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第11話
「船橋?」
名前を呼ばれ、はっと我に返ると、目の前に章斗の顔があった。
「どうしたんだ?ぼーっとして」
「あ、や…いや…シャワー浴びてきます」
髪に水を滴らせている章斗の脇を通り、紘希はバスルームへと向かった。
いつものように章斗と共に帰宅した紘希だが、ずっと気持ちは上の空だった。この行為も章斗の弟のためのもので、もし最後までしてしまったのなら、その後、章斗は尚斗に抱かれてしまうのだろうか。
「兄弟で?あり得ないだろ…」
それは最初から思っていたことなのだが、その時はあり得なくとも自分には関係ないと思っていた。今はあり得ない――というより、あって欲しくない。
紘希は手早くシャワーを浴び終えると、章斗が待っている寝室の扉を開いた。
「船橋」
微笑みそう呼ぶ声はどこか甘く聞こえる。まるで、恋人を呼ぶそれだ。それは紘希の願望でしかないのだろうか。
紘希は章斗の上に覆いかぶさるように身を倒し、唇を奪った。章斗の目が一瞬驚きに見開かれ、しかし、すぐに受け入れるように閉じられる。
「んっ…ん、ん…」
章斗から苦しげな吐息が零れる。そう言えば、深いキスは初めてだった。章斗の体は少しだけ強張ったが、それでも紘希が忍ばせた舌にたどたどしく自分のそれを絡めてくる。酷く愛おしく感じ、紘希はますます深く貪った。
「んっ…ふぁ…はぁ…!」
散々蹂躙して唇を離すと、二人の間を銀糸がいやらしく繋ぐ。章斗の薄い唇は真っ赤に熱っててらてらと濡れており、紘希はもう一度口づけたい衝動にかられ、素直にその欲求に従った。
「ん…」
ちゅぷちゅぷと音を立てながら粘膜を犯し、紘希はそっと下肢にも手を這わせた。
キスが気持ちいいのか、章斗のそこはすでに緩く立ち上がっていた。少し手淫を加えるだけで、すぐにきつく張り詰め蜜を零しだした。
「あっ…あ、あ…っふ」
キスの合間に、甘い喘ぎが漏れる。その声に誘われるように、紘希は性器を弄る手をさらに奥へと滑らせた。
「んっ!」
ぬめりを帯びた指が、熱い中へと潜り込む。きゅうと締まったそこは、決して紘希を拒絶しない。ゆっくりと指を動かしていけば、熱く絡みついて柔らかく蠕動する。随分と慣れたものだ。
「あん…っん、ん、ふなあひっ…はっ…」
息苦しそうに名前を呼ばれ、紘希は一度唇を離す。
「なんです?」
章斗の顔を覗きこみながら訊ねたら、熱に潤んだ瞳とかち合って、興奮がぞくりと背筋を駆けた。
「なんで、今日…違…」
快楽でぐずぐずに溶けた顔で、章斗は体を震わせる。いつもと違いすぎる過程に、戸惑いがあるようだ。
「はぁ、…頭、くらくらする…」
肩で息をしながらも、うっとりした様子で章斗が呟く。
「嫌でしたか?」
紘希が問えば、章斗はふるふると首を振った。
「すごい気持ち良い…」
「じゃあ、もう一回する?」
「する」
素直に頷く章斗は、相手が紘希だから求めているのだろうか。それともただ単に快楽に流されているだけなのだろうか。
紘希はもう一度唇を落とそうとして、止まった。
章斗が不思議そうな表情を向ける。
もういっそ、言ってしまおうか。頭の片隅にどこか冷静な自分がいて、章斗の気持ちを推し量ろうとする。ぐるぐると推量するより、本人に聞くのが一番早いのだ。
「………今日違うのは、あんたが好きだからです」
一センチの距離で、紘希はおもむろに告げた。
「好きだから、キスしたいし、ぐちゃぐちゃに気持ち良くしてやりたいって思ったんです。ただ義務的な感じで弄りまわすのは嫌なんです」
章斗のアーモンド形の目が、真ん丸に見開かれた。その直後、ただでさえ赤い顔が更にぽっと朱を増した。
「俺も、船橋好き」
ぽつりと告げられた言葉に、紘希は我が耳を疑った。そうであればいいと思っていたのに、いざ本人の口から告げられると、信じられなくて頭が真っ白になってしまった。
「今なんて?」
だから、間抜けに聞き返してしまった。
「だから、俺も船橋のことすごく好きだよ」
「ま、マジで…?」
「マジで」
今度は紘希が真っ赤になる番だった。
感極まりすぎて涙が出そうになり、それを誤魔化すように紘希は章斗の唇に噛みついた。
「むっ…ん!あっ…!」
休んでいた愛撫を再開させる。中に埋めた指を増やし、空いた方の手で章斗の胸を撫で、色づいた突起をきゅっと摘む。くぐもった喘ぎが紘希の口内に伝わり、章斗が感じているのが解った。そのことが純粋に嬉しいと思える。
何度も角度を変えて唇を重ねたまま、紘希は章斗の体をどんどん拓いていった。
「もう、挿れてもいいですか…?」
章斗の後孔を弄っていた指を抜き取って、紘希は訊ねた。三本の指を咥えていたそこは、ひくひくと誘うように蠢いている。
「ん、うん…大丈夫、なら…」
伺うように章斗は応える。この行為においては無知な章斗ではなく、紘希に決定権があるのだった。
「大丈夫、切れたりしないと思います。優しくしますから」
章斗の頬を流れる涙を唇で掬って、紘希は手早く己の性器にゴムを被せた。紘希のそこは触ってもいないのに、章斗の痴態だけですでに固くなっていた。
章斗の腕を自分の首に回させ、紘希は体を密着させた。お互いにドキドキと早く脈打っているのが解る。
「ん」
「力抜いて」
ふう、と章斗が耳元で息を吐くのを感じ、紘希はゆっくり中へ押し入った。首に絡む章斗の腕に、ぎゅっと力が籠もる。
「あ、あ…っ」
「んっ…ふ…っ」
今までの成果なのか、章斗のそこはゆっくりとだが、確実に紘希を受け入れる。ゼリーに指を押し込むように、ねっとり絡みつきながらずぷずぷと沈んでいった。
「は、いっ…た…痛く、ない?」
「平気、だけど…」
章斗は熱い息を吐きながら、紘希の肩口から顔をずらし、じっと紘希を見つめた。
「今、船橋…俺の中…いるの?嬉し…やっと……すご、熱くって…どくどくして…あっ!」
「なんてこと言うんだよ…!」
あまりにもストレートすぎる章斗の言葉に、紘希の性器が大きく脈打った。嬉しいだなんて、こちらのセリフだ。好きな人とこうやって繋がれる幸せは、なかなか味わえるものじゃない。
「…好きです」
胸からせり上がってくる感情が、声になって零れる。
「好き、好きだ…っ」
何度も何度も、二人して果てるまで、紘希は好きとキスを繰り返した。
腰がかなりだるいが、章斗は満ち足りた気持ちだった。
ついに初めての挿入を果たした。痛みも感じず、気持ちいいばかりだった。その後、いつもは順番に入る風呂に、今日は紘希が望んだので二人で入った。窮屈だったけど、互いの体を洗い合うのは少し恥ずかしくてすごく楽しかった。
「これでいーの?」
「そうそう。それで、こっちから切っていったら短冊形になるから」
恒例となった夕食作りも、なんと紘希が手伝ってくれている。炒め物をする章斗のとなりで、紘希は章斗に伺いを立てながら野菜を切っている。
「野菜これだけでいいの?少なくないですか?」
「一人分なんてこんなもんだよ」
「一人分って…あんた食っていかないの?」
「俺は帰るよ?」
昨日だけは特別で章斗は夕食を一緒にしたが、いつもは紘希一人分を作って、章斗は自宅へと帰っている。だから、当然とばかりに章斗は応えた。
「泊まれとは言いませんけど…一緒に食べていけばいいのに」
拗ねたように言う紘希はどこか可愛い。章斗はもう少しいたいと思いながら、時計に目を遣った。しかし、時刻は六時十五分。ここから家までは二十分で、夕飯を食べていたら余裕で七時を過ぎてしまう。
「ごめんな。ナオが帰ってくるのに間に合わなくなっちゃうから」
そう言うと、紘希の動きがぴたりと止まった。その表情が、一気に渋いものに変わる。
「……なんで……弟の方が優先なわけ?」
「へ?」
「俺のこと好きって言いましたよね?」
「え?好きだよ?レッスン終わったけど、これからも仲良くしてほしい」
真剣な顔でじっとこちらを見つめてくる紘希に、章斗は目を瞬く。紘希の事は好きだ。かっこいいし、優しいし、人間的に尊敬できる。一緒に過ごすのは楽しい。このレッスンが終わっても、学年の壁を越えて仲良くしていきたいと思っている。厚かましくも、親友という存在になりたい。だから、紘希が同じように章斗を好きだと言ってくれたのも嬉しかった。
「……好きって……そういう…」
はっと紘希が目を見開く。それから、考え込むように目元を手で覆う。
「なんだよそれ…………じゃあ、あんた…もしかして、弟と寝るつもりなんですか?」
ぎゅっと紘希の眉根に皺が寄る。どうして紘希がそんな顔をするのか、章斗には解らない。
「そう、だ、ね…?」
戸惑いながらも、章斗は頷く。その瞬間、紘希はぐしゃっと顔を歪め、その場にしゃがみこんでしまった。
そもそも、尚斗の筆下ろしのために、紘希にレッスンをお願いしたのだ。男同士の行為は無事にできた。尚斗にもきっと上手く手ほどきしてやれると思う。
「なんだよ……喜んでた俺って馬鹿みたいじゃねーか…っ」
「船橋?」
章斗は紘希に手を伸ばす。すると、その手は紘希に届く前に、彼の手に掴まれた。
「…どうしてもですか」
章斗を見上げながら、紘希が問う。
「……俺が嫌だって言っても、弟と寝るんですか?」
「え…」
今度は章斗が目を見開く番だった。紘希の視線は切実で、その表情は泣きそうに歪められている。
なんで、そんなことを言うのだろう。そんなことを言われてしまうと、これまでの行為の意味が全くなくなってしまう。紘希の努力も全部水の泡だ。そんなの申し訳ない。
「なんで…?だって、そのために…船橋が教えてくれたんじゃないか…」
声が弱々しくなってしまったのは、葛藤が生まれたからだ。紘希が嫌だといった事実が、心に引っかかる。紘希が嫌だと言うならやめたいと、心のどこかで思ってしまっている。
「やっぱり勝てないってか……」
ぼそっと紘希が呟いた言葉を、章斗は聞き取れなかった。
「……わかりました」
溜め息交じりに紘希が言った。同時に掴まれていた手が離される。なくなった温もりに、なぜだか章斗は泣きそうになった。
紘希の視線が外れ、再び下に向く。
「……今日はもう、帰ってください」
声音は優しかったが、章斗は拒絶されたような気持ちになった。
「ほら、時間…七時までに帰らないと、弟帰ってくるんでしょ?」
「でも、料理途中…」
「いいです。俺適当に食えるもん作ります」
顔を上げた紘希は、悲しげに微笑んでいた。章斗は寂しくなった。どうして紘希がそんな表情をするのかが解らない。
「分かった……じゃあ、俺…帰るな…」
章斗には、紘希を問い詰めることができなかった。ただ、そう言うしかできなかった。
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