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第四章 -15
そこからはあっという間のできごとだった。
はぐれ召喚獣の何匹かがマルトとファイエットを祐貴たちのもとまで物のように運んできた。そして、すぐに形勢が逆転した。いくら強靭な召喚獣がいようとも数が違いすぎ、国師団の召喚獣が圧されだした。
国師団の連中も早々に勝てないと判断したのだろう。無駄に抗うことはせず、三人各々、召喚獣に跨るとさっとその場を後にする。悔しそうな呻きが聞こえた。
数匹の獣がその後を追っていったが、大半のはぐれ召喚獣は、もう役目は終わったとばかりにそれぞれ散らばっていく。
祐貴たちはそれを遠目からただ眺めているだけだった。
そして残されたのは祐貴たちと、一匹の兎の召喚獣のみとなり、辺りにいつもの森の静寂が訪れた。
あれほど苦しめられていたのが、嘘のようだった。
「すっげぇ…」
ぼそっと呟かれたサーレンスの言葉に、祐貴ははっと我に返った。
「怪我は?」
振り返れば、地面に転がったファイエット達にヴェダが声を掛けている。彼らは出血がひどかったが、意識ははっきりしていた。
「驚きが強すぎて…痛み感じねぇよ」
「俺もだ」
大怪我をしているはずなのに、はは、と乾いた笑いを零しながら言うマルトに、ファイエットが頷く。
ここにいる誰もが、少し混乱しているだろう。ただ、祐貴の足元でじっとしている兎だけが、全てを見通すような静かな目をしていた。
「俺も何が起こったか理解しきれねぇけど…とりあえず、国師団の連中が退散したのは確かだ。ひとまず、全員村に帰るぞ」
ヴェダの言葉に反対する者はなく、サーレンスは他のメンバーに事の次第を伝えに行った。祐貴とヴェダはファイエット達に応急処置をすると、肩を貸し、村へと向かう。
「お前も、くる?」
祐貴が足元への兎――ハナに向かって問いかければ、応えるようにきゅん、と鼻を鳴らしピョコピョコと後をついてきた。
「…こいつが、昨日逃したって言ってた召喚獣なのか?」
道中、ヴェダに寄りかかったファイエットに訊ねられ、祐貴は頷いた。すると、ファイエットは少し考え込むようにハナを見つめた。
「なにかあるのか?」
ヴェダが問えば、ファイエットはためらいがちに口を開く。
「いや、召喚獣に見えないと思ってな」
そう言うファイエットに、祐貴の隣のマルトがうんうんと大きく頷いた。
「そうだよな、俺も最初兎だと思った。でもこいつ、火吹くんだぜ」
「へえ……さっきのは、こいつが他のはぐれ召喚獣を呼んできたってことなんだよな?」
ファイエットの言葉は祐貴へなげかけられ、祐貴は曖昧に首を傾げた。
「そう、なのかな…」
確かに昨日、祐貴は『もっと味方がほしかった』とこぼした。その言葉を受けて、この召喚獣が他の仲間を集めてくれたと考えるのが一番自然だ。
「だけど、召喚獣が群れるなんて聞いたことないぜ」
そう言ったのはヴェダだ。祐貴は召喚獣の知識が乏しいので、頷くマルトを見てそれが常識なのかと納得するしかない。しかしファイエットは、いや、と言葉を紡ぐ。
「群れてたんじゃなく、従っていたんだとしたらどうだ?」
「え?」
「前、少しだけ魔導学を齧ったときに聞いた。召喚獣には森羅万象を統べる王がいると」
「お前、本当に何にでも手出してたんだな。医学だけじゃ物足りなかったのかよ」
少し呆れた様子のマルトの声に、ファイエットは「好奇心旺盛だったんだよ」と苦笑した。
「で?まさか、この兎が召喚獣の王だって?」
「いや……あのはぐれ召喚獣達を見て、ちょっとその話を思い出しただけだ」
「まーなぁ、こんな可愛らしい姿じゃ威厳も何もねぇしなぁ」
そう言ってマルトは可笑しそうに笑ったが、ファイエットはその可能性を捨て切れていない様子だった。
「まあ、なんにせよ助かったんだ」
ヴェダがそう言ってやっと、ファイエットはハナから目を逸らした。
それからは疲れもあって、一行は無言で歩みを進めていった。普通に話をしていたが、やはりマルトとファイエットの消耗は激しく、ようやく変わらぬ様子の村が見えてくるとほっと息を吐いた。
他のメンバーはすでに戻ってきていたらしく、祐貴たちの姿に気付くと、すぐに駆け寄ってきてくれた。元気な連中が怪我人を素早く運び込み、祐貴も村へと促される。
「あ、待って、ハナは村に入れないから…」
昨日、ハナが村に入れず逃げ去ったことを思い出し、祐貴は立ち止まり足元のハナを見遣る。しかし、ハナは立ち止まることなくそのまま跳ねて、祐貴より先に村の中へと入ってしまった。
「え?」
これには祐貴だけでなく、ヴェダも目を丸くした。
「こいつ…樹液の臭い平気なのか?」
ヴェダの呟きに、祐貴はふと思った。では、昨夜いきなりいなくなったのは、やはり他のはぐれ召喚獣を集めるためだったのか。
「…この兎、やっぱり大物なんじゃねぇの」
「そう、かも…」
祐貴たちの驚きとは裏腹に、ハナは首を傾げて祐貴が来るのを待っている。
「まあいい…とりあえず、俺は横になりたい」
はぁ、と大きく息を吐き、ヴェダはすたすたと村の中へと入っていく。彼もまだ傷が癒えてはいないのに、無理をしていたのだ。祐貴はハナを抱きかかえると、ヴェダの後を追った。足はロッジへ向かっている。祐貴も少し休みたかった。
「一緒に連れて行ってもいい?」
ヴェダは横目で祐貴とハナをちらりとみると、もう一度息を吐いた。
「……大人しくさせてろよ」
各々体を休めるながれになり、祐貴はヴェダと共にロッジに戻るとひと眠りし、目が覚めた時には辺りは暗くなっていた。体はだるく、まだまだ疲れはとれていない。しかし、ヴェダはすでに起き上がって部屋を出ていこうとするところだった。
祐貴が起きたことに気付いたヴェダが、顔だけ振り返り短く告げた。
「ファイエットの所に行ってくる」
そのまま出ていくヴェダに、祐貴は慌ててベッドから下りた。
「え、あ…待って、俺も行く!」
足元で丸くなって寝ていたハナをそのまま抱え上げる。一人で残されたくはなかったし、ファイエットの容体も気になった。ヴェダは待たずにすたすたと進んでいったが、来るなとも言わなかったので祐貴は急いで後を追った。
ファイエットは一人で寝ていた。その体には包帯が巻かれており、いくつもの痣が目立ったが、顔色は悪くない。ヴェダが部屋に入ると、すぐに起きてベッドの横にある椅子に腰かけた。
ファイエットの部屋は他の者たちとはかなり違った。綺麗に整頓されていて、机と椅子、それに小さな本棚まであった。
祐貴が物珍しげに眺めているうちに、ヴェダは我が物顔でベッドへ腰を下ろしファイエットと話を始めていた。メンバー全員の怪我の具合や、今回の損失のことを話す二人を祐貴は大人しく余っていた椅子に座って聞いていた。祐貴が口をはさめることなどない。こうやってこの二人でこの組織を回してきたのだろう。
「ユゥキは?」
「え?」
ファイエットに急に話を振られ、祐貴は目を瞬かせた。
「怪我ないのか」
「あ、俺は大丈夫」
祐貴にあるのは疲労感だけで、大きな怪我もない。危険な役割は他の人たちが全部やってくれたのだ。ぶんぶんと首を振る。その振動でか、腕の中のハナがやっと目を覚ました。ぴょんと伸びた耳がぴくぴくと動く。
「そいつ…」
ハナに目を止めたヴェダが、ファイエットに向き直る。
「この召喚獣、樹液の臭い平気だったぜ。お前の意見もあながち捨てきれないかもな」
「召喚獣の王…ってやつか?」
「それそれ」
ヴェダは軽い口調で言ったが、その目は真剣だった。そして、それ以上にファイエットの目は鋭い。その視線がそのままハナへと移されて、祐貴はもぞりと身を捩らせた。
「召喚獣の王はイレだけが喚び出せたって話だ」
ファイエットの言葉に、ヴェダはふぅん、と鼻を鳴らす。
「イレって…あれか、創世記の」
「ああ」
ファイエットが頷くと、ヴェダは口もとに手をあて考え込むように黙った。
祐貴もどう反応して良いか解らず、口を噤んだまま鼻面を押し付けてくるハナの体を撫で続けた。マルトの言葉ではないが、こんなに可愛いのに王だと言われてもやはりピンとこない。
しばらく沈黙が落ちた後、再びヴェダが口を開いた。
「仮に…仮にだ。この兎が召喚獣の王だとしよう。だけど、こいつははぐれだ。命令を遂行する前に主は死んでるってことだろ?」
「そうだな」
「それじゃあ……この兎に命令を下せるユウキは、一体何者になる?」
その質問はファイエットに宛てられていたが、ヴェダの視線は祐貴を捕えていた。祐貴はハナを撫でる手を止めた。自分が、何者なのか。ただの平凡な人間だ――そのはずだ。そう主張したかったが、実際、祐貴は他の人たちが持ちえない能力を持っている。ヴェダの探るような目に、まるで糾弾されているような気持ちになった。焦りのようなものが胸に押し寄せ、不安に喉が渇く。
何かを言わなければ、と祐貴が困惑しているうちに、ヴェダの鋭い目が僅かに見開かれた。その変化を祐貴が疑問に思うより早く、ヴェダが短く舌打ちして頭を掻いた。
「お前なぁ…別に俺はお前を責めてるわけじゃねえよ」
「いや、ヴェダが悪いだろ。お前目つき悪いからな」
自分もなかなか凶悪な人相をしているくせに、ファイエットが笑い混じりに言う。
「ユウキ、こっちこい」
ヴェダはふっと短く息を吐くと、自分の隣のスペースをぽんぽんと叩いた。祐貴は言われるままふらふらとそちらに行って腰掛けた。途端、ヴェダが祐貴の頭に手を置き、がしがしと掻きまわす。乱暴な仕草だが、どうやら撫でているつもりらしい。
祐貴は何度も目を瞬かせた。これはどういうことだろう。ただ、触れられた感触に、怖いほどの焦燥感はすっと消えていった。
「今さらどうのこうの言うくらいなら最初から懐に入れたりなんかしねぇよ」
ヴェダの言葉の意味を測る前に、ファイエットが言葉を継いでくれた。
「今回のことはお前がいなくちゃどうにもならなかったからな。魔導国師団に大きな打撃も与えられた。感謝こそすれ、責めてるわけじゃない。ヴェダはただ単に疑問に思ってるだけだ。だからそんな悲壮な顔するなよ。罪悪感わくだろ」
よほど酷い顔をしていたのだろう。ヴェダ達でも罪悪感を抱いたりするのか、と、ぼんやりと思いながら、祐貴はちらりとヴェダを見た。祐貴から手を離したヴェダは、心底面倒くさそうな顔をしていた。その表情に少しむっとした祐貴だが、気持ちは反して和らぐのを自覚していた。
「それで、ファイエット?」
ヴェダが顎をしゃくり、話を戻す。ファイエットが「ああ」と頷く。
「そうだな……イレと同等の力を持つもの、ってところか?」
「……イレって何」
眉間に皺をよせながら述べたファイエットに、祐貴はやっと声を上げた。僅かに緊張していたが、もうすんなりと声は出た。
『イレ』は、先ほども名前が出ていた。話の流れから推測するに魔導士のようだが、いくらこの国で有名だとしても祐貴が知るはずもない。
ファイエットがそうだな、と気付き、説明を始めた。
「創世記に出てくる魔導士だ」
創世記の存在は、アイザのところにいた頃教えてもらっていた。このエマヌエーレ王国の成り立ちが記された書であり、そこに記された文字がエマヌエーレのものでないために全文は解読されていないというものだ。ファイエットの話では、その創世記に出てくる、初代の王と共に国を作りあげた伝説の魔導士がイレだと言う。
そんなすごい人物と自分が同じ力を持っているのではと言われても、祐貴は俄かに信じられない。それに何より、祐貴は魔道士ではないのだ。
「魔導士の資質があるのは、エマヌエーレ人だけだって聞いた。俺はエマヌエーレ人じゃない」
「そうだな。だけど、何事にも例外ってもんがあるだろ」
ファイエットがあっけらかんと言う。そう言われてしまえば、祐貴も違うとは断言できない。
祐貴が難しい顔で押し黙っていると、ヴェダが口を開いた。
「お前、召喚術のこと学んでみたらどうだ」
その言葉は、今思いついたものではないのだろう。祐貴を伺うヴェダは落ち着いていた。
以前ファイラにも勧められたことがあった。以前はアイザ達に心配を掛けるのがいやで、学びたいなどと微塵も思わなかった。しかし――祐貴はハナを見た。祐貴たちが話している内容が解っているのかいないのか、ハナはじっと大人しくしている。このハナを側においている以上、ある程度のことは知っておいた方がいいのかもしれない。だが、学ぶとなると専門の学舎へ入らないといけないのではなかっただろうか。
「少し齧るくらいでもやってみたらどうだ?俺が教えてやろう。少ししか知識がないから限界はあるけどな」
祐貴の戸惑いを察知してか、ファイエットが提案してきた。ファイエットが教えてくれるのであればここを離れずにすむし、何の心配もいらない。
「それなら、えっと…お願いします」
ハナを抱く腕に少しだけ力を込めて、祐貴は頭を下げた。頭上から少し笑う気配があった。
「さて、と、ならこの話は終わりだ」
そこからまた話は切り替わり、祐貴はまた口を噤んだ。
ヴェダとファイエットの間で話は進み、もうそろそろ終わりかというところでヴェダが言った言葉に、それまで物置と化していた祐貴は思わず声をあげてしまった。
「暫く盗賊稼業は休もうと思う」
「えっ」
二人の視線が祐貴へ向いた。
「あ、その、びっくりして…」
祐貴は首を振って、話を続けるように二人を促した。ファイエットは驚いた気配はまるでなく、ヴェダが休業の提案をすることを見越していたようだ。
ヴェダが少し渋い顔で話を続ける。
「負傷した人間が多すぎる。冬を越すまで療養と、あともう少し鍛えねぇとな。人数欠いただけでこの様だからな…」
会話はファイエットとのものだが、祐貴にも解るように説明しているようだった。
「王都に出してる五人を戻せば大丈夫だろうが、あっちは中止したくねぇしな」
「俺も賛成だ。あっちを継続して休むべきだな」
大きくファイエットが頷く。
「種は十分撒いてある。春になったら収穫だ」
結果、冬の間盗賊稼業は休むことで話は決まった。明日にでも全員に知らせるそうだ。
話はそれで終わり、祐貴とヴェダはそろってファイエットの部屋を後にした。
真っ暗になってしまった村の中を歩く。今日は全員疲れきっているからか、辺りは静かだった。二人と一匹の足音だけが響いた。
「お前、盗賊稼業休みにして不満ないのか?」
祐貴の一歩前を歩くヴェダが、ちらりと祐貴を振り返り聞いてきた。
「え…?うん、だって怪我人多いんなら、その方がいいだろ?」
休むのも致し方ないことだと祐貴もちゃんと解っている。それに、ここに身を置く覚悟はしたが、もちろん、盗賊行為はしないに越したことはない。
「それって城を狩るのも春に持ち越しって事だぞ」
「そうだな」
当然のことだ。祐貴も馬鹿ではないからその位解っている。
しかし、頷いた祐貴に対して、ヴェダは驚いたようだ。そうしてなげかけられた言葉に、今度は祐貴が驚く番だった。
「お前、待てるのか?」
祐貴はぴたりと歩みを止めた。
「あ……」
「どうした?」
訝しんだヴェダも立ち止まり、祐貴の顔を覗きこむ。祐貴はさっと血の気を失くし、唇を震わせた。その様子をどう取ったのか、ヴェダは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「待てないって言っても、どうしようもねぇからな。こっちの落ち度だから不満だけは聞いてやるけど」
――違う。
不満なんてない。ないから、祐貴は自身に対して驚いているのだ。
どんな時も、とにかく早く帰りたいと願っていた。早く日本に帰りたい一心でここまで来たのだ。それなのに、今、あの焦燥感がない。
こちらに来てかなり日が過ぎた。それで、帰郷に対する執着心が薄れてしまっているのだろうか。
帰りたい気持ちを失くしてしまったとしたら、祐貴が今ここにいる意味を失う。怖かった。
「おい、ユウキ」
ヴェダに名を呼ばれ、祐貴は弾かれるようにヴェダに縋りついた。ぎゅっとしがみつけば、少しだけ不安が和らぐ。ヴェダが腕を振りほどくことはなかった。
「俺は…帰りたい…帰りたいんだ」
その言葉はヴェダにではなく、自分に言い聞かせるものだ。それを愚痴と取ったのだろう、ヴェダは頷いた。
「春には必ず城に仕掛ける」
ヴェダの言葉に、祐貴は何度も頷いた。
「ああ、春に、絶対――」
そう、春には城へと入れるのだ。今は急いでもどうにもならないのだから、仕方ない。以前急ぎすぎて、祐貴は一度失敗している。急いては事を仕損じることを知っているから、焦燥感がないのだ。
そう思えてやっと、祐貴は気持ちを落ちつけられた。
「春まで――待つんだ…」
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