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第6話

 船橋紘希は後悔していた。  金曜、章斗の申し出を受け入れ、月曜の放課後にまた、と約束した。  そして土日を経て月曜になってしまった今、なぜ了解してしまったのだろう、と後悔の念が強まっていた。  いや、理由は解っている。断ればまた付きまとわられるから…というのは二番目の理由で、一番は馬鹿馬鹿しすぎるあの真剣さと涙に絆されたからだ。  紘希は別に情に篤い人間ではない。しかしあのとき、痛みに耐えて震える姿は、デリカシーのない宇宙人ではなく、ただの弱々しい、庇護欲を掻きたてる普通の人だった。涙で目を潤ませてしゅんと見上げてくる章斗を可哀相だと、行動理由はどうあれ、いじらしいと思ってしまったのだ。  そこまで解っていても、後悔の念はいくらでも湧きあがってくる。 「俺の馬鹿…」 「船橋くん!」 「ん?」  机に突っ伏していた紘希は自分を呼ぶ声に顔を上げた。見れば西岡が小走りでこちらに寄ってくる。今日は一人だった。 「なに?」 「あの…あのね」  西岡は頬を僅かに紅潮させ、言いにくそうに視線を彷徨わせる。告白かとも思ったが、流石にクラスメイトがわんさかいる朝の教室でそれはないだろう。しかも、素早く周りを見てみれば、全員他のことをしながらもこちらに耳を傾けているのが分かった。紘希は座ったまま、急かすことなく西岡の言葉を待つ。 「その…あの、三年の先輩と…付き合ってるってホント?」  ややあって西岡の口から出た質問に、紘希は暫く言葉を失った。三年の先輩と言うのは、たぶん章斗のことだろう。どうしてそんな話になっているのか。 「そのっ…あの先輩船橋くんにいつも会いに来てたし、先週の金曜一緒に帰ってたし」  無表情の紘希をどうとったのか、西岡は早口で捲し立てる。じっとこちらを見る瞳は「嘘って言って」と訴えかけている。 「付き合ってるの…?」  教室内がしん…と静まった。もう皆カモフラージュすらせずにこちらに視線を向けていた。  ―――ああ、めんどくさい。俺のことなんて放っておいてくれればいいのに… 「うん」  半ば自棄になった紘希が頷いた途端、教室は爆発したかのように騒がしくなった。  ギャー!とか、マジで!?ホンモノだったんだ!とか叫び声が飛び交う。教室を飛び出した者もいた。他のクラスの奴に言いふらす気だろう。  決していい気分ではないが、もういい。これでいい。こうなれば流石にもう、女子も絡んでは来ないだろう。こちらだって犠牲を払っているのだから、少々章斗を利用させてもらってもいいはずだ。 「……先輩のこと、好きなんだ…」  若干青くなった西岡が震える声で訊ねてくる。 「え……ああ、まぁ…」  不本意だが、これは頷かなければならないだろう。顔を引きつらせないようにしながら、なんとか紘希は肯定した。  途端、西岡が俯いた。泣いてしまったのだろうか。別に紘希が悪いわけではないけれど、後味は悪い。  微妙な気持ちでどう言葉を掛けるべきか悩んでいると、西岡が勢いよく顔を上げた。  その瞳は潤むと言うよりはギラついていて、何かの決意に燃えている。 「―――私、船橋くんのこと好きだったんだけど…これから応援するね!二人のこと!」 「へ?」  一瞬言われた意味を理解できず、紘希はぽかんと口を開く。  すると、脇から他の女子が勢いよく手を上げながら寄ってきた。 「あっ!わ、私も…!!」  その声に呼応するように、次から次に、「私も!」と言いだす女子が紘希の机を取り囲んでしまった。 「は?」 「自分は駄目でも…船橋くんには幸せになって欲しいし!」 「うん、私もそう!」 「ちょっ…」 「あ、これ…船橋くん誘おうと思って買ってた映画のチケットなんだけど…よかったら先輩と行って!」 「いや、いらな…」 「女の人にとられるより応援できそう!」 「だよね!しかもあの先輩ちょっとカッコいいし、いいんじゃないかな!」 「何か困ったことがあったら何でも言ってね!!」  怒涛の勢いで捲し立てられ、紘希の言葉は誰にも届かない。無理やり手に握らされた映画のチケット二枚を押し返すことも叶わない。 「いや、待ってくれ。俺のことはそっとしておいてくれれば…」 「そういうことなら俺も応援するぜっ!全力でバックアップしてやる!!」  一際大きい声でそう言ったのは、女子でできた壁の向こうにいる男子だった。活き活きとした声の主は、確か以前西岡に話しかけられた際に睨みつけてきた奴だ。  それを引き金に、今度は男どもの声がそこかしこからあがり始めた。 「俺だって力になるぜ!」 「俺も!!」 「今まで船橋のこと女に冷たい嫌な奴だと思ってたけど…俺間違ってた!お前はただただあの先輩一筋の、一途な奴だったってことだよな!」 「やるな船橋!男の鑑だぜ!」  教室内は異様な熱気に包まれた。昭和の熱血学園ドラマのような一体感に、クラスメイトの誰も彼もが酔いしれてしまっている。 「勘弁してくれよ!!」  悲痛な紘希の叫びを聞く者は誰もいなかった。 「船橋」  食堂で名前を呼ばれ、生姜焼き定食を食べていた紘希は目だけをそちらに向けた。  トレーを抱えた徳永がこちらに寄ってきて、空いていた向かいの席に勝手に腰掛ける。紘希は何も言わないままその様子を見ていた。 「なんだかすごいことなってんなぁ、お前の周り」  食事に取り掛かりながら、徳永はちらりと紘希を見ながら言った。章斗の事と、クラスメイトの妙な奉仕精神のことを言っているのは明白だった。噂はしっかり尾鰭を付けて広がってしまっているらしい。  紘希は何も答えず、少しだけ息を吐いた。そんな紘希の反応に、徳永は片頬を上げて苦笑した。 「どこまで本当の話?」 「どこまでって…お前が何を聞いたのか知らないっつの」 「ああ、まずはー、お前が香寺先輩にベタ惚れでぞっこんでメロメロ。で、二人はラブラブ」  おぞましい同義語を並べたてられ、紘希は軽く目眩がした。 「やめてくれ…」  軽い気持ちで女子避けに嘘をついた結果がこれだ。まさに身から出た錆だ。  付き合ってると思われるくらいならいいのだが、なぜだか噂は徳永が言ったように、紘希が章斗を好きで好きで好きでたまらない!というような内容となってしまっているのだ。あの章斗にベタ惚れだなんてやめて欲しい。紘希のプライドはずたずただった。 「ヤメテクレって…付き合ってねぇの?」 「…………いや、付き合ってるけど」  たっぷり悩んで、紘希は肯定した。付き合ってないと正直に言ってもいいが、結局今日も章斗と約束をしてしまっている。まさか実践付きで男同士のやり方のレッスンをしてるなんて突拍子もない爛れたことは言えないし、言いたくない。紘希に露悪趣味はないのだ。 「じゃあメロメロが嘘か。そうだよなぁ。どっちかって言うと、あの先輩の方がお前にゾッコン☆ラブって感じだったもんなー」  カラカラと笑いながらそう言う徳永に、少しだけ紘希の溜飲は下がった。別に章斗は紘希に惚れてはいないが、紘希が章斗に惚れていると思われるより断然いい。  紘希は敢えて徳永の言葉を否定しなかった。 「あとは、お前のクラスの奴らがお前と先輩のバックアップをするって盛り上がってるとかなんとか」  それはまったく間違いない情報だ。男子も女子も何故だか張り切っている。紘希はああ、と頷いた。  男子からの応援は女子を取られたくないという思いが込められているのだとうっすら解るが、女子たちのあの反応は意味が解らないと紘希はぼやいた。すると徳永はあっけらかんと答えた。 「それはあれだろ。三割は純粋な応援で、七割は『応援するいじらしい私』ポジションでお前と先輩が別れるの待ってるんだろ」 「え…なにその計算高い感じ…」  その言葉が真実であれどうであれ、紘希の望みはそっとしておいてもらうことなのに。  がくりと紘希が落ち込んでいると、新しい声が割って入った。 「あ、徳永」 「あ、先輩。こんちゃっす」  テーブルの脇を通りかかった二人組は、徳永の知り合いらしい。そちらを見遣った紘希は、おっと目を瞬いた。  話しかけてきた男は背も低く、雰囲気が柔らかく可愛らしい。先輩と言うことは三年だろうが、どう見たって年上には見えなかった。  そして紘希はその人よりも、もう一人の方に目を奪われた。背も平均的に高く、ちゃんと先輩に見える。短く刈られた髪と、すっきりとした鋭さのある顔立ち。つまり、紘希のタイプど真ん中だった。 「……おい、徳永。誰?」  少しの下心を押し隠し、紘希は徳永に紹介しろとせっついた。 「ああ、この人俺の中学ん時の部活の先輩。小野原さん」 「どもども。三年の小野原ですー。徳永がお世話になってますー」  背の低い方――小野原は、少しおどけた感じでぺこりと頭を下げる。紘希が知りたいのは小野原ではなく、もう一人の方の名だ。ちらりとそちらに目を遣ると、本人より先に小野原が彼の方を指差し口を開いた。 「それで、こっちが光山」  光山と言うのか。紘希はすぐさま脳にその名を刻みつけた。 「光山さんっすか。俺、徳永って言います。小野原先輩がいつもお世話になってまーす!」  徳永が先ほどの小野原をまねて、ぺこりと頭を下げた。 「別に世話してもらってないって」 「いや、精神的に色々苦労させられてる」  つんと唇を尖らせた小野原に対し、光山がぼやく様に言う。  やばい、声もタイプだ。紘希は心臓がドキドキと高鳴るのを自覚した。 「それで君がぁ…」  小野原の丸い目が紘希の方を向いた。光山もこちらを向いた。そうだ、紘希だけまだ名乗っていなかった。 「あ、俺は……」  紘希がいざ名前を告げようと口を開くと、小野原がそれを遮った。 「知ってる。船橋でしょ?」  知られていることに驚いた。反応をみる限り、光山もすでに紘希の名を知っている様子だ。  あまりいい気分ではないが、ゲイだとカミングアウトして悪目立ちしているから仕方はない。二人は紘希に対して嫌悪感を抱いている様子はない。カミングアウトしているからこそ、光山にアプローチはしやすいかもしれない。  紘希はそうプラスに考えていたのだが、続く小野原の言葉に凍りついた。 「――香寺のダーリンの!」  そうだった。ゲイだというだけでなく、章斗とできていると噂は流れているのだった。 「いやぁ、二人が上手く行って良かったよー。徳永のおかげだな」 「いやいや、俺はたいしたことしてませんよぉ」 「いや、徳永が船橋の好みのタイプを事細かに教えてくれたおかげで二人がくっついたわけだし。ちょっと想定外だったけど」 「まあ、最初は押し掛けて迷惑かけてるだけだと思ったけど…付き合うまで行くとは思わなかったな。章斗は破天荒な奴だけど、よろしくな。船橋」 「ははっ、みつやんってば保護者みたい」  紘希そっちのけで朗らかに談笑する三人に、その会話の内容に、紘希の中に怒りとも戸惑いともつかない感情が湧き上がる。  今、徳永が紘希の好みの情報を与えたとか言ってなかったか?  『みつやん』って聞いたことあるぞ。章斗の友人の名が『みつやん』だった。つまり、紘希の好みドストライクの光山と小野原の二人は、あの章斗の友人と言うことか?  なんか知らんが、今、あの章斗をよろしくされてしまわなかったか? 「ちょっと待て……ちょおおおおっと待て!!どういうことだ!!てめえら全員ここ座れっ!!」  バシンっとテーブルを叩き怒鳴る紘希に、三人が目を丸くした。

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