよう腰掛け、祐貴は組織内のルールについての説明を受けていた。  ならず者たちの集まりだというのに、ここには細かな規定がたくさんあった。ネコババの禁止。与えられた仕事――盗みはもちろん、アジト内での飯当番や家畜の世話なども含め――を放棄することの禁止。アジトや、ランドック、シィアにある宝物庫の場所を漏らすことの禁止など、多岐にわたる。  その規律を破った者には罰則が与えられる。その罰則は、追放であったり、死刑であったり……多くの場合、秘め事を漏らさぬように死が与えられるらしい。そこはやはり血気盛んな者たちらしく、当然とばかりに述べたエラーに祐貴はぞっとした。 「それで、これが一番の禁止事項だけど――」  指折り数えながら決まりごとを告げていたエラーが、一拍置いて祐貴を見つめる。 「仲間を裏切ることだけは、絶対に禁止だ」  意外な言葉に、祐貴は目を瞠った。この集団に仲間意識がそこまであるとは思わなかった。 「さっきまでの決まりごとも結局はこれに全部含まれてんだけどな。どんなお宝よりも仲間を優先する、これは死んでも守れ」  たとえば、目の前に宝と怪我した仲間がいたら後者を助けることに全力を注げ、とエラーは真剣な顔で言った。  祐貴は先ほどまでのアジト内の案内を思いだした。途中、幾人かとすれ違う場面があったが、その度エラーは相手の名前は覚えなくても顔だけはしっかり頭に叩き込めと言ってきた。それは、顔を――誰が身内かを覚えておくことがこの盗賊団にとって重要だということなのだろう。このウィスプの虎は、誰一人として捕まったことがないと、街の噂で何度か聞いた。その理由が解った気がする。 「……わかった」  神妙に頷いた祐貴に、エラーはふっと相好を崩した。どこか小馬鹿にした笑顔で鼻を鳴らす。 「って言っても、お前はまだ仲間って認めちゃいないけどな。あくまでもヴェダのオンナってだけだろ」  またしても不本意な称号で呼ばれ、祐貴は眉根を寄せた。しかし、否定はしない。いくら違うと主張しても、エラーは耳を貸さないと解っている。 「で、決まりごとはおわり。次はぁ…そうだな、役割。お前新人だから、洗濯と掃除全部やってもらうから」 「全部?」 「それぞれの部屋の中は各自がやる。他の、集会場と調理場、あと水浴び場に家畜小屋もだな…毎日お前が掃除しろ」  祐貴は思わず眉間に皺を寄せかけた。全ての掃除、洗濯というとかなりの広さだ。それだけで半日が終わってしまうかもしれない。 「…わかった」  祐貴が首を振るわけにはいかない。むしろ、それだけですんで感謝するべきだ。祐貴が頷くと、エラーは少し目を丸くした。 「へえ?いやだって駄々捏ねないんだ?」 「別に、おいてもらうんだからそれくらい…」 「ふーん、なんで頭のオンナがそんなことしなきゃいけないのぉ!とか言い出すかと思った」  明らかな嘲笑を浮かべながら、エラーは声音を一段高くしてしなを作ってみせた。祐貴はその台詞に固まった。 「なんだって?」  思わずそう問い返してしまった。 「だぁかぁらぁ…頭のオンナがそんな下っ端仕事しなきゃいけない義理ないわよ~とか言い出すのかって…」  祐貴は目を瞬く。オンナと言う不本意な代名詞はもういい。ただ、その枕詞が気になった。 「頭って…?あいつが、ここの頭…?」  呟いた祐貴の言葉を聞き、エラーは信じられないものを見るかのような顔になった。 「お前、ヴェダが頭って知らないですり寄ってたのかよ!?はぁ…信じられない」  信じられないのは祐貴の方だ。ヴェダは若い。彼よりもずっと年嵩の人間がここにはたくさんいそうだった。それなのに、あのヴェダが、高名なウィスプの虎全員を纏めているというのか。  しかし、言われてみれば、ヴェダの態度はそれらしいものだった。祐貴をここに連れてきたのもヴェダの一存であったし、慕われていた様子は、畏敬の念が籠っていたのかもしれない。 「ここじゃ頭の、ヴェダの決定が優先される。そこんとこちゃんと理解しとけよ」  エラーの言葉に、祐貴は神妙にうなずいた。  エラーは祐貴をあまりよく思っていないようだ。しかし、彼に嫌われようと、ヴェダの庇護下にあれば心配はいらないということだ。タンザが別れ際に言った言葉を思い出す。  ――ヴェダを手玉にとるくらいしないと、生きていけないよ。  あれは、これを意味していたのか。つまり、ヴェダの逆鱗にだけは触れないようにしておかなければならない。若い獣のような男の姿を思い浮かべ、祐貴は一人頷いた。 「――つーわけで、説明終わり。外行くぞ」  エラーが立ち上がり、祐貴は慌ててローブに手を伸ばした。室内なら来ていなくても何とか平気だが、外は寒い。  しかし、それを見たエラーは祐貴の手からローブを奪い取った。 「上着なんかいらねぇよ。これから嫌でも暑くなんだから」 「え…?」 「むしろ、今着てる服も脱ぎたくなるだろな」  その言葉の意味を、この直後祐貴は身をもって知った。 「ちんたら走ってんじゃねぇよ!全速力で走れっ!!」  エラーの怒鳴り声に、祐貴はぐっと唇を噛みしめながら重たい足を必死に前へと出す。頭に酸素が回らず、くらくらとする。 「おうおう、新人情けねぇなぁ!」 「ガキの方がもっと体力あるぜ」  時折すれ違う人たちから、野次が飛んでくる。それはどれも祐貴を笑うもので、へとへとに疲れきってよろける祐貴の姿が可笑しくてたまらない様子だった。  悔しい、情けない。嘲笑われて平気なほど、祐貴のプライドは安くはなかった。 「そこの木までだ!!もっと速く!!」  ゴールを示され、祐貴は乳酸が溜まりきった筋肉に更に力を込めた。ぐっと少しだけスピードが上がり、全身に受ける風が強くなる。  ゴールの木まで辿り着くと、祐貴は倒れ込むように地面に転がった。 「―――っ!!はぁっ!はぁ、はぁ…っ」  大きく酸素を吸い込みながら、祐貴は仰向けで空を見上げる。どくどくと心臓がこれ以上ないくらい速く脈打っているのが解る。全身汗が噴き出して酷く暑い。寒さなどまったく感じなかった。  部屋を出てから祐貴にはトレーニングが待っていた。  まずは五十回ずつの腕立てと腹筋。それからしばらくひたすら縄跳びをさせられた。それだけでもカツカツだったが、その直後、ただただ走らされた。敷地の中を何度もぐるぐると走りまわった。たぶん、距離的には十キロないくらいだと思うが、マラソンとは訳が違う。最初のうちはゆっくり走っていても何も言われなかったが、途中、急に全速力で走れと言われ、言われるまま走った。そしてまたゆっくり走ってから全速力。インターバルを挟み余計に息が上がった。  もともと運動は嫌いではない祐貴だが、限界だった。祐貴に並走していたエラーが、いくらその前の腕立てなどをしていないとはいえ、わずかに息を切らしている程度で平然としているのが驚きだった。彼らにとってこのくらいは普通なのだ。しかし、小馬鹿にされる悔しさと、ここで脱落したら帰れないという思いでなんとか乗り切った。  今はもう、これ以上動けそうにない。吐き気がするが、幸い朝食べた物はすでに消化してしまっていて、出てくるものもなかった。 「はぁ…はぁ…っぶっ!ごほっ、ごほっ…!」  地面に寝そべる祐貴に、水の塊が降ってきた。大きく開いていた口にしとどに水が入り、祐貴は噎せる。 「ごほっ…なに…」  見上げれば、木桶をさかさまに持ったエラーがにっと悪戯っ子のような笑みを浮かべている。エラーに水を掛けられたのだ。 「なに休んでんだ?まだ終わってねぇぞ。ほら、動かねぇと凍え死ぬぜ?」  確かに、びしょぬれになった服や髪はどんどん祐貴の体温を奪っていく。一瞬前まで暑くて堪らなかったのに、すでに少し悪寒がし出した。 「もう一回、同じだけ走るぞ」  平然とした顔で言うエラーに、祐貴は気が遠くなった。  結局二度目のランニングの最中――といっても、途中から歩く方が速いくらいの速度だったのだが――祐貴は全く動けなくなった。ばったりと倒れてしまい、体を強かに打ちつけた。しかし体のだるさが先に立って、痛みも感じなかった。 「おいおいおい…これっくらいでばててたらすぐとっ捕まるだろ。ほら、立て」 「………」  無理だ、立てない。口から出るのはぜぇぜぇと荒い息だけで、そう言葉にすることさえできなかった。うつ伏せに倒れたまま、顔を上げることもできずに視線だけをエラーに向ける。視線が重なると、彼は怒ったような顔から諦めたみたいに口角を下げ、ふうと息を吐いた。 「本当にど素人だな…」  本気で呆れられて、祐貴は悲しくなった。別にエラーに認められたいわけではないが、明らかに年下の人間に見下されるのは気分のいいものではなかった。 「あーあ…先が思いやられる」  そう言いながら、エラーはしゃがみ、祐貴の体を俵担ぎにした。下ろせと暴れることもできず、祐貴はただの物のようにそのまま運ばれていった。  大人の男を一人担いでいながら、エラーは軽々と歩いていく。祐貴もこんなことができるようにならなければ駄目なのだろうか。  そんなことを思っているうちに、もといたロッジまで連れ込まれ、ベッドに投げ落とされた。そして、服を剥ぎ取られていく。  祐貴は焦ったが、体は動かないし声も上げられない。まさか、このエラーもヴェダみたいに祐貴をそういった目で見ているのだろうか。  しかし、エラーは服を剥ぎ取った後、どこからか取り出された汚い布で乱暴に祐貴の体を拭うと、祐貴がもともと着ていた服とは違う、エラーたちが来ているものに近いゆったりとした服を適当に着せた。 「休憩だ。昼過ぎたら起こすから、寝て体力回復しろ」  濡れていたから着替えさせられただけだ。勘違いした自分が恥ずかしく、祐貴はエラーの言葉に応えるように目を閉じた。  休憩ということは、昼過ぎにまた同じような訓練が待っているということだ。その予定に辟易しながらも、昨夜しっかりと眠れていないせいもあって、あっという間に意識はまどろんでいった。  昼過ぎに起こすとエラーは言ったが、祐貴が目覚めたのは日も暮れた後だった。暗くなった室内は、寝る前に見たものとどこか雰囲気が違った。 「やっと起きたか」  誰もいないと思っていた室内に声が響き、祐貴は慌てて体を起こした。しかし、体が軋んで呻くしかできない。この後は確実に筋肉痛が待っている。 「初日からそんなんで、着いてこれるか?着いてこれないと城には行けねぇけど」  笑い混じりのその声は、ヴェダのものだ。視線だけを彷徨わせると、彼は祐貴の足元に腰かけていた。その姿に何故か祐貴は安堵を覚えた。それは、彼が自分の命綱を握っているからだろうか。  部屋の雰囲気が違うと感じたのは暗くなったからというわけではなかった。そこは、眠りについたエラーのロッジではなく、最初に案内されたヴェダの部屋だった。 「…なんで、ここに…」  それは、自分が何故移動しているのか、とういのと、何故ヴェダがいるのかと言うことを含んだ疑問だ。ヴェダは前者ととったらしく、応えた。 「お前、昼過ぎにエラーが起こしに行ったらまったく目を覚まさなかったからな。あいつが慌てて俺のとこに来た。『ごめん!あいつ死んじまったかも!!』ってな」  そのときのエラーの姿を思い浮かべているのか、ヴェダの目はやんわりと細められた。  祐貴はエラーに起こされた記憶がまったくない。まさしく死んだように眠っていたのだろう。祐貴を見たヴェダはすぐ眠っているだけだと解り、こっちの部屋まで運んだらしい。運ばれた記憶も当然なく、祐貴は自分の体力のなさに呆れた。  ヴェダは冗談めかしく言っていたが、あの扱きに耐えられる体力をつけないと城に行くことは本当に叶わないのだろう。 「飯の時間だ。お前のお披露目しとかねぇとな」  ヴェダはそう言って腰を上げた。そして玄関に向かって歩き出す。 「行くぞ。お前も半日以上何も食ってねぇだろ。しっかり食って体鍛えとけ」  祐貴は頷きたかったが、体が言うことを聞かない。 「待って」  声を上げた祐貴に、ヴェダが怪訝そうに振り返る。祐貴は恥ずかしさを押し殺し、ヴェダに訴えた。 「う、動けない」  ヴェダは呆れた顔をして、大きく息を吐くとまた祐貴の元へ戻ってきた。そして、祐貴を担ぎあげる。どうやら運んでくれるらしい。情けない格好で祐貴は何ともいたたまれない。 「……頑張るから…ちゃんと、体力つけて、体鍛えるから」  気付けば、縋るようにそんな言葉が漏れ出ていた。これではまさしく、捨てられないように媚びているようで、我に返った祐貴は慌てて口を噤んだ。  そもそも、体と引き換えに城に連れて行ってもらう約束をしたのだから、いくら呆れられようが嫌われようが、途中で投げ出されるのは契約違反だ。体に飽きても城に行くまでは世話してやるとこの男は言った。男の態度にびくびくとする方がおかしいのだ。 「ま、死なない程度に頑張るんだな」  肩に担がれているためヴェダの表情は見えないが、ふっと吐息交じりに言われ、祐貴はほっと息を吐いた。いくら心で大丈夫だと思っていても、まだ見捨てられてはいないことが解ると心は明らかに安堵していた。

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