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バレンタインに想いを馳せて③
交換されたグラスを手に取り、どうしたら主導権が自分になるかを必死になって考えてみる。
「いいかい、可愛いホストさん。この三度注ぎのビールは完成直後の泡は苦くて、ビールそのものはそれよりも柔らかい苦味があるんだ。しかも時間が経つごとに味が変化するし、この泡のお陰で香りが長く楽しめるというわけ」
頭の中でぐるぐると考えを巡らせた結果、目の前に掲げられたグラスに自分から勢いよくグラスを当ててみた。
「ほ、穂鷹、乾杯っ!!」
主導権を奪還すべく、大きな声ではしゃいでみせる。
「おやおや、お客様が喋っている最中なのにいきなり乾杯するなんて、随分と無粋なホストさんだな、君は」
う~っ、やりにくいやりにくい。どうしてこんなことを、思いつきでやってしまったんだと思ったところで、後悔先に立たずだったりする。
「すみません。いろいろと慣れていなくて」
「何なら、手取り足取り丁寧に教えてあげようか?」
グラスを持っていない反対の手に、さりげなく触れてくる。主導権を自分のものにしたかった俺は、慌ててその手を握りしめてみた。
「へぇ、積極的なところもあるんだね。次はどんなことをしてくれるんだろうか?」
柔らかい笑みをくちびるに湛えながら美味しそうにビールを口にするのを見て、同じようにビールを呑んでみる。
「あ、苦いけど美味しい。口当たりがいつもと違う……」
普段は缶ビールのまま呑むので、明らかに違うことが分かってしまった。
「美味しく呑めるのは、心を込めて千秋が俺のためにビールを注いでくれたからかな」
「も、勿論、そのつもりですよ」
正直、穂高さんの真似をしただけですが――。
「こうして、手を握りしめたまま吞んでいるせいかな。美味しさだけじゃなく重ねられた部分の熱を通して、愛おしいという想いも伝わってきているよ」
「あ……えっと、ありがとう、ございます……」
お客様の穂高さんに言われて、思いっきり照れてる場合じゃない。本当なら俺が彼がさっき言ったようなことを、これでもかと言わなきゃならないんだよな。
普段使っているのが嬉しい・楽しい・大好き・もっと等など短い単語ばかりで、穂高さんが言うようなキザな台詞を使っていないゆえに主導権がとれないことが、改めて分かってしまった。
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