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第7話
放課後、下校する生徒で溢れた昇降口を出たところで、俺は二人組の女子に出くわした。
「ひろぽんじゃん、おつー」
「あ、佐巻さん」
佐巻さんと、その友達だ。
佐巻さんはあの日以来、会えば挨拶をしてくれるようになった。
最初に挨拶を投げられたとき、そばに志水がいて「お前、あいつに泣かされたんじゃないの」と驚くやら呆れるやらしていた。確かにさんざん泣かされて、最初は怖くてしょうがなかったけど、俺は、佐巻さんの健気な秘密も知っている。普通に付き合う分にはいい子なんだと思う。
何より、女の子に挨拶されるなんてめったにないから、割と嬉しかったりするのだ。
「志水先輩は?」
佐巻さんの隣にいた女子が聞いてくる。彼女もまたリノタの一人で白岩 さんという。
俺がもう凛哉に近寄ろうとしなくなったというのと、佐巻さんが俺に親し気にしてくるおかげで話しかけてくるようになった。しかしなにより、俺の隣に高確率でいる志水に目を付けたというのが大きいのかもしれない。
「バイトだって言ってチャイムなるなり帰っちゃったよ」
そうなのだ。今日は忙しいとかで急いで行ってしまった。なので俺は一人さみしく帰宅しているのだ。
「ちぇー」
あからさまにがっかりした様子を見せ、白岩さんは口をとがらせる。
「ねぇ、ほんとにバイト?彼女じゃなくて?」
「志水、彼女いないけど……」
中学時代は知らないが、高校入学と同時に出会ってから二年ちょっとの間、志水に彼女がいたことはない。
「うそでしょ、あんなにイケメンなのに?ほんとに?アンタが知らないだけじゃなくて?」
「えっ…」
じっとりとした目で詰め寄ってくる白岩さんに、俺は固まってしまった。
確かに、言われてみればあんな高スペックの志水に彼女がいないことの方がおかしい気もする。しかも、俺は学校でしか付き合いがなく、志水にはバイト先という別生活もある。そっちに彼女がいないとは言い切れないのではないのだろうか。だって、俺は志水のバイト先すら、いまだ教えてもらえていないのだ。
「……彼女、いるのかな?」
「いやアタシが聞いてんだっつーの」
白岩さんは呆れた顔をして、離れてしまった。
「ま、いーや。行こ」
「うん、じゃね、ひろぽん」
そのまま二人は行ってしまった。俺は無言でただひらひらと手を振った。
志水に彼女、いるのだろうか。
ショックだ。志水にもし、本当に彼女がいて、俺に黙っているのだとしたら。
内緒にされていることが悲しい。
志水は彼女に……きっと、俺に対する扱いなんかと違って、優しく接するんだろう。常にあの柔らかい笑顔を向けて……それって、なんか、なんか…やだ。
いやでも、たまーに、俺にだって優しい時もあるもんね。勉強教えてくれたり、ご飯作ってくれたりするもんね!――なんて、空想彼女に対抗しても意味ないけど。
それに、性欲処理を手伝ってくれるのは、彼女がいたらできないんじゃないのだろうか。たとえ、友達だったとしても。
俺が志水にお願いして抜いてもらう、という行為は、あの後も二度ほどあった。
何だかんだ、志水の家に行くときに俺が期待しちゃっているというのもあるし、志水も絶妙なタイミングであのローションを取り出してくるもんだから、あれよあれよとそんな流れになってしまう。相変わらず志水は一糸乱れずに俺だけが乱されまくっている。
この行為に関しては、彼女のいるいないにかかわらず、いつまでも続けるのはダメなんだろうとも思わなくもない。やめられないのは俺だけど。
この件は志水に相談しにくい。だって本人だから。でも、誰かに相談したい。でもでも、俺友達いないし……
ぐるぐるぐると考え続けて、俺は一人の人物を思い浮かべた。ついさっき別れたばかりの……
「佐巻さん!」
彼女なら、聞いてくれるかもしれない。そう思い立ったが吉日、俺は佐巻さんを猛ダッシュで追いかけた。
「さ、佐巻さぁぁぁぁん!」
まだそんなに離れていなかった佐巻さんがびっくりした様子で振り返る。
「げっ、ちょ、何!?」
逃げ腰の彼女の腕をがっしり掴み、俺はお願いした。
「お、お話ししよう!というか、話聞いてください!」
「ええぇ…?」
佐巻さんの隣で白岩さんが「なにこいつキモ……」と呟いたが、傷ついてなんていられない。だって話聞いてほしい。
「コーヒーおごるから!お願い!ケーキもおごるからぁ!」
俺の必死さが伝わったのか、ややあって、佐巻さんはあきらめたように息を吐いた。
「……わかったから、とりあえず離れてよ」
それから、付き合ってられんと帰ってしまった白岩さんを除いて、二人でファミレスへとやってきた。佐巻さんは容赦なくデザートメニューの中で一番高いパンケーキを頼んだし、俺はいそいそと佐巻さんの分までドリンクバーから飲み物をとってきた。
「で、何?」
もぐもぐとパンケーキに添えられたイチゴを食べながら佐巻さんが聞いてくる。
「えっと、ちょっと、相談というか……あの、俺の友達の話なんだけど」
「うん」
「友達が、その、オナニーをね、友達に手伝ってもらってて……」
そう言った瞬間、佐巻さんの顔がゆがんだ。
「は?セクハラかよ」
「!!」
確かにそうだ!俺は女の子を相手になんという内容を話そうとしていたのか!
俺はきゅっと口をつぐんだ。やばい、佐巻さん怒ってる怖い。しかし、次の瞬間佐巻さんは表情を緩めてふっと哀れんだ顔で笑った。
「いやいや、いいよ。あたしに話すくらいだから他に話聞いてくれる友達もいないんでしょ?」
「うぅぅ……そうなんですぅぅ…」
佐巻さん、やっぱり怖いけど優しい子だった。
「んで?」
「んでんで……」
俺は遠慮なく話していった。
イケなくなったためにオナニーを手伝ってもらっていること、その手伝っている友達に恋人がいるかもしれないこと。こんなことはいつまでもしちゃいけないんだろうけどやめられないでいること。架空の友人Aのこととして話した。
聞き終えた佐巻さんは、感心したようにはー、と息を吐いた。
「やー、ひろぽんにセフレがいたことがまず驚きだわ」
「ひぇ!?セフレ!?」
そんな単語が出てくると思っておらず、俺は目を丸くした。しかも、俺に、と佐巻さんは言った。
「いやいやいや、俺じゃなくて、友達の話だっていったじゃん!」
「アンタのことでしょ。架空の友達間に挟まったら登場人物増えてめんどくさいわ」
なんでバレてるの。でも確信をもってる佐巻さんを俺が騙せようはずもない。
「セフレじゃないもの…友達だもの……」
「まぁギリセックスはしてないからセフレじゃないか。ま、その人、恋人いないと思うけど?じゃないと友達だからってそんなことしないでしょ。どんだけビッチなんだよ」
「そ、そなのかな…?」
佐巻さんは相手を女の子と思っているようだけど、その方が都合がいい。
「つーかさぁ、その人、ひろぽんのこと好きなんじゃね?友達とかじゃなくて、ラブって意味で」
「え?」
「だってそうじゃん。いつも自分のこと抜きにしてひろぽんにご奉仕しちゃってるんでしょ?ちょー健気じゃん。つーか好きでもない男のものなんて見るのもいやっつーか。好きじゃなきゃあり得ないっしょ」
「ええ!?」
佐巻さんは断言し、ビシッとフォークを突き付けてくる。向けられた俺は、ぱしぱしと目を瞬かせた。
「す、好きなのかな、俺のこと……」
志水が俺を好き。にわかに信じがたいことだが、女の子に、しかも佐巻さんに断言されるとそんな気がしてきた。だって、俺からお願いしちゃってるわけだけど、あのドエスな志水が俺に奉仕している、という構図は好きじゃなきゃあり得ないのかもしれない。健気なんて言葉、志水からほど遠いものなのに。
途端、かかかっと顔が熱くなる。
――うわ、うわ、志水、俺のこと好きなんだ!
「なーに赤くなってんのよ、キモっ」
「だ、だって、俺、誰かに好かれたことってないから…っ」
「ふーん……よかったじゃん。ひろぽんもその人のこと好きなんでしょ?付き合えば?それでもう全部解決じゃん」
「えっ!?」
言われた言葉に俺は思わず驚きの声をあげた。
「いや、えっと、俺は……そんな風に考えたこと、一度もなかった…」
志水が俺を好きだとして、俺が志水を好きかというと……友人としてはもちろん好きだが、恋人に、なんて考えたこともない。だって、友達だし、男同士だし。
素直に言えば、佐巻さんの顔が顰められた。
「はぁ?性欲処理させるだけさせて、最低」
しかし、そう言った次の瞬間、佐巻さんの表情が曇る。
「って言っても、凛哉も似たようなもんか。悩んでるだけひろぽんのがマシかな…」
そうだ。佐巻さんの大好きな凛哉も、かつてやり捨てまくっていたのだ。俺も被害者の一人だ。佐巻さんはそれでもいいと言っていたけど。
「あの…凛哉……さん、の恋人って誰だかわかったの?」
尋ねると、佐巻さんは暗い顔のままフルフルと首を横に振った。
「わっかんない。凛哉、誰だか絶対教えてくんないもん。芸能界の人だったらもう知りようもないしね。ただ……凛哉、最近誰か探してるんだよね」
「え?」
「ウチの学校で、誰か探してた。学校来たかと思うと、休み時間の度にいろんな教室に行って、人捜してるの。あたしたちについてくるなって言って」
俺はもう凛哉に近づかないようにしているから凛哉の動向は全く知らないが、そんなことをしていたなんて。もしかしてその相手が、凛哉の大切な人?
「相手が誰だか知らないけど……もし、その相手が誰かわかったら……」
佐巻さんの目がギラリと光った。
ガンっと、パンケーキにフォークが突き立てられる。
「――全力でぶっ潰す」
ヒィィィィィッ!!怖っ!!恋する乙女の言うことじゃない!!
「ま、ひろぽんはひろぽんでちゃんとその相手のこと考えて、気持ちに応えられないならすぱっとやめるべきだね、わかった?」
「はい!承知しました!!」
俺はびしぃっと背筋を正し、返事した。凛哉に探されているというその相手に全力で同情しながら。
翌日、学校に着いた俺はそわそわとしながら何度も何度も隣の席をちらちらと見つめた。
志水が俺のことを好きだという衝撃の事実に、昨夜はあまり寝れなかった。
寝ようと思ったとたんに志水の顔が頭に浮かび、ひとりでうーとかわーとか叫びながらバタバタと悶え、何度も姉ちゃんに怒鳴られた。
志水に告白されたらというシミュレーションも、頭の中で何回も繰り返した。だけど、何度しても俺は無言のまま答えを出せなかった。もうちょっと時間が必要だ。
志水はまだ来ていない。今日、ちゃんと志水の顔を見れるだろうか。どきどきとしながら到着を待ったが、一向に志水は現れない。そのうち、チャイムが鳴り、教師が来てしまった。なんだか肩透かしを食らってしまった。
ホームルームが終わった直後、俺は志水に休みなのかとメールを送った。本当は電話したかったけど、なんか緊張しそうだし、もし寝てたら怒られるし。
その返事もなかなか来ず、昼休みになってやっと、『今日は行かない。明日も用事で休むかも』とだけ返事が来た。とりあえず、病欠ではないようだ。
「でも、もっとこう、なんかあってもいいのに」
好きな相手に対するメールにしちゃ簡素すぎる。といっても、前からこんな感じだから、急に変わられても困るけど。
少しがっかりしながら、俺は昼ご飯を買いに行こうと立ち上がった。
そのとき、にわかに廊下が騒がしくなった。その騒がしさは、どんどんこちらの方へと伝播してきている。
「?なんだろ…」
呟いた瞬間、教室の前のドアが開いた。そこに立っていたのは、なんと凛哉だ。
そうだ、佐巻さんが昨日言っていたじゃないか。凛哉が、誰か探しているようだって。
教室にいた面々がざわつきだす。「こんな近くで見たの初めて!」だとか「すごい、オーラある!」とか皆浮足立ってる。
以前の俺なら同様に浮ついただろうけど、佐巻さん率いるリノタと、志水の教育のおかげで、今や俺の中では凛哉は近づいてはいけないものと位置付けられている。
「えーと…いるかなぁ……」
凛哉はというと、周りの視線など意に介さず、教室の中を無遠慮に見回した。そして、俺の方を見た。あれ、目が合っちゃった。
「いた!カエル先輩」
「えっ?カエル?」
思わず後ろを振り返ったが、そこにはカエルなんていない。学級委員の深町さんがいるが、彼女はカエルなんて名前ではなかったはず……。
女子のキャー!という黄色い声に顔を戻せば、なんと、俺の目の前まで凛哉が来ていた。
「みーつけた」
しっかりはっきり俺を見ながら、凛哉は言った。
「え……?俺…?」
「そ、カエル先輩」
俺が自分を指さし尋ねれば、凛哉はにっこりと笑って頷いた。笑顔がまぶしい。目がつぶれそうだ。
「あの、俺、カエルって名前じゃないですけど……」
「だって名前知らないもん。ピョンピョン跳ねてたからカエル。ウサギでもいいけど」
「えっ?えっ?」
周りにいた他の生徒たちが、「うそ、凛哉の知り合いなの…?」「すげー」「すごい、うらやましい…」なんて口々に言ってる。
周囲の羨望の眼差しを一身に受けるなんて、ずっとずっとあこがれ続けた状況だ。だけども、優越感なんて微塵もわかない。今の俺には、恐怖しかない。フォークを突き立てられたパンケーキと、般若の顔が脳裏に浮かぶ。
――佐巻さんに殺される!!志水にも、殺される!!
「人違いだと思いますっ!」
俺はそう叫んで、教室から全身全霊で逃げ出した。
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