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第3話
「あんたさぁ、暗黙の了解ってもんがわかんないの?追っかけ禁止とかさぁ、ふつー分かるじゃん。学校ってプライベートだよね?分かんないの?馬鹿なの?」
「暫く大目に見てやってたけどさぁ、調子乗ってんなよ」
「おい、なんとか言えよ、変態ホモストーカー」
「……お、俺ストーカーじゃな…」
「ストーカーだろうがよ!いっつも凛哉の周りうろちょろしてさぁ、わけわかんない動きでアピールとか……マジキモイんだよ!」
「ひょえっ…!」
どんっ!と激しい音を立てて、でこでこした爪を付けた手が俺の顔すれすれで壁に叩きつけられた。
怖い、怖いマジ怖い女の子怖いぃぃ!!!!
現在の俺の状況、二年生女子四名に取り囲まれています。
皆、髪とかも綺麗に手入れして、化粧も施していて、(顔だけは)可愛い子ばかりです。だけど、決して、決してハーレム状態ではございません。恐怖しかありません。背後は壁で逃げようもありません。
ちなみに俺に壁ドンしているのは、かの有名な『佐巻さん』である。ベージュの巻き髪に、大きな釣り目。美人なのだが気の強さが顔に出ている。そして、他三名も『リノタ』であることは間違いない。
俺の輝かしい努力は、最悪な方向へ向かってしまった。
最近、凛哉と目が合う回数は頻回になったが、相変わらず凛哉はよく見えていないようで、俺だと気付かない。そして、俺だと解からずとも凛哉がこちらに気を遣れば、とうぜん周りも気付くということに、俺は気付いていなかった。ずっと凛哉の周りをうろちょろとしていた俺は、取り巻きにストーカーと勘違いされて、要注意人物と認定されてしまったようで。なんと呼び出されてしまったのだ。
昼休み、取り巻きトップの佐巻さん御自ら三年の俺の教室までわざわざ迎えに来た。女子、しかも年下なのに、有無を言わさぬ気迫があり、俺は大人しく着いていくしかできなかった。
しかもこんな時に限って志水は休み。誰も助けてはくれない。何事だと驚きつつも遠巻きなクラスメイトの視線に見送られ、教室を出て旧校舎の裏へとやってきた。奇しくも凛哉と出会った教室のすぐ側だったりする。
そうして俺を取り囲み、暴力こそないものの、怒涛の口撃が始まったのだ。
「あんたさぁ、反省してんの?ねぇ、もう近付きませんって言えよ」
すぐ側で、佐巻さんがすごむ。その他の子たちもめっちゃ怖い顔してる。
反省もなにも……俺は凛哉とお付き合いをしているわけだから、近付く権利はあるわけで。そもそも佐巻さんたちのせいで凛哉が来れないから、俺の方から行ってるわけで。
「反省してんのかって聞いてんだよ!」
「ひえええっ!してるかしてないかで言えばしてません!ごめんなさい!」
「はあ!?」
「ふざけんなよ!」
「あわわわわわわわ……!だって、だって俺、凛哉の……」
「軽々しく名前呼んでんじゃねーよ!」
「ひー!」
どうしよう、何かブチ切れてる、助けて志水ー!
心でSOSを叫んでいると、ざり、と足音が響いた。そちらに目を向ければ、白馬の王子様――もとい、凛哉が!
「何してんの?」
心底不思議そうに訊ねてくるその姿は、今日もやはりキラキラしい。
というか!これはあの日以来、今までにない接近だ。やっと、やっと凛哉と顔を合わせることができたのだ!
「あ、凛哉!今日休みじゃなかったの?今来たの!?」
さっきまでの低い声は夢だったんじゃないかと思えるくらいの弾んだ可愛い声で、佐巻さんが振り返る。他の子たちも一瞬にしてキャイキャイと可愛らしい笑顔になった。
「うん、仕事早く終わったから。ちょっとでも出席日数稼がないとねー」
凛哉えっらーい!と、女の子たちが囃し立てる。
そしてついに、凛哉の視線が俺に向いた。あの榛色の瞳がまっすぐ俺を捉えた。緊張に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「あ、よく跳ねてるセンパイだ」
ぴっと人差し指を立てて、凛哉が得意げに言った。
「え?」
よく跳ねているセンパイ?意味がわからず俺は一瞬固まった。
「ストーカーっぽくて凛哉の迷惑かなって思って、ちょっと注意してたんだけど~」
そんな佐巻さんの言葉に、『ちょっと注意』じゃない、『脅し』だと突っ込みを入れる余裕もない。
「えー?ちょっと面白かったよ?」
笑いながら首を傾げる凛哉。
どゆこと?凛哉は俺に気付いてたってこと?
「凛哉、俺のこと覚えてないの…?」
絞り出した問いかけは、震えてかなりの小声になった。
「え?だから、休み時間のたびに来て、飛び跳ねてたセンパイでしょ?」
覚えてるよー、と笑う凛哉に、全身の血が凍りついた気がした。
「そうじゃなくて、だって、俺たち、その、付き合って……」
恋人同士じゃないの!?そう言う前に、ぶはっと女の子たちが噴き出した。
「やだー!妄想激しすぎ!マジこの人ヤバイんですけど!」
「キモ!ちょっと凛哉、本物のストーカーだよ!近付かない方がいいって!夢と現実区別できてないもんこのホモ!」
「怖ぁい」
嘲笑の嵐に、俺は只俯いて地面を見つめた。凛哉は何も言わない。何も、言ってくれない。
どゆこと。
「てかさ、お昼食べよーよ!昼休み終わっちゃう~」
笑うのにも飽きたのか、女の子の一人がそう言うと、皆が頷いてぞろぞろと去っていく。俺は慌てて、凛哉のシャツを掴んだ。凛哉が振り返る。
「待って、なんで?だって、えっち、したじゃん……」
震える声で問いかける。怖くて顔はあげれない。じわじわと涙が湧きあがってくる。
「え?俺センパイとしたっけ?ごめん、一回きりの相手ってあんま覚えてなくって」
なんと言うことだ。一回きりの相手?凛哉には一回きりの相手がたくさんいるの?俺ってその、一回きりの相手だったの?しかも、記憶に残らないような。
俺にとっては、一世一代の大事件だったのに。
「てゆーか、一回やっただけで恋人面されるの困る。ごめんね、忘れてよ」
本気で困ったように眉根を寄せる凛哉のその言葉に、俺はショックのあまり呼吸も忘れた。
その間に、凛哉と女の子たちはすたすたと去っていく。
――一回やっただけで恋人面すんな、だなんて台詞、漫画でしかないと思ってた!!
ぼろり、と一粒の涙が零れ落ちれば、もう止めようがなかった。
「うぁぁぁぁぁぁぁ…うぇぇぇぇぇぇぇ…!い、一回じゃない、じゃんかぁ…三回も、したしぃぃぃぃぃ!うあああん!」
俺は一人ぼっちで滂沱の涙を流し続けた。泣いても凛哉は戻って来ない。女の子たちと俺のことを笑っているに違いない。いや、もう話題にも上がらずに、すでに今のやりとりさえなかったことにされているのかもしれない。
辛くて寂しくて、とにかくショックで、俺はポケットからスマホを取り出し志水へ電話を掛けた。
『……下らねぇ用事だったらぶっ殺す…』
五コール目に出た地を這う第一声。寝起き特有の掠れ声に、今日の休みは病欠などでなく、寝たいがためにサボったのだと解かる。
いつもの俺なら恐怖に負けて、「ごめんなさい掛け直します」と電話を切るところだが、今日は感情が昂ぶりすぎて無理だった。
「ひっう…し、しみずぅぅぅあああ!しみずぅー……!えっ、えっしみ…うえぇぇぇ…!」
ずび、ずびっと鼻を啜りながら、ひたすら志水の名を呼ぶ。
「おっおえ、ひっく…り、や……うぅぅぅ、もで、あぞ、ばったぁぁぁ!うぁぁぁぁぁあ!」
俺、凛哉に弄ばれた。そう言ったつもりだが、息が詰まって上手く言葉にならない。
『………うるせーし、何言ってっかわかんねー…』
それでも電話は切られないので、俺は懸命に説明した。
「うぇ、うえぇぇ…も、ぇ、おぇ、いっか、でだっだうぇぇぇぇ」
『マジでわかんねー……お前今すぐ俺ん家来い』
盛大な溜め息と共に告げられた言葉に、俺は一際大きくずびびっと鼻を啜った。
「だ、で、ご、ごじ、じゅぎょ…」
この後も五時間目の授業がある。授業に出れるような状態じゃないけれども。サボったら志水は怒るじゃないか。
言いたいことは伝わったらしい。
『今日はサボっても怒んねーから来い』
「うっ、うぐ、わ、わがっうぇぇぇぇぇっ」
『うるせー』という言葉と共にぶちりと通話は閉じられ、俺は鞄も何も置きっぱなしにしたまま、すぐさま志水の家を目指した。
だばだばと涙を流し続けながら校門を抜ける。志水の家は高校近くの住宅街で、徒歩五分の位置にある。とはいえ、その五分を長く感じながら、俺は懸命に足を動かした。
幸い、平日の昼間で行き交う人はほとんどおらず、俺がどんなに嗚咽を漏らそうとも不審がる人もいなかった。
「うっわ……きったねー顔」
「し、しみずぅぅぅ……!」
志水は玄関前まで出てきてくれていた。スウェットの上下のまま壁にもたれるように立っている。
俺を見てどん引いてはいるが、いつも見られない優しさに感極まり、少し落ち着きかけていた涙がふたたび溢れ出た。感情のままに志水に抱きつこうとしたら、顔面をがっしり掴まれて拒まれた。しかもタオル越しに。そのタオルで涙や鼻水でぐっちゃぐちゃの顔をごしごしと乱暴に拭われる。ひどい。
「いだい……!」
「おら、自分で拭け」
「ふぉい…」
べっちゃりと涙と鼻水が沁み込んだタオルを受け取り、俺は志水に続いて家の中へと入った。
志水の部屋は二階だ。学校に近いこともあり、一年の頃から何度も訪れたことがある。志水は母子家庭で、この時間母親は仕事でいない。勝手知ったる志水家。
「で?泣くなら話聞かないからな」
ベッドに腰掛けた志水の前で、床に正座する俺。志水は決して俺をベッドに座らせてはくれないので仕方なしにこうなるのだ。
俺はタオルでぶーっと鼻をかんでから、深呼吸をした。そして、涙をこぼさないようにぐっと目に力をいれながら、言葉を紡いだ。
「もて、弄ばれたのです!!」
「ふーん、誰に」
「り、凛哉にぃ……!」
「凛哉ぁ?」
志水の声が一気に訝しげなものへと変わる。
俺は洗いざらい、今回の出来事をぶちまけた。やったことを言うのは恥ずかしかったが、そこを言わねば話が伝わらない。やったこと、つきあってるつもりだったこと、なんとか凛哉にコンタクトをとろうとしたこと、女の子たちにストーカーホモ扱いされたこと。
つっかえつっかえ話していくと、無表情だった志水の顔がだんだんと陰ってきた。というか、般若のような形相だ。
「で、で、え…と、凛哉に一回やったぐらいで…って漫画みたいな台詞を…言われ……まして……すごい、ショックで…、その……」
ショックを思い出してというより、目の前の志水が怖すぎて言葉が尻すぼみになっていった。俯いて自分の両手を見つめる。
「なるほどな…ここ最近のお前の挙動不審の理由がよーくわかった」
「う……」
「お前……ラムちゃんみたいな女の子と付き合いたいとか言ってなかったか」
志水の声は平坦だった。俺は俯いたまま大きく頷いた。
俺の理想は可愛くて一途で積極的でヤキモチ焼きなあの子である。出会ったころから言い続けているので、いつも耳半分だった志水もさすがに覚えていたようだ。
「いつからホモにクラスチェンジしたんだよ」
「え、えと、今でも理想はラムちゃんだけど、凛哉綺麗でカッコイイし、それに…」
芸能人と付き合えるなんてなかなかないし…。
最後まで言葉にしなかったが俺の意図は伝わったようだ。志水が盛大に舌打ちし、俺はびくっと肩を揺らした。
「このミーハーが……簡単に流されやがって……」
地を這う声に、恐怖で身が竦んだ。
「お前はホモでもないのに、芸能人にだったら喜んでケツの穴差し出すのか」
「ち、違……」
「違わないだろうが、凛哉のチンコをケツに突っ込ませたんだろーが」
なんて身も蓋もない言い方。でも事実。
「う、は、はい……そ、れす…」
「ちっ……」
また舌打ち!志水が怖い!すごい怒ってる…!
あれ、あれれ、俺って、助けてもらいたくて、慰めてもらいたくて志水に連絡したんだけど…!?
暫くすると、はあ、と溜め息が降ってきた。
「まあ、恋愛経験もゼロに等しい奴だからな……流されちまうのもしかたない、か……初めてがこれじゃ、トラウマもんだよな…」
しんみりしたいたわる声に、俺は顔を上げた。やっぱり、何だかんだ言って、志水は良い奴……
「しみ…ぎゃっ!」
上げた途端に、顔をがしりと掴まれた。
「なーんて言うかと思ったかこのボケ。何が弄ばれただ大馬鹿者。今回のことは己の愚かさに対する授業料だとでも思えカス」
「いだっ、いたい!痛いですっ!」
「そのおめでたい思考回路に今回のことをしっかり刻みつけておけよ、わかってんのか?あ?」
ぐぐぐっと力を込められて痛いやら、容赦ない暴言に心が砕かれるやら。
その後も志水に散々説教を食らい続け、結局「もう二度と流されたりしません反省してます芸能人だからってはしゃぎません凛哉に近付こうとしません」と泣いて謝り続けてやっと、解放された。
「うううっ…痛い……ひどい…」
どさりと床に倒れた俺は、ジンジン痛むこめかみを撫でながら、すんと鼻を啜った。ついでに言えば、ずっと正座し続けていた脚も痺れて痛い。しばらく立てそうにもない。
「……あいつの節操のなさどうにかしねーとなぁ…」
「へ?――ぎゃー!」
ぼそりと呟かれた志水の言葉が聞き取れず聞き返すと、じわじわ血の通いだした足を思い切り握られて悲鳴が出た。
もう痛いやら怖いやら志水に怯えることでいっぱいいっぱいで、もはや凛哉ショックはスコーンと頭から追い出されてしまったのであった。
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