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第四章 -9
字は書けないと言ったディードだったが、その働きぶりは彼が賢いことを証明するものだった。
「振り分け、終わりましたよ」
不自由な脚でひょこひょこと歩きながらも、ディードは室内を動き回って書類の束を要領よく振り分け運んでくる。手を抜くこともなく、彼の仕事は素早かった。
ディードが頼まれていた分を終えたとき、アイザも丁度一段落していた。
「あ、ならそろそろ小休憩しませんか？僕、お茶を淹れてくるので」
それをすぐに察知したシッチが、にこやかに提案してくる。ずっと働きづめだったアイザは頷いた。それを受けて、シッチはさっと部屋を出ていった。
「ディード、脚は痛んでないか？」
ディードに椅子を勧めながら、アイザは訊ねた。捻ってからまだ日は浅いが、室内を動くくらいなら平気だと言う彼の言葉に甘えて存分に働いてもらっているのだ。
「大丈夫ですよ。室内だから足元しっかりしてますし。むしろこんな簡単な仕事で給金もらうのが申し訳ないくらいで」
苦笑しながら答えるディードは、本当に気持ちのいい青年だった。怪我をした彼には申し訳ないが、アイザにとっては予期せぬ良い拾い者だった。
「いや、本当に助かっているんだ。誰にでもできる仕事じゃない。これからも頼むよ」
心からの言葉だった。
今、アイザはシィア内に住む貴族、ローディア家の屋敷の一室を借り上げて執務を行っているが、重要な機密事項に関しては城に赴いて処理している。その間、こまごました雑務はシッチ一人に頼む形になっていた。それがディードという手伝いを得たことで、シッチもかなり楽になっているようだ。
「ディードはずっと農業しかやってないのか？」
「そうですね、親父がまず農家だったんで。小さいころから畑ばっか相手に仕事してますよ。まあ、たまに狩りにいったりもしますけど」
「君ならちゃんと学べば他の選択肢もあると思うが」
「いやいや、俺は今の生き方が大好きなんですよ。畑耕して、狩りに行って、飲んで食って。でも、お貴族様から褒められたら照れますね」
あはは、とディードが照れ笑いを浮かべたとき、部屋の扉が開かれてシッチが飛び込んできた。
いやに速いと思えば、彼の手にはティーセットではなく封筒が握られている。
「アイザ様、速達だそうです」
「そうか、ありがとう」
受け取ったアイザは、その封印を見て僅かに眉根を寄せた。カインかグラッドストンの屋敷の者、ディズールかと思っていたが、意外にもそこにあるのは魔導院の紋様だった。
手紙を開き、アイザは素早く目を通した。その内容はアイザ個人に当てた重要機密ではなく、議員たちに向けた連絡事項であった。
「何だったんですか？」
口を閉ざしてじっと隣に立つシッチと引き換え、ディードは興味深々に訊いてきた。こういった点は、やはり彼が政に関わりがないことを示していた。
しかし、ディードもすぐに気付いたようで、あっ、と慌てたように継いだ。
「こういうのって聞いちゃダメなんですよね。すいません！」
「いや、どうせすぐに…明日には広まる話だろうから、構わないよ。機密事項でもないから」
彼の慌てぶりが可笑しくて、アイザはくすっと笑うと手紙を机においた。すると、我慢していた様子のシッチも好奇心を隠さずアイザをじっと見てきた。
「ザンドの商隊がウィスプの森で襲撃にあったらしい」
「ウィスプの森で…ということは、またあの盗賊団ですか？」
嫌悪にか、口をつんと尖らせながらシッチが訊ねる。アイザが頷けば、ディードがへえ、と声を上げた。
「それで、まるっと商品とられちまったってわけですか。またあいつらの武勇伝が増えたってわけですね」
「いや、今回はそうはいかなかったらしい」
アイザの否定の言葉に、ディードは意外とばかりに目を丸くした。
「なんでも、奴らの襲撃の瞬間、さらなる襲撃があったそうだ」
「さらなる襲撃？」
「はぐれ召喚獣が出たそうだ」
そもそもウィスプの森が恐れられ、商隊が迂回する所以はそこだ。
「一匹だったがかなりの大物だったようだ。商隊は三名を残して残りは死亡、盗賊団の方も死者こそ出ていないようだが、かなり怪我を負っているそうだ」
ぐっとディードの顔が険しくなった。国民の中にはウィスプの虎が犯罪者だということに目を瞑り、憧れを抱いている者も少なくない。ディードもその一人かもしれない。
「そこで、この機会に討伐隊を出す、という知らせだ」
これまで何度か討伐隊がウィスプの虎の駆逐に向かったが、誰一人として捕えることも叶わなかった。かなりの痛手を負っているであろう今は、最大のチャンスと言うわけだ。
「はー。それなら流石の虎も捕まりそうですね。ちょっと残念な気もするけど、永遠に無敵な存在なんてないですもんねー…。いつ、討伐隊が出るんですか？」
「明後日だそうだ」
「明後日…」
ディードは考え込むように繰り返した。
この件に関しては魔導院の管轄であり、アイザは直接関係ない。会話が途切れると、シッチがハッとしたように背を伸ばした。
「そうだ、お茶！持ってきます！」
再びバタバタと出ていくシッチを見送りながら、アイザは手紙を封筒に仕舞った。
◆◆◆
暗闇の近づいた夕刻、虎のねぐらはいつになく騒がしかった。
いつもの朝の仕事をしたきり、ロッジに引き籠って布を被っていた祐貴にもその騒ぎは届いた。訝しく思いながらも外へ出れば、その喧騒は一気に大きくなった。
「水と酒と清潔な布！！あるだけ持って来い！！急いでファイエット呼べっ！！」
いつも飄々としているジーンの怒鳴り声に、どれほどの緊急事態なのかが伺える。
何事だろうか、不安にどくどくと心臓が鳴る。祐貴は誘われるようにふらふらと喧騒の方へと足を進めた。村の入り口、そこに人が集まっている。つん、と嗅いだ事のある、鉄が錆びたような不快なにおいが鼻についた。
「なに…？」
祐貴は、はっと息を呑んだ。
村の入り口、数人が倒れている。虎のメンバーだ。それが、今朝、ザンドの商隊を襲いに行った面々であることは直ぐに解った。ヴェダがいたから。
「…はぐれが出た。くそ、血が足りねぇ…」
内の一人が呻くように言った。座りこんだその腕からは夥しい血が流れ出ていて、彼の服と地面を赤く染めている。側にしゃがんだ男が腕に布をぐっと押しあてきつく縛りあげていく。
「ぐっ…」
各々が乱暴に止血され、運ばれていく。その中で、祐貴はヴェダから目が離せなかった。
彼もまた重傷らしく、二の腕の肉がえぐれているのが離れた場所から見て解るほどで、ぐったりとしている。
「とにかく止血して一番近い部屋に運べ！一番重傷はどいつだ！」
駆けつけてきたファイエットの声に、他のメンバーが頷き怪我を負った者を二人掛かりで次々と運んでいく。
「ヴェダが一番やべぇ、あいつの腕」
ジーンの言葉を聞いたファイエットは、ヴェダが運ばれていった方へと駆けていった。
祐貴が呆然と突っ立っているうちに、怪我人は全て運ばれ数名のメンバーと血が染みた地面しか残らなかった。
「…な、んで…」
呟いた声は、すぐ側に立っていたマルトに届いたようで、彼は渋面のまま答えをくれた。
「はぐれ召喚獣が出たんだと。ちっ…ここまでやるなんて相当大物だ」
いままでも召喚獣に出くわしたことはあるものの、ここまで被害が及んだのは初めてらしい。そう言う彼も止血を手伝ったのか、血に濡れていた。
今日の狩りに出たのは六名、帰ってきたのも六名。今のところまだ死人は出ていないそうだが、どうなるかはまだ解らない。
先ほど、ヴェダが一番重傷だと言っていた。
「なんで…ヴェダ…」
ヴェダは虎の頭だ。頭が一番強いのではないのか。
「ヴェダはエラーをかばったらしい。それでもエラーもやられっちまってる」
「ヴェダ…死ぬのか…？」
「お前縁起でもねぇこと言うなよっ！」
ガツン、と頭を殴られたが、祐貴は痛みを感じなかった。それ以上に胸が苦しかったからだ。ヴェダが死ぬなんて、嫌だ。絶対に嫌だ。
もう、そんな感情を抱くことに悔しさを感じることすらできなかった。ヴェダが好きなのだ。犯罪者であろうが、好きになる理由がなかろうが、本能が彼を欲しているのだ。
ふつふつ、と何かが体の奥から湧きあがってくる。血が沸騰しているんじゃないかと思うほど、体が熱い。
それは怒りだった。憎い、ヴェダを死においやろうとした獣が。彼を、彼が守ろうとした者を傷つけた獣が。
黙り込んだ祐貴に何を思ったのか、マルトは殴ったその手でぽんぽんと慰めるように祐貴の頭を撫でた。
「ファイエットは元医者だからな。助かるだろうさ」
そんな言葉、いらなかった。今、祐貴が感じているのは哀しみでなく、憎悪なのだ。
ギュウ、と祐貴が拳を握りしめた時だった。
――ギャァァァァァァァ！
遠くから引き攣った悲鳴が響いた。
「何だっ！？」
残っていた数名が素早く反応する。その悲鳴は明らかに人間のものでない。家畜のヤギのものだ。
「……っ」
祐貴は無意識のうちにそちらへ駆けだしていた。
「あ、ユゥキ！？」
マルトや他の面々が慌てて後を追ってくる。祐貴は振り返らずに無心に走った。
ややあって、血の臭いがした。家畜小屋の側に、絶命したヤギが一頭倒れていた。小屋に残っているヤギは騒がしく鳴き暴れ回っている。
そしてそのすぐ側に、それはいた。
「召喚獣！？くそっ…着いてきてたのかっ」
立ち止まった祐貴の後ろで、マルトが舌打ちした。祐貴は肩で息をしながらそいつを見つめた。
二足で立つ巨大な体は紫の毛でおおわれており、その口からは大きな牙が二本存在を主張している。鬣を持つ熊に似たその召喚獣は、ぐるる、と喉を鳴らしながら鋭い眼光で祐貴たちを見据えた。
祐貴は畏怖を感じる前に、その牙に、鬣に付いた血に目を奪われた。ヤギ一頭にしては多すぎる。その血は、誰のものだ。
「ユゥキ、下がれ！樹液の臭いに耐えられるなんてかなりやべぇ！」
背後からジーンの声が聞こえるが、祐貴の脳はそれを言葉として捕えなかった。
「……ぁぁあ…」
こんな感情は初めてだった。自分が、自分でないような。目の前が真っ赤に染まる。
「うぁぁぁぁあああああああああっ！！」
身の内に抑えきれない感情を吐きだしながら、祐貴はすぐ側にあった鍬を掴み、衝動のままに召喚獣へ向かっていった。
召喚獣の瞳がぎらりと光る。祐貴を攻撃対象とみなした獣は、グワッと牙を剥いた。
「―――っ！！」
周りが何かを叫んでいる。しかし、祐貴には目の前の憎しみの対象、狩るべき獲物しか入っていなかった。祐貴より数倍大きな体が、殺意を持って襲いかかってくる。
『止まれぇぇぇぇっ！！』
怒鳴りながら、祐貴は鍬を振りかぶった。その瞬間、召喚獣は動きを止めた。
ガリっ、とコンクリートを削るような音とともに、「ガァァァァ」と獣の叫びが響いた。祐貴の鍬が召喚獣の脛を僅かに裂いた。
鍬を掴んだ両手にびりびりと衝撃を感じながら、祐貴はもう一度同じ場所に刃を突き立てる。今度は深く刃が突き刺さり、真っ赤な血がしぶいた。
その血を浴びながら、祐貴は獣のように唸り、命じる。
『跪けっ！』
ドスン、と大きな音をたて、召喚獣は倒れるようにその場に手をついた。祐貴の眼前に、獣の恐ろしい顔が広がる。しかし、その紫の目にはすでに戦意はなかった。ただ怯えるように祐貴を見つめていた。
――許せない、許せない。
本能が叫ぶ。
祐貴は鍬を薙いだ。血塗れの刃が獣の目を抉る。
「グォォォォォっ」
『お前がっお前のような下位がっ！ヴェダを傷つけるなんて許せないっ！死ねっ！死んで償えっ！！』
「ユゥキっ！！止まれっ！！」
がむしゃらに鍬を振りまわす祐貴を、後ろからマルトが羽交い締めた。
「落ちつけっ！！もう死んでるから！！」
怒鳴られ、祐貴はすでに召喚獣が絶命していることに気付いた。見れば、脇にジーンたちがいて、彼らの剣が獣の腹に致命傷を与えていたことが解った。
「はぁっ…はぁっ…」
体から一気に力が抜ける。真っ赤に染まっていた目の前が、色を取り戻しだした。手から滑り落ちた鍬が、ゴトンと音をたてて地面に転がる。
「お前、すごすぎ…あんな大物に向かっていくなんて命知らずもいいとこだぜ」
呆れたような、怒ったようなマルトの声は、どこか遠い。
自分にあんな凶暴な感情があったことに、祐貴自身も驚いている。それと同時に、心はやけにすっきりしていた。今まで持っていたなけなしの罪悪感が、綺麗に抜け落ちた瞬間だった。
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