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当たり前のような奇跡を感じて――(千秋目線)

 いつもより穂高さんってば、はしゃいでいるな――。  大好きな恋人の手を引っ張り、丘を下りながら考えた。何かしら、はしゃぐ要因があっただろうかと。  土日の週末は基本的には漁はお休みで、千秋自身も仕事が休みだからずっと一緒にいられる。日頃互いの仕事のサイクルが違うためすれ違ってしまうからこそ、貴重な週末なのだけれど……。  それがはしゃぐ要因になっているとは思えないなぁと、改めて考え直していたときだった。 「ねぇ千秋、お土産屋さんでも覗いてみるかい?」  唐突になされた提案に、リズミカルに下りていた千秋の足がゆっくりになる。必然的に穂高と並んで歩いた。 「お土産屋さん?」 「ん……。今晩の晩酌に、島の特産になっているチーズと干物を手に入れたいと思ってね」 「だからって、あまり飲みすぎちゃ駄目ですよ」  アルコールに強いことが分かっていても恋人の躰の心配をする千秋の言葉に、小さく笑いながら頷いた穂高。絡んでくる視線が自分を好きだと言っているのを、自然と感じることができた。  包み込むような眼差しひとつに、躰が疼いてしまう――。  それを隠そうと視線を外した途端に穂高は千秋に顔を寄せるなり、こめかみにそっとキスを落とす。自分から視線を外すなと言わんばかりに。 「穂高さん、人目のあるところで大胆なことをしちゃ」 「だって千秋が、可愛い顔を隠すせいだよ。貴重なその表情を拝んでいたいというのにね」  とどめをさすように繋いでいる手を持ち上げて、千秋の甲にちゅっとくちびるを押しつけた。穂高の嬉しそうな顔に、しょうがないなぁと思わされてしまう。 「それでお土産屋さんに寄ることは、どうするのだろうか?」  耳元で囁かれる穂高の声で躰がゾワッとし、眉根を寄せて肩を竦めた。迷惑そうにしている千秋の表情を見てもなんのその、困った顔をしているのを楽しげに見下してくる。 「勿論、行きますよ。晩酌するのが分かっているからこそ、行かなきゃって感じですし」  だったら早く行こうという感じで、繋いだ手を引っ張って歩く。そんな穂高の手をぎゅっと握りしめた。 「千秋?」 (いい大人の自分たち――この島では兄弟という間柄になっているから、手を繋いでいても変な目で見られないだろう。だけど……)  千秋は服の下に隠しているネックレスの先についている指輪に、反対の手で触れた。これからもずっと一緒に生きていこうという誓いと共に贈られた指輪を隠さなければいけないのは、やっぱりちょっとだけつらい。  隣にいる穂高の顔を千秋が見上げた。瞳を細めて見上げた先には、この世で一番愛おしいと思える人が傍にいる。当たり前のようにこうして歩いていることさえも、昔の自分が見たら奇跡に思えるだろう。 「今夜は久しぶりに、穂高さんの晩酌に付き合っちゃおうかなぁ」  千秋が弾んだ声で告げた途端に、穂高の形のいい眉がへの字になった。 「君はお酒が弱いんだから、ほどほどにしないといけない。俺がしっかりと管理するから!」 「言われなくても、そんなこと分かってますよ。ちなみに何のお酒を飲むんですか?」  他愛のない会話をしながら、繋がれている手をブラブラ揺らした千秋の様子を見て、曇らせていた穂高の表情が瞬く間に明るいものに変わっていく。 「船長から口当たりのいい日本酒をいただいたから、それを開けようと考えていたのだが、千秋が飲むのなら別なものに変えようかなぁと」 「どうして?」 「口当たりがいいということは、千秋の酒量が増えるおそれがあるからね。いっそのこと、辛口のものに変更しようかな」 「そんなのズルいですよ! 美味しいお酒を独り占めしようとしてるでしょ穂高さんっ」  ちょっとだけスネた千秋が、穂高の躰に軽く体当たりをしたけど、まったく動じずに笑いかけた。 「飲みたければ、俺の要求を全部叶えてくれたらいいだけの話だよ」 「うわぁ……。またしても変な手を使ってくるなんて」  いつもの穂高のおねだりに千秋は辟易しながらも、心の奥底ではじんわりとした幸せを感じていた。こうなるだろうなぁという展開の先が見えていても分からなくても、どっちにしろふたりで楽しむことには変わりないのだから――。 「しかも千秋は、テーブルの前にただ座っていればいいだけだよ。俺が接待してあげるから。ね、どうだろうか?」  饒舌に交渉していく元ホストに、千秋は満面の笑みを見せてあげてから。 「穂高さん、きっぱりとお断りします!」  交渉を受けるだろうと見せかけてしっかりと断った千秋を、愕然とした表情で穂高は見下した。  たまには、こういう日があってもいいものだよなと、千秋は心の中でほくそ笑みを浮かべながら、暫しの間だけ穂高を翻弄して楽しんだのでした。 めでたし めでたし

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