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第四章 -7

 湯を絞った手拭いで体を拭き上げながら、祐貴は大きく息を吐いた。もうとっくに夜は更けっているが、今から出かける者も多いようで、外はいまだに騒がしい。  対照的に祐貴一人きりのロッジ内は静かだ。ヴェダは今日も帰って来ないのかもしれない、と思いながら、祐貴はそっとベッドに横になった。  今日も今日とて疲れ切った体は、ベッドの暖かさにすぐ眠気を連れてくる。特にやることもないので、祐貴は欲に従って瞼を落とした。そのとき。 「寝るには早いんじゃねぇのか?」  不意に耳元で響いた声に、どきりと心臓が跳ねた。 「な…に…」  重い瞼を上げれば、薄暗い中に獣のような緑の目が煌めいて見えた。ヴェダだ。横になった祐貴の隣に腰かけ、顔を覗きこんできている。  いきなり現れた存在に、祐貴は混乱する。ついさっきまで祐貴一人きりだったはずだ。それなのに、何の物音もせずに急にヴェダは現れた。  そんな祐貴の驚きに気付いたのか、ヴェダはクッと笑う。 「このくらい基本だろうが。お前もこれくらいできるようになれよ」  ああ、そうか、と祐貴は夢の世界に傾きかけていた思考で妙に納得した。 「随分真面目にやってるみたいだな」  また真面目と評され、祐貴は僅かに眉間に皺を寄せた。そんな祐貴の表情が可笑しかったのか、ヴェダは更に笑う。 「こっちも真面目に取り組んでほしいんだけどな?」  そう言いながら、顔が近付いてくる。  ――ああ、嫌だ。ついに来てしまった。お前は娼を買って来たんだろう。もう俺はいいだろ。嫌だ、嫌だ…  そう思いながらも、祐貴は顔を逸らせなかった。瞼を再び閉じて唇に柔らかな感触を受けた瞬間、疲れて体が動かないからだ、契約したから仕方ないのだ、と、祐貴は誰にともなく言い訳のように繰り返した。  ぬるっとした感触が唇を撫ぜ、祐貴は自然とそのあわいを開く。口腔内に侵入してきたヴェダの舌は縦横無尽に動き祐貴を翻弄させた。鼻から高い声が漏れ、嫌だ、嫌だと叫ぶ思考がだんだん溶けていく。 「…ふっ…」 「…お前、寝ぼけてんの?」  ふと唇が離れ、どこか訝しんだ様子でヴェダが訊いてくる。意味が解らずに祐貴はうっすらと目を開いた。 「まあ、乗り気なのはいいことだけどな」  次いで発せられたヴェダの言葉に、祐貴はやっと理解した。無意識のうちに、両手を伸ばしてヴェダに縋りついていたのだ。  そんな自分の行動が信じられなくて、祐貴は首を振った。なんでこんな奴に自らひっつこうとしているのか、自分でも解らない。それなのに、ヴェダの服を掴んだ手は離せない。 「違う、これは…違う…眠い…」  混乱と眠気で口からは上手く言葉が出てこない。 「違う、俺は……」  泣きそうな気分になって、祐貴の本能はこの状況から逃げる道を選んだ。  すなわち、眠ることを。 ◆◆◆  泣きそうな表情のまま寝息を立てだしたユゥキに、ヴェダは呆れ切って溜め息を吐いた。 「対価はいつ払うんだ」  呟いて、ごろりと祐貴の横に寝ころぶ。  ユゥキを拾ってから暫く経つ。さすがに眠っている相手にどうこうする趣味はなく、仕方なく手を出さないまま過ごしてきた。しかし、ユゥキもここの生活に慣れてきたし、今日は珍しくヴェダが戻ってきたときまだ起きていた。  やっとか、と思った矢先、これだ。しかし、ユゥキに興味を失ったわけではないのだが、ヴェダの中に苛立ちや焦りはなかった。  我ながら懐の広い男だな、などと一人嘯いていると、コンコン、と扉をたたく音が響いた。  ヴェダはすやすやと眠るユゥキをちらりと見てから、掴まれていた手をそっと外して扉に向かった。開けば、ファイエットが立っている。 「どうした」 「報告だ。いいか?」 「ああ」  ファイエットをロッジ内に招き入れ、室内の明かりを大きくしてから向かい合って座る。ユゥキはそれでも気付かず眠っている。  ファイエットは一目寝息を立てるユゥキを見てから、ヴェダに向き直った。 「この坊やもだいぶ馴染んできたな」 「そうだな」 「エラーたちも幾らか気に入っているみたいだ。ウチの中じゃ珍しい真面目腐った普通の人間だからな。おもしろいんだろ」 「そうか」 「…もう、取引材料とは言えないんじゃないか?」  どこか愉しそうに、ファイエットが言う。ヴェダは口を閉じ、考え込むように顎に手を当てた。 「………お前、監視してたんだろう?」  ファイエットが頼まれもしてないのにユゥキの動向を監視していたことをヴェダは知っている。 「まあな。頭が誑かされたらいかんだろうと思ってな」  冗談めかして言っているが、その言葉が本気であることもヴェダには解っていた。ウィスプの虎の頭はヴェダであるが、ファイエットという人物がいて初めて、この組織は成り立っているのだ。  そんなファイエットが「取引材料とは言えない」と言っている。つまり、ユゥキを危険人物とはみなしていないと言うことだ。国師団に狙われている、という明らかに厄介事を抱えた人物であるが、仲間とみなしてやってもいい、と。 「……こいつ…俺のこと好きすぎだろ」  ぽつり、とヴェダは零した。思わず口を吐いて出たひとり言のようなものだが、ファイエットは直ぐにそれを拾った。 「なに当たり前のこと言ってるんだ?こいつはお前に惚れこんで虎にまで入ってきたんだろうが。お前が性欲処理としか思ってなかろうと、こいつはお前を慕ってるんだろ」  心底不思議そうなファイエットの言葉に、ヴェダはそう言えば、と思う。ヴェダとユゥキの間でなされた取引はファイエットにすら言っていなかった。 「まあ、そうだな…」  表面では頷きながら、ヴェダはファイエット以上に不思議な気持ちでいっぱいだった。  ユゥキは明らかにヴェダに並々ならぬ好意を抱いている。ふとした時にそれと知れるほどユゥキの反応はあからさまだ。先ほどのヴェダを掴んできた手がいい例だ。ヴェダを見てほっとしたような表情を見せるし、離れようとすれば寂しそうに、縋りつきたそうにしているのが解る。  だが、それと同時にユゥキがヴェダを――ウィスプの虎を嫌っていることも知っている。少なくとも、表面上は嫌っている…ふりをしている。売りさばかれそうになった過去もあるのだし、男と寝る趣味もなく体を差し出せと言われたのだから、嫌うのは解る。むしろ、なぜそんなヴェダに好意を抱いているのかさっぱり理解できない。それに、どちらかといえばユゥキはあのグラッドストン伯を心底慕っているように思えたのだが。  ただ、一つ言える。盗賊団の頭といえど、懐かれれば情も湧く。苛立ちがないのも、ユゥキに心から拒む気持ちがないと知れているからなのかもしれない。 「そうだな…取引材料とは呼べねぇな」  もともと、取引材料といったのはおまけのようなものだ。  そのヴェダの言葉に、ファイエットは満足そうに頷いた。  翌朝、ヴェダが目覚めると隣にいたユゥキの姿はすでになかった。すでに温もりすら残っておらず、ヴェダはもう陽が高い所にあることを知った。 「ヴェダー!」  朝食を済ませて外に出たヴェダは、威勢のいい声に振り返った。見ればそこには黄色い頭を揺らしピョコピョコと跳ねるエラーと、その足元でぐったりと寝ころんでいるユゥキがいる。  ユゥキはヴェダに気付くと、ほっと安堵したような笑みを見せた。しかし次の瞬間にはぎゅっと眉間を寄せて戸惑うように瞳を揺らす。  やっぱり俺のこと好きだよなぁ、と他人事のように思いながら、ヴェダは二人に寄っていった。 「よお、へばってるな」  ユゥキに声を掛けると、彼はプイと顔を逸らした。その様子にくつくつと笑いながら、今度はエラーに視線を遣る。 「どうだ?」 「なかなかかんばってるんじゃねーの?明日の狩りは絶対無理だけどさ」 「そりゃそうだろ」  明日、商隊を狙う算段をつけているが、たとえユゥキの実力が参加するほどまで培われていても、窃盗や殺しはさせないという契約だ。参加をさせるわけにはいかない。 「狩り…?」  戸惑うような声が足元から聞こえ、そちらを見遣ればユゥキが訝しげな顔でヴェダとエラーを見上げていた。 「明日、ザンドの商隊が荷を持って森の東を抜ける。それをまるごとかっさらうのさ!久しぶりのでっかい獲物だ!」  興奮気味に言うエラーとは対照的に、ユゥキの顔は曇っていく。  明日、ザンドの商隊が通るルートをタンザから買っている。それなりに大きい商隊らしく、上手く行けばかなりの儲けになる。昨夜ファイエットがヴェダの元を訪れたのもその打ち合わせをするためだ。  ユゥキが来てからこういった大掛かりな強盗行為は初めてだ。個人がこまごまと盗んできたことは多々あったが、そのどれもユゥキの耳には入っていなかったに違いない。 「お前は留守番だ」  ヴェダが言うと、ユゥキは一つ頷いたがその表情は晴れないままだった。  ウィスプの虎の所業を目の当たりにしたとき、ユゥキは今向けている好意を失くすだろうか。本気でヴェダを忌み嫌うだろうか。ふとそんなことを考えかけ、ヴェダは自嘲気味に笑った。だから何だと言うのだ。 「留守番中もしっかり体鍛えておけよ」  そう言った後、エラーと二三言言葉を交わし、ヴェダはその場を後にした。 ◆◆◆  ヴェダの背を見送る愉しそうなエラーを見ながら、祐貴はがっかりしている自分に気付いた。 「そんなに嬉しいのか…?」  心からの疑問だった。明日、彼らは強盗に行くと言う。それを活き活きと嬉しそうに鼻歌交じりに語っている。 「そりゃ楽しみさ。ザンドの商隊だぜ?織物に塩に…金とかもあるかもしれねーな」  そのエラーの答えに、祐貴はさらに落ち込んだ。もともと最低な人間たちの集まりだと解っていたはずなのに、本当に盗賊なのだ、と思い知らされた気がして、祐貴は悲しくなった。  エラーという人間は、少し乱暴な所があるが、素直で明るい、状況さえ違えば仲良くなれそうな人柄だ。しかし、彼もやはり盗賊の一味なのだ。どこかで期待をしてしまっていた自分が悔しかった。 「なんで、盗賊なんかになったんだ」  そのため訊ねる声は、責めるような響きになってしまっていた。エラーはぴたりと鼻歌を止め、祐貴を見る。祐貴の非難を感じ取ったその顔からは笑みが消え、祐貴ははっと口を噤んだ。 「生きてくために決まってんだろう」  当然とばかりに言うエラーに、祐貴はしばし悩んで、思い切って反論してみた。 「……生きていくなら、他にも仕事はあるだろ」  そう、貧しくても細々と生きることだって可能だ。 「ねぇよ。俺、お尋ね者なんだぜ?つかまりゃ首括られんだよ」 「それは…盗賊になったから、お尋ね者になったんだろ?」 「いいや。俺は親父を殺したから極刑――だからここに逃げ込んだんだ」 「え…?」  祐貴は言葉を失い、ただ茫然とエラーを見返した。 「親殺しは死罪――たとえそれが最悪最低のクソ野郎でもな」  エラーの表情がぐっと歪む。しかしそれは一瞬で、エラーはふん、と鼻を鳴らして笑った。 「つーか、騒いだり暴れたりするのが好きだってのが一番の理由だけどな。俺は他人より自分と仲間が可愛い。だから、他人が死のうが、恨まれようがかまわねぇよ」  そして、黙り込んでしまった祐貴の胸に指を突きつけた。 「その質問俺以外にすんなよ。人それぞれいろいろ事情はあんだ。安易に首を突っ込むな。弁えろ。お前だって、誰かに今までの経緯聞かれたことなんてねぇだろうが」  確かに、今までいろいろからかわれたり、話しかけられたりしたことはあるが、祐貴の過去を探る言葉は掛けられたことがない。それこそ、最初にヴェダに問いかけられたきりだ。祐貴が城で兵に追いかけられていたことは誰もが知っているだろうに。 「あとな、言っとくけど。ヴェダに惚れてついてきただけなのかもしれねぇけどな…お前も『盗賊なんか』なんだぜ?」 「……っ」  祐貴はかあっと顔を熱くさせた。理由もよく解らないが、とにかく恥ずかしかった。悔しかった。頭がぐちゃぐちゃで、思考が白く染まる。 「みんなさ、お前のこと結構認めてる。最初はただのお荷物だと思ってたけど、一人の仲間として受け入れ始めてる。俺もさ、嫌いじゃねぇよ?言葉数少ないし、ノリ悪ぃけど、くそ真面目で面白いし、根性あるし。でもな、なんつーか、どこか違和感感じてたんだよ」 「違和、感…」 「やっと解った。お前、線引きしてたのな。自分の周りにぐるーっと」 「……」 「こっちが受け入れようにも、お前がそれじゃ、意味ねぇな」  そこまで言うと、エラーはふいっと祐貴に背を向けた。 「今日は終わり。俺、明日の準備あるし。午後は自分で適当にやってろよ」  振りかえらないままそう言って、エラーの背中はどんどんと遠ざかっていく。  祐貴は座り込んだまま、ただ茫然とした。  受け入れてもらえなくたっていい。だって、祐貴と他の奴らは違うんだから。祐貴は殺しも盗みもしない約束だ。だから、馴染むつもりなんてない。仲間だなんて思いたくない、思われたくない。線引きするのだって当たり前で…  それなのに、何故か祐貴は胸がもやもやとして苦しかった。

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