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冷淡無情な心⑦

*** 「お疲れ様でーす、いつもお世話様。ええ、この間の未確認情報の事ですね。あり難いお話、嬉しいですよ昴さん」  数日後、昴さんからもたらされた情報を聞きながら、長い髪を人差し指にくるくると巻きつける。 『あり難いお話じゃないぞ、昇さん。痛客の話になるんだから』  痛客とは無理矢理ホストに酒を飲ませたり、店内で暴れたり破壊行為を働くなど店や従業員に迷惑を掛ける客、いわゆる「痛い客」のことなんだ。 「やれやれ、それは厄介だね。他の店では、出禁になってる客なのかな?」 『ご名答! 故に今回運悪く、昇さんのお店に現れたというワケだな。店側が出禁にするしか手がない理由、分かるか?』  クスクス笑いながら問題を出してきたのだが、相手が昴さんだからこそ、答えが簡単に分かってしまう。 「面白くない問題、出さないで頂戴。分かりすぎるでしょ。答えは、相手がヤクザ絡みだから」  人差し指に巻いていた髪の毛を引っこ抜いて頭を振り、肩から除けると、机に頬付けをついて、昴さんの答えを待った。 『正解、さっすが昇さん』 「褒めても何も出ないよ。ビジネスの話をしに、電話してきたクセに」 『そこまで読みきっているとは、御見それいたしました。で、どうする? 手を回そうか?』  手を回そうかと言われても、今のところ実害がない状態なんだ。動いてくれるだけ、昴さんに負担がかかってしまう。 「俺にはまだ、これといった報告が上がってないんだよ。それを聞いて、実際に確認してからでいいかな?」 『OK! 何でも最近ナンバーワンになったホストに、大層首ったけになって暴走してるらしい、組長の娘さんがいるらしいぞ。もしかして、昇さんの弟さんだったりして?』 「……分からないね、まだ。一応訊ねてはみたけど、何も連絡がきてないし」  きっとまだ答えを出せずに、悶々と仕事をしているだろう。だけど細かい変化くらい、気がつくはずだ。そこまでバカなヤツじゃない。 「俺からGOサインの連絡するから、それまで待機してくれると助かる。報酬は、前情報とプラスして弾んでおくよ」 『やりぃ! だから昇さん大好きだ』  昴さんの喜ぶ声に、苦笑いを浮かべてしまった。 「おいおい、そんな大胆な告白、檻の中にいる恋人が聞いたら、泣いて悲しむんじゃないの?」 『大丈夫、愛してると言ってないから』 「惚気るのもいい加減にして。切るからね、じゃあね!」  カラカラと笑い出した声を聞きながら、プッツリと電話を切ってやる。あとは、穂高からの連絡待ちだな――  店の損害が出る前に、連絡をくれるであろう仕事には利口であり、恋愛に不器用な義弟の電話を待った。 ***  電話があったのは、それから数日経ってからだった。  パラダイスの事務所で、各店の前日の売り上げを入念にチェックしていた時、デスクに置いてあるスマホが派手な音を鳴らした。ディスプレィを見ると穂高だったので、喜び勇んで出てやる。 「もしもーし。どっちにするか、決断がついた?」 『残念ながらまだだよ。それよりも聞きたいことがあるんだ』  なぁんだ、結構苦戦してるみたいだな。 「変化があったのに気がついたということは、色ボケしてなかったんだね」  さっすがは我が義弟。仕事が出来るじゃないか。 『心中、穏やかではいられないが、割り切って仕事くらいするさ。俺の客に、ケガをさせてるヤツがいるらしい』  昴さんの前情報を知っているからこそ、落ち着いて聞いていられたけど、何も知らなかったら、今頃俺自身も大変だっただろうな。 「暴力沙汰なんて、穏やかじゃないね。誰がそれをやったのか、こっちで分かってるから裏から手を回して、お仕置きをしてあげるけど。問題はその誰かさんが、どこまでお前の素性を調べ上げているかってこと」 『この仕事をしてから頻繁に逢ってないし、大丈夫だと思うんだが』  相変わらず、甘ちゃんだね―― 「そんなの、分からないんじゃない? お前を慕うお客を襲うような、野蛮な人間だよ。独り占めしたいと思ったら、徹底的に潰していくだろうね」  俺の言葉に、息を飲むのが伝わってきた。 「大倉に、ソイツの顔写真を渡して出禁にするよう伝えておくから、お前は安心して仕事――」 『…………』 「仕事が出来る状態じゃ、なくなっちゃったね。穂高に関わったばかりに、痛いとばっちりに遭うかもしれないよな」  ものすごく小さな声で、ん……と呟く。 「わざわざ報告、ありがとさん。健闘を祈るよ」  言いたいことだけを告げて、さっさと電話を切ってやった。今頃アイツの頭の中は紺野 千秋の無事を祈ることで、精一杯だろう。故に会話が成立しないので、電話を切ったのだが―― 「この件がキッカケで別れることになったら、兄として俺はアイツのことを慰めてやらなきゃなぁ」  なぁんて思ってもいないことを口にし、スマホをもう一度手にして、昴さんにコールした。可愛い義弟をキズつけた痛みを加算して、痛客を懲らしめてやる為に―― 『やっぱりなぁ。バカの一つ覚えみたく同じ手を使って、何をやってんだか』  電話の相手が変わるだけで、こうも自分の気持ちが変わるんだなぁと、口元に笑みを浮かべてしまった。緊迫感漂いまくりの穂高とは違う、楽しげな声の昴さんに、礼を言いたいくらいだ。 「きっとそのコは、本当の恋愛をしたことがないんだろうね。だから、バカの一つ覚えしか出来ないんだよ」 『おおっ、さっすがは恋愛経験豊富な、昇さんらしい意見。それでどれくらい、潰しにかかったらいい?』  違う意味の恋愛なら、経験が豊富なんだけどね―― 「ウチの店を含め、もう他所のホストクラブにも通えないくらい、お灸を据えてほしい。お金は、前払いしておくからさ」 『分かった。なるべく早めに、仕事に着手するから。弟さんの恨みを、ちゃっかりプラスしておくぜ』 「昴さん……ありがと」  気を回した言葉に、嬉しさがにじんで言葉に表れてしまう。 『いいって、ギブアンドテイクだろ。毎度ありって感じだからな、うちとしては。今回のことで一番落ち込んでるの、弟さんだろ? 大丈夫なのか?』  ヤクザのクセに、変に優しいんだから―― 「さっすが、サドマシンの昴さん。痛い所を見つけるのは、天下一品だね」 『何だろ、微妙な褒められ方に笑えねぇな』  笑えないと言ったくせして、ゲラゲラ笑い出した。 「弟は今まで、俺や親父と一緒に仕事をしてきて、汚い部分に浸かっていたんだ。そりゃあもう、どっぷりとね。そんな疲れている、アイツの目の前に現れたのが、今の恋人でさ。それはそれは眩しいくらい、綺麗な心の持ち主だったワケ」 『あー……俺が、苦手としている部類だな。眩しすぎて、近づけないってヤツ』  昴さんらしい言葉に、クスクス笑ってしまった。 「正直、綺麗事では済まされないこの世界にいるからこそ、俺としてはそういうヤツを見たら、穢したくなるんだけどね。だけど義弟は、迷うことなく飛び込んだんだ。その人の所に――」  真っ黒で汚れた水槽から、キラキラと光り輝く、澄み切った綺麗な水槽へ―― 「綺麗な水をした水槽の中で飼われて、アイツは安心して、息をしていたんだろうな。しばらくぶりに逢った義弟の顔がさ、すっごく変わっていたんだ。今まで見た中で一番、いい面構えだったんだよ」 『……昇さん』 「なのに俺は、そんな水槽に墨汁を2・3滴垂らして、居心地を悪くしちゃった」  アハハと声をたてて笑ったら、軽くため息をつき、呟くように言う。 『だって、それは仕方ないじゃないか。昇さんが――っ』 「俺が、なに?」  言い淀む昴さんに質問すると、低い声でむぅと唸り、ワケの分からないことをブツブツ言い続けた。困り果てるのを助けるべく、そっと口を開く。 「昇さんがイジワルだからだよって、言ってほしいんだけど。俺のせいでふたりが別れることになるかもしれないっていうのに、適当なアドバイスしてさ……本当、イジワルしまくっちゃった」  紺野 千秋が投げかけた、選択肢の答えが簡単に出る方法。 「もし明日、地球が滅亡するとしたら、今日誰と一緒にいたいか……って聞いてやれば良かったのに、俺って最低な男だよ」 『昇さんは、誰と一緒にいたいんだ?』 「勿論、今まで貯めたお金を家中に敷き詰めて、その上に仰向けになって、バカ笑いして死んでやるよ。だって、お金は裏切らないからね」 『何か、昇さんらしい答えだな』  はしゃぐ俺とは対照的に、落ち着いた口調の昴さん。だからこそ、聞いてみようと思った。 「ね、俺がショートヘアになったら変かな?」 『ん? いいや、男前に磨きがかかって、モテまくるかもな』 「いつまでも、重いものを引きずってるのもあれだし、いっそバッサリいっちゃおうかと思って」  重いもの――想いもの……いつかは断ち切らなければならない、叶わない気持ち。 『だったら、いい美容室紹介するよ。割引券つきで、さ』 「細かい気配りは、さっすが昴さんだね。待ってるよ」 『ああ、それじゃあ』 「いつも話し聞いてくれて、ありがとね。今度は俺にグチってよ、遠慮せず」  涙声を悟られないよう、トーンをあげて言うと、無理するなと小さく告げて、電話を切ってくれた。 「今頃、穂高のバカは何をしているだろうね。選択肢を見誤ると自分の手では、元には戻せないっていうのに」    慣れない恋をすれば距離感が見えなくなって、ついには離れることになる。俺がそうだから――素直になれば、すべてが解決するというのに、誤魔化してキズをつけて、見事嫌われてしまった。 「大好きな義弟に、辛い想いを引きずって欲しくない。だから――」  穂高が下した決断を聞いてやり、助言してやろうと考えていた矢先だった。入院していた穂高の母親が、急逝したのだ。  通夜と告別式を滞りなく終え、煙草を吸おうと火葬場の外に出たら、煙突から出る煙をじっと見ていた穂高が、そこにいた。  大好きな母親が死んだというのに、涙をひとつも流さず、親父と一緒に参列客の対応していた姿を思い出し、自分の母親が死んだ時と比較してみる。あの時俺は中学生だったけど、人目を憚らず声をあげて泣きじゃくっていた。  ましてや穂高はマザコンなんだ、だから泣かないのはおかしい、絶対に。  腑に落ちないと思いながら傍に行くと、俺の存在に気がつき、優しい眼差しで、じっと見つめてきた。 「穂高、煙草吸う?」  銘柄は違うけど話しかけるには、もってこいのネタ。箱を目の前に掲げたけど、首を横に振る。 「悪い……止めたんだ」  見つめる瞳が一瞬だけ揺らめき、何かを語っているように見えた。 「お前、煙草だけじゃなく、紺野 千秋の付き合いも止めたんだろ?」  出した煙草を戻しながら訊ねてみたら、何故だか口元に笑みを浮かべるなんて、どう見てもおかしいだろ。 「ん……兄さんの言った通り、二兎追う者一兎も得ずだったよ」 「……何を言ってるのさ、追いかけてもいないクセに。作り笑いが、その証拠だろう?」  穂高の態度にイライラしながら聞いてやると、小首を傾げて不思議そうな顔をした。 「義兄さん、どうして怒るんだい? 俺が千秋と付き合うの、反対していたんじゃなかったっけ」 「反対していたら、もっと汚い手を使って、別れさせてやってるよ。俺がお前の本当の姿を言ってもさ、多少動揺はしていたけれど、それでもどこかで信じたいっていう気持ちが、あのコの中から見えていたからね。いいなと思ったんだ」  素直にいいなと思ったから、余計な手出しをしなかったのに。 「義兄さん……」 「だから今回のことも裏から手を回して、何とかしてやるって言っただろ? 今後、誰もケガをさせないよう、仕事をしてやったというのに、お前は浅はかな考えで、突っ走ってくれちゃってさ」  恋は盲目を、見事に表してくれた気がする。見えないから突っ走って、転げ落ちちゃった結果、不幸のどん底にいるだろ、まったく――  胸の前で腕を組み、はーっとため息をついてやった。 「……ごめん。何か俺に関わったら、みんながキズついていく気がして」  不幸のどん底にいるヤツの思考は、決まってネガティブなんだよな。 「穂高、俺がキズついているのは、この顔だけだ。しかも直すことが出来るキズだし、どこも痛くも痒くもない」 「でも……」 「デモもストも、ないって言ってんだよ。お前が幸せになれば、必然的にみんなが、幸せになるって言ってんの」  俺の言葉を聞き、切なげな目をして俯く。しょうがないか、大切なものを一度に失ったんだから―― 「お袋さんが亡くなったことで、俺らの縁も切られて、お前を縛り付けていた鎖もなくなった。さて、これからどうするんだい? 手始めにまずはやりたいことを、はじめたらいいと思うけど」  可愛い義弟の行く末が知りたかったので、アドバイスしながら訊ねてみた。 「イタリアにいる、父さんのところに行って、お袋が亡くなったことを伝えたい」  顎に手を当てて考えたと思ったら、直ぐに答えを出す穂高。立ち上る煙を見ながらどうするか、決まっていたのかもしれない。 「わざわざイタリアに?」 「ん……こんな気持ちでいるからこそ、ふたりが出逢ったイタリアの空気を、直接吸ってみたいと思ったんだ」  自分が生まれたきっかけの土地へ行き、何を感じるんだろうか。 「ということは、そのままイタリアに永住? 仕事を辞めるのか?」 「いいや、帰国するよ。日本にいたいからね」  愛しい人がいるここで、離れて暮らすことになるのに、それでもお前は―― 「仕事は、どうするんだ?」 「そのことなんだけど……さっき、親父にも聞かれたんだ。迷っているところに義兄さんが、いいアドヴァイスをしてくれたからこそ、考えついたことがあって」  兄としての言葉が、役に立ったみたいで何より。 「へぇ、俺みたく起業するとか?」  自分のナイスアイディアに微笑んだら、釣られるように笑ってくれた。今更だけど、やっと穂高と兄弟になれた気がする。こうやって微笑み合うことが出来るなんて、思ってもいなかった。 「起業というか、修行というか……」  修行という言葉に、昔の出来事を思い出す。 「まさか中学時代に親父と揉めた、例のあれになりたいって言ってたりする?」  高校受験を控えていたある日、親父に逆らったことのない穂高が、家を出て修行すると言い張り、全然訊かなかった。   「あの頃、血の繋がらない父の世話に、どうしてもなりたくなかったし、ひとり立ちすべく、家を出たい気持ちもあって、あんなことを言ったけど、今それを考えたらさ、憧れていたのかなぁって」  あんなのに憧れる、気持ちが分からない―― 「なるほどね。だけどお袋さんが病気になっちゃったから、穂高少年は夢を捨てて、親父の仕事を継いだというワケだったのか」 「何にもなくなった、身軽な俺だからこそ、叶えてみたいっていうのもあるよ。体力的には、正直難しいだろうけどね」  情けないことを言った義弟の背中を、振りかぶって思いきり叩いてやる。 「穂高、今から弱気を言うなんてらしくないよ、まったく。今まで働いてくれた分、ぱーっと現生支給してやるよ」 「義兄さん……」 「それとも、現物支給の方がいいのかな。その方が嬉しいだろ、お前としても」  ペラペラとまくしたてるように喋ったら、どこか困った表情を浮かべる姿に、自然と手を貸してやりたいなと、素直に思った。 「なあ、お前の修行先さ、俺が斡旋したらダメ?」  場が和やかになったところで、思いきって訊ねてみる。 「……何か、やましいことでも考えついた?」 「やましいことか、まぁね。最後くらい、兄らしいことでもしてやろうかと誠意を持ったら、これだもんな」  ガックリしながら、あ~あと呟いたら、謝りながら頭を下げる。きっと、普段の俺の行いが悪いせいだ。  ちょっぴり反省し苦笑いを浮かべたら、頬をポリポリ掻きつつ、更に困った顔した穂高。 「悪い……つい」 「悪くないよ。俺としては、すっげぇ先の話を、ビビッと感じたんだ。穂高がひとり立ちしてさ、漁で新鮮な魚をたくさん獲ってくるんだ。それを俺の店に、直で流してもらうんだよ。イケメンの板前を雇って、客の目の前で捌いて提供するっていうビジョンが、頭の中で流れてる」  額に指を当てながら、頭の中に出てくる映像を細かく語ってやると、困った顔が苦笑いになった。 「確かに――先が見えない未来の話だね」  お前はそうかもしれないけれど、俺にとっては―― 「そう遠くない話だと、考えてるんだけど。俺の義弟はしっかり者で、出来たヤツだから」  困り果てる穂高の顔を見てから、目の前に進み出て、煙突から出ている煙を、何とはなしに眺めた。人の一生なんて、呆気ないものだなと切なく思う。だからこそ今出来ることを、何とかしてやりたいと思った。 「最後くらい、兄らしいことさせてくれないか? お前と兄弟になれた、証としてさ」  穂高から見たらこの言葉は、俺のワガママに映るかもしれないけれど。 「分かった。手間のかかることで悪いけど、まるっとお任せする。頼りになる義義兄さんだからね」 「穂高……」  嬉しいことを言ってくれた言葉に、胸の中がじんわりとあたたかくなっていく。振り向いたら、少し照れた顔した穂高が、無言で右手を差し出してきた。 「いろいろあったけど、貴方と兄弟になれて、良かったって思う。ありがとう」  差し出した右手をぎゅっと握りしめてきたので、負けないように握り返してやる。   「俺もだよ、穂高。ありがとう」  本当はもっと、何か声をかけてやりたかったのだけれど、穂高のてのひらから伝わってくる想いが、すべてを語っていたので、あえて言葉を慎んだ。  あともうひとつ、俺にはやらなければならないことがある。お前が安心して漁に出られるように、灯台を作ってやろうと考えたんだ。  どんなに広い大海原へ出ても、必ず戻ってこられる、眩しいくらいの灯台を用意してやるから――

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