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第2話
結局、三回も致した。四回目の途中で凛哉のスマホがけたたましく鳴り出し、やっと行為は中断されたのだ。鳴らなかったらまだまだ行きそうな勢いだった。
生まれて初めての性体験で、まさかこんなことになろうとは思わなかった。普通って何。
「あー、時間だ」
ちっと舌打ちした凛哉がスマホを取り電話に出た。俺は寝ころんだまま聞き耳だけ立てていた。
「はい、はい……わかってる、打ち合わせだろ?ちゃんとホンには目通してるって……」
お仕事関係か!すごい、業界人みたいな話をしてる…っていうか、業界人だよ、改めてすごい…!
「はー…ごめんね、俺もう行かなきゃいけない」
通話を終えた凛哉が気だるげに告げながらも、すばやく身支度を整えていく。その姿を俺は羨望の眼差しで見ていた。
というか、俺も、このどろどろの体をどうにかせねば。あ、パンの袋におしぼり入ってた。売店のおばちゃんありがとう。
「じゃあね、センパイ」
のろのろと起き上がって服を着る俺を置いて、準備を終えた凛哉はさっと部屋の出口へ向かう。急いでいるようだ。
「あ、はい…お仕事頑張って……」
なんと言っていいかわからず、俺はそう言ってひらひらと手を振った。
凛哉はにこっと笑い、「ありがと」とだけ言って外へ出ていってしまった。
部屋にしんと沈黙が下りる。それから俺は、しばらくそこにぼーっと座っていた。俺、大人の階段二段飛ばしぐらいで駆けあがっちゃったよ、とか思いながら。
「あ、授業……」
ふと時計を見れば、昼休みなどとっくの昔に終わり、すでに最終授業も終わりに向かおうとしていた。
「もう帰ろう」
呟いて、俺はごみやら何やら全てビニールに詰め込んで、立ち上がった。少し…いや、結構腰と尻が痛い。その痛みに、じわじわと実感が広がっていった。
俺、あの凛哉とエッチしちゃったよ。てゆうか、凛哉、ホモだったんだ。でもって、俺のこと……。
――すごくね!?芸能人にいきなり見初められちゃうとかすごくね!?こんなシンデレラストーリー漫画でしかないと思ってた!!
「わー!俺、芸能人の恋人できちゃったよ!」
男だけど!でも、あんだけ美形だったら男でも別にいいし!エッチもできちゃったし!気持ち良かったし!
俺はアドレナリンを大噴出させながら教室へ戻った。校舎内は騒がしく、放課になったことを知らせる。
教室へ駆け込むと半数以上の生徒がすでにいなかったが、俺の隣の席はまだ埋まっていた。俺は急いでそこへ飛び付いた。
「志水志水志水!!俺なんとこいぶっ!!いたたたた!痛いです!!」
恋人できたんだぜ!という台詞は途中で途切れた。顔面を掴まれたから。今日二回目だこれ。
というか、俺そういえば志水に対して怒ってたんだった!
「お前、残念な頭してるくせに何授業サボってんの?何様なの?え?」
低い声と共に、食い込んだ指にどんどん力がこもる。
ちょ、ま、ミシミシ言ってますって!!こわいいたいこわい!!
「痛いいたいいたいごめんなさいー!すみませんでしたごめんなさいっ!二度とさぼりましぇん!ゆるひてー!」
涙目でひたすら謝る。そうしてやっと手が外されたが、まだこめかみがジンジンと痛い。酷い。
志水はフン、と鼻を鳴らし、ずびずびと鼻を啜る俺にノートを投げつけてきた。これまた地味に痛い。
「明日までに写してこい」
そう言われて投げつけられたノートを見ると、地理と数学。俺がサボった分だった。
……仕方ないから、午前中の件は許してやろう。今の痛みも忘れてやろうじゃないか。
寛大な俺がそう思いながらノートをいそいそと鞄に仕舞っている内に、志水はバイトだと言ってさっさと帰ってしまった。俺の話も聞かずに。
まあいい。凛哉のことは明日自慢してやる。
翌日、俺はかなり早く学校に付いた。帰宅部のくせに運動部の朝練と被る時間だ。
というのも、昨夜ほとんど眠れなかったからだ。昨日の俺は時間が経つにつれ神経が昂ぶっていき、情事を思いだしては身悶えたり、これからの生活――芸能人とのお付き合いを考えては興奮したりと大忙しだった。
しかも、凛哉とは連絡先も何も交換していないわけで、メールの一個でも送ってみたかったがそれもできず、彼との接触は今まだ学校でしかできないことに気づいてしまってからは、はやく登校したくて堪らなくなった。
一言で言えば、俺は舞い上がっていた。
いったん教室に荷物を置くと、俺は二年生の下駄箱へ向かった。ちょっと離れた廊下に立って、凛哉の登校を待った。
どうしようかな、どうしようかな。来たら、まずは挨拶して、それから、そうだな、連絡先交換して……。そうだ、付き合ってたら昼ごはんも一緒に食べたりするよな、普通。
いろいろ妄想している内に、どんどんと生徒が登校してくる。二年生たちにちょっと不審な目で見られたが、俺はじっとそこにいた。ただ、待てど暮らせど凛哉は来ない。もしかしたら、今日は遅刻か休みなのかもしれない。昨日みたいに時間通りの登校の方が珍しいのだから。
そのうちに、予鈴が鳴った。もうちょっと待っていたいけど、またサボろうものなら志水が怖い。ノートも返さなきゃいけないし。
仕方なく、俺は教室へと戻った。
「おはよー志水」
珍しく、志水は起きてコーヒーを飲んでいた。俺の挨拶に「おう」とだけ応えてくる。
「ノートあんがとー」
席についた俺は鞄を漁り、昨日借りたノートを取り出した。ちゃんと昨日家で写したからな。
「お前、どこ行ってたんだ?」
「え?ああ、あのさ、二年の……」
教室に先に鞄を置いていたから、早いうちに来ていたことはわかったのだろう。訝しげに訊ねてくる志水に、俺は答えようとして途中で口を噤んだ。
今朝、凛哉には会えなかったが、凛哉の方も俺の連絡先なんか知らないわけだから、向こうから俺に会いに来る可能性は高い。
志水にはまだ凛哉との事は話していない。もし急に、凛哉が俺を訪ねて教室に来たりなんかしたら、流石の志水も腰抜かすくらい驚くんじゃないだろうか!
「……ひ、ひみつ!」
ふふんと笑って俺はそう告げた。そんな俺を見て、志水はなんだか憐れむような顔になった。
「……ああ、そうか、ウンコか。三年の校舎だと恥ずかしいからって、わざわざ二年の校舎にまで行ってウンコしてたんだなお前」
「へ?はぁ!?違うし!絶対違うし!!」
なんつーことを言い出すんだこいつ!しかもちょっと声のボリュームあげやがって!
あっ!学級委員の深町さんがこっち見てるし!隣の松本さんと何かこそこそ話してる!違う!違うのに!いい年してウンコマンってあだ名付いたらどうしてくれんだ!!
「ばか!志水のばか!!」
「ふん」
志水はニヤリと底意地の悪そうな顔で笑った。
くそう、お前なんかびっくりしすぎてウンコ漏らせばいいんだ!
しかし、俺の期待とは裏腹に、一限目、二限目…授業は淡々と続いていくが、凛哉は一向に現れない。
そわそわ、ちらちら、教室のドアが開くたびに反応してしまうが、待ち人来たらず。今日は仕事で来れない日なのかな。
そうして四限目も終わり、昼休みとなってしまった。
「お前、今日いつも以上に落ちつきないな。腹の具合でも悪いのか?」
「ちっ違うわい!」
明らかに心配ではなく呆れ顔で俺を見る志水に、慌てて否定を入れておく。この顔が驚愕に歪むさまを見たいのに……。
「飯どーすんの?俺学食行くけど」
「あ、俺も行く」
すたすたと歩き出す志水を慌てて追いかける。今日は凛哉は来ていないみたいだし、昼ごはん持ってきてないし。
廊下はにぎやかだ。俺も気分を昼ごはんに切り替えた。
「なーなー志水、何食う?俺ねー、カツ丼か唐揚げ定食の気分なんだけど、どっちがいいかなー」
「貧乏人はうどんにしとけよ」
「うどんかー。うどんも好きだなー……あ、なんだかうどんが良くなってきたかも!おうどんの口になってきた!でもうどんもさぁ、肉かきつねか悩むわー。男子高校生としてはがっつり肉を食べたいところだけど、きつねのあの出汁がじゅわって出るのたまらん好きなんだよなー」
「……お前ってホント平和だよな」
「へぇ?」
志水の言葉が聞き取れず、変な声で聞き返してしまった。志水は言いなおす気はないらしく、目を細めて軽く口角を上げた。その顔はいつもの意地悪いものでなく、柔らかくて。カッコよくて文句のつけどころもない。
いつもそんな風に笑ってくれたらいいのに。そう思いながらも、なんだか気分が良くなって俺も頬を緩めた。
「来てたよ!珍しいね、学食いるの!」
ふと、甲高い女の子の声が聞こえて、俺の意識はそちらに奪われた。志水も気づいたようで、二人してそちらを見ると、女の子数人が廊下の端に固まってきゃっきゃと騒いでいる。
「どうしよ、私も学食行こうかなー」
「でもでも、やっぱりリノタに囲まれてたよ。超ガード固いもん。佐巻 さんマジ怖いしさ」
「じゃあじゃあ、購買に行って、ちょっとだけ覗くとか!どう!」
「うん、行くー」
「そうしよっか、うん!」
その会話に、俺はすぐに内容を把握した。きっと志水も。俺は顔を輝かせ、志水は顔をしかめているから。
『リノタ』というのは、凛哉の周囲を取り仕切っている親衛隊みたいな人たちの呼称だ。そして、『佐巻さん』というのがそのリノタのリーダー的存在で、かなり気が強く、凛哉に近づこうとするものに容赦ないと聞いたことがある。
つまり、凛哉が学校へ来ているのだ。そして、学食にいる、と。
「学食行く気失せた……俺、今日はパンでいいわ」
面倒臭そうに溜め息を吐く志水の腕を、俺はしっかと掴んだ。
「今日は学食っていったじゃん!早く行こう!」
ぐいぐいと引っ張れば、なんとか志水は着いてきた。
食堂はいつもよりも人間が多く、混雑していた。皆凛哉の存在を意識しないようにしているようだが、明らかに浮足立った空気がある。うんざりとした顔の志水に席を取らせて、俺は券売機に並びつつ凛哉の姿を探した。
そしてすぐに見つけた。
食堂の奥の方、数名の生徒に囲まれて凛哉が定食を食べている。姿を認めて、俺は嬉しいようなむず痒いような気分になった。
本当に来てたんだ。でも、だったらなんで俺のとこ来なかったのかな。
遠くからじっと見つめていると、ふと凛哉がこちらを見た。
「あっ…」
目が合った!どうしよう、えっと、どうしたら……!
昨夜からいろいろシミュレーションしていたのに、いざとなったら全部吹っ飛んでしまう。俺が慌てていると、凛哉はまた視線をテーブルへと戻し、何事もなかったように食事を再開してしまった。
「あ、あれ…?」
今、確実に目が合ったよね?
「ちょっと、買わないなら退いてよ」
戸惑ってるうちに券売機の順番が来ていた。後ろの人から不機嫌な声で言われ、俺は慌ててお金を取り出した。
「あわっ!す、すみません!買います買います!」
ばたばたと二人分の食券を買い、おばちゃんからきつねうどんとカツ丼を受け取って、俺はいそいそと志水の元へ向かった。志水がとってる席は凛哉がいるところから丁度対角線上に離れていた。つまり、一番遠い席。
それでもなお、俺は凛哉の方を見続けていたが、凛哉が俺の方を向くことはなかった。
「凛哉って視力悪いのかな?」
それだったら納得がいく。目があった気がしたけど、見えなかったら俺だって解んないだろうし。
カツ丼を食べている志水が、俺の質問には答えずに溜め息をついた。
「……お前、あんまりじろじろ見てたら親衛隊の怖い女に締められんじゃねーの」
「あ、それだ!」
取り巻きがたくさんいるから、俺に会いに来れなかったんだ。なるほど。
でも、だったらやっぱり俺の方から会いに行こう。あの取り巻きをなんとか出し抜かねば。でもどうやって、どうしよう。
うーんうーんと唸る俺を志水は胡乱気に見ながら、ずいと俺の目の前に箸を差し出してきた。
「ほら」
そこに挟まれているのはほかほかのカツ。
「わーい!」
一も二もなく、俺はパクリとそれに食いついた。
学食のカツ丼はミルフィーユカツになってて柔らかくて美味い。サクサクジューシーたまらん。
「うんまー」
「さっさと食え、うどんのびるぞ」
「ん!」
気付けば、志水はすでに半分以上食べ終わっている。俺は慌ててうどんをつるつると啜った。きつねを噛みしめればじゅわっと出汁が溢れ出る。これが好きなんだよ。
「おいひー、おあげ発明した人マジ天才」
「そうだな、お前からしたら人類全員天才だよな」
なんだかすごく失礼なことを言われた気がしたが、今の俺はおいしいおうどんのおかげでハッピーだ。
そうしてご飯に集中している内に、凛哉一行はいなくなってしまっていた。仕方ない、ご飯食べ終わってから本気出す!
それでもって、その日の午後から俺の努力が始まったわけだが、凛哉に近付くのはなかなかどうして難しかった。
俺は翌日も、翌々日も、週末開けての月曜、火曜……と、毎日休み時間の度に二年の校舎に足を運び、彼の教室――二年三組を覗いてみたのだが、相変わらず凛哉は来てないことが多いし、来ていたとしても複数の取り巻きががっちりと周りを囲んでいる。呼び出すこともできないし、近付くこともできない。あの日、凛哉が一人であの空き教室にいたのは奇跡に近かったのかもしれない。そう考えると、やっぱり運命的だ。シンデレラストーリーだ。
せめて凛哉に気付いてもらおうと、視界に入るよう飛び跳ねてみたり、大きくジェスチャーしてみたりした。おかげで何度か凛哉と目があったが、やっぱり何事もなく逸らされた。距離が遠すぎて気付いてもらえないみたいだ。
「……眼鏡かけるかコンタクトするかすればいいのに……」
予鈴が鳴ったのでとぼとぼと教室に帰ると、訝しげな顔の志水が待っていた。
「お前、ここんとこ毎日毎日…休み時間の度どこ行ってんだよ」
「……それは、まだ言えない」
凛哉とのことはまだ志水には教えていない。本当は直ぐにでも自慢したいところだけれど、志水のことだ、メアド交換とかの証拠でもないと信じてくれない気がする。
「ふーん……どーせしょうもないことしてんだろーけど、馬鹿なことばっかするなよ」
「別に馬鹿なことなんてしてないやい!」
見下すように言う志水にむかっ腹が立ったが、どうやら俺はやり方を間違えてしまっていたらしい。
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