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はじめて一緒に過ごすお正月!

 去年のお正月は地元で一緒に過ごそうと約束していたけれど、天候が悪かったせいでフェリーが出航できず、バラバラでお正月を迎えたんだったよな。  そんなことを考えながら、隣にいる穂高さんの横顔をちらりと見た。  お正月の特番でマグロ漁師のテレビ放送があったから、二人寄り添って仲良く見ていた。傍らには穂高さんが淹れてくれた美味しいコーヒーが、芳醇な香りを漂わせる。  愛しい恋人が片膝をついて真剣な眼差しで凝視する先には、年配の漁師さんが四苦八苦しながら、餌にかかったマグロを仕留めようと、船上の縁でモリを片手に狙っている姿があった。 (捕っている魚の種類は違うけど、こういう場面は同じ漁師として手に汗を握るんだろうな)  横目でテレビを眺めつつ、隣にある端正な横顔を見ながら、そう思った矢先だった。 「プッ……。ふふっ」  真剣な眼差しが一変、目尻を下げるような笑みを浮かべたのである。  荒れ狂う海の上で捕られまいと暴れる大きなマグロに、疲労のせいかモリを上手く刺すことができない年配の漁師さん。それを見て笑うなんて、穂高さんってば一体、何を考えているんだろう?  俺なら、一発で仕留めるのに……。なぁんて思うような人じゃないのは、恋人として分かっているつもりだけどね。  他に思い当たることは何だろうと考えながら、マグカップに手を伸ばした。  ぼんやりと考え事をしていたせいで、誤って穂高さんのマグカップを持ってしまったのだが――迷うことなく、それを口にする。 (うーん、やっぱりブラックコーヒーは苦いなぁ。飲めないわけじゃないんだけど)  いつも牛乳と砂糖を入れてカフェオレにしている自分には、ブラックコーヒーは大人の味だった。そして穂高さんの味でもある。 「ん……?」  眉根を寄せて固まっていると、不思議そうな表情で眺めてから、テーブルの上にある俺のマグカップを手にした穂高さん。  くいっと一口飲んでマグカップを戻し、音もなく顔を寄せてきたと思ったら、くちびるを強く押し当ててきた。 「ぅんっ、ンンっ!」  少しづつ流し込まれる甘いカフェオレが、口の中にあったブラックコーヒーの味を、瞬く間に拭い去った。 「やっぱり、千秋のカフェオレは甘いね」  穂高さんが作ったというのに眉根を寄せて、なぜか俺に苦情を告げる。 「穂高さんのブラックコーヒーが、苦いせいですよ。いつになったら平気な顔して、飲めるようになるんだろう」  大人になったら勝手に美味しく飲めるものだと思っていたのに、カフェオレがやっとだなんて、まるでコーヒー牛乳を喜んで飲む子どもみたいだな。  手にしたままの穂高さんのブラックコーヒーを、もう一度飲んでみた。甘いカフェオレを飲んだ後だから、さっきよりも苦味が引き立っているせいで、舌の上で堪能する前にゴクンと飲み込むしかない。 「何を焦っているんだい、千秋?」  俺の様子がさも可笑しいと言わんばかりに、闇色の瞳を細めてクスクス笑う。 「……別に焦ってるわけじゃないんです。ただ、いつになったら穂高さんみたいな、大人の男になれるのかなぁって」  格好いいと言われなくても、大人っぽいと言われたい願望はある。 「千秋には、千秋なりの良さがあるというのにね。俺としては、そのままでいてほしい」  お願いだからと呟くように告げるなり腰を抱き寄せ、ちゅっとこめかみにキスを落としてきた。 「そのままって、子どもっぽくないですか?」  持っていたマグカップをテーブルに戻して、穂高さんの身体をぎゅっと抱きしめる。コーヒーのあたたかさよりも愛おしい温もりが、すぐ傍にあった。  上目遣いで見つめる俺を、妖艶な笑みを浮かべながら見下ろす。 「子どもは悦んで、俺に跨ったりはしないだろう?」  なんていう、いきなり卑猥なネタを投げつけてくるなんて、もう! 「……今さっき、年配の漁師さんが苦労してる場面で、嘲笑ったのはどうしてですか?」  俺に手を出そうとする際にこういうネタを投げつけてくるので、うまく回避しようと話題転換してみた。 「ああ、それはね――」  すりりと頬擦りしてから、視線をテレビに移す。  話をしている間に、内容はかなり進んでいた。マグロにモリを刺すことに成功し、船に付いてるワイヤーをエラにかけて、引き上げている姿がそこにあった。  満面の笑みがまるで、太陽のように眩しく見えるな――。 「餌にかかったマグロが、付き合う前の千秋の姿と重なったんだ。モリを刺したいのに狙いが定まらず、船上でフラフラしているところが、あのときの俺みたいだと重なってしまってね」 「俺はあんなに、大暴れなんてしてませんけど」 「ふっ、君にとっては静かな抵抗だったろうが、俺としては冷たく当たられることは、あのマグロと一緒だよ。騙した挙句に車に乗せて、手を出したまでは良かったんだけどね。せっかく餌にかかったというのに、どうやって千秋と仲良くなればいいのか、さっぱり分からなかった」 「ホストをしていたのに、それが分からないなんて変な話ですね」  それこそ数多の女性客を相手にしていた、元ナンバーワンホストの穂高さんが、俺に手を焼いていたなんて。  小首を傾げると、俺の胸をつんつんと突っつき、寂しげに微笑んだ。 「流されやすい君を落とすことはそれまでの経験上、正直簡単なんだが……。身体だけじゃなくこのキレイな心が、どうしても欲しかったから。俺のことを好きになってもらいたいと強く思ったせいで、どうしても手が出せなかった」 「穂高さん……」 「あんなに時間をかけてつきまとったのは千秋、君がはじめてなんだよ。苦労した甲斐あって、こうしてお揃いの指輪をして、仲良く一緒に正月を迎えることができるなんて、夢にも思わなかった」  腰に回されている腕に力が入り更に密着したので、安堵のため息が耳に聞こえてくる。 「これからも俺と……正月を過ごしてくれるだろうか?」  まるでプロポーズのような言葉に、きょとんとして穂高さんを見上げた。 「お正月だけですか?」  なぁんて意地悪なことを言った俺は、困らせる気が満々で――というか、いきなりの展開に照れてしまって、素直な返事ができなかった……。 「真っ赤な顔してそんなことを言う君には、甘いお仕置きが決定だな」 「うわっ!?」  抵抗する間もなく、その場に押し倒されてしまった。 『マグロ追っかけて何十年もやってきとるけど、うまくいかないときの方が多いんだわ。だからこそ大っきなもんが釣れたときは、喜びもひとしおなんだべな』  つけっぱなしにしているテレビから、嬉しそうな年配の漁師さんの声が聞こえてきた。 「穂高さんにとって俺は、大きなマグロになるのかな?」 「そうだね。とても活きのいい、美味しそうなマグロかも」  年配の漁師さんに負けなくらいの微笑を湛え、顔を寄せてきて、わざとらしくちゅっと音の鳴るキスをする。 「しかも俺は、釣った魚にきちんとエサをあげるよ。こうして……」  掠れた声で言い放ち、下半身を腰骨にぐいぐいと押しつけてきた。 「さっき、甘いお仕置きがどうのこうのと言ってましたけど?」 「その顔は……いつもと同じことをするんでしょ穂高さんと、言ったところか。やれやれ、新年早々趣向を変えて、やってみるのもアリか」  ナニをどうやって、趣向を変えようとしているんだろう。 「そうだな、女装した俺を千秋が襲ってみるというのはどうだろうか? 千秋のように可憐というわけにはいかないだろうが、それなりの美女になれるように、精一杯頑張ってみるつもりだよ」  顎に手を当てて3秒後に導き出された言葉に、床に転がった状態だったけど、くらくらと目眩を起こしてしまった。  どうしてこう斜め上をいくようなことばかり、やってみようって思うのかな。 「……穂高さんの美女姿、見たくないわけじゃないけれど、俺としてはいつも通り、普通でお願いしたいんですが」 「だって、つまらなそうな顔をしていたじゃないか」  変にごねられてもすっごく面倒くさい。ここは勇気を出して、自分からアタックせねば。そのほうが、穂高さんも喜ぶであろう!  意を決して腰骨の傍にある穂高さん自身を、ぎゅっと鷲掴みしてみた。 「うぅっ! 千秋?」 「いつものように、大事に俺を抱いてくれる穂高さんが見たい、な」  ちょっぴり震えながらの声だったけれど、穂高さんがすごく嬉しそうな顔で何度も首を縦に振り、膝裏に腕を差し込んできて横抱きにしてから、ゆっくりと俺を持ち上げる。 「きちんとテレビを切ってから……」 「分かってる。居間の電気も、忘れずに消さねばね」  それぞれをオフにして、くすくす笑い合った俺たちはごく普通に、だけどいつもより愛を語り合って、新年一発目の行事を終えたのでした。  おしまい

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