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――発火点――
目覚ましが鳴る前に、珍しくふと目が覚めてしまった。何だろう、この妙な胸騒ぎは……。胸騒ぎというか、高鳴りというか。
――何かの夢を見ていた。
ノルマとか人間関係とか、毎日擦り切れそうになりながら、くたくたに疲れ果てた自分の心が、何故だかほっとするような、そんな癒し系の夢だった気がする。
「目が覚めた途端に消し飛んでしまうとは、すごく残念だな」
時間を確認しつつ起き上がり、両手を上げて伸びをしてから、傍らに置いてある煙草に、そっと手を伸ばした。
「ん……?」
煙草と灰皿の間に、白い色した煙草の銘柄が書いてある、いかにも景品でつけましたという感じの安っぽいライターが、いつも使っているジッポの隣に並べて置いてあることに、首を傾げるしかない。
どうして、家に持ち帰ったんだっけ? こういう景品関係は大抵、車に乗せっぱなしにして、ジッポのオイルが切れた時の代用品にしたり、会社の引き出しに仕舞っておくハズなのにな。
「そういえば、あのコンビニ店員――」
口に咥えた煙草に火を点けず、昨日の出来事を、ぼんやりと思い出した。
一昨日と昨日は仕事をしていて、最悪の日が連続で訪れてしまった感じだった。お客様の苦情を聞いてクレーム処理をし、そのせいで上司に怒られ残業をして。
お陰で、いつもより煙草の減りが早かったので職場近くのコンビニへ、家に帰る前に立ち寄ったんだ。
「いらっしゃいませ!」
午後10時45分頃、元気な店員の声に出迎えられ、飲み物が置いてあるところにまっすぐ歩いて、某メーカーのお茶の500mlのペットボトルを手に取り、数少なくなっている弁当の棚から、大盛り牛丼を選んで、そのままカウンターに置く。
「いらっしゃいませ、温めますか?」
「ん……。ついでにコレ、1カートンもお願い」
ポケットから煙草を取り出し、店員にしっかりと見せた。すると箱に書いてある銘柄を、きちんと指差し確認し、
「かしこまりました。少々お待ちください」
丁寧にお辞儀をしてから、牛丼をレンジに入れてスイッチを押す。待ってる間に棚から、煙草を1カートン取り出してカウンターに置いた、店員の手元をぼんやりと見つめた。
「あのお客様、期間限定で1カートンお買い上げの方に、ライターを差し上げているんですが、どちらがいいですか? 本当はそのまま手渡ししなきゃならないんですが、他のお客様がいらっしゃらないので、ご自由にお選びください」
その声ではじめて、店員の顔を見る。
さらさらした長めの黒髪を揺らし、印象的に映る大きな瞳を細めた笑顔で、じっと俺を見上げていた。
どうぞと一言告げ、緑色と白色のライターを手渡される。
選んでいる間にレジを打ち込み、温まった食品など、手際よく袋詰めした後に、金額を告げられた。
「じゃあ、これで……」
一万円札と一緒に、緑色のライターを返す。一瞬触れた手のひらが、自分よりもあたたかくて、何故かほっとしてしまった。
「一万円、っと」
手際よく袋詰めしていた時とは違い、たどたどしい手つきでレジを打ち込む姿に違和感があったので、胸元に付いている名札を見る。
『紺野』という名前と一緒に研修中という言葉が、プレートに記載されているのに目が留まった。
レジの操作に四苦八苦しながらだが、お客様に対して一生懸命……。その凛とした佇まいが、どこか百合の花のようだ。
――今の自分はこんな風に一生懸命、仕事に打ち込んでいただろうか?
「お待たせしました、こちらがお釣りです。お確かめください」
「ん……、大丈夫」
「ありがとうございますっ!」
白い歯を見せながら、ちょっとだけ引きつった笑顔が、やけに印象に残った。
「……そうだ、彼の笑顔――」
夢の中で見たんだ、俺に笑いかけてくれて。
『そんなに煙草ばかり吸っていたら、キスしてあげませんよ』
どこかの夜景をふたりで並び、眺めているシチュエーション。煙を吐き出すと、ちょっとだけ迷惑そうな顔して、眉根を寄せる彼。
「構ってほしかったのかい?」
『違いますよ。身体の心配をしただけです』
気遣う視線に、じわりと胸が熱くなった。こんな俺に優しくしてくれる彼を、とても愛おしく思って両腕を伸ばし、ぎゅっと抱き寄せる。
――あたたかい身体、心まで抱きしめられているような――
「なら口寂しくないように、いつも君が塞いでいてほしいのだが」
そう言って、くちびるを重ねようとした瞬間に、ぱっと目が覚めたんだ。
「視線を合わせて笑顔を向けられ、ちょっとだけ手のひらに触れただけで、どうしてこんな夢まで見てしまうのか……」
いつも使ってるジッポじゃなく白いライターを手に取り、煙草に火を点ける。吸い慣れてる煙草なのに、やけに美味しく感じるのは何故だろう?
「……あの時間帯に行けば、彼に逢えるよな。きっと……」
妙な胸の高鳴りを確かめるべく今夜、彼のいるコンビニに赴いてみよう。落ち着き払ってしまった今では、それが何であるかが分からない。
彼の笑顔を直接見て声を聞いて、更に胸が高鳴るようならきっと、それが何であるのかが、ハッキリと分かるだろうから。
おしまい
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