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第五章 真実の欠片-1
咲き誇った花々と着飾った人々で賑わいを増した庭園は、春を迎えた歓びに満ち溢れていた。
慣例行事である迎春の祝賀会は、白椿城の前庭を解放されて行われる。普段は限られた人々しか入れない城内に、この日ばかりはその権利を持たぬ者も入れるのである。とはいえ、それも招かれた貴族や、功績を上げた魔導士、そしてその連れあいの者たちだけであるので、一般庶民には関わりのない話ではある。
招かれた客の一人であるアイザは、グラッドストン家当主としての挨拶回りに忙しかった。
「グラッドストン伯、ご機嫌麗しく存じます」
「ジャスリィ伯、ご無沙汰しております。先の会議では大変お世話になりました」
「いえ、無事に終えられて何よりです。農夫に対する采配が実に素晴らしかったと伺っておりますよ。おかげで不満も少なく、予定も繰り上げられたとか……」
「とんでもない。私は偉そうに眺めていただけです」
「またまた、ご謙遜を……」
おべっかを織り交ぜながらの会話が続く。
パーティを楽しむ余裕もないが、引き連れてきたシッチとディードは、前庭とは言え滅多に入ることができない城内に浮足立っている様子だった。
「私は宰相にご挨拶に向かうから、二人は自由にしていていなさい」
宰相への挨拶の列が短くなってきたのを見計らい、アイザは従者二人にそう声を掛けた。
「はい!粗相のないよう気をつけます!」
アイザから離れた二人は早速料理のある場所へ向かった。その活き活きとした姿に微笑みながら、アイザも目的の場所へと足を向ける。
前庭より一段上がった場所にある東屋に、ディズールはいた。
そして、その隣に佇む女性が一人――リーナだ。彼女も宰相の妹君として、この会に出席していた。
内心重たく思いながら、アイザは二人の前に立った。
「お久しぶりです。新春のお慶びを申し上げます」
礼を取ったアイザに、リーナはむっつりとした顔でそっぽを向いた。リーナと顔を合わせるのは収穫祭以来だった。その後、謝罪の手紙を送ったが、リーナからの返事はなかった。返事がないならないで、アイザは重ねて贈り物をしたりもせずにあえてそのままにしていた。失礼を承知でディズール家へ婚約解消の申し入れもしようとしたのだが、それは考え直してほしいと言う宰相の所で止まってしまい、今はなんとも不安定な状態となっている。
ディズール宰相はそんな妹の態度に苦笑し、アイザに飲み物を勧めてきた。アイザはそれをありがたく受け取った。
「随分と暖かくなりましたね。花も見ごろで、庭師の方々も誇らしげにしていましたよ」
ディズールは気を使ってか、何気ない会話を振ってきてくれる。
「ええ、あちらにあった君子蘭は、それはもう見事でした」
アイザは頷き、ちらりとリーナへ視線を向けた。
「リーナもご覧になりましたか」
さすがに面と向かって話しかけられ、無視することもできなかったのだろう、リーナは悔しそうな顔でアイザを一瞥した。
「私は蘭よりも薔薇が好きですの」
この返答にはアイザも肩を竦めるしかない。
それから二、三言会話を交わし、アイザはその場を後にしようとした。宰相への挨拶を待っている人間はまだたくさんいる。アイザが長居するわけにもいかない。
しかし、去ろうとするアイザをディズールが呼び止めた。そして、隣のリーナを促した。
「リーナ、君も行きなさい」
リーナは目を丸く開き、驚いた様子だ。それはアイザもそれは同様だ。
「グラッドストン家の婚約者として、ともに挨拶をしないと」
ディズールの言うことはもっともだ。だが、現在二人の関係は曖昧なものだ。アイザが断りを口にするより先に、リーナが憤慨したように口を開いた。
「いやです!なんで私が……!婚約だってお兄様が言うから受けたのに、この方は失礼な態度ばかり!私より従者を優先させる!それに…また、泥臭い農夫なんかを従者として雇っていると聞きましたわ、信じられない!」
「……ディズール様、挨拶回りはほとんど終わっていますので、大丈夫です。リーナはディズール家のご長女としてこのままこちらにいた方がいいでしょう。では、失礼いたします」
アイザはそれだけ言うと、ディズールたちが口を出すより先にその場を去った。
リーナが言った農夫というのは、ディードのことだ。橋の修繕事業の間中、アイザは彼に自身の仕事を手伝ってもらっていた。彼の怪我は酷いものではなく現場にも戻れたのだが、人では十分に足りており、何より彼の人柄や仕事の早さに、手放すのが惜しくなったために手元に置いていた。修繕作業が終わった今、もうすぐ彼は地元へ帰らなければならないが、それまではと頼んで従者として働いてもらっているのだ。
リーナは泥臭い農夫と見下すが、公共事業に与した彼の身元は保証されている。なにより、彼は名ばかりの貴族よりよほど仕事ができる。
ちょうど遠くで料理を頬張っているシッチとディードの姿を見つけ、アイザは大きく息を吐き、首を振った。
落ち込んでいる場合ではない。今日、アイザにはまだやることがあるのだ。
アイザは首を巡らせて目的の人物を探した。幸運なことに、その人はシッチ達とは遠く離れた場所に一人でいた。今のうちに、と、アイザは足早にそちらに向かった。
「カーリス伯」
アイザが声を掛けると、着飾った小太りの男が振り返る。彼――カーリスはアイザの姿を認めると相好を崩した。
「これはこれは、グラッドストン伯じゃあないか」
アイザも顔に笑みを張りつけながら、カーリスの隣に並んだ。お決まりの挨拶を交わしてから、アイザは周りを少し気にするそぶりを見せ、わざと声をひそめさせた。
「……どうですか、そろそろ開かれるなんて話は出てないんですかね」
そう言った途端、カーリスの顔が好色そうに歪んだ。そして、嬉しそうに頭一つ分は高いアイザの肩を叩いた。
「いやいや、君も好きだねぇ。新進気鋭のグラッドストン伯と、この高尚な趣味を共有できるなんて嬉しいかぎりだよ」
アイザは肩に置かれた手を振り払いたい衝動を何とか抑え、微笑んで見せる。
「なかなか入手が難しいもので…苦労しているんですけどね」
「そうだろう、そうだろう。下衆だなんだと言ってくる輩も多いからな。先月手に入れたのは色が抜けるように白くてな……打つと、後が真っ赤になってそれはそれは綺麗なんだよ。ただ、声が少しうるさくて躾中なんだが……」
その言葉を聞きながら、下衆以外の何だ、と思う。
カーリスの言う高尚な趣味とは、アイザには到底理解できるものではなかった。
カーリスは、まだ年端もいかない子供に猥褻な行為を行うのが好きな男なのである。
これは、カーリスを調べていて得た情報である。以前、謀反に関する調べで魔導院議員である彼がよくシィアに現れるという話が出たとき、可能性はないと踏んでいたが、念のために調べ始めたのがきっかけだ。
予想通りに謀反に関しては限りなく白だったが、調べれば調べる程、吐き気を覚える『高尚な趣味』が露わになっていった。彼は独自のルートを持っているらしく、そこで奴隷として売られる子供を定期的に買い取っているらしい。
本来ならば、証拠を押さえ訴え出て、カーリスから議員と貴族の称号を剥奪してもらうよう動くべきだ。しかし、そのカーリスの持つ独自のルートが、アイザに待ったを掛けた。
その中に不定期に開かれる競りがあるらしく、そこにはカーリスが求めるような子供の奴隷や、高価な宝玉や美術品、あらゆるものが出品されるらしい。正規の販売ではない、ということは、それらのほとんどが盗品であろうことは考えずとも解る。それを見逃しているカーリスにますます吐き気を覚えるが、あえてアイザも目を瞑った。
盗品が並ぶということは、その出所を辿れば盗賊団――あのウィスプの虎に繋がる可能性が高いのだ。
「……それで、競りはいつ…?」
虫酸の走る話をなんとか聞き終えてアイザが重ねて訊ねれば、アイザがよほど奴隷を欲しがっていると思ったのか、カーリスはにやにやと笑った。
「ふっふ、グラッドストン伯も若いねぇ…。それが、近々開かれるかもしれないんだ。参加したいだろう?」
「もちろん!」
アイザは大きく頷いた。
そのために、カーリスに近付いたのだ。アイザが幼子が好きであるという嘘をカーリスの耳に入れ、気持ちの悪い話に何度も付き合いながら彼の信用を勝ち取ってきた。シッチには申し訳ないが、カーリスの中では彼はアイザの稚児と思われている。
「主催者に話を通しておこう」
得意そうなカーリスに上辺だけの礼を述べ、アイザはやっと二人の従者の元へと戻っていった。
「アイザ様、このお肉がすごくおいしいんですよ!ディードったら、一気に食べちゃって…」
リーナと顔を合わせるのも、カーリスと話を合わせるのもアイザには重荷だった。嬉しそうに笑うシッチの笑顔を見て初めて、アイザは肩の力を抜くことができた。
◆◆◆
「だから、この距離とこれだけの箱数だったら、すべての荷物を一気に運ぶより、少ない荷物で五回に分けて運んだ方が運賃が得なんだよ」
地面に木の棒でがりがりと数式を書きながら、祐貴はぐるりと自分を囲む面々を見回した。
「わかった?」
訊ねてはみたものの、誰一人としてうんとは言わない。人一倍難しそうな顔をしていたエラーが、がりがりと黄色い頭を掻きながら諦めたようにニカっと笑った。
「とりあえず、それなら五回に分けて運ぶことにしようぜ!」
「おう、そうだな」
エラーの言葉に賛同するように、マルトやケントが大きく頷く。もう考えることを放棄している様子に、祐貴は皮肉を込めて盛大な溜め息をついた。
そんな祐貴の僅かな主張を無視して、祐貴を囲むように座り込んでいたウィスプの虎の団員たちは各々散らばって自分の仕事へと向かっていく。祐貴も数式を書き散らした地面を足で蹴って調理場へと足を向けた。今日は夕食を作る当番だ。太陽が傾きかけているのでそろそろ準備をしなければいけない。
その後ろを、ちょこちょこと兎の姿をした召喚獣――ハナが追いかけてくる。
「俺の教え方って下手なのかなぁ?」
ひとり言のように呟くと、後ろからきゅん、と肯定とも否定ともとれる相槌が入った。
ウィスプの虎の面々は、基礎教育を受けていないために計算などがすごく杜撰だ。それでも盗賊としての勘なのか、なるべく損失の少ない選択をしてきたようではある。しかし、それでもベストの選択ではない。なので、祐貴が計算法を教えようと思ったのだが、どうにもうまくいかない。皆、自分で考えようとはしないのだ。
一度、ファイエットに愚痴をこぼしたことがある。ファイエットはあらゆる知識があり、色々な仕事を押し付けられているのだ。しかし、ファイエットは「教えるのは一日で諦めた。みんな甘えたいんだよ。頼られるのも悪くない」と笑っていた。
「まあ、解らなくもないけど…」
ふん、と鼻を鳴らして、祐貴は調理場の扉を開いた。中にはジーンがいて、すでに野菜の皮むきを始めている。今日は彼と二人で当番だ。
「よーぅ、ユゥキ。今夜はちょっと豪勢にするよん。もう少ししたらサーレンスも手伝いに来るからな」
「豪勢?何か大きなのが売れた?」
ジーンの隣に腰掛け野菜に手を伸ばしながら、祐貴は訊ねた。今、ウィスプの虎は盗賊稼業を休んでいるが盗品のストックはたくさんあり、それをちょこちょこと売っているおかげで食うに困っていないそうだ。
休業中だが、ダラダラと過ごしているわけではない。
祐貴はもちろんだが、各々体がなまらないように鍛錬は怠らないし、ヴェダやファイエットはよく――ここ数日もだが――ランドックの街に出て何かをしている。昨夜は、祐貴がウィスプの虎に来てすぐに情報収集のために出ていった仲間が三名戻ってきていた。かなり久しぶりに会ったが、顔を覚えていてほっとした。
彼らは公共事業にもぐりこんで、城や貴族の情報を集めいてた。まだ王都に残り、諜報活動に励んでいる者も二名いる。
首を傾げる祐貴に、ジーンは少し垂れた目を細め、にんまりと企むように笑んだ。
「最近、かなり暖かくなったと思わない?」
「うん、そうだね」
祐貴は頷いた。流石に朝早くや夜更けは少し肌寒いものの、随分と暖かくなってきた。シャツも薄いもの一枚で大丈夫なくらいだ。
「今夜は集会だってさ」
ジーンはかなり上機嫌にそう言って、ついには鼻歌を歌いだした。
集会がひられるときは限られている。大きなオークションや狩りなど、打ち合わせが必要な場合だ。
暖かくなった――春が来た。そして、集会。
「盗賊稼業、再開……ってこと……?」
祐貴は目を瞬かせた。
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