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第四章 -8

 結局祐貴はその日の午後、ずっと部屋にこもりきりで悶々としていた。気にしなければいい、と自分に何度言い聞かせても、頭の中にはエラーとの会話がぐるぐると犇めいている。体を動かせば忘れるだろうかとも思ったが、外で誰かと顔を合わせるのも嫌だった。  夜も更けて、扉の開く音がした。その後、真っ暗だった部屋に少しの明かりがともる。ヴェダが帰ってきたのだ。  祐貴は布団を頭まで被って寝たふりをした。そんな祐貴に気付いているのかいないのか、ヴェダはベッドに寄ってくることなくごそごそと何かを始めた。  しゃ、しゃ、と何かが擦れる音がする。それがナイフを研いでいる音だと気付いたとき、祐貴は反射的にばっと起き上がった。  ヴェダも明日、行くのだ。その準備をしているのだ。そのことが嫌で嫌でたまらなかった。  自分には関係ないと割り切ればいいのに、ヴェダが、エラーが、罪を犯すのが嫌だと確かに思ってしまっている。  そうだ、それならば、いっそのこと…と、祐貴は思った。 「珍しいな…っていうより、初めてか。こんな時間に起きてんのは」  特に驚いた様子もなく、ヴェダが言う。しかしそれきりで、ヴェダは祐貴の方を向くことなく淡々とナイフを研ぎ続ける。  祐貴はごくりと唾を呑んで、恐々と口を開いた。 「……なあ…」 「あん?」 「あ……」  祐貴はぎゅっと毛布を握りしめた。力が入りすぎ、震える。 「その…」  祐貴が黙り込んでしまうと、ヴェダはやっとナイフから視線を離し、祐貴を見た。鋭い視線が何だと問いかけてくるが、祐貴はなかなか言葉にできなかった。  声をかければ、祐貴が起きていることをアピールすれば、それで事が進むと思っていただけに、祐貴は察してくれとじっとヴェダに視線を遣るが、長い沈黙が続くだけだった。 「……………し、ないの…」  蚊の鳴くような声で祐貴が言えば、ヴェダが僅かに目を見開いた。カチャ、とナイフが置かれる。 「どういう風の吹きまわしだ?」  笑い混じりに言いながらも、ヴェダは立ち上がり祐貴のいるベッドへと寄ってきた。 「今まで散々焦らしておいて」 「それは…」  嫌だったからだ。そんな祐貴の気持ちは言わずともヴェダには解っているようで、彼はふん、と笑いながら問いかけてきた。 「今日は途中で寝るなよ」  祐貴は無言で頷いた。途端、ヴェダが覆い被さってきて、祐貴は背中からベッドに倒れた。  もう、覚悟はできている。祐貴は諦めるように体の力を抜き、目を閉じた。  とにかく酷くしてほしいと祐貴は願った。今以上に、ヴェダや、虎のメンバーを嫌いになれるように。ヴェダやエラーたちがどうなろうと、祐貴をどう思おうと気に病むことがないくらい、嫌いになれるように。 「自分から股開くくらいしろとは言ったけど、素直なのも気持ち悪ぃな」  そう言いながらも、ヴェダは祐貴の服の裾から手を忍ばせてきた。脇腹を這う掌は冷たく、祐貴は小さく身じろいだが抵抗はしなかった。  掌は祐貴の肌の感触を確かめるように何度も脇から胸を移動し、その淡い触れ方に祐貴は背筋を粟立たせ戸惑った。  もっと乱暴にしてもらわないと、困る。 「なんで…こんな…っ」  祐貴の戸惑いの声を覆い隠してしまうように、ヴェダの唇が祐貴のそれをついばむように擽る。 「っ…」  だからと言って酷くしてくれと言えるはずもなく、祐貴はただ流れに身を任せていった。  途中から――いや、最初から気付いていた。失敗した。間違いだった。  しかし、それを確信したのは、油を塗りたくった後孔をぐちゃぐちゃに解されて、熱い切先を押し付けられた時だった。 「いやだっ…いや……っ」  そのとき初めて、祐貴は抵抗の言葉を漏らした。 「今さら…抵抗か?こんなにしといて」  冗談めかして言うヴェダはしかし、その瞳をぎらつかせてやめてくれる気配は一向にない。蜜を零す屹立をつうっと指でなぞられ、祐貴は体を甘く震わせた。 「だめ、だめだ…俺、こんなはずじゃ…っ」  こんなはずじゃなかった。ヴェダを嫌いになるために、この行為を受け入れたのだ。それなのに、今、祐貴は全く違う感情を内に犇めかせている。 「今さら、やめられるかよ…っ」 「――――ッ!!」  ヴェダの言葉と共にぐっと熱が押しいれられる。祐貴はハッと息をつめた。 「うっ…く……ん…!」  並々ならぬ圧迫感に襲われ、犯されている、と実感がどっと押し寄せてくる。同時に、胸を占めるのは―――確かな悦びだった。 「熱いな…男も悪くねーな」  上に圧し掛かったヴェダがぺろりと舌舐めずりする。欲情しきったその顔は艶めいていて、釣られるように祐貴の顔も熱くなる。じわりと瞳が滲む。  祐貴の顔をじっと覗きこんだヴェダは、目が合うと嬉しそうに顔を綻ばせた。その表情には一転、情事を匂わせる雰囲気はまるでなく、ヴェダはそのままプレゼントを貰った子供のように無邪気に笑う。 「黒真珠…綺麗なもんだな…」 「何…?ん、あ…っ」  目尻にヴェダの唇が寄せられたかと思うと、俄かに律動が開始された。苦しさに息が詰まる。 「いっ…やだ…っ!」  ――嬉しい。  呪う言葉を吐くと、同時に心で違う声がする。ヴェダの手が祐貴の体を滑る。 「も…さわ、るな…っも、やだ…」  ――触って欲しい。もっと、もっと触れていたい。 「いや、嫌だ、嫌いだ…、きら、い…っ」  ――嬉しい。好き、好き、好き。 「ちがう、嫌い、きらいなん、だよ…っくそ、ったれ…っ!」 「下品な言葉使うようになったな…あいつらの影響か?」  くく、と笑うヴェダに、答える余裕はなかった。  嫌いだ、嫌だと祐貴がうわごとのように繰り返していると、ヴェダの動きがぴたりと止まった。  ここまで拒絶され、気分を害したのだろうか。祐貴は固く閉じていた瞳を開き、恐々とヴェダを見上げた。しかし、予想に反し、そこにあったのは笑顔だった。 「お前の嫌いって…好きって言ってるようにしか聞こえねーんだけど」 「―――っ!!」  祐貴はカッと顔を熱くした。見透かされていた。祐貴自身認めきれないこの感情を。 「お前、どんだけ俺のこと好きなんだよ」 「ちがっ…」 「素直になるならそれなりに可愛がってやるけど?」  上からのその言葉に、祐貴はぎりっと歯を噛みしめた。悔しい。余裕ぶった偉そうなヴェダの態度に苛立ちが募る。そして何より、その言葉に期待を持った自分に腹が立つ。  こんな奴を好きになるはずがない。好きになる要素など何一つない。もともと、祐貴は男に恋愛感情を抱く人間ではないのだ。それなのに、こんな奴を好きになるくらいなら、むしろ。 「……アイザ…」  彼の心を、受け入れておけばよかった。  ぼそり、と漏れ出た名前は、ヴェダの耳にも届いたようだ。にやついていた顔が初めて崩れた。 「…お前…どれだけ意固地なんだよ。普通やってる最中に他の奴の名前を呼ぶか?」  呆れたような声。ヴェダのペースを崩せたことに、少しだけ祐貴は心が軽くなったが、それも一瞬のことだった。 「うっ!」  再びヴェダが動きだし、祐貴は再び翻弄されるしかなかった。 「ほら、今お前の中入ってんのはグラッドストン伯じゃねぇだろーが。あいつともやってたのか?」 「してないっ!アイザはこんなことしないっ!」  アイザとの関係を侮辱された気がして、祐貴は必死に否定した。しかし、ヴェダにとってはそんなことはどうでもいいようで、揺さぶられながら名前を呼ぶように強要され、祐貴は頭で理解するより先に口を開いた。 「――っん、べ、ベダ…」 「頭悪ぃ発音してんなよ。ヴェダだ、ヴェダ」 「っ…ヴェダ…っ」 「はっ、よくできました」  ふっと、ヴェダの顔が綻んだ。 「――ユゥキ」  ただ名を呼ばれただけなのに、ぎゅう、と胸が締めつけられる。体が熱くなるのを誤魔化すように、祐貴は怒鳴った。 「っ…ぅ、そっち、だって…発音違うんだよっ!俺は…っユゥキじゃない…祐貴だっ!」 「ユゥキだろーが」 「ユ、ウ、キっ!だ!!」 「ユウキ?…言いにくいな」 「っ」  懐かしいその響きに、どっと涙が溢れ出てきた。悔しい、悔しい、悔しい。胸に溢れかえるヴェダへの愛おしさに、祐貴は気を失うまで泣き続けた。  目が覚めると同時に、ずんと頭が痛んだ。理由は解りきっている。昨夜泣きすぎたせいだ。同時に腰も鈍痛がある。これも答えは簡単だ。  祐貴は呻きながら体を起こした。ばさりと被っていた布団が落ちると、いつも以上の寒気に襲われた。服は着ておらず、どことなくべたべたする。昨夜気を失って、そのままの状態だ。  横を見ると、そこにヴェダの姿はなかった。 「くっそ…」  がっかりとした自分に舌打ちして、祐貴は項垂れた。 ◆◆◆  大きな欠伸をしたヴェダに、エラーが不思議そうな顔をした。 「なんだよ、寝不足?」 「あー…」  ヴェダが曖昧に答えると、今度は違うところから声が飛んできた。 「お楽しみだったんだろぉ?」  にやにやと笑いながら言うのはケントだ。  彼の言葉は正しい。実際、昨夜はユウキとやっていたためヴェダは寝不足なのだ。 「普段さっさと寝るくせに、こっちが早く寝ようと思った日に誘ってくるもんだから、皮肉だよな」  辟易とした表情で言うヴェダに、ヒュウ、と回りが冷やかしの音を立てる。にやにやした顔が多い中、エラーだけが渋い顔をしていることにヴェダは気付いた。  エラーはもともとユウキを気に入っていなかったが、最近はずっとつきっきりで扱いているためか、随分と馴染んでいるように思えた。このような顔をする理由が見えず、ヴェダは眉根を寄せた。 「エラー?なんだその顔」 「…べつにー」  ついと顔を逸らしたエラーは、つんと唇が突き出ている。その子供っぽい仕草に、拗ねているのだと容易に知れた。面倒くさいのでヴェダも、周りの面々もそれ以上エラーに追及はしない。 「こっから先は無駄口きくなよ」  ヴェダが告げると、今まで囃し立てていた連中も心得ているように口を噤んだ。  今、一行はウィスプの森の東へ向かっていた。もう少し行けば、森の最東端――ザンドからエマヌエーレへ抜けるためによく使われるルートへ辿り着く。遠回りではあるが一番安全にウィスプの森を抜けられる道であるため、商隊などはよく使うのだ。  今日もザンドからの商隊がここを通る。それを狩るのだ。 「中規模の商隊だ。護衛は十人いるが、内六人はずぶの素人だ。先に手練の四人をたたけば一気に事は進む」  タンザから事前に買った情報だ。ヴェダが確認するように告げると、昨夜すでに打ち合わせをしているため、全員軽く頷く。  ヴェダ達は全部で六人だ。人数こそ負けているが、一人当たりの力量が違う。勝算は十二分にあった。  峡谷になっている場所で身を潜め、一行は獲物を待った。凍えるほど寒いが、血が湧きたち体が熱くなる。ヴェダは知らず舌舐めずりをした。この獲物を狩る直前の、緊張と興奮が好きだった。他の連中も似たようなものだ。今か今かと待ちわびている。  中でも特に血気盛んなエラーが、未だ拗ねた顔をしていることには誰も気づいていなかった。 ◆◆◆  始まったばかりの橋の工事は、今のところ順調と言えた。  下流域を任されたアイザは、王都外の四つの橋の視察を終え、王都に入った。王都内、シィアの橋が一番大きく立派なため、修復作業にかかる人数も一番多い。土嚢や木材を運ぶ農夫たちを眺めながら、アイザは頷いた。 「物資も人員も十分足りているな。これだと予定通りに行きそうだ」 「流石、素晴らしい采配ですね!」  隣に並んだシッチが嬉しそうに褒め称える。アイザは苦笑しその言葉を流した。 「グラッドストン伯!お待たせしました」  ぺこぺこと頭を下げながら駆け寄ってきたのは棟梁であるシーダであった。作業に関する責任者だ。 「どうも、お疲れ様です」 「いやいや、そんな疲れてもないですよ」  アイザの労いに、初老のシーダはニカっと笑いながら大仰に手を振った。 「今年は去年より待遇がいいって、農夫たちも張り切って働いてるもんで。私のすることはほとんどないですわ。グラッドストン伯のおかげですよ。ありがとうございます」 「いえ、貴方がいないと作業は全く進まないんですから。それに、私ではなくディズール宰相のおかげです。こんな寒い時期に水辺で働いてもらうのだから、手当は厚くしないとだめだろうと予算をもぎ取ってくださったのですよ」 「ははぁ、それはありがたいことで」 「それより、滞りや苦情の方は出ていませんか?どんな些細なことでも報告してください」  アイザが問うと、シーダは考え込むように顎に手を当てた。うーんと暫く唸り、そうですね…と口を開く。 「王都外から来た者たちで宿舎が四人部屋なのが気に入らないと言うやつもいますが、私から言わせれば十分すぎるってもんですよ。三食しっかりついてるし雨漏りもないんだから」 「なるほど…今から宿舎を増やすのは予算的にも無理ですからね。別の方向から救済策を練ってみます」  アイザが頷くと、シッチが何か言いたげに口を開いた。しかし、そのまま閉じる。何が言いたいのかは顔色ですぐに解る。不満そうなその顔は、その位我慢するべきだ、とでも言いたいのだろうが、自分が口をはさんではいけないと理解はできているようでアイザはふっと微笑んだ。 「他は?」 「他ですか…えーと……あっ!」  考え込んだシーダが上げた声は、思いついたから出たものではなかった。彼の視線の先に目を向ければ、男が転んでいるのが見えた。土嚢を運んでいたのだろう、一緒に倒れている。 「おいおい、大丈夫か?」  周りにいた他の農夫が声を掛ける中、アイザもそちらに駆け寄っていった。 「いててて…恥ずかしいな、こけちまったよ」  恥ずかしそうにしながらのそりと体を起こした男は、アイザとそう変わらない年齢に思えた。 「立てるか?」  一人の農夫が差し出した手に、男が掴まる。しかし、いざ立ち上がろうとした途端、男は盛大に顔をしかめて声を上げた。 「っててて!」 「あ、足、やっちまったか?」 「くそっ…ひねっちまったみたいだ」  右足をさする男に、アイザは一歩近づいた。 「早く治療した方がいいな。私に掴まれ」  手を差し出すと、男も周りの農夫も目を丸くした。 「いやいや…」  アイザが誰かは解らなくとも、格好からして貴族だと言うことは知れたらしい。男は恐れ多いと言わんばかりに首を振った。 「他の人では君の体重は支えられないだろう。ほら、ここにいると作業の邪魔にもなる。はやく」  農夫たちは皆逞しくはあるが、男は中でも特に体格がいい。他の誰よりアイザが支えになるのが妥当と納得したのか、男は眉を八の字にしながら手を伸ばした。その姿は犬のような愛嬌がある。 「じゃあ、よろしくお願いします」  男に肩をかして立ち上がらせる。その体は見た目以上に重かった。農夫にしておくのがもったいないくらいに引きしまっているということだ。 「アイザ様、あちらに休憩所があります。治療道具も借りてきました」  すかさず救急箱を持ったシッチが先導してくれて、アイザはそれに倣った。  背後から、シーダが他の者たちに仕事に戻るよう指示している声が聞こえる。 「ああ、皆に悪いなぁ…迷惑かけちまった」  ひょこひょこと右足をかばうように歩きながら、心底申し訳なさそうに男が言う。その言葉に、アイザは男に好感を持った。 「君、名前は何と言うんだ?」 「あ、ディードっていいます」 「ディードか。さ、ここに座って」  休憩所まで着いたアイザは、ディードを椅子に座らせた。  足首は今のとこ腫れもなく、折れてはいなそうだった。とりあえず冷水で冷やし、包帯で固定する。 「どうも、ありがとうございます」 「いや、それより、この足だとしばらくは作業ができないな」  アイザがそう言うと、ディードははっと顔色を悪くし、俯いた。 「参ったな…どうしよう」  落ち込むディードを見ながら、アイザは先ほどから考えていたことを実行することに決めた。 「……それなら、机仕事を手伝ってくれないか?」 「え?」  ぱっと顔を上げたディードはびっくりした表情をしている。 「現場に戻れるようになるまで、私の仕事を手伝ってほしい」 「いや、でも俺…文字は読めるけど書けないし」 「読めればじゅうぶんだ」  ディードはじっとアイザを見つめたあと、ほっとしたように笑った。 「なら、お願いします。頑張りますんで」 「ああ」  アイザも微笑んだ。ふとシッチをみると、彼も嬉しそうにしている。きっとこの後、またアイザをほめたたえる言葉が口から零れるのだろう。 「ところで、ディードは宿舎暮らしか?」 「はい。一応王都内出身なんですけど、家が遠くって」 「へえ、どこだい?」  アイザの質問に、ディードはにっこりといっそう笑みを深めた。 「ランドックの、ずっと北の方ですよ」

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