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第四章 -5
外は寒かったが、集会場に一歩入るとそこには独特の熱気が溜まっていた。食事はすでに始まっていて、がやがやと騒がしい。ならず者の集まりらしい、マナーに欠いた食卓だ。しかし、ヴェダがやってくるとそのボリュームは下がり、視線がこちらに集まった。
集まっているのはざっと二十人近い。誰もが一癖も二癖もありそうだった。そのうちの何人かは昼間見た顔だ。
ヴェダは注目されるのに慣れているようだが、祐貴は体が強張るのを止められなかった。ヴェダの肩から乱雑に床に下ろされ、なんとか両足で踏ん張る。そろそろ、動けそうだ。
「遅くなったな。こいつが今日から入ったユゥキだ」
ヴェダが祐貴を指差し全員に告げる。すでに話が伝わっていたのか、エラーのときのように驚く声は上がらない。
「そんなへなっちょろくてやっていけんのかぁ?」
代わりに、ひとりの男が声を上げた。そいつは祐貴が走っている途中に野次を飛ばしてきた奴だ。見覚えがある。
どっと笑い声が上がり、周りからも次々と声が上がりだす。
「ちょっと走っただけでふらふらしてたよなー」
「でもへばってる顔はちょっと色っぽかったなぁ。喘いでるみてぇでさぁ」
「お前はそればっかだな」
「色も白いし、腕とかほっせー」
馬鹿にする言葉に祐貴はむっと思いながらも、何も言えずぎゅっと口を噤んだ。事実であるから言い返しようもないのだ。
「やっていけるようにしてやるのがお前らの仕事だろうが」
笑い混じりでそう言いながら、ヴェダは一番奥の上座に向かう。祐貴がそれについていくと、側に立っていたスキンヘッドの男が酒瓶を祐貴に向けた。
理知的なその顔にも見覚えがある。祐貴は反射的に渋い顔をしてしまった。
男がニヤリと笑う。
「俺はファイエットだ。よろしくな、ユゥキ」
「……よろしく」
どういう態度を取っていいか解らず、祐貴はとりあえず言葉を返す。そして、手元に押しつけられた酒瓶を受け取った。
「それ持って、全員に挨拶して回れ。とにかく顔をまず覚えろよ。お前は特徴的だから皆すぐ覚えてくれるだろう」
それだけ言うと、ファイエットはすでに席について食事を始めているヴェダの隣へと向かう。
戸惑う祐貴はヴェダに視線を向けるが、彼はこちらをまったく見ようともしない。祐貴の存在をまるで無視している。自分一人で挨拶回りに行けということだ。
「……」
嫌だなんて言う権利はない。祐貴はぎゅっと酒瓶を握りしめ、とりあえず一番近くのテーブルへ向かった。
「お前ヴェダのオンナなんだろー?なんで大人しく街で囲われてねぇの?わざわざ虎に入っちゃう奴なんて初めてだろ」
「つーか男がはじめてじゃねぇか?」
「お前女より具合いいの?肌は気持ちよさそうだなぁ」
どこへ行ってもそんな下卑た言葉を掛けられる。
祐貴は城へ行くためにヴェダに体を差し出したのであって、囲われるためではない。しかしそれをいちいち説明する気もなく、祐貴はただ無愛想に「よろしく」とだけ言って、事務的に酒を注いで回った。
「よう、ユゥキ。俺のこと覚えてるか~?」
三つ目のテーブルへ回ったとき、太った男が慣れ慣れしく肩を抱いてきた。不快に眉を寄せ、その腕を振り切る。
祐貴はその男を覚えていた。そして、その男の隣にいる背の高い男も。
「ユゥキっつーんだなぁ。言葉喋れんじゃん。俺、マルトな」
「そうそう、俺はケントだから。よろしくなぁ」
ひょろっとした男が名乗ると、顎鬚を生やした太った男も名乗った。
「ああ、そういやこいつ、最初はケントたちが盗ってきたんだったよな」
「そうそう、あのとき宝物庫に持っていかないで最初っから懐に入れてりゃ良かったぜ」
他の団員の声に、ケントはがははと豪快に笑う。この男には襲われそうになった苦い思い出がある。祐貴はさっと距離を取った。
「あはは!ケント超嫌われてるじゃねーか!」
「冷てーなぁ。城の兵たちから助けてやったの俺たちなのにさぁ」
そう言われればそうかもしれない。が、その後の行動を考えれば恩を感じるはずもない。
その後もたくさん絡まれながら、祐貴は何とか全員に挨拶をして回った。
ただでさえ動けないほど疲れていたのに、祐貴はさらにぐったりとなった。よろよろとヴェダの元へ寄ると、今度は彼と目が合った。ポンポンと隣をたたかれ、そこに来いという意味だと受け取り、祐貴はそこへ腰かけた。
祐貴の前に料理が積まれた皿が突出される。明日からのことを思うと食べなければすぐに脱落してしまうだろう。
しかし、食欲がない。
「食え」
短くヴェダが言う。
祐貴はしぶしぶ、料理を口に運んだ。
周りは祭りのように騒がしい。
祐貴はここにとても馴染めそうにないと思う。しかし、馴染む必要などないのだ。祐貴は盗賊行為には加担しない約束だし、城に行けばそれでサヨナラなのだから。
◆◆◆
「赤ん坊みたいだな」
苦笑しながらファイエットが言う。その通りだな、とヴェダも思った。
先ほどまで隣でしょぼしょぼと料理を食べていたはずのユゥキは、口にジャガイモを突っ込んだまま舟を漕いでいた。食べながら眠るなど、まさに赤子だ。
ファイエットが溜め息を吐いた。言いたいことはヴェダも解る。この先を思い遣っているのだろう。
「そいつを持っていて得はあるのか?」
ほとんどの人間はユゥキが虎に入ることに、特に疑問も抱いていないだろう。ヴェダが決定したことだから、久しぶりに人間が増えた、としか思っていない。いや、ヴェダのオンナだと愉しんでいる節もある。しかし、ファイエットだけは心にしこりを抱えているようだ。それは、ユゥキが魔導国師団、しかも第一連隊に追われている事実をファイエットにだけは告げたからだろう。
「厄介事を抱え込んだだけだろう」
ユゥキの体が傾いだ。ヴェダの肩にこてりと頭が乗る。その衝撃にも気付かずに、ユゥキは完全に夢の世界へと旅立っている。
ヴェダは無言でユゥキの頭を自らの膝へ導いた。そして、その艶やかな黒髪を柔らかく梳く。腰はあるが柔らかいそれは、撫でていて心地いい。
その行動に、ファイエットは目を瞠る。
「まさか、本気で執着してるのか?そいつに」
ヴェダはその問いに答えずに、ただにっと笑んだ。ファイエットが驚くのも無理はない。今まで膝に誰かを乗せるなど、それこそ娼を跨らせるくらいしかないヴェダだ。
ヴェダは確かにユゥキに興味がある。抱いてみたい。しかし、絶対に手放したくはないというほどの執着はない。以前失くしたときは後悔の念を抱いたが、一度寝てしまえば欲求は満たされるだろうと思っている。
「なんでこいつがあいつらに狙われているのか、その理由をまず調べたい。それが解ればこいつは使える。いざというときの取引材料にな」
「仲間を売るってのか?掟に反する」
「こいつはまだ俺たちの仲間とは言えないだろ。全員、俺のオンナって認識しかしてない。本当に仲間になったなら、全力で国師団から護ってやる。だけど今は奴らとの取引材料だ。あいつら、これをどうしても手に入れたいみたいだからな。厄介だが、かなり使える奴だろう?」
ヴェダは口角を上げ、獰猛に微笑む。城へ行くまでユゥキの世話をしてやると言った言葉は嘘ではない。何事もなければ、の話だが。
ファイエットは再び溜め息を落とすと、あどけなく眠るユゥキに僅かに憐憫を込めた視線を送った。
「それより、明日五人タンザのところに遣るから。もう決めてるか?」
ヴェダは話を変えた。
「ああ、橋の修復だろう。ちゃんと城の一番近くの橋に配属されるのか?」
「タンザのことだ。そこは大丈夫だろ」
もうすぐ、国の公共事業が始まる。今年はマーシィアに架かる橋の修繕で、主に仕事が休みである農夫たちがそれに加わる。その中に、何人か虎の団員を入れておきたかった。そうすればそれなりに国の中枢に関わる者と繋がりを作ることができる。一番の警備を誇る白椿城を狩るために必要な情報を得たい。
「ライト、フェン、コリィズ、ディード、パーロゥでどうだ?」
挙げられた五人の仲間の名に、ヴェダはさっとそれぞれの顔を見遣る。皆今は飲み食いに忙しそうだ。
「悪くない人選だな」
五人は全員見た目は大人しいが、中身は大胆な面々だ。潜入には向いているだろう。
「あー、お頭がいちゃいちゃしてるぜぇ!」
不意に、遠くから声が上がった。皆の視線がさっとヴェダとユゥキに向けられる。
「ずりぃよ、ヴェダだけさぁ!俺今から娼買いに行こうかな」
「じゃあ、俺も行くぜー」
数人は立ち上がり、早速ランドックの街へ繰り出そうとしている。たぶん明日まで帰って来ない気だろう。
「なーヴェダ、俺たちにゃ貸してくれないわけ?」
特に羨ましそうな視線を送るケントに訊かれ、ヴェダはそう言えば、と思いだす。ケントは最初、ユゥキを犯そうとしていた。まだその欲求を持てあましているのか。
「あ、俺も試してみたいかも」
男もいける面々が手を挙げる。ヴェダのものだという付加価値が加わって、結構興味を引いているらしい。よほど床上手だと思われているのだろう。
「こいつと犯りたいなら、口説けばいいだろ。合意なら幾ら犯っても掟に反しないしな」
仲間内で強姦は禁止だが、合意ならどんな行為をしようと構わない。先ほどは仲間と思っていないと言いつつも、建前でヴェダがそう答えると、ケントは嬉しそうに笑った。
「なら、ヴェダの了承はいらねーんだ?」
「まあな」
そうは言ったものの、ユゥキが誰かに体を許すとも思えなかった。もともと男に抱かれる趣味もない人間だ。
しかし、たとえユゥキが他の誰かに惚れ、体を許そうとも咎めようとは思わない。
湧きたつ数名を余所に、ヴェダはもう一度ユゥキの髪を梳いた。本人はまさか、こんな会話がなされているとは思うまい。
隣に座るファイエットが三度溜め息を落としたのを、ヴェダは無視することにした。
◆◆◆
「アイザ様、カイン様がお着きになりました。応接室にお通ししていいですか?」
シッチの声に、アイザは向かっていた机から顔を上げた。走らせていたペンを止めると立ち上がる。
「ああ、すぐ行こうか」
「はい、お茶で良かったですか?」
「カインが酒だと言っても茶を出してくれ」
「ふふっ、解りました!」
ぱたぱたと掛けて行くシッチを見ながら、アイザも廊下を歩き出す。
「待たせたな」
「いや、別に」
応接室に入ると、カインが寛いだ様子で腰かけていた。アイザはその向かいに座る。
昨日から橋の修繕作業が本格的に開始した。責任者であるアイザとカインは、明日からは視察に回り、最終的にはそろって王都へ出向かなければならない。その打ち合わせのため、カインはわざわざやってきたのだ。
「失礼します。お茶お持ちしました!」
すぐにシッチがティーセットを抱えてやってきた。本当はトルの仕事だが、シッチは最近仕事に燃えているらしく、なんでもやりたがる。
「あったかいな、助かる。外はもう寒いのなんのって」
カインの言葉にふと窓の外を見れば、暗い中に雪がうっすらと降っている。このまま夜通しで降り続けば、積もるかもしれない。
「そういや、まだユゥキに会ってないな。今日は休みか?」
カインに特別な意図はないのだろうが、不意になげかけられた言葉に、シッチもアイザも固まった。
「ん?どうした?」
「いや…」
首を傾げるカインに、アイザは首を振った。
「ユゥキは、国に帰ったよ」
それを告げると、シッチは「失礼します」と頭を下げ、すぐに部屋から立ち去ってしまった。
あの日は、今季初めての雪が降った日だったな、とアイザは思い返した。
王都からグラッドストンの屋敷に戻って、もう数日が経つ。しかし、いまだにアイザは気持ちを引きずられていた。
あの日、城でディズールに事の詳細を話した後、アイザは再びイリスの店へ赴いた。壊された彼女の店も心配だったし、ユゥキの行方を捜したかった。
「アイザさん…!」
アイザの姿を見るや、イリスは泣きそうな、辛そうな顔をした。
「ごめんなさい、一目会ってって、言ったんだけど…引きとめられなくて…ごめんなさい」
そう謝る彼女の言葉の意味は、すぐに理解できた。
「ユゥキが来たんですか!!」
「来たのだけど…もう、行ってしまいました。知り合いに会ったそうで…国に、帰れるって…」
その言葉を聞いた途端、頭が真っ白になった。知り合いというのは誰だ。ファイラか。いや、それよりも、国に帰ると…
「ニホンに、帰ったのか…?」
アイザはニホンの場所を知らない。ユゥキがこちらに来ない限り、もう、二度と会えない。
「ニホン…?ユゥキは、テイ出身だって、言ってましたけど…」
戸惑ったようなイリスの声に、アイザは我に返った。どうやらここでもユゥキは嘘を吐いていたらしい。
「いや、うん…」
暈しながら、アイザは目を閉じる。ユゥキはひたすら帰りたがっていた。だから、これは良かったことなのかもしれない。ユゥキの幸せを思うなら、喜ばしいことだ。しかし、それでもやはり側にいて欲しいという気持ちが捨てきれない。間に合うものなら無理やりにでも引きとめたい。ユゥキに会いたい。
「あの…ユゥキが、『たくさん出世して、立派になってね』って、アイザさんに伝えて欲しいって…」
その言葉を聞いて、アイザは泣きたくなった。出世をするのはアイザの夢だ。ユゥキがそれを応援してくれていたのは知っている。それなのに、自分は、ユゥキの夢――故郷に帰るということが叶ったのを喜んであげられない。傲慢に過ぎる。
「わかった…伝えてくれてありがとう」
その言葉を最後に、アイザは店を辞そうとした。再び城に赴き、ユゥキが国に帰ったということをディズールにも伝えなければならない。
「…あの、アイザさん」
去ろうとするアイザをイリスが呼び止める。アイザが振り返ると、イリスはにっこりと笑った。
「あの…機会があったら店に寄ってくださいね。パンを、とびきり美味しいやつを、御馳走しますから」
その後ディズールに報告すると、ユゥキの捜索は一端打ち切ろうという話になった。一応魔導院の行動に目を光らせておくと言うディズールに従い、アイザは自治領へと戻った。幸か不幸か、仕事も大詰めでこれから忙しくなってくる。
屋敷の者にも、ユゥキが国に帰ったとは伝えた。魔導国師団との一件は、上層部の手違いだったということにしておいた。ディズールから受け取った見舞金で、魔導国師団に対する不満を募らせながらも、一応はその言葉を信じてくれている。しかし、それでも皆暫くは寂しそうだった。特にシッチは、未だにしょんぼりとしていることが多い。
アイザも本当は、今もユゥキを探しに行きたい。まだこの国のどこかにいるのではないかと都合のいいことを考えてしまう。
しかし、仕事を投げ出すこともできない。
「そうか…まあ、お前もはやく吹っ切れて結婚でもするんだな」
全てを見透かしたようなカインの言葉に、アイザはぎくりとした。カインはアイザの気持ちに気付いていたのか。
「お前は解りやす過ぎるんだよ」
そう笑う幼馴染に、アイザは何と言っていいか解らず眉を下げる。
「……今は、結婚よりも仕事だ」
アイザは首を振ると、話を打ち切って明日からの日程の確認を始めた。
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