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第4話

 五限目、教師が休みのため数学は自習になった。配られたプリントを黙々と解く章斗に、前の席に座った小野原が振り返り話しかけてきた。 「それで、どうなのさ、香寺。上手くいってないの?」  何のことを言っているのかは直ぐに解った。紘希に頼んでいる件のことだ。章斗はプリントを解く手を休めないまま、口を開く。 「さっきも断られた。何度も行っているんだけど、嫌だの一点張りなんだ。どうしよう」 「うーん、手ごわいねぇ」 「お前、押し掛けて迷惑かけてんだろ。キレて殴ったりしない船橋がすげーいい人に思えるぜ、俺は」  隣の席の光山も話に加わってきた。  ここ最近、校内に新しい噂が増えた。それはもちろん光山や小野原の耳にも届いている。三年の香寺は実はホモで、二年の船橋を狙って追いまわしている、というものだ。あながち間違いでもない。  章斗だって多少は迷惑をかけている自覚もあるが、必死なのだ。少しくらい目を瞑ってもらいたい。  断られ続けてもう四日目だ。 「いくらか包んだら受け取ってくれるかな」  ふと手を止めて呟いた章斗に、小野原の笑い声が乗っかる。 「それって援助交際みたいだね」 「章斗、馬鹿な考えはやめとけって。つーかなんでそんな船橋にこだわるんだよ。他に方法考えろって……いや、違う、間違えた。尚斗のことはあきらめろって」 「でもなぁ…」  あきらめろという言葉を無視し、他の方法……と考えつつも、章斗にはもう紘希に頼む他のアイデアは一切浮かばなかった。彼に実地で教えてもらうのがベストだと思ってしまっている。  しょんぼりと俯いた章斗に、小野原がその肩をぽんと叩いた。 「香寺、俺いいこと思いついたんだ」  その言葉が、章斗には天の声にも思えた。ぱっと顔を明るくして目の前の小野原に希望の眼差しを向ける。 「なに!?」 「小野原お前…っまた余計なことを!」  光山が慌てて待ったをかける。しかし、小野原はちらっと横目で光山を見ると、つんと唇を尖らせた。 「だって俺、香寺に協力するって決めたんだもん」 「だもんじゃねーよ!」  章斗といえば、はなから光山の声なんて聞いてはいない。はやく小野原の名案とやらを聞きたくてうずうずしていた。 「小野原、教えて!」 「あ、うん。船橋の方がむしろこちらこそお願いします!って思うように仕向ければいいんだよ。だから、船橋の好みを調べて、あいつ好みに寄せてみるっていうのはどう!?」 「小野原、天才っ!!それだ!!」  なるほど、そんな手があったとは…!章斗は天啓に導かれたとばかりに目を見開き、何度も何度も頷いた。光山はなんとも渋い顔をしていた。 「じゃあさっそく船橋の好みを調べて…っ!」  章斗は今にも教室を飛び出そうな勢いで立ち上がったが、小野原がそれをとめた。 「まあ、待って。香寺」  にやりと笑いながら、章斗の腕を引いて再び椅子に座らせる。そして、すっと一枚のルーズリーフを机の上に差し出した。 「これは…?」 「船橋の好み、リサーチしておきました」  キャハ、と後ろに星が付いてそうなノリで小野原は片目を瞑る。  章斗は震える手でルーズリーフを取ると、小野原と何度も見比べ、感激のあまりじんわりと涙目になった。 「小野原!!神!!」 「崇めて、崇めて、奉って~」 「どこまで暴走するんだよお前ら…」  ぶつぶつと泣きごとを漏らす光山を置き去りにして、章斗と小野原は「船橋好みになろう計画(仮)」の打ち合わせに入ったのだった。  早速その日の放課後、章斗は紘希を追いかけるのは休んで生まれて初めて美容室に行った。  章斗は特にこだわりもないので、小学生のころからずっと同じ髪型だ。器用なので中学くらいからいつも髪は自分で切っている。それを人に言うと驚かれるので、腕は悪くない方だ。  だが、船橋の好み(小野原調べ)の小奇麗な感じのショートというものが章斗には良く解らなかった。小野原が章斗に似合うさっぱりショートにするのはこう言えばいいとオーダーの仕方を教えてくれたので、その通り担当についてくれた美容師に伝えると淀みなくカットを始めてくれた。  切り終わった自分を見て、なるほど、と章斗は納得した。前髪は右に流して額が現れ、耳を覆ってしまっていたサイドの髪は半分を覗かせるくらいに短くなった。しかし、後ろは襟足が跳ねない程度に長さは残されていて、全体に薄く段がいれられていてすっきりとしている。確かにこの方が、前の髪型より断然章斗に似合っていた。美容師も、お世辞かもしれないが、よく似合ってますと何度も褒め称えた。  今度から自分で切るときもこういう風に切るか、と章斗はカット代兼授業料を五千円払い、自宅へ帰った。  いつもより遅く帰った上に明らかに髪型が変わっている息子に対し、母は驚いたものの「可愛い可愛い」とほくほくしていた。なかなか親バカである。 「えっ!兄ちゃんどうしたん?」  いつも通り七時過ぎに帰ってきた尚斗も、章斗を見てびっくりしていた。 「変?」 「いや、すっごくいいよ。似合ってる。兄ちゃんももっとおしゃれしたらいいのに」  カッコイイ、と尚斗に褒めてもらい、章斗のテンションは一気に急上昇した。尚斗に気に入ってもらえただけでも、高い金を出して切った甲斐がある。柄にもなく鏡の前で自分を見つめたりして。  そして翌朝、いつものようにチョリの散歩に行って弁当を作り、尚斗を起こして家族そろっての朝ごはんを終えた章斗は、部屋の姿見の前で頭を抱えた。  船橋の好み(小野原調べ)によると、だらしなくない程度にカジュアルな感じが好き、だそうだ。清潔感があるのは大前提だが、章斗のようにきっちりかっちり真面目腐った格好はよろしくないらしい。  数分悩んだ後、章斗はいつも締めているネクタイは鞄に押し込み、ワイシャツのボタンを二個ほど空けてみた。ズボンを緩めるのは流石に抵抗があって、とりあえずこれで、小野原にアドバイスでももらおうと結論付けた。  この他の紘希の好みといえば、目は切れ長で唇は厚め、シャープな輪郭が挙げられていた。章斗は丸くはないが顎も細くないし、目もくりっとしていて切れ長には程遠い。唇もどちらかといえば小さく薄い方だ。しかし、これはもう整形でもしないとどうしようもない。これでもう、できる限りはやったのだ。  章斗が一息ついたところで、コンコン、と部屋の扉がノックされ、尚斗がワックス片手に入ってきた。 「兄ちゃん、髪やったげる」 「ナオぉ、なんていい子だ!ありがとー!」  章斗はもうこのまま行くつもりだったが、そう言えば昨日の美容師は、緩めのワックスで形整えてね、とかなんとか言っていた。  尚斗にちょいちょいと髪を弄ってもらい、章斗はにへらっと顔を緩ませた。尚斗にしてもらったら五倍は良くなった気がする。  これで紘希は気に入ってくれるだろうか。少しわくわくとしながら、章斗は意気込んで登校した。  紘希は重い足取りで通学路を進んだ。金曜日、週末だ。一週間の疲れが溜まってくる日でもあるのだが、今週は今までで一番疲れる一週間だった。  原因は明らかだ。しつこく付きまとって来る香寺章斗のせいだ。  朝、昼休み、放課後。きっちりやってきては相変わらず真剣な目で奇矯な依頼を申し出てくる。彼が本気なのだということは嫌というほど解ったが、自分を巻き込まないでほしい。 「よ、おはよー」 「あー…はよー」  挨拶してきたのは、昨年クラスが一緒だった友人の徳永だった。久しぶりの顔合わせに、二人並んでだべりながら教室へ向かうことにした。 「船橋、なんかすごい熱烈なラブアタック受けてるらしいじゃん」  開口一番、徳永はニヤニヤしながらそんなことを言ってきた。章斗に追いまわされているという話はかなり広がっているらしい。弟云々は流石に伝わっておらず、章斗が紘希に告白しまくっているという認識のようだ。実際はラブアタックではないのだが。  紘希が辟易していることを見越して面白がっている友人に、紘希はふん、と鼻を鳴らした。 「うるせーよ。それはもう昨日で終わったんだよ」  そう、昨日の放課後、急いで逃げようとしていた紘希の元に、章斗は現れなかった。少しだけ拍子抜けした紘希だが、やっと諦めてくれたということに心から安堵していた。 「もう来ないよ」  今日一日を平和に過ごして、来週からまた日常に戻るのだ。 「なんだ、つまんねーの。お前に初彼氏ができたのかと思ったのに」  どうでもいいくせにそんなことを言いながら、徳永は首の後ろで手を組んだ。 「やめろ。俺はせいせいしてんだから」  章斗は紘希に惚れているわけでもないし、紘希だって章斗はお金を積まれたってお断りだ。 「せいせいねー…でもさぁ、あれってウワサの彼じゃね?」 「え?」  言われた言葉にぎくりとして数メートル先の五組の教室の方を見ると、教室内に入らず廊下に佇んでいる生徒がいた。しかし、距離が少し離れているため良く見えないが、その雰囲気は章斗のものじゃない。 「あれは違う人だろ」 「あ、そーなん?ちょっと見てみたかったのになー…じゃ、またな!」  すでに徳永の教室の前まで来ていたので、別れた紘希は一人で五組の教室へ向かう。  何はともあれ章斗がいなくて良かった。そう思いながら教室の扉に手をかけた時だった。 「船橋!」  この数日で嫌というほど耳にした声が届き、紘希はぎょっと振り返った。しかし、声の主である章斗の姿はない。  やばい、幻聴が聞こえるほどノイローゼになっていたのか…。 「おはよう!」  しかし、声はまた聞こえた。そして、その声を発した人物を紘希は目にした。 「え?あ、あんた…」  先ほど、章斗じゃないと認識した彼だ。ぱっと見違う人に見えて意識していなかったが、正面から見ると明らかに彼は章斗だった。  昨日と変わらない笑顔を讃える章斗だが、その雰囲気は昨日とは全く違っていた。だから気付かなかったのだ。 「髪、切ったのか」  呆然としながら、紘希は思わず訊いてしまった。そう、髪型がまず違う。昨日までの暗く重たいイメージから、スッキリとしたスタイリッシュなものに変わっている。 「ああ、船橋の好みにしてみようかって思って」 「俺好み?」  紘希は目を瞠って聞き返した。章斗はこくりと頷く。 「こういう髪型好きって聞いたから。あと、制服も…こういう着方の方が好きなんだろ?」  そう、制服も着崩されている。昨日までの真面目くさった印象はいっさいなかった。  紘希は驚きすぎて言葉がでなかった。章斗の新しい髪型は確かに自分好みのもので、彼によく似合っているし、制服の節度ある着崩し具合も好きだ。それによって章斗はぐっとかっこよくなっている。  しかし、紘希が驚いているのは章斗がかっこよくなったからというわけではない。よくはなったが、もともと顔は悪くないと思っていたし、それでもやはり紘希のタイプからは遠いのだ。紘希が驚いているのは…… 「なに……あんた、わざわざ俺のために…髪切ったの…?」 「ああ」  あっさり即答した章斗は、「どうかな?ナオがセットしてくれたんだ」と首を傾げている。  いや、どうかな、じゃないよ。この男の目的は男同士のセックスの方法を知るってだけだろう?普通ここまでするか? 「……いや、この人は普通じゃないんだった…」  頭を抱えながらぼやき、紘希はちらりと章斗を見遣る。ばっちり目が合ってしまった。 「船橋、これダメ?セックスできない?やっぱ整形しないとダメか?」  今の時代、男同士の体験なんてそこらに転がっている。ノンケの男を一から仕込むのが好きなんて奴もわんさかいる。それなのに、なんでここまで紘希に固執するのだろうか。同じ学校で身元が確かだからか?  なんにせよ、ここでダメと言うと本気で整形しそうだから怖い。  別に、好きな人としかやりたくないとか、乙女な思想を紘希は持っていない。むしろ、今までひとりの人と付き合ったことなどなく、刹那的な快楽しか得たことのない身だ。章斗に対して付き合いたいとは思わないが、体だけなら……生理的嫌悪はない。 「…………マイリマシタ。ワカリマシタ」  盛大な溜め息と共に両手を挙げ、紘希は章斗に放課後また来るように、と告げた。  その意味を理解した章斗は、何故か涙目になってにっこりと笑う。 「俺、昨夜だけど、ちゃんと腸内洗浄してるからな」 「だからあんたデリカシーってものを……………や、もういいや…」  なんともやるせない気分になり、紘希はそのえくぼに指を突っ込んだ。「痛い!」と言う章斗にちょっとだけ気分が晴れた。

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