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第7話

 紘希はすべてを聞き出した。  章斗が急に髪を切って服を変えた理由が解った。徳永が小野原に情報を与え、それが章斗まで回ったらしい。まさかこんな身近に裏切り者がいたなんて。そしてその作戦にあっさり引っかかった自分を嘆いた。  小野原と光山は最初から章斗の思惑を知っていたらしい。そして先週、章斗から「教えてもらえることになった」と聞き、土日が明けた今日、二人がお付き合いを始めたという噂を聞いて、レクチャー云々はなくなり恋人同士になってしまったのだと思ったらしい。 「だって、香寺、今日も船橋の家に行くって言ってたよ」 「そ…れは、本当ですけど…付き合ってませんから!」  これ以上は我慢ならんと、紘希は三人にだけ本当のことをすべてぶちまけた。章斗とは付き合っておらず、女子を断るために付き合っていると嘘をついたのだと。  しかし、セックスの仕方を教えることは了解したと知っている小野原と光山には、二人に体の関係があり、これからもあるのだと解っているだろう。今ぶちまけてしまったせいで、徳永にもバレただろう。  それを思うと恥ずかしく、悔しい。解っていたことだが、章斗のデリカシーのなさが恨めしい。 「そうか。悪かったな、勘違いして。章斗もかなり迷惑かけてるみたいだし…これからもかけるみたいだし…」  光山が心底申し訳なさそうに頭を下げた。そのことに紘希は嬉しくなり、悲しくなった。  光山は顔も好みなうえ、中身もあの章斗の友人とは思えないくらい常識的である。章斗の事さえなかったら仲良くしたかったのにと、紘希は臍を噛んだ。 「いえ…」  曖昧に返事をすると、光山がにこっと笑った。 「困ったことあったら、すぐに言ってくれよ。もし迷惑なら今すぐにでも付き纏うのやめさせるし」  その優しい言葉に、紘希は涙が出そうだった。  しかし、「すぐにでもお願いします!」という言葉は喉元までせり上がったものの、口をついては出なかった。脳裏に泣いた章斗の顔が思い浮かんだからだ。しつこいくらいに付き纏われたけれど、了解してしまったのは紘希だ。 「……困ったときは、よろしくお願いします」  結局そう応えた紘希を、小野原と徳永はにやにやと笑いながら見つめていた。  放課後、並んで歩く紘希と章斗には、生温かい視線が纏わりついていた。先日のような悲鳴や嫌悪はまるでなく、紘希は既に噂が浸透してしまっていることを悟った。  章斗自身は噂を聞いたのだろうかと、紘希はちらりと彼を見た。今日の彼は、通学鞄とはべつに、大きなトートバッグを持っていた。 「なあ船橋、行く前にスーパー寄っていいか?」  視線に気づいた章斗はいつもと変わらぬ平然とした様子で、紘希を見上げながらそんなことを訊ねてくる。 「スーパーって…何か買うんですか」 「うん」 「はあ、どうぞ」  この様子じゃ、聞いていないのだろうか。  先週と同じく紘希の家に行く途中で、二人は大手チェーンのスーパーに寄った。章斗について回るのも嫌なので、紘希は一人入口近くのベンチに座って章斗を待った。 「お待たせ」  すぐに戻ってきた章斗の手には、ビニールがぶら下がっている。そこからちらっと見えた肉のパックに、紘希は怪訝そうに眉間に皺を寄せた。 「何買ってんですか」 「え?肉と卵と魚」  どうしてこれから人様の家に行くのに、生鮮食品なんぞ買い込むのだ。今日ここのスーパーは得売だったのか?突っ込んでやりたい。 「……そうですか」  しかし紘希はぐっと堪え、淡々と家路を急いだ。 「冷蔵庫借りるなー」  案の定、家に着くなり章斗はそう言った。一人暮らしにちょうどいい小さいサイズの冷蔵庫だが、中に入っているのはほぼ水だけだ。別に使ってもらっても構わなかった。  それから前と同じように、順番に風呂に入ってベッドに上った。章斗はまた三つ指ついて紘希を迎えた。 「…あの、噂は聞きましたか」  二人とも上半身裸で向かい合って、紘希は少し気まずげに口を開いた。 「ウワサ?」 「俺と、あんたが付き合ってるって」 「えっ?付き合ってんの!?」 「ねぇよ!!」  怒鳴って否定すると、章斗はきょとんと目を丸くした。惚けた章斗についかっとなってしまったが、噂の発生元は紘希だ。少し申し訳なく目を伏せて、紘希は説明をした。  女子に絡まれるのが嫌で嘘をついてしまったこと、それに対して口裏を合わせて欲しいと言うと、章斗は「船橋やっぱりもてるんだなー」と感心していた。 「いいですか?」 「うん。別にそんなの構わない。俺も船橋に迷惑かけてるし」  そう言う章斗に、紘希は少し驚いた。迷惑をかけている自覚があったのか。 「みつやんにも船橋にちゃんと協力してやれよって言われたんだ。このことだったのかな?」 「光山さんが…!?」  光山の配慮に、紘希はじんわりと心が温かくなった。やっぱり彼はいい人だ。でも、光山を思いだしている今、他の男と裸で向き合っているのはなんともやるせなかった。 「……船橋?」  訝しげに名前を呼ばれ、紘希ははっとした。 「いや…始めましょうか」  これは医療行為みたいなものだ。そう割り切ることにして、紘希はローションに手を伸ばした。  今日の成果は、指二本分だ。  一本でゆっくり慣らしていくと、章斗は快感を得ているようだった。それが二本になると、途端に苦しげに変わる。それをなんとか堪えてもらい、ゆっくり、できる限り気持ち良くなるようにと丹精込めて拡げていった。最後の方には苦しさは消えてきたようで、前後両方を弄られながら章斗は吐精した。 「今日はここまでにしとこう」  そう言った紘希に、章斗は不満そうだった。どうやら彼は少しだけ焦っているようだ。紘希だってさっさと終わらせたいが、しかし、焦ったところで流血騒ぎだ。今日はもうすでに帰って来てから二時間近く経っている。  章斗にシャワーを勧め、出てきた彼と立ちかわるように紘希もバスルームへ籠った。紘希は章斗を弄っていただけで達ってもいないが、息子は章斗の痴態と嬌声に少しだけ反応していた。しかし、抜くほどでもない。温いシャワーを浴びているうちに熱は収まっていった。  風呂から上がった紘希を迎えたのは、美味しそうな香りだった。 「あんた…何してんの?」  濡れた髪を拭く手を止め、紘希は目を丸くした。ほとんど使わないキッチンに章斗が立っていて、ジュウジュウという美味しそうな音と共にフライパンを振っている。本当は聞かなくても見れば解る。料理だ。 「あ、鍋とか包丁とか勝手に借りてるよ」  振り返った章斗は、黒いエプロンを付けていた。 「なあ、深めのお皿ってある?」 「皿は、そこの棚に…」  聞かれるまま答えると、章斗はささっと皿を取り出し、フライパンの中の料理を盛り付ける。  その後も妙に手際よく野菜を切り、調理を続ける。紘希は流れるようなその作業をぼーっと眺めていた。 「すっげぇ…」  思わず紘希は呟いた。 「俺、料理好きじゃないけどそれなりにはできるんだ」  それなりなんかじゃない、と紘希は思った。  テーブルの上には、刻み葱のソースが掛かった鶏肉のソテーにこふき芋、キャベツのコンソメスープ、玉ねぎと鯵のマリネが並んでいた。ものすごくおいしそうだ。しかも、どれも紘希が好きなものだった。 「はい、これおまけ」  そう言った章斗が最後にテーブルに置いたのは、ほこほこと湯気を上げる卵焼きだった。 「これ…」 「出汁巻きだよ。船橋、甘い卵より出汁巻きの方が好きなんだよな?」 「そう、だけど」  それも徳永のリークした情報だろう。紘希は、出汁巻き卵が食べ物で一番好きなのだ。 「教えてくれるお礼。ホントはお金を納めようかと思ってたんだけど、今金欠だからさ。船橋、一人暮らしだし、料理あんまりしないんだろ?」  野菜と調味料は家から持ってきたんだ、と言う章斗に、あの大きな荷物はこれだったのかと紘希は納得した。 「まあ、あったかいうちに食べて。あ、お腹減ってない?」 「いや、食う」  お金なんかもらえないが、これは素直にありがたいと思った。章斗の言う通り、料理などめったにしない。したとしても材料を切って炒めるのみ。料理とは到底よべない物ばかりだ。  紘希はさっそくテーブルに着き、箸を持った。まずは大好物の出汁巻きに箸を伸ばす。 「うまっ…なにこれ超ウマい」 「よかった。出汁巻きって作ったことなかったから、練習した甲斐あった」  ほろりと紘希の口から零れた感想に、章斗はほっとしたように笑った。その反応に紘希はぎょっとした。 「練習?」 「ナオは甘い卵焼きが好きだから、甘いのしか作ったことなかったんだ」 「………」  真面目とはまた違う。わざわざ自分のためだけに出汁巻き卵を作る練習をした章斗に、紘希は何とも言えない気持ちになった。彼がわざわざ髪を切って、服装を変えて来た時もそうだ。  この気持ちをどう表現して良いのか解らない。いじらしい、というのに近いような気もする。しかし、紘希のためというのは、つきつめれば弟のためなのだと解っているため、いじらしいと感じるのに抵抗があるのかもしれない。  それでも、紘希のためだけに作られた料理はどれもおいしい。 「次も作ろうかと思ってるんだけど」  そう言う章斗に、紘希は目を瞬いた。  次。そうだ、まだレッスンは終わっていない。 「あー、うん…」  美味しいご飯が食べられるのは嬉しい。しかし、なんとも調子が狂う。自分は一体何をしているのだろう。 「食べたい物あるか?」  そう訊ねられるのがむず痒い。 「………和食」 「和食な。お吸い物とみそ汁どっちが好き?」 「……みそ汁」 「みそは赤と白どっちが好き?」 「…赤」 「ん。じゃあ、好きな具は?」  食事を続ける紘希に、章斗はどんどん質問を続ける。その都度、紘希はぽつぽつと自分の好きな物を答えていった。  きっと次も、紘希が好きな物ばかりを紘希だけのために――作れない物は練習して、作ってくれるのだろう。  そわそわとした気持ちのまま、紘希は完食した。 「ごちそうさま」と言う紘希に章斗は嬉しそうに笑い、素早く後片付けをすると「ナオが帰ってきてしまう」と慌てた様子で帰っていったのだった。

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