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第四章 -6

◆◆◆  ウィスプの森のアジトに来てからの数日、人間とは慣れるものである、ということを、祐貴は身をもって実感していた。 「ん…」  太陽が顔を出す頃、自然と祐貴は目を覚ました。初日こそエラーに叩き起こされたが、すぐにどんな時間に眠ろうが、くたくたに疲れていようが、同じ時間に目覚めるようになった。  あまり質がいいとは言えないベッドで、もぞりと身を捩らせる。掛け布団を剥ぐと、ひやりとした空気が入り込んできてぶるっと体が震えた。祐貴はさっとベッドから下りると、服を着込んだ。すぐにでも掃除を始めないと、時間はあっという間に経ってしまう。 「今日はいないか…」  くるりと周りを見渡して、祐貴はぽつりと呟いた。ここはヴェダの暮らすロッジであり、今、祐貴が眠っていたのは彼のベッドである。部屋にはベッドは一つしかないため、自然、祐貴はヴェダと一緒に眠ることとなった。  他人、しかもあまりいい印象を持っていない相手と一緒の布団で眠るなど不快でしかないと思うが、祐貴は贅沢を言える立場ではない。しかも、今日のようにヴェダは部屋にいない日が多々あった。かえって一人で使うことの方が多いくらいだ。それに、ヴェダがいるときはいるときで、目覚めると隣で眠りこけているのだが、その体温をすぐ側で感じても祐貴は特に不快感を覚えないのだ。頭では嫌だと思っているはずなのに、気持ちは不思議なほど落ち着く。むしろ、目覚めてヴェダがいないと一抹の寂しさすら感じる。  眠るときだけではない。思い返してみれば初日からだ。何故かヴェダといると安堵する。嫌なはずなのに、認めたくはないが、気持ちの片隅で側にいたいと感じていることに祐貴は気付いていた。その思考と感情のちぐはぐさは、まるで自分が自分でないような気持ち悪さと怖さがあった。  祐貴はロッジを出るとまず水浴び場に向かった。陽が顔を出し始めたと言えどまだ薄暗い中、祐貴以外の人間はほとんど眠っている。  井戸の水で顔を洗うと、その隣にうず高く積まれている洗濯ものに目を遣る。結構な数と汚れのそれを抱えると、祐貴は一つ気合をいれて、洗い物に取り掛かった。  かじかむほどの冷たい水で洗濯を終えれば、次は掃除だ。水浴び場と集会場と調理場を順に回っていく。  最初こそ、本当に今までは掃除していたのか、と疑いたくなってしまうほどの汚さに骨を折ったものの、毎日掃除していくうちにどこもそれなりに綺麗になってきた。その分掃除も楽になっている。  最後の仕上げと調理場の台を拭き上げたとき、入口の扉が開いた。 「よお、早いなユゥキ。ご苦労さん」  労いの言葉と同時に入ってきたのはファイエットだった。祐貴はぺこりと会釈だけ返しながら、しらじらしい、と思った。  ファイエットが、ロッジを出た時からずっと自分を監視していたことに、祐貴は気付いていた。初めてその存在に気付いたのはここに来て五日目のことだった。その後毎日なのだから、その前も監視していたことは想像に難くない。きっとファイエットから見れば祐貴は信用が置けないのだろう。毎朝祐貴を手伝うでもなく、ただこっそりと眺めているのだ。  いつもそのまま祐貴の前に存在を現さずにどこかに行ってしまうのだが、今日は出てきたということは、今朝は彼が食事当番なのだろう。 「ユゥキが来てからどこもかしこも随分と綺麗になったもんだ」  磨き上げられた調理場を眺めながら、ファイエットが言う。 「お前さん、随分と真面目だなぁ」  その言葉は褒めていると言うよりも、少し呆れた響きを持っていた。祐貴からしてみれば、今までが汚れすぎていただけでべつに祐貴が真面目なわけではない。普通なだけだ。  しかし、言葉にはしない。 「なんでそんな奴がこんなところに来たんだか……」  呟くような言葉は祐貴に向けられたわけではないようだが、祐貴はなおも沈黙を続けた。 「まあ、これで家畜小屋も掃除してもらえりゃ一番なんだがな」  家畜小屋だけは、祐貴は掃除をしていない。というのも、近付けないからだ。祐貴がそこに行こうとすると、必ずヤギが怯えたように鳴きながら暴れ出す。馬の時と同じ反応に、祐貴は少し哀しくなりながらも、家畜小屋の掃除だけは免除となっている。 「おはよっすー。ああ、今日はファイエットとか」  再び調理場の扉が開き、入ってきたのはケントだった。祐貴はゲッと表情を歪め、布巾を握りしめた。食事の当番はだいたい二、三人で、今日はケントとファイエットの二人のようだ。 「おっ、ユゥキじゃねーか」  案の定、ケントは祐貴を認めると嬉しそうに側に寄ってきた。 「昨日もお楽しみだったのか?毎日ヴェダばっかりじゃマンネリで飽きるんじゃねぇか?今日は俺が相手してやろうか、なあ?」 「さわるなっ」  にやっと笑いながら、ケントの大きな手が祐貴の臀部に伸ばされる。それが触れる前に祐貴はバチンと叩き落とした。 「おお、いってぇ」  そう言いながらもケントはまるで堪えた様子もなく、漫然と笑みを湛えている。 「ナニのデカさじゃヴェダに負けてねーと思うぜ?最高に善がらせてやるって」  尚も下品なことを言いながら擦り寄ってこようとするケントを、祐貴はあからさまに嫌悪の表情で睨みつけた。 「うるさい、近寄るな」 「つれねぇなぁ。でもその目もなかなかそそられるもんがあるぜ」 「ケント、朝っぱらから盛ってないで、さっさと飯作るぞ」  ファイエットの呆れた声が飛んできた瞬間、祐貴はさっとケントの脇を避けて部屋の外に飛び出した。  ケントは無視するに限る。これもすぐに学んだことだ。  調理場から集会場へ続く廊下へ出ると、すでに数人が起きだしていた。 「おー、ユゥキ、はよー」  何人かは祐貴の姿を見て声をかけてくる。 「…おはよう」  長いミルクティー色の髪を後ろで束ねた優男――ジーンに、祐貴は一応返事を返す。彼は見た目だけは柔らかいので、話しやすいというのもあった。が、即座に返さなければよかったと後悔した。 「昨夜は何回やった?」  にやにやと笑いながらジーンが訊ねてくる。何を、とは聞かずとも解る。毎日のように誰かしらに訊かれていることだからだ。祐貴はまたか、と舌を打った。 「あれ、昨日はお頭ランドックじゃなかったっけ?エルザのとこだろ」  祐貴が何かを言うより先に、ジーンの隣にいた男が突っ込みを入れる。 「あ、そうなんだぁ。娼に取られちゃった?じゃあ体が寂しいんじゃねぇのぉ?俺、慰めてあげよっかぁ?」 「いらない」 「ヴェダに遠慮することはないよ?合意ならやっていい、って言ってたし」 「いらないって言ってるだろ!」 「よっぽどヴェダがいいんだねぇ。ヴェダってそんなに上手いんだ?俺もそれなりに上手いよ?」  そんなこと、知るか!!どいつもこいつも……!!  心の中で罵りながら、祐貴はどすどすと大股でその場を立ち去った。後ろからくすくすと笑いが聞こえ、余計に頭に血が上った。  今、一番祐貴が嫌なのは、掃除や洗濯でも、吐きそうなほどきつい訓練でもなく、こういったセクハラじみたからかいだ。  本気で祐貴を犯したいと思っているような輩もいれば、祐貴自身にはまるで興味はないくせに、下ネタを投げかけてからかってくる奴もいる。そのどちらもが祐貴がとんでもない淫乱であるような言い方をするのだ。  そもそも、祐貴はヴェダに抱かれると言う契約でここに来たのだから、仕方ないと解ってはいる。しかし、嫌なものは嫌だ。不快だ。  それに何より、祐貴はいまだヴェダに抱かれてはいないのだ。  毎日掃除や訓練でへとへとに疲れてしまう祐貴は、ヴェダがベッドに来るより早く眠ってしまう。そんな祐貴に、ヴェダは手を出してはこない。それをいいことに、祐貴は自分からその話題をヴェダに振ることもなく、ずるずると今に至ってしまっている。ヴェダはヴェダで娼を買いに行っているようだし、祐貴を抱きたい欲求もなくなっているのかもしれないと祐貴は少し楽観している。これであのからかいさえなくなればいいのに、と思わずにはいられない。 「はぁ…」  吐いた溜め息は誰にも聞かれることなく、冷えた空気の中に紛れて行った。 「結構体力ついてきたんじゃねーの」  顔を覗きこんできたエラーの言葉に、祐貴は応えることができなかった。代わりに荒い息がぜいはあと漏れる。  朝食後、いつもの訓練である。初日と同じメニューを毎日繰り返しているが、エラーの言葉通り、随分慣れてきたと祐貴自身も思う。きついのは変わらず、走り終えた後は倒れ込んで息を乱しているが、回復も早いし持久力も付いてきている。 「おお、上達早いんじゃねぇ?」  エラーの隣に立っていたマルトも同意して頷く。いつもエラーと二人の特訓だが、今日は暇だといってマルトもついてきたのだ。 「ああ、早いよ」  そう言うエラーに、祐貴は倒れ込んでいた体を起こした。これは褒められているのだろうか。体力がつくのが早いのは、純粋に嬉しいものだ。  しかし、エラーはマルトの方を向くと、祐貴を指差して続けた。 「だってこいつサボるってこと知らねぇもん。馬鹿みてぇに真面目」  真面目、とは今朝も聞いた言葉だ。エラーの今の言い方も、今朝のファイエットに近い響きがある。祐貴をどこか嘲っている。 「サボる…って…」  思わず祐貴は口に出していた。訓練は城に忍び込むと言う目的のためには必要なものだし、なによりエラーが付いているのだからサボりようもない。 「新人はだいたい何回かサボるよな、きつくてやってらんねぇって言って」  エラーが言うと、マルトも頷く。 「エラーんときもすげーサボってたよな。いかに掃除しないかとか訓練しないかとかに命かけてたな。その分成長遅かったけど」 「うるせぇ。しかも後からジーンにぶん殴られたしな」 「ジーンならまだいいぜ。ファイエットにやられてみろ、翌日使いもんにならねぇぜ」  ケラケラと笑いながら交わされる会話に、祐貴は脱力した。やっと解った。祐貴にとっての普通は、この人たちにとっては普通ではないのだ。祐貴はこのウィスプの虎の面々からすれば、見た目だけでなく、中身も異質なのだろう。 「あ、そうそう。次、腕立て五十回な」  会話の中から思い出したようにエラーに言われ、祐貴は無言でとりかかった。なんと思われようとも、自分基準の普通でいようと決意して。  無言で腕立てを始めた祐貴を横目で見ながら、マルトとエラーは声音を落とした。 「ま、根性だけはあるやつだよな。エラーの無茶な注文もなんだかんだこなすし、掃除もピッカピカになるまでちゃんとやるし。ただのヴェダのこぶだと思ってたけど、悪かないよな」 「ほんと、くそ真面目………まあ、嫌いじゃねーけど。でも、こいつさぁ…なんつーか…」 「ん?なんだよ、エラー」 「……いや、何でもない。それより今日はヴェダいつ帰ってくんの?」 「ああ、えーと…確か……」  その二人の会話は、集中している祐貴の耳には届かなかった。

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