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冷淡無情な心⑥

 3日間毎日午後3時から2時間、大学の前で張り込みをし、紺野 千秋を待っていた。真っ白のベンツを堂々と門前に横付けし、手に持ってる写真を見ながら、出てくる学生の顔をチェックしていく作業。目立つベンツに学生が必ずこっちを見るのを逆手に取り、顔が見られるのがいい。  ハッキリと、見られるのだけれど―― 「……逢いたい人物に逢えないんじゃ、意味がないんだっちゅ~の。まったく!」  運転席で足を組み替えた時、ダッシュボードに置いてあったスマホが、軽やかなメロディで俺を呼んだ。画面を見ると噂をすればというか、穂高だった。  出ずにそのまま、元の位置に戻してやる。 「どうせ、くだらない報告だろ。俺は忙しくて、そんな暇ないないっ」  売り上げは穂高が店に入ってから、確実に上がっていた。しかも短期間で、ちゃっかりとナンバーワンになっているとか。 「出来た義弟が溺愛する恋人に、兄として挨拶しなきゃね」  長い髪をかき上げ笑みを浮かべたら、写真にソックリな男が、門から颯爽と出てくるではないか!  一瞬だけベンツを見てから、向きを変えて足早に去っていく。写真を助手席に放り出し、慌てて車から降りると彼の後を追った。  サラサラの黒髪をなびかせて、短めのブルゾンにジーンズという出で立ちは、どこにでもいる普通の学生。彼のどこに、穂高は惚れこんだというのだろうか? 「紺野 千秋さん」  思いきって、大きな声をかけてみた。自分の名前を後ろから告げられ、驚いたのだろう。肩をビクッとさせてから、恐るおそるといった感じで振り返る。  俺の姿を見て2、3歩後退りする姿に、苦笑いを浮かべるしかない――ま、こんなに長い髪をした男が、そこら辺にはいないからね。 「君、紺野 千秋さんでしょ?」 「はい……どちら様ですか?」 「俺は藤田 昇。穂高の兄です」  兄? と口にして、ぎゅっと眉根を寄せた。やっぱり、何も教えてはいないんだな。 「苗字が違うのは、穂高の母親がアイツを連れて、俺の親父と再婚したからなんだ」 「そう、ですか……」  肩にかけているショルダーバックに縋るように手をかけて、どこか窺うようにじっと見つめてくる。 「血は繋がっていなくても、一応兄弟関係なんだけどね。話、聞いてない?」  俺の言葉に、まぶたを伏せた。長い睫が影を作り、落ち込んでいるのが明らかだ。 「……藤田さん、俺に何の用ですか?」  質問には答えず、切り替えしてきた彼に、満面の笑みを浮かべてみせる。 「用って、ただ挨拶しようと思っただけ。君は大事な義弟の、恋人だっていうじゃないか」  本人から聞いたんじゃなく、興信所調べだけど。 「…………」 「穂高は何でも、俺に話してくれるから。知ってるよ、君のこと――」  一気に距離を詰めて左手首を掴み、強引に自分へと引き寄せた。 「わわっ!?」 「何でも君、可愛い声で啼くそうじゃないか。そりゃそうだよね、穂高上手だし」  俺と身長が変わらない彼の耳元に、笑いながら優しく告げてやると、驚いた顔をして体を強張らせる。 「どうして、上手なのを知ってるかって? アイツと寝てるから、知ってるに決まってるでしょ」 「っ……!!」  強張っていた体が、ガクガクと震えていった。掴んでいた手を離すとズルズルと退いて、後ろにある塀に寄りかかる。 「兄弟、なのに……そんな――」  口元を手で覆い、信じられないといった表情を浮かべた。 「君も知ってるだろ、アイツのワガママ。我を通すためなら、何だってする男だよ。ほら、見てご覧。俺の顔」  長い前髪で隠されている右側部分の顔を、思いきって晒してやる。そこにある大きな傷痕を見て、くっと息を飲んだ。 「平気でこんな、キズを作るヤツなんだ。それに平気で誰とでも寝る。兄だろうが、客だろうが関係なしに、ね」  ――君に逢う前は、穂高はこんな男だったんだよ。 「う、ウソだ、そんなの……」  大きな目を見開き、首を何度も横に振って否定する言葉に呆れ返り、ため息をつくしかない。 「だったら、本人に聞いてみればいい。タイミングよく現れてくれた」  靴音を高く響かせ俺たちに向かって、息を切らしながら走って来た穂高――  穂高の姿を見た途端、肩にかけていたショルダーバックを落とし、更に体を振るわせる。  ――さぁ、ショータイムだ! 「千秋っ、大丈――」 「来ないで!! イヤ、だ……」 「そんな、千秋……」  落としたショルダーバックを無視して、塀伝いにズルズルと後退りをした彼の背後に回り込み、そっと肩を抱き寄せてあげた。 「穂高、このコに近づくな。お前が近づくと、具合が悪くなってしまうから」  俺の言葉に両拳を握りしめ、その場に立ち竦む。 「彼に、何を言ったんだ義兄さん」 「何って決まってるだろ。お前の本当の姿だよ。可哀想に、こんなに体を震わせて」  優しく頭を撫でてあげたら、ポロポロと涙を溢しはじめた。 「……その汚い手で、千秋に触れるな」  言いながら穂高が一歩近づくと体を強張らせて、俺にぎゅっと抱きつく。目の前でそんな姿を見てショックを受ける穂高の顔が、すっごく面白くて仕方ない。声をあげて、笑い出したいくらいだ。 「汚い手は、俺だけじゃないよね。お前もだよ、穂高。今までやってきたことを隠し、このコとつき合っていたんだから」 「そ、れは……」  お前たちの茶番じみた恋愛ごっこは、もう終いだよ。ここで幕を引くべきだね。 「君もどこかで、分かっていたんだろう? 穂高がそういう人間だってこと」  両肩に手を置いて抱きしめている体を、やんわり引き離すと、涙に濡れた瞳が俺を見上げる。その目に映っている自分は、天使の仮面を付けた悪魔に見えた。 「相手の心を巧みに掴んで、散々翻弄してさ。挙句の果てに、ヤルことヤっちゃう男だからね。分かっていながら、君は目を背けた」 「……はい。本当のことを知るのが、すごく怖かったから……不安にしかならないから」 「義兄さん、もう止めてくれ。頼むから」  いつも落ち着いた雰囲気を漂わせ、不敵な笑みを浮かべている義弟が、そこにいなかった。白目を真っ赤にして、縋るような表情を浮かべながら、こっちを見ている穂高。  お前の宝物は、俺の手の中にある。それを壊すには―― 「君は穂高の本当の姿を分っていながら、見ようとはしなかった。ウソ偽りで固められた、穂高を愛したんだね」 「義兄さん、本当にもう止めてくれ。俺たちをキズつけて、何がしたいんだ?」 「何って真実の愛について、教えてやろうと思ってね」  俺の傍で眉根を寄せ、口元に手を当てて震えながら立ち尽くす紺野 千秋には、その意味が伝わったみたいだな。こんなに察しがいいのに、見事穂高に絆されて、惨めな姿なこと…… 「真実の愛――貴方の口からそんな言葉が出るなんて、信じられません」 「ほほぅ。己のキレイな部分だけ見せて惹きつけて騙して、恋愛に興じるお前に言われたくないよ穂高。本音で語り合えないお前たちは所詮、擬似恋愛していたにすぎないさ」 「そんなんじゃない、俺たちはちゃんと」 「ちゃんと愛し合ってた、よね……」  声を荒げた穂高を止めるように、紺野 千秋が静かに口を開いた。まるでスローモーションのように、ゆっくりと振り返り穂高を見つめる。  俺に背を向けているから当然、どんな顔をしているのか分からない。だが振り返る直前、涙を浮かべた瞳には、何か強い光を放っていた。 「千秋……」  愛おしそうに彼を見る穂高は、誰が見ても辛そうな表情を浮かべている状態。こんな表情(かお)もするんだな―― 「……愛し合ってた、つもりだった」  恋人が静かに告げる言葉に、目を瞠る。 「穂高さんのお兄さんが言った通り、俺は見たくない所を見ないようにして、言いたいこともたくさんあったけど、全部飲み込んで我慢していたんだ。だってそれを認めたら、その……穂高さんが浮気してるの、分かっちゃうから――」  途中掠れながらも、自分の心情を淡々と告げていく言葉を最後まで聞き取り、整ったくちびるを、きゅっと引き結ぶ穂高。 「……浮気はしていない」  穂高の言葉に、紺野 千秋がくっと息を飲んだのが分った。肩を何度かビクビクと震わせながら、両手に拳を作り頭を垂れる。 「穂高さんお願いだから、ウソつかないで」 「ウソなんて言ってない。本当なんだ、信じてくれ!!」 「じゃあ誰なんだよ!? 背中に爪を立てて、たくさんのキズを作ったヤツはっ」 「な、に……?」  へえ、それは決定的な浮気の証拠だな。どうする、穂高?  どんどん追い詰められていく義弟の様子に、可笑しさを堪えるのが必死だった。 「ちょっと前に、部屋に女の人がいたでしょ。その後抱き合った時に、キズがあるのに気がついたんだ」 「確かに。それは彼女がつけた爪痕だ。だが、やましいことはしていない。誤解なんだよ、千秋」 「誤解? どうやってその誤解を、きちんと解消してくれるの?」 「だったら、彼女に話を聞けばいい。あの時、何もなかったと教えてくれる」  ふたりのやりとりを口を挟まずに黙って見守っていたが、そろそろ何か言って、心の中に消えない烙印を押してやろうか。 「ふん、客からの証言なんてお前の味方をし、狂言になるのが目に浮かぶぞ。証拠にならんな」  俺は両腕を組み頭を振って、長い髪を肩から除けながら、口を開いてやった。 「本当に誰ともヤってないっ、信じてくれ千秋」 「信じたい……だけど心の中にいるもうひとりの自分が、信じられないって、ずっと言ってる」  そう言って顔だけ振り返り、俺の顔をじっと見つめる。 「血は繋がっていないけど、兄弟なのに関係をもったり、お客さん獲得の為に、何でもしたりするという過去を聞いてしまったから余計、不信感が募っていったのは事実だよ」  悲壮な顔をまた穂高に向け、右手を胸の前でぎゅっと握りしめた。    俺や穂高がするような演技じみた動きじゃなく、自分の気持ちを伝えようと、必死になってる姿がそこから伝わってくる。  もしかしたら、こういうストレートな感情を素直にぶつける相手だからこそ、穂高は惹かれたのかもしれないなと思った。 「一緒に暮らしたいからって、ホストの仕事を始めたでしょ。だけどね、それ以前はそういうやましい関係を、他の人としてるとは思わなかったから。だから穂高さん――」  ふぅん。そういう理由で、働き始めたことにしていたんだ。本当の理由を知らせなくて、正解だったな。 「なんだい?」 「ホストの仕事、辞めてくれないかな。一緒に暮らせなくてもいい。前のように、傍にいて欲しいんだ」 「くっ……」  紺野 千秋のお願いに、お前は何と答える? 母親と恋人を両天秤にかけることだ、直ぐには決められないだろうな。  キズつけるような言葉を告げてやり、ふたりの仲を引き裂こうとしたけど、究極の選択を投げかけた紺野 千秋に向かって、心の中で拍手を送ってやる。 「仕事に一生懸命な穂高さんだから、きっと今すぐには答えが出ないよね。だから答えが出るまで、逢いに来ないで下さい」  鼻をすすりながら、地面に落としていたショルダーバック掴んで、呑気にバシバシと叩いてから、ダルそうな感じで肩にかける。  目の前に穂高がいないような態度を貫く姿に、たいしたヤツだと思わずにはいられなかった。さすがは、我が義弟が選んだ男だ――  きりっとした顔して俺に一礼し、穂高の縋り付くような視線を断ち切るように、足早に去って行く。  そんな愛おしい恋人に、追いかけるどころか声をかけることも出来ず、呆然と立ちつくした義弟に、哀れみの視線を送った。 「どうするんだい、お前? まさか直ぐに店を辞める、なぁんてこと、するワケないよな?」 「…………」  俺の声が聞こえているだろうに反応するのも億劫なのか、それとも何か策があって、それに囚われているのか―― 「あとさ最近お前の周りで、何か変わったことないか? 知り合いのヤクザさんからの、未確認情報なんだけど――」 「変わった、こと?」  声に感情がこもっていない。ダメだ、コイツ。 「ま、いいや。でも何かあったら、連絡ちょうだい。今聞いても、マトモな答えが出ないでしょ。酷い顔してるよ、呆れるくらいに」  未確認情報だけど先に与えておいたら、役立つと思ったのにね。  穂高の傍を通り過ぎながら肩を2度叩いてやり、横目で顔を窺ってやる。瞳がえらくギラギラしているので、あえてアドバイスしてやろうと思った。お前は見かけによらず、ヤンチャする男だから。 「俺からのアドバイスは、二兎追うもの一兎も得ずだよ。ふたつとも手に入れようなんて傲慢な考え方は、利口じゃない。ましてや紺野 千秋のあの性格を考えると、不正した時点でアウトだね」  さて俺の言葉を聞いて、どういう選択をするだろうか? 感情に囚われている今のお前なら、間違いなく即決は出来ないだろうけど。  俺がキズつける前に、紺野千秋の究極の選択に翻弄される、義弟の姿を見ることが出来たお陰で、自宅に帰るまでずっと笑みが浮かんだままだった。

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