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千秋のホストクラブ体験!③

***  なんだかんだで夕方までしっかり康弘君に拘束されて、遊び倒してしまった。穂高さん、寂しがっていないだろうか? 「寂しさのあまり、康弘くんに嫉妬しなきゃいいけど……ただいま!」  引き戸をガラガラっと開けて大きな声で言ってみたのに、穂高さんが出てこない。それだけじゃなく薄暗い家の中、明かりも付いていない状態だ。 「……でも靴はあるから穂高さん、家にいるな。トイレに引き篭もっていたりして?」  あれこれ考えながら引き戸を閉めて靴を脱ぎ、家に足を踏み入れた瞬間だった。 「お帰りなさいませ、千秋様。おしぼりをどうぞ!」  居間に続くドアが音もなく開け放たれたと思ったら、ビシッと決めまくった穂高さんが頭を下げながら、ずいずいっとおしぼりを差し出してきた。 「ええっ!? な、何……一体」  ――いきなり、何のイタズラなんだよ!? 「今宵は千秋様のお相手をさせていただきます、穂鷹(ほだか)と申します。以後、お見知りおきを」  強引におしぼりを手渡され、反対の手には名刺らしきものを握らされた。 「……ホストクラブ、ラバーズ、店長兼ホスト、穂鷹。何ですか、これ?」  あまりの展開についていけずに、思いっきり呆れ返るしかない。 「慌てふためくことはない、安心してくれ。俺が勝手に、千秋に尽くしたいだけだから」 「尽くしたいからって、何でそれがホストクラブになっちゃうの?」 「尽くすと言えば、ホストクラブだろう?」 (――どうして、そうなる!?) 「あのね、穂高さん。俺は普段から、すっごく尽くされまくっているよ。だからこんなことをわざわざしなくても、大丈夫だから!」  おしぼりをぎゅっと握りしめてこうやって力説しても、彼には伝わらない可能性が高い。ちょっとだけ常識とのズレがあるせいで、何度も苦労させられているからこそ分かってしまう事実に、言葉が続かなかった。  焦る俺を見て、何故だか魅惑的に微笑む。この笑みが正直、厄介なんだよな――。 「夏休み最後の思い出に千秋には是非とも、ホストクラブの体験をしてほしくてね」  言い淀む俺を尻目に素早く腰を抱き寄せてきて、居間に導いてくれる穂高さん。薄暗い中に、オシャレな形をしたキャンドルが点々と置かれていて、炎を揺らめかせていた。  キャンドルという小物ひとつでムードが漂っている様子を、息を飲んで見つめるしかない。  ――見慣れた部屋が、全然違う所に見える。 「穂高さんってば、インテリアコーディネートの仕事をしたらいいんじゃない?」 「それなら、それに近い仕事をしていた時期はあったよ。お客様の要望を聞いて、コーディネートしていくんだが、金額面や好みなんかで色々と苦労させられたな」  やっぱり、そういう仕事をしていたんだ、納得――以前住んでいたマンションは、まるでモデルルームみたいだったし、今住んでいるここだって、雑誌に紹介したいくらいに、綺麗にコーディネートされている状態だった。  というか穂高さんの知らない過去が、まだまだあるんだな。 「ソファがないから、そこにある座布団の上に座って待っていてくれ。今直ぐ、飲み物を用意するから」  指を差してくれたところを見ると、壁にクッションが立てかけてあり、床には座布団が敷いてあった。その精一杯のおもてなしに笑いながら従うしかなくて、ちょこんと座らせてもらう。  持っていたおしぼりで、汚れているであろう両手を拭っていたら、言葉通りにすぐさま戻って来て、俺に寄り添うように隣に座った。  そっか……。ホストをしていた時はこうやって、お客様の傍に座るんだ――たくさんの女の人の隣に座ったんだろうな。  穂高さんの様なイケメンが隣で密着するように座って優しく微笑むだけで、うっとりと幸せな気分になれるよね、きっと。現に今の自分がそんな状態だ。  なんて過去の穂高さんのお客様に嫉妬していると、音もなく目の前に掲げられたワイングラス。中身は琥珀色をしていた。泡がないからビールじゃないのは分かる。シャンパンかな? 「心配はいらない。千秋の中身はアップルタイザーだよ」 「あ、ありがとうございます」  アルコールの弱い俺に配慮してくれたことが嬉しくて、微笑みながらグラスを受け取ると、穂高さんが持っていたグラスをカチンと当ててきた。 「俺のは父さんがお土産で置いていった、イタリア産の赤ワインだけどね。乾杯!」 「乾杯っ! いただきます……」 「ふっ、もっとムードのある言葉で、乾杯すれば良かったかな? 例えば――君の瞳に乾杯、はベタ過ぎるか。愛しい君と一緒にいられる、このひとときに乾杯。はどうだろうか?」  めまぐるしく変わっていく展開についていけず、わたわたする俺を落ちつかせるように、空いてる手で肩を抱き寄せて耳元に囁いてきた。  俺の大好きな特徴ある低音ボイスが、耳に残って嬉しい。それだけじゃなく告げられた言葉が、今の自分の気持ちとリンクしていて嬉しさが2倍だ。 「すごくいいです。ジュースが美味しく感じられそう」 「……それだけ?」  素直な感想を言ったのに、何故だか穂高さんの顔が曇っていく。こういう雰囲気に場馴れしていない自分は、空気が読めていないのかも。  ――何を言ったら、穂高さんは喜んでくれるのかな?  手に持っているジュースの水面に映ってる自分の顔は、見るからに焦りまくっていた。焦っている理由は言葉だけじゃなく、鼻に薫ってくる穂高さんの香水のせい。  シトラスの香りとフローラルの香りが上手い具合に混ざりあっていて、実に爽やか~に、程良い感じで香るんだ。  抱きついたら俺にもこの香り、移るんだろうか。ずっと嗅いでいたいなんて、ちょっと変態じみてる……。 「千秋、何を考えているんだい?」 「ハッ∑(゚ロ゚〃) やっ、べ、別に変なことを考えていたとかじゃなく。どうしようかなって」 「何を、どうするつもりなんだろうか?」  印象的な瞳をわざとらしく細めて、顔を覗きこまれてしまった。ホント、こういう顔をされると困る。どうしていいか、分からなくなるんだ。 「そ、そんなに顔を近づけないで。何をどうするつもりもなくって。あの、ね……穂高さんは何を言ったら、喜んでくれるのかなぁって自分なりに考えていたんだけど。答えが出なくて困ってる最中……です」 「ふっ、そんなの簡単なことなのにな。じゃあ、ヒントをあげようか」  近づけていた顔を離しながらワインに口をつけ、半分飲み干してから、格好良くクルクルとグラスを回す。  濃赤色のワインがグラスの中で踊るように回っていて、その様子が赤いスカートを身に付けた女の人が、ダンスをしているみたいだなと思ってしまった。  というか何をやっても様になるよな。同じことを俺がしても、遊んでいるようにしか見えないだろう。 「千秋が俺に言われて、嬉しいことを言えばいい。それだけ」 「あ――」  意味深な流し目をしてヒントを言ってくれても、正直恥ずかしくて口に出せないんですけど。 「言ってごらん。言わないと……そうだな、この赤ワインを口移しで飲ませてしまうかもね」 「うわ、それってほとんど脅迫に近い!」  俺の文句も何のその、眉毛を得意げに上げながらせせら笑うなんて。 「この赤ワイン、すごく美味しいよ。ブドウの味が濃いせいか口に入れた瞬間、甘酸っぱさと渋さが相まって、ふわりと広がっていくんだ。是非とも、味わわせてあげたいのだが」 「う~……」 「喉を通った後も鼻腔にワインの香りが薫って、更に美味しさを噛みしめることができるんだけどね。どう、呑む気になったかい?」 「……呑みませんっ」  穂高さんが実に美味しいそうに赤ワインのことを語っている間に、一生懸命に喜びそうな言葉を考えてみたのだけれど。  素直にそれを言うのが、癪に触るというか何というか。恋人を困らせてみたいっていう願望が、目の前をチラついていたりする。  それ故の小さな抵抗を続けていた。いっつも俺ばっかり困っているからね、何かで懲らしめてみたいじゃん! 「だったら何か言ってごらん、ほらほら♪」 「酔ってるでしょ、穂高さん……」 「勿論酔ってるさ、千秋にね」  ニヤニヤしながら顔を覗きこむこのイケメンを、誰か何とかしてください(涙) 「俺にじゃなく、その手に持ってるワインでって聞いてる、んっ!?」  唐突に奪われてしまったセリフの続き。俺のくちびるは、しっかり穂高さんによって塞がれた状態だからこそ、ほのかなアルコール臭を感じてしまい、一気にドキドキするしかない。 「千秋の口の中、甘くてすごく美味しい。このワインよりも……もう一回、いい?」 「だっ、ダメに決まってるでしょ! ビックリさせないでよ、もう。もしかしてお客さんにも、こんなことをしているんじゃ――っ……」  慌てふためいた結果、さっき考えていたことがぽろりと口から出てしまい、しまったって思った。ヤキモチを妬いてるのが、今のセリフでもろにバレちゃったじゃないか!? (――困らせようとした途端に、何で自ら墓穴を掘ってるんだろ) 「……気になるかい?」 「うっ、気になりませんよ。そんなの」  しれっとしながら淡々と答え、何とか誤魔化すべく、ワイングラスに入ってるアップルタイザーを勢いよく飲み干した。喉を潤したハズなのに、瞬く間に乾いていく。  そんな俺を尻目に何故だか立ち上がり、向かい側に座り込んだ穂高さん。 「はじめてのお客様の接客は、こうして正面に座ることになっているんだよ。男女によってパーソナルスペースは違うのだが――男性のパーソナルスペースは、前方に伸びている傾向があってね。ん……卵型と言った方が分かりやすいか。俺たちの視覚は、前方の1点を見るようにできているんだ。逆に女性のパーソナルスペースは、丸い円に近い形になる傾向らしい。女性の視野は、全体を見渡すようにできていて、身の危険を察知しやすくしているのかもしれないね」  さっきまでの卑猥な雰囲気が一転、真面目に説明をしてくれる姿に唖然とするしかない。 「意中の女性がいるなら、こうして堂々と正面からアプローチすると、好感を持たれやすいんだ。フレンドリーで、より直接的なものを好むから。だが――」  射竦める様に視線を合わせてきて、顎を掴まれてしまった。 「千秋を落とすなら、正面よりも真横が有効的なんだよ。どうしてか分かるかい?」 「や、えっと、な、何でかな……」 「ふっ、今も昔も……昔っていうのはあれか。コンビニでバイトしてる時なのだが、君は俺の視線を見事に避けたからね。あらぬ方を見たり俯いたりやり過ごして、絶対に合わせてくれなかった」  ――それは穂高さんがイケメン過ぎて、落ち着かないからです。 「逆に横にいる方が、自動的に千秋が俺を意識して見てくれる。その視線に合わせれば、引き寄せられるようにキスができるワケ」  顎を掴んでいた手を使って、くちびるをゆっくりなぞっていく。途端にゾゾッとした快感が伝わり、身体をビクつかせてしまった。 「ぁ、んっ……」  甘い声を出した俺を、闇色の瞳を細めてじぃっと見つめる視線に、身体が勝手に熱くなる。  くちびるに触れられただけで、変な声を出してしまうなんてハズカシイ。 「たまにはこうして、正面で千秋と向き合うのもいいね。逃げられる分だけ、愛おしさが募ってしまう」  俺はこうして直接、穂高さんに触れられているけれど、さっきよりも距離が遠い分、切なさの方が募っていくのにな。 「もっと……もっと傍に来て」 「ん?」 「もっと傍で、穂高さんの存在を感じていたい」  頬に添えられていた手をぎゅっと握りしめたら、するりと顔から外し、手を握り返してきた。 「愛しいお客様のご要望なので、喜んで従いますよ。それでどれくらい、お傍にいればよろしいでしょうか?」  掴んだ手を引き寄せ上目遣いで俺を見ながら、人差し指にちゅっとキスを落とす。普段触れることのない穂高さんのくちびるの柔らかさを感じて、自ら積極的に触れてしまった。  くちびるの柔らかさだけじゃなく、あたたかさも知りたくなったんだ。暫く触れることが出来ないから尚更――。  なのに触れることは許されず、その指をぱくりと食まてれしまった。しかも穂高さんは口ばっかりで、さっきから全然動こうとしてくれない。  ちゅぅっとワザと音を立てて吸い付き、俺の顔をじっと見つめても全然嬉しくないよ。 「焦らさないで、傍に来て」  恥ずかしかったけど自分の気持ちを伝えるべく怒気を含めて告げたのに、華麗に無視して、口に含んでいる人差し指に舌を絡め、それだけを使って上下に動かし始めた。 「ちょっ、それ……ヤダ」  人差し指を救出すべく引っ張ってみても、穂高さんの力技の前にはビクともしない。更にちゅくちゅくと絡みつき、唾液まみれにされる始末。 「う~~~っ、もうダメだってば!」  俺が勢いよく立ち上がった途端に、パッと放された人差し指。座ったまま見上げる穂高さんの視線は何かを言いたげなのに、口をしっかりと引き結んで、それを絶対に言わないのが分かった。  もしかして俺、試されているのかな――。 「穂高さん?」  俺たちの間は、小さなローテーブルだけが阻んでいる。たったそれだけなんだけど。 「千秋……」  小さな声でそっと囁くように呟き、印象的な闇色の瞳を細めてじっと見つめるだけ。  居間のあちこちに置かれているキャンドルが、穂高さんの端正な顔立ちに陰影を与えるせいで胸が高鳴っていく。この感じ――随分と前のことだけど思い出す。  はじめて穂高さんに抱かれた、あの日の夜と同じなんだ。LEDの光が揺らめく人工的な照明で作られたモノだったけれど、胸の高鳴りは同じもので。  ――前も今も、この気持ちは変わらない――  気がついたら、テーブルを跨いで穂高さんにぎゅっと抱きついてしまった。そんな俺の身体に、両腕を使ってぎゅっと抱きしめてくれる。伝わってくるぬくもりに、幸せをひしひしと感じてしまった。  昔のことを思い出したのはきっと、彼がホストの格好をしているせいなのかもしれないな。今は俺だけを、こうやって抱きしめてくれる。俺ひとりだけを見つめる愛しい人。 「千秋、俺を捕まえてくれてありがとう。君がこうして行動を起こしてくれなかったら、こうすることもきっと、遠い未来の話になっていただろうと思っていたから。俺は漁師として一人前になるには、まだまだ先のことだったからね」 「その前に俺が誰かに捕まえられていたら、どうするつもりだったんですか?」  穂高さんの腕の中でちょっとだけ笑いながら、ありもしないことを口にしてみる。 「その時は……そうだな。君の心に灯した残り火にこうやって、燃料をぶち込んであげよう。そうすれば思い出すだろう?」  ゆっくりと俺を床に押し倒して、くちびるを重ねてきた。 「っ……これのどこが燃料?」  掠れた声で告げると耳元に顔を寄せながら、ちゃっかりシャツの裾から手を突っ込み、肌を撫で始める。 「だって、ほら。確実に体温が上がっているじゃないか。これって燃料投下にならないだろうか?」  俺の大好きな低い声色が耳に届いた瞬間、胸の奥がぎゅっと掴まれた気がした。  ああ、これも燃料のひとつか。厄介な人だな、もう。 「だったら明日も明後日もずっと、寂しくならないように肌を重ねてくれませんか? 悪いホストさん」 「かしこまりました、お客様。ベッドに移動させていただきます」  音のする派手なくちづけを頬に落としてから、横抱きにして軽々と持ち上げ、嬉しそうな笑みを浮かべながら、ベッドに移動した穂高さん。  結局、空が白んでくるまでずっと励んでしまったのはいうまでもない。  おしまい

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