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第四章 -14
「いやぁ、清々しい朝ですね。まさに狩りにうってつけですよ、素晴らしい。ほら、なんだかいつも以上に空気も澄んでますよね、隊長。あの真っ白な雪の輝きは僕らを歓迎しているみたいで…」
いつもより明らかに浮足立った状態のセレンは、鼻歌でも歌いだしそうなほど軽い足取りで、道とも呼べない森の中を進んでいく。
「セレン、うるさいぞ。少し黙れ」
「もう、隊長は情緒がないですねぇ。ね、キミは解るよねぇ?解らないなら僕がじっくり教えてあげようね。今日という日がいかに素晴らしく、尊いのかを!」
リズに一蹴されたセレンは、同じ道中を進むもう一人、部下のレイスに標的を絞った。もはや躁状態に近いセレンにとっては、不気味な獣道も光り輝いて見えるというものだ。そんな気持ちを共有したく、レイスにずいっと近寄る。
上司の怖いほどのテンションに怯む部下のレイスは、さらなる上司のリズに助けを求めた。
「フラットル隊長ぉ!マルギー隊補がぁ!!怖いですぅぅぅ!!」
「セレン、部下に絡むな。もう少し興奮を抑えろ」
嘆息しながら窘めるリズに、セレンはむっと頬を膨らませた。
「なに冷静ぶってるんですか、隊長。久しぶりの虎狩りですよ。これが興奮せずにいられますかって話ですよ」
あんただって血が湧いてるでしょうに、とセレンは口角を上げる。
二日前、ザンド帝国から渡ってくる商隊がここ、ウィスプの森で虎に襲われた。しかし、命からがらで森からランドックに抜けた商隊の生き残りは、盗賊に加えはぐれ召喚獣にかち合ったという。しかも、盗賊どももその召喚獣に襲われかなりの怪我を負っているようだと。その情報はすぐさまシィアに渡り、魔導国師団にも伝播した。その瞬間、リズも気持ちが浮き立つのを感じた。
しかし、自分よりも浮かれている人間が側にいると、自然と落ちつけるものだ。今のリズは討伐の命を受けたときよりは気持ちが凪いでいた。
「振りでもいいから冷静になれ。いつも煮え湯を飲まされているのを忘れたのか?」
そう、今まで何度かリズとセレンは討伐隊に組み込まれたことがあった。しかし、一度も盗賊の一匹も捕まえられなかった。この森はやつらの庭で、いくら召喚獣どもを駆使しても、あきらかにリズ達は不利だった。ウィスプの虎は確固たる情報源を持っているようで、いつも討伐隊の情報をいち早く掴み、いたるところに罠を仕掛けているのだ。森の中を思うように捜索することは不可能で、やつらを捕まえるどころか、アジトの場所の手掛かりすら掴むこともできないまま日が落ちるか、罠と攻撃に怪我を負い、引き返さざるを得ないかのどちらかだった。
そして、成果も得られないのに、そうそういつも虎狩りをするほど魔導国師団に余裕もない。なので、こういった虎が怪我を負ったという情報が入れば、必ず討伐隊が組まれると解っていた。
しかも、今回は盗賊団の被害が大きいようで、国も本気だ。今回の討伐隊のメンバーは魔導国師団第一連隊の上位から五名が選抜された。これは異例中の異例だ。
そもそも魔導国師団は人数が多くないのに、もっとも力ある者が五人も抜けるなど、あり得ないのだ。
「だからこそ、ですよ。ついにあのクズどもを駆逐できる日が来たんですよ。今日という日のためにたくさん召喚獣を喚び出してきたんですからね」
そう言うセレンの周りには、五匹の下位から高位の召喚獣が侍っている。それは彼の実力を物語っていた。しかも、彼の所有する召喚獣はこれだけではない。懐には更に上位の召喚獣が眠っていた。
セレンは基本的に負けず嫌いだ。窃盗を続ける盗賊団が許せないという正義感ではなく、いつも手をすり抜けていく盗賊団を必ず自分が捕まえてやるという意地で燃えている。
「殺すなよ、生け取りが命なんだ」
「解ってますよ。絶対に殺すもんですか。死んだ方がましだってくらい痛めつけるのがちょうどいいんですから。言っときますけど、僕はあいつらを狩ることに全力を尽くしますよ。いくら隊長たちがやられようとも助けませんよ」
「うう、歪んでるなぁ…」
にぃ、と笑うセレンに、隣のレイスが怯えたように腕をさすった。
「お前に助けられるほど落ちぶれてねぇ」
リズはふん、と鼻を鳴らして一蹴した。
「そ、それにしても、情報は間違ってなかったようですね。明らかに今までより罠が少ないですよ」
レイスがきょろきょろと周りを見回しながら言う。彼もまた、以前討伐隊に選ばれたことがある人間だった。
「人数が足りてなくて間に合わなかったんだろう」
リズがそう頷けば、セレンも「確かに」と、近くの石を拾って少し離れた茂みに投げた。ガサリ、と石が当たった瞬間、その上の木の影から数本の矢が飛び出してきた。
「スリーズ!」
セレンが短く命じる。セレンの右横に侍っていた茶色い犬型の召喚獣が軽く跳躍し、体を捻る。尻尾がすべての矢を弾いた。
「今回の罠はかなりお粗末な出来ですね」
セレンが鼻で笑う。それにはリズも同意した。
スリーズが罠の張ってあった場所へ駆け出し、そこから仕掛けの紐を銜え戻ってきた。セレンはそれを受け取ると、素手でぎゅっと握り込む。
「この縄、まだ芯まで冷えていませんよ」
つまり、この罠はまだ掛けて間もない。それは、まだ近くにウィスプの虎の人間がいる可能性を示している。
「よかった、あっちの二人の方に現れたら悔しくて発狂するところでしたよ」
二人、とは、別働の討伐隊の二人のことだ。二組に分かれて探索を行っているため、どちらも当たる可能性もあるし、どちらか一方が当たる可能性、もちろんどちらも当たらない可能性もあった。
すでに狂ってるじゃないですか、とレイスから呟きが漏れた。
「隊長、いいですよね」
セレンはレイスを無視し、リズの方をちらりと見ると、彼が何か応えるより先に懐から瓶を取り出し、「ミュゲ、出て来い。一帯にやれ」と素早く命じた。
セレンの目の前に小さな緑色の蝙蝠が現れ、小さく羽根をはばたかせた。
リズとレイスは慌ててセレンの背後へ移動する。それと同時に、森が揺れた。
ミュゲが向いている方向一帯の木々がバサバサっと大きな音をたて揺れる。目に見えぬ強い波動が、衝撃になって広がる。側の木からボトボトっと虫が落ちる。中には小さな鳥の姿もあった。
「今度はこっちだ!」
セレンに命じられるまま、ミュゲは方向を変え衝撃波を放つ。それを四方終えると、セレンはリズを振りかえった。
「これで、少しは痛手を負ってるでしょ。そうそう遠くまで逃げられない」
「だから、ミュゲを使うときは俺に許可を取れと…!」
「取ったじゃないですか」
「……もういい。レイス、探すぞ。鼻の効く奴を使え」
「はいっ」
「僕が一番に見つけますよー」
セレンは楽しげに、落ちた鳥を踏みつけながら進んだ。
◆◆◆
「急げ!」
ファイエットは持っていた鈴をリィンと一度響かせると、短く命じた。その言葉に無言で頷きながら、マルトとサーレンスは走る。が、いかんせんいつものように素早くは走れなかった。
「ああああああっ…ってぇなクソっ!なんなんだよ!」
苛立ちを隠さず悪態をつきながら、マルトは懸命に足を動かした。先ほどのいきなりの衝撃を受け、体があちこち痛い。
「あの戦闘狂の新しい召喚獣だろっ!なんつーもん持ってんだか!」
サーレンスが応えるように怒鳴る。彼もまた、舌を打ち鳴らす。
体が痛かろうが、ファイエットたちはガザガザと近くの葉を鳴らし、ひたすら走った。まだ召喚獣達の姿は見えないが、追いつかれるのは時間の問題だろう。しかし、それでいい。
ファイエット達の役目は囮だ。国師団があの罠に気付くのも、近くに自分たちがいることに気付かれるのも計算の内だ。怪我人やアジトがある方向から国師団を引き離し、他のメンバーが待機している罠のもとに奴らを導くことが役目なのである。
ただし、最初に攻撃を受けたのだけは計算外だった。
バザッと後ろで大きな音が鳴った。ファイエットが振り返れば、遠くにだが召喚獣の姿が見えた。はぐれではない、国師団のうちの誰かに使役されているものだ。そして、ファイエットたちが気付いたと同時に、あちらにもこちらの存在を知られた。
「見つかった!逃げ切れ!」
見つかるのはいいが、いかんせん予定より早い。追いつかれるか、ポイントに到達するか。ぎりぎりと言ったところか。
しかし、スピードを上げようとした三人は、次の瞬間再び見えない衝撃に体を打たれ、地面に倒れ込んだ。
「っ…こんなの、避けようがねぇっての…!」
呻きながら、マルトは何とか痛む体を起こそうとする。しかし、それより先に目の前に茶色い獣の脚がすたっと降り立った。
さっと血の気が引いた顔で見上げれば、大きな犬とそれに跨ったローブの男――セレンがマルトを見下ろしていた。
「見ぃつけた!ほーらね、僕が一番乗りだ!わーお!ファイエットもいる!大当たりだ!」
「っ…セレンっ…ぐっ」
マルトは腰のナイフに手を掛け、急いで体を後ろへ跳躍させようとした。が、その前に茶色い犬の前足がマルトの背中を踏みつけた。
「隊長ー!レイスー!こっちですよー!」
セレンはすたりと犬の背から下り、背後に向かって大きな声を上げる。
「マルトっ」
サーレンスが立ち上がり、長剣で犬に切りかかる。剣先は犬が振るった尾に弾かれたが、バランスを崩したのか、マルトの上から足が退いた。その隙を逃さずマルトは転がりながら獣から距離を取る。
「ああ、やっとこの時がきた。痛めつけろ!全員行け!」
嬉々とした様子でセレンが命じる。犬型の獣が跳躍し、セレンの背後からさらに四体の召喚獣が飛び出してきた。
人間三人に、召喚獣が五匹。さらには他の魔導士もこちらに向かって来ているようだ。明らかに勝ち目はなかった。
ファイエットは短く舌を打つと、懐から爆竹を取り出した。
「サーレンス、走れっ!」
怒鳴ると同時に、爆竹を地面へ叩きつける。バチンっと弾ける音とともに、真っ白な煙が一瞬にして辺り一面に立ち込める。サーレンスは命じられた通り、当初向かう予定だったポイントへと駆け出した。仲間へ今の状況を知らせるためだ。
「目くらまししようが、逃げようが、無駄だ!」
セレンの声とともに、ギュオオオオオ、と、彼の獣の咆哮が響く。薄れた煙の中、残ったファイエットとマルトは身構えた。
「ファイエット…俺もあっち行きたかったんだけど。本当に痛い。体あちこち痛い。酒飲みてぇ」
「俺も痛ぇよ。お前はここで死に物狂いで戦え。戦うの好きだろ。嬉しいだろ」
時間を稼ぐ。そして、いよいよダメなときは自害するしかない。なにか情報を掴まれるよりは、自害した方が仲間のためになる。
冗談交じりに会話しながら、二人はすでに覚悟を決めている。
飛びかかってくる獣たちに向かい、武器を振りかぶった。
◆◆◆
パァンっ、と何かが弾ける音と、ギュオオオオオっと獣の鳴き声が静かだった森に響いた。
「向こうだ」
ジーンの言葉に、祐貴とヴェダも向きを変え、音の方へと駆ける。獣の声はきっと召喚獣のものだ。祐貴の胸に不安が募る。誰かが召喚獣にかち合ったのかもしれない。
やがて、獣の声が再び聞こえだした。しかし、はあはあと息を切らしながら走るが、一向に音の元へはたどり着けない。
「もうすぐケントたちが構えてる場所だ」
祐貴には森の地理はさっぱり解らなかったが、そう言ったヴェダの言葉通り、ややあってケントたちの姿が見えてきた。
「ケントっ!」
ジーンが声を上げると、数名がこちらを振り返った。祐貴たちは彼らのもとに辿り着くと、ひとまず立ち止まった。
祐貴はへたりと地面にしゃがみ込み、咳きこみながらぜいぜいと大きく呼吸した。ジーンとヴェダは僅かに息が切れているだけで、すぐにケントたちに声を掛ける。
「どうだ」
ヴェダが短く問えば、ケントが首をふった。
「こっちにはまだ来てない。が、さっきから召喚獣の声が響いてきてる」
「ファイエット達は見つかったってことか?」
「多分。鈴の音がなった」
祐貴たちが今いる場所は崖になっている。その崖下に、ファイエット達が魔導士をおびき寄せる手はずになっていた。しかし、国師団が来た合図の鈴の音は響いたが、まだファイエット達の姿はない。
「しくじったか…」
ヴェダが呟いたときだった。崖下を見張っていた男が声を上げた。
「サーレンスだ!」
ヴェダ達が急いでそちらを覗きこむ。祐貴もよろつきながらも崖の淵へ向かい、下を見た。そこにはサーレンスがいて、こちらを見上げて大きく声を上げた。
「国師団のセレンだ!途中で追いつかれた!」
つまり、囮は失敗したということだ。いまだ響くこの獣の声は、ファイエット達の元から響いているということだろう。
「行かないと…っ」
祐貴が不安を滲ませた声で呟くと、ヴェダが座り込んだままの祐貴の体を抱えた。
「縄!」
ヴェダの怒鳴り声に、すぐにケントがロープを崖下に垂らす。ヴェダは祐貴を抱えたまま、ロープを掴むとそのまま崖へ体を滑らせた。
「――――っ!!」
五メートルはあるだろう崖を落下するような早さで下る。祐貴は両目を瞑り、声にならない叫びを上げた。すぐにドスンと衝撃が体に響いたが、それは軽いものだった。目を開けば、サーレンスがヴェダと祐貴を支えていた。
心得たもので、サーレンスは直ぐに来た道を戻るように走り出した。祐貴も彼について走り出そうとしたが、すでに体は限界に近く、同じようには走れなかった。
「ユウキに合わせろ」
ヴェダの言葉に、サーレンスも気づき、スピードを緩めた。祐貴が行かなければ意味がない。
「もうすぐだ」
サーレンスの言葉に、祐貴は顔を上げ目を凝らした。遠くに大きなトカゲの姿が見えた。それから、召喚獣が一、二、三…
「多い…っ」
苦々しげにヴェダが言う通り、信じられない数の召喚獣がそこにいる。そのそばに立つ黒いローブの人間は魔導国師団の人間だろう。
じゃあ、ファイエット達は…?
祐貴は走りながらその辺りを見渡す。そして、地面に倒れた血にまみれたスキンヘッドを見つけた。――ファイエットだ。
トカゲ型の召喚獣が動いた。かと思えば、その前足がファイエットの体をまるで石ころのように蹴り上げる。簡単に宙に舞った体は、すぐ側の木に叩きつけられる。
「やめろぉぉぉぉぉっ!!」
祐貴は必死に叫んだ。しかし、遠すぎる。声は届かない。
ファイエットにさらなる攻撃を加えようとする召喚獣に一人の人間が飛びかかった。マルトだ。彼もまた、遠目で解るほど血を流している。その彼に、今度は犬型の召喚獣が牙を剥く。
サーレンスとヴェダが、腰からナイフを抜き、祐貴を置いてスピードを上げた。どんどんと二人の背中は遠ざかっていく。
祐貴は何度も声を張り上げたが、まだまだ距離があった。声さえ届けば、すぐに彼らを助けられるのに。何故、ヴェダ達のように走れないのか。祐貴がいかなければいけないのに。
気持ちが急く。早く。速く。でも、脚は思うように動いてくれない。
力があるのに、何の役にも立てていない――助けられなければ、意味がないのに…!!
悔しさに、涙がこみ上げたときだった。祐貴のすぐ脇をシュン、と小さな塊が駆け抜けた。
「!?」
それが何か理解できない内に、それを追いかけるように、ガザガザっと大きな音が側で鳴った。そして、その音はだんだんと大きくなってきた。
「え…え…っ!?」
祐貴は思わず立ち止まった。目を丸くする祐貴の傍らを、大きな牛のような獣が通り抜けた。その反対側を、今度は豹のような獣が駆け抜ける。その後を熊のような獣が、同じように真っ直ぐ突き進む。そして、犬のような大型の獣、猿のような獣が続く。全て異形の獣――召喚獣だった。数え切れない数ほどの召喚獣たちが祐貴の側をすり抜け同じ方向へ向かっていく。
「何…っ」
呆然と立ちすくむ祐貴を置き去りにして、突如現れた獣たちは、ずっと前を走っていたヴェダ達をあっという間に追い抜き、真っ直ぐにファイエット達がいるところへと向かっていく。
先頭で駆け抜けていった牛型の召喚獣が、ファイエットを襲っていたトカゲに体当たりした。そして、続く獣たちもまた、国師団の召喚獣へと襲いかかっていく。
―――ギャァァァァァっ!!
―――グォォォォっ!!
どの獣か解らない雄叫びが混ざり合い、凄まじい音を生み出す。
「どういう、こと…」
祐貴は止めていた脚をよたよたと踏み出し、進んでいった。
突如現れた召喚獣達は、明らかに国師団だけに攻撃をしている。まるで、ファイエット達を護るかのように。
ヴェダ達もあまりの光景に驚いたようで、呆然と歩みを止めていた。
彼らにやっと追い付いた祐貴のもとに、向かう先からシュン、と小さな塊が飛び出してきた。それは、最初に祐貴の側をすり抜けていったものだった。足元に擦り寄ってくるその姿を見て、祐貴は目を丸くした。
小さな体。茶色の毛並み。つぶらな同色の瞳。
それは。
「……ハナ」
祐貴がそう名付けた、昨日出会ったばかりのはぐれ召喚獣だった。
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