召喚獣の血まみれになった祐貴は、有無を言わさず洗い場に連行され冷たい水を掛けられた。よく冷えているそれは身を切るように痛かったが、すぐに室内に案内され暖かい湯を与えられた。 　カラスの行水で湯浴みを終わらせ、祐貴は何か言いたそうなマルトたちをそのままにヴェダが運び込まれたロッジへと急いだ。 　扉を開けば、血の臭いが充満していた。その部屋にはヴェダとエラーが横たわっていて、二人とも寝ているのか気を失っているのか、瞳を閉じたままだった。ただ胸が上下していることに命があることは解る。 「どうなの」 　祐貴が声を掛けると、二人の側に立っていたファイエットがくるりと振り返った。 「ユゥキか…ひとまずは血も止まったし、落ち着いた。もうすぐ遣いにやったやつが薬を持ってくる。それがありゃ大丈夫だろ」 「そっか…」 　祐貴が胸を撫で下ろすと、ファイエットは何か言いたげに目を眇めたが、祐貴から目を逸らし隣に立つ男に声を掛けた。 「次はどこだ？」 「ああ、カードルが痛ぇ痛ぇって叫んでるけど…」 「カードルは大げさなだけだ。叫ぶだけの元気があるんなら酒でも飲ませときゃ十分だ」 「ならエディアのとこだな。こっちだ」 　そう言うと、二人は素早く道具を抱えて部屋を出ていってしまった。部屋の中には横たわる二人と祐貴だけ。沈黙が下りた。 　祐貴は黙ったままヴェダの寝るベッドの側に寄ると、膝をついた。生気のない顔を見ながら、そっと腕に巻かれた包帯に触れた。そこは熱を帯びて火傷しそうなほどだ。 「ヴェダ…」 　名前を呼んでも返事はない。それでも祐貴はただじっとヴェダを見つめ続けた。 　時間だけが刻々と過ぎていくが、祐貴は何をするでもなくそこにいた。 「そんなあからさまにヴェダばっかり心配してちゃ隣のエラーが可哀想だろ」 　そんなからかい混じりの声に、祐貴ははっとして振り返った。見れば、入口にもたれるようにしてマルトが立っていた。 「仕方ねーから俺がエラーの心配してやるかー」 　マルトは自分でクッと笑いながら、部屋の中へ入ってきた。ヴェダの隣のベッド――エラーが寝ている寝台の足元に腰掛けて祐貴の方をじっと見てきた。 「全員無事なんだからそんな顔すんなよ。誰も五体満足、すぐ回復するとさ。ヴェダの腕も元通り動く。そんな深刻な顔してるのお前くらいだよ」 　マルトの言葉は本当なのだろう。六人が帰ってきたときには大騒ぎだった村も、今はいつもどおりに落ちついていた。 　祐貴も安心してはいるのだ。ただ、頭では解っていてもじっと眠っているヴェダを見ていると、自然とこういう顔になってしまう。 「つか、お前すげーな。あんな大物の召喚獣に向かっていくなんてな。しかも倒しちまうとか」 　マルトはその話をしたいがためにここに来たのだろう。正確に言えば、倒したのは祐貴だけの力ではないが、祐貴の功労が一番大きいと言える。 「あれは別に……」 　無視することもできたが、祐貴はマルトの話に付き合うことにした。先ほどの件は自分の中でもまだ整理はできていない。ただ自分の中にあるのはヴェダとウィスプの虎に対する肯定の気持ちだけだ。 「あいつは、大物じゃない。下位の召喚獣だった」 　祐貴には解っていた。何故か理由は解らないけれど。あの時、目の前が真っ赤になったあの瞬間。祐貴は対峙する召喚獣の強さが下に思えた。 「下位って…村の周りに塗ってる樹液の臭いに耐えれる下位の召喚獣なんていねぇよ。それに、下位だったら俺ら六人いて敵わないなんてこともまずない」 「でも…下位だった。少なくとも俺より弱かった」 　そう、自分が勝てると確信したため、下位だと思ったのだ。素直な気持ちを零すと、マルトは目を丸くして、次の瞬間ぶはっと噴き出した。 「やっべーな。お前ホントはものすげー奴なの？あんときなんか叫んでたよな？なにあれ、呪文？」 「……止まれって言っただけ。俺の国の言葉で」 「止まれって…それで馬鹿正直にあの召喚獣が止まったって？」 「そうだよ」 「おいおい、冗談きついぜ。そんなことあるわけないだろ」 「ある」 　短く祐貴は言い放ち、マルトを見た。祐貴の真剣な視線に、マルトの顔から笑みが消えた。 「召喚獣は俺の言うことを聞く。――絶対に」 　祐貴自身も、今言葉にして確信した。召喚獣はすべて祐貴の命令に従う。その召喚獣がはぐれであれ、主を持つ者であれ、祐貴に逆らうことはできないのだ。 　そしてそのことをマルトに明かしたのは、ヴェダの――ウィスプの虎のために、この能力を出し惜しむことをしないという決意の表れでもあった。 　ヴェダが目を覚ましたのは、翌日の昼を過ぎてからだった。仕事もさぼってずっと傍についていた祐貴は、じんわりと目に涙を浮かべた。大丈夫と解ってはいたが、起きてくれたことが本当に嬉しかったのだ。 　しかし、目を開いたヴェダの第一声は「腹減った」だった。 「食堂からなんかとってこい」 　祐貴にかけられた言葉はふてぶてしい命令で、祐貴は消えていたはずの悔しさが蘇ってくるのを感じた。 　だからと言って、文句を言うのもおかしな気がする。「心配かけてごめん」とでも言ってもらえたなら悔しさも湧かないだろうが、祐貴とヴェダの関係性を考えれば、彼がそんなことを言わないのは当然だ。祐貴一人が勝手に心変りして、勝手に心配していただけの話で、ヴェダはそんな祐貴の中の葛藤など全く知らないのだ。 　頭では解っていても、少し悔しい。祐貴はむっとしながらも、怪我人であるヴェダの望みを叶えてやるべく立ち上がり、無言のまま部屋を出て食堂へ走った。 　食堂は丁度、昼食の片づけをしている最中で、数人が屯していた。 「お、ユゥキ。今頃来たの？飯もうほとんど食いつくされてるよ」 　出入り口の一番近くにいたジーンが、今日の当番なのだろう、汚れた皿を抱えながら祐貴に話しかけてきた。 「ヴェダが起きた。腹減ったって…」 　祐貴が説明すると、中にいた全員が一気に振り返った。 「まじか！」 「やっと起きたのかよー。おせーよ」 「よし、じゃあ胃に優しーい粥をつくってやるぜ！」 「エラーもさすがにそろそろ起きるだろ。あいつの分も作っとくか」 　男たちは片づけを放り出し、さっそく調理にかかる。皆嬉しそうにしていて、昨夜すぐに普段の落ち着きを取り戻していたが、内心では心配していたのだと解る。 　祐貴はそれを見ながら、近くの壁にもたれた。料理はすぐにできるだろうから、それまでここで待たせてもらおう。 　ふぅ、と息を吐いて目を閉じたが、すぐ側に気配があって祐貴は顔を上げた。すると、にやにやと笑みを浮かべたジーンが祐貴の顔を覗きこんでいた。 「…な、に…」 　後ずさろうにも背中は壁についていて、祐貴は訝って眉根を寄せた。ジーンはにっと笑みを深くした。 「よかったねー。ヴェダが無事で」 　祐貴が返事に窮していると、他からも同様の声が飛んできた。 「ああ、昨日のあれ、すごかったよなー」 「いやー、俺もその場で見たかったわ。ユゥキのキレっぷりを」 「え、お前あのときいなかったっけ？」 　ケラケラと笑い混じりの言葉は祐貴をからかうものだ。どうやら、すでに昨夜の祐貴の立ち回りは全員に知れ渡っているようだ。反応したらダメだと解っていても、祐貴は恥ずかしさに赤面した。 「うーわっ！可愛い反応したよ。ヴェダが暫く目覚まさなかったら俺が寂しい体を慰めてやったのになぁ」 　下世話なことを言うジーンを睨むと、彼はひょいっと祐貴から離れていった。 「おー怖い」 「おら、できたぞ。持ってけ」 　入れ替わりに、今度は鍋を持った男が寄ってきた。おいしそうな匂いがする。見れば、先ほどの言葉とは裏腹に、胃にまったく優しくなさそうな大きな肉がごろごろと入ったシチューだった。昼の残りに具材を足したのだろう。 　祐貴はその鍋と二人分の食器を受け取ると、そそくさとその場を後にした。 「ありがとう」 　部屋から去る寸前そう言い残した祐貴に、その場の面々が目を丸くしていたことなど祐貴は知らない。 ◆◆◆ 「気分はどうだ？」 　ユゥキが出ていくのと立ち替わりに入ってきた気配、かけられた言葉に、ヴェダは閉じていた目を開いた。寝台のすぐ側に立っていたのは思った通りファイエットで、ヴェダは苦笑した。起き上がる気もないのでそのままの体勢で口を開く。 「最悪」 「痛みは？」 「今はない」 　ヴェダは目覚めたばかりだが、寝ている間に鎮痛剤が使われていることは解っていた。薬が切れれば痛みは湧いてくるだろう。 「水いるか？」 「くれ」 　そこでやっと、ヴェダは体を起こした。どことなくだるく、ふっと目眩がする。 　受け取った水で喉を潤すと、ヴェダはファイエットを見た。 「それで、損害は？」 「お前が一番重傷だったよ。で、カードルとサイルが少しばかりの宝石は盗ってきてたな」 「そうか…とりあえず一人もかけてないなら良い。……なあ、エラー」 　ヴェダは振り返り、隣のベッドに横たわるエラーになげかけた。 　エラーが目覚めていることにはとっくに気付いていた。ユウキがこの部屋にいた時にはすでにエラーは気付いていたのだ。 　それはファイエットも同じで、この部屋に来た時からエラーがタヌキ寝入りだと言うことには気づいていただろう。はあ、とファイエットが溜め息を吐くと、布団にもぐりこんでいるエラーの体が僅かに揺れた。 「お前、何一人前に落ち込んでんだよ」 　わずかに苛立ちを込めた声音でヴェダが言うと、長い間を空けて「だって」と、エラーの震える声がした。 「俺のせいじゃん。ヴェダが怪我したの。それで、結局商隊も逃したし…」 「お前、下っ端のくせにいつから責任負えるほど偉くなったんだよ？」 　呆れ声で言うヴェダに、エラーは弾かれるように起き上がった。 　急に動いたせいで体が痛んだのか、小さくうめき声を上げてから、エラーはヴェダの方をじっと見てきた。流石に泣いてはいなかったが、その眉間には皺が寄っていた。 「俺が下っ端だってことは解ってるよ！でも、あんとき俺考え事してて…いつもだったらちゃんと気付いて避けられた！俺が油断したせいでヴェダは怪我した！」 　エラーは心底そう思い、後悔しているのだろう。しかし、それは見当違いも甚だしい。ヴェダはどうしたものかと口を歪めた。 「だから、それも上に立つ俺の責任だろうが。油断なんて誰でもする。それでも俺がもっとうまくやれば俺は怪我しなかった。つーか、どの道俺たちだけであの召喚獣には敵わなかったしな」 　それでもエラーは納得がいかないらしく、ますます表情を曇らせる。面倒くさい、とヴェダは苛立ちを募らせた。 「お前はまだ日が浅いから知らねぇだろうが、盗み失敗したり怪我負ったりなんてしょっちゅうあるんだよ。いちいちうじうじするくらいならここから出て行け」 　ヴェダが突き放した瞬間、エラーは目と口を真ん丸に開き、慌てて首を振る。 「しない！もう気にしねぇ！うじうじなんてするか！てかうじうじとかしてねぇし！」 　そう言いながらも、顔はまだ暗い。 　――全然納得してないじゃねぇか。 　ヴェダはそう思ったものの、これはもう時間しか解決できない問題だろう。 「ならもう二度とうざってぇこと言うなよ」 　ヴェダの言葉にエラーはこくこくと頷いた。これでこの話はひとまず終わりだ、と思ったとき。 「ところで、エラー。考え事して油断したって、何を考えてたんだ？」 　それまでじっと傍観に徹していたファイエットが口を開いた。終わった話を混ぜ返す内容に、ヴェダはファイエットを睨む。しかし彼はどこか愉しそうな表情で、ヴェダの声なき訴えを流した。 「それは…」 　言いづらそうに言葉を濁すエラーに、ヴェダはずばりと言ってやった。 「どうせユウキのことだろうが」 　ヴェダが言うと、エラーは肯定するように唇を尖らせ拗ねた顔になった。 　ヴェダには解っていた。狩り場に行く途中からエラーがどことなく違っていたことに気付いていたのに、それを気に止めていなかったのもヴェダの落ち度だ。 　ファイエットもエラーが気にしていたのがユウキのことだと気付いていたのだろう。ヴェダの口からその名が出ると、待っていたとばかりに少しだけ笑みを深くした。 「それで？ユゥキのなにを？」 　ファイエットの促しに、エラーはしぶしぶと口を開く。 「あいつ、だいぶここに馴染んできたし、俺、あいつのこと嫌いじゃねぇんだけど…あいつ、俺らのこと、好きじゃねぇだろ」 　ぽつり、ぽつりと溢される言葉に、ヴェダは少しだけ感心した。 　確かにユウキはウィスプの虎を毛嫌いしている。元来の性格のせいか真面目に仕事はこなしているおかげで、馴染んでいるようにも感じるが、目的のために仕方なしに身を置いているのだ。エラーはちゃんと気付いている。 「それでなんかこう…なんつーか、こう…もやもやするっつーかなんつーか…」 　どう表現して良いのか解らない様子で、エラーは口籠りながら俯く。 　とどのつまり、エラーはユウキが嫌いじゃない、ではなく、好きなのだ。そして相手に同じ思いを返してもらえないことが悔しくて拗ねている。何とも子供じみた素直な感情だ。 「そのユゥキのことなんだがな」 　そう切り出したファイエットの声は、長年付き合ってきたヴェダには解る程度に弾んでいる。 　そして、ファイエットの口から語られていく昨夜のユウキの行動に、エラーは純粋に顔を綻ばせていき、ヴェダは対照的に訝しげに顔を歪めていくこととなった。