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恋色のバラに永遠の愛を誓って

 同性の恋人と遠距離恋愛をして、1年とちょっと。離れている時間が長い分だけ、逢ったときの感動はひとしおだった。 『悪いがこの日のバイトを、19時上がりにできないだろうか? 一緒に出かけたいところがある』  なんていう嬉しいメッセージが先月末にあって、恋人の穂高さんと出かける約束をした。ゆえに鮮魚コーナーのバイトに2時間半だけ働いて外に出たら、見慣れた赤い車が従業員出入り口の前を塞ぐように停められていた。運転席に座る、穂高さんと目が合う。 「北海道から、ホントに来ちゃったんだ。どういう理由を使って、お休みをもぎ取ってきたんだろう?」  そんな疑問を口にしながら、ドアを開けて助手席に乗り込む。 「お疲れ様、千秋」  直接聞くことのできる労いの言葉に、口元が緩んでしまう。いつもならスマホ越しで聞く言葉なので、とても嬉しい。だからこそ、気がつくことがあるんだ。 「ありがとうございます。あの穂高さん、疲れてるんじゃないんですか? 声に張りがない感じがしますけど」  ぐいっと顔を寄せたらギョッとした顔で、顎を引かれてしまった。 「ま、まあ長距離運転してきたし、多少の疲れはあるかもしれないね」  誤魔化す時によくする営業スマイルで俺を見つめても、騙されない自信がある! 「ところでどうやって、仕事を休んできたんですか? 漁の最盛期だっていう話を、船長さんから聞いているんですけど」  北海道のとある島で漁師をしている穂高さん。彼と恋人同士なのを知っている船長さんとは、電話でよくやり取りする仲だった。 「のっぴきならない事情のために、千秋の所に行ってくると伝えたのだが」 (何でそれであっさりと休みが取れちゃうんだよ、呆れた……) 「どうせ穂高さんのことだから気を取られて、ドジばかりしていたんでしょうね」 「どうして分かったんだい?」 「えっ!!」  まったく、困った人だな。だからお休みを戴けたんだ、納得! 「千秋は俺のことを、本当によく理解しているね。嬉しく思うよ」  呆れ果てて固まる俺を尻目に、ニッコリとほほ笑みながら、アクセルを踏み込んで車を出す。 「……あの、どこに向かうんでしょうか?」 「メンズキャバクラ、シャングリラ。俺の元職場なんだが」  むー、ホストクラブとメンズキャバクラって、何が違うんだろ? 女性客を相手にするのは、何となくわかる感じだけどな。 「そこの店長さんの恋人に働いてる当時、ちょっとイタズラをしてしまってね。そのことがつい最近になって、バレてしまったんだ。お詫びに、千秋を連れて来いと言われてしまって」 「……何をやったんですか、穂高さん」  メンズキャバクラの店長さんが怒り、俺に顔を出させるということは、相当悪質なイタズラが炸裂したのだろう。  運転している顔を下から覗きこんでやったら、片眉をぴくりと動かして、明らかに焦った表情を浮かべる。 「そんな目で見ないでくれないか。大したことじゃないから。あ、店長さんの恋人は同性だから、安心してくれ」 「そうなんだ、てっきりお客さんの中にいる誰かだと――って、話を逸らそうとしたでしょ?」 「そんなことはない。ただ千秋を恋人だって連れて行くのに、困惑するかと思ってね」 (……確かに。元ナンバーワンホストの穂高さんの恋人が同性だという事実は、違和感があるもんな) 「基本的にはいい人だから、安心してくれ。多分、大丈夫」  説得力があるようであまり信用ならない言葉に首を傾げつつ、車に同乗する事20分で、お店に到着した。近くにある月極駐車場に車を停めてから、並んでお店に向かう。 「店長さんの名前は大倉さんっていう人で、彼氏は北条レインっていう、現在ナンバーワンの人だよ」 「新旧のナンバーワンを、見ることができちゃうんだね」 「大倉さんも元ホストだからね。もしかしたら千秋の心を、奪いに来るかもしれないよ?」  こんなふうにって言いながら、強引に肩を抱き寄せて、掠め取るようなキスをする。ほんのわずかな触れ合いだったけど、心臓が一気に駆け出した。 「ンッ!? も、ここ外なのにっ!」 「ふっ、抜かりないよ。誰もいないから」 「何言ってるんですか、あそこの通りに人がいる」  外でされた接触に思わず声を荒げると、肩を竦めて呆れた表情をあからさまに浮かべる。悪びれる様子がないせいで、余計にボルテージが上がってしまった。 「大丈夫だ。ここは薄暗がりだから見えない」  何だろう、違和感ありまくりだ。今日に限って、やたらと大丈夫を口にするなんて。まるで、自分に言い聞かせるみたいに聞こえる。 「そんな顔をしていると、大倉さんに好かれてしまうかもしれないね。ほら、ここだよ」  大きなビルにある扉を開けたら、カランコロンという音が鳴り響き、いきなり――。 「いらっしゃいませ! シャングリラに、ようこそお越しくださいました」  大きな声と共に、目の前に現れた背の高いイケメン。少しだけ茶色い髪をなびかせながら、見るからに涼やかな一重瞼を細めて、俺の顔を見つめる。  意味ありげなその視線に思わずたじろいで、後ろにいる穂高さんを見上げたら、俺の腰を抱き寄せるなり、ぐいっと中に押し込む。 (うわぁ、イケメンのサンドイッチにあってるよ。前を見ても後ろを見ても、整った顔立ちの人しかいない)  持ってる雰囲気だけじゃなく、オーラっていうのかな。それが躰から漂っているせいで、何もしていないのに酔ってしまいそうだった。 「店長の大倉です。こういうお店に来るのは、はじめてなのかな?」  穂高さんから引き離すように右手を掴んで引っ張られ、あっという間に大倉さんに密着させられた。いきなりの行動に目を白黒させながら振り返ると、穂高さんはその場に佇んだまま、じっとしていた。 (――どうして、助けてくれないんだろう?) 「あ……」  そういえば穂高さん、大倉さんの恋人にイタズラして、大層怒らせたんだっけ。そのせいで、俺を助けることができないんじゃ……。  恋人だからこそ、自分ができることはひとつだ。  掴まれたままの右手を大倉さんから無理やり奪取し、背筋を伸ばして赤い絨毯の上に正座した。目に入るお店の壁紙の青い色と白い色が、やけに眩しく目に映る。 「千秋?」 「このたびは穂高さんが、大倉さんの恋人に失礼なことをしてしまい、大変申し訳ございませんでした」  言い終えてから、額を床に擦りつけるように頭を下げた。 「千秋、君がこんなことをする必要はない。止めてくれないか」  両手で俺を強引に立たせようとする穂高さんに、キッと睨みをきかせる。 「ダメだよ。穂高さんが良くても、俺の気が済まないんです」 「ねぇ穂高さんが俺の恋人に、何をしたか知っているの?」  言い合いしているところに、放たれた言葉のせいだろうか。立たせようとしていた穂高さんの動きが、ピタリと止まった。 「えっと詳しくは知らないのですが、きっとタチの悪いイタズラだと思って。俺もしょっちゅうされているせいで、結構困っていますし……」 「確かにタチの悪いイタズラだよ。そうか、恋人の君も困っているのかぁ。頻繁にイタズラされまくっていたら、とても大変だろうねぇ」  ニヤニヤしながら大倉さんは言ってきたのだけれど、目がまったく笑ってなくて、その視線の先に穂高さんがいる状態。その顔は見たことのないくらい、困惑に満ちた表情だった。 「穂高さん、いったい何をし――」 「秀彦っ! もういい加減にしてやれって」  俺の言葉を遮った奥から掛けられた言葉に、ビックリするしかない。人の気配なんて、全然感じなかった。 「うぁ……」  ガタガタッと物音を立てて、声の主がやって来た。上下真っ白いスーツを着こなし、濃いグレーのシャツが浅黒い肌の色を引き立てていて、思わず言葉を失ってしまうレベルだった。 「おまえも呆けた顔してないで、さっさと立てって。本当は謝る必要なんて、全然ないんだからさ」  頬にかかる金髪を押さえながらニッコリと微笑み、手を差し伸べられた。  一瞬戸惑ったけど思いきって右手を載せたら、力強く引っ張り上げてくれる。とても温かい手のひらの持ち主で、ポカポカしたものが伝わったからか、瞬く間に変な緊張が解れてしまった。  穂高さんや大倉さんのようなイケメンじゃないけど、見えない何かで包み込んでくれるような優しさが、眼差しから滲んでいる感じがする。  思わずしげしげ見つめていたら、髪型を崩す勢いで頭を撫でられた。 「おまえ、名前なんていうの?」 「わ、あの、こっ、紺野千秋と申します。はじめまして」  頭を下げて挨拶したいのに、ずっと撫でられているのでそれができずにいて、どうしようかと横目で穂高さんを見たら、微妙な表情のままだった。  イタズラしてしまった相手が出てきたから、お手上げなのかもしれない。 「北条さん、このたびはほんと、っ!?」  頭を撫でていない手で口元に人差し指が添えられ、言葉を止められてしまった。そんな俺達のやり取りを、大倉さんが黙って見つめている。黙って見ているんだけど、刺さるような視線で凝視されているせいで、居心地が悪くてモジモジしたくなったのは、ここだけの話だ。 「井上には勿体ないくらいの恋人だな、千秋ちゃん。さっきも言ったろ、謝る必要はないって」  ――初対面でいきなりのちゃん付けは、なんか照れる……。 「そんなできた恋人の君に、これをどうぞ」  北条さんは撫でなで攻撃を止めて、スーツの胸ポケットに差していた淡いピンク色のバラを1本、目の前に掲げた。ほんのり色づいてる淡い桜色のバラを、見惚れながら受け取ってみる。  きちんと棘が取られている枝に、すごいなぁと思いつつ、それを眺めてしまった。 「さて井上、このバラの花言葉はなんだっけ?」 「……濃い色のピンクじゃないですし、千秋の人柄を考慮するなら、かわいい人と言ったところでしょうか」 「――だそうだけど、大倉さんはどう思う?」 「いいんじゃないかな……」  微妙な空気がそこかしこに流れているというのに、北条さんはゲラゲラ大笑いし始めた。 「悪ぃ。イケてる元ホスト2人が、アホ面丸出しで千秋ちゃんを見ていたのを思い出したら、すっげぇ可笑しくって。やべぇ……」 「あのぅ?」 「しかもここで生の土下座が見られるなんて、思いもしなかったぜ。腹いてぇ」  お腹を抱えて笑い転げる北条さんの肩に、大倉さんが手を伸ばした。 「レインくん、ちょっと笑い過ぎじゃないか。俺は君のためを思って」 「俺のためじゃねぇだろ。自分の嫉妬からやってるクセに。どっちがイジワルしてるんだか。俺は井上のこと、前から許してるのにさ」  言いながら肩に置かれた大倉さんの手をぎゅっと握りしめて、スラックスのポケットに突っ込む。中で何が行われているのかわからないけれど、きっと宥めるようなことをしているに違いない。  大倉さんの表情が、途端に晴れやかなものに変わったから。 「千秋……」 「なに、穂高さん?」  いつの間にか寄り添うように隣に立っていて、じぃっと俺の顔を見つめる。 「そのバラ、千秋にすごく似合ってる。可愛い」  なぜか可愛いのところで、わざわざ顔を寄せてきて、耳元で告げてきた言葉。ふぅっと吐息がかかったせいで、肩を竦めてしまった。 「ったく。目の前で、イチャイチャしてんじゃねぇぞ井上。千秋ちゃんを寄こせ!」  大倉さんから手を離した北条さんがいきなり俺の腕を掴み、奥のテーブルに引っ張っていく。 「大倉さん、美味いレモネードふたつね! 今夜は仕事放棄して井上との馴れ初め、きっちり話を聞いてやるからさ」 「ほっ、穂高さーん……」 「レイン先輩には逆らえないからね、しょうがないだろう」  一番奥のソファに座らせられて、隣を北条さんが陣取った。向かい側の席に穂高さんと大倉さんが座り、お店が開店してもお客さんそっちのけで、話をさせられてしまった。  ……というか、これが本当の復讐だったのではないかと思ったのは、俺だけなのかな。

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