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第2話
「……天使さま……?」
「この姿が天使に見えるか……?」
薄暗闇に目が慣れてくる。紫がかった長い黒い髪。額に光る滴が埋め込まれている。それと同じ紅玉色の瞳。尖った耳にはいくつもの飾りが付いている。濃紺の見たことのない衣を着ていて、それが人の精気を食すると昔からの言い伝えのある魔族の男だとわかった。
「私はルカ。おまえは?」
きゅっと口元を引き結ぶ。寝台の上で温かな毛布にくるまれていた。なのに身体が震えている。その男の異様な姿が怖くてセナは怯えていた。
「人の子よ。あんなところに一人でいるなんて、死ににきたようなものだと誰でも思うぞ」
身体を掻き抱き、セナは自分が全裸だということに気付いた。これでは逃げ出すこともできない。逃げ出す。そう思ってセナは落胆した。逃げる場所など、もうどこにもない。
「怖くて言葉も出ないか」
部屋の中をそっと見回す。暖炉には薪がくべてあり、辺りはとても温かい。蝋燭の灯りがあちらこちらに点り微かな風に揺られている。奥に見える小さな階段はどこまで続いているのか暗くてわからない。天蓋から布が幾重にも垂らされた寝台の横には大きな木のテーブルがあり、食事の用意がされている。床には何の動物の毛だろうか。大きな敷物が置かれている。
「さぁ。なにか食べるとよい。そんなに痩せ細って」
肥えさせて、──食べられる。セナの胃がきゅっと痛みを訴えた。
「……僕を……食べるの……?」
「食べる?」
ルカは冴えた容貌を緩ませて朗らかに笑ってみせた。
「そうだな、食べることは食べるが……。おまえから摂ろうとは思わぬ」
「…………」
まだ小刻みに震えているセナの側に座り、ルカはその銀の髪に指を絡ませた。
「そんなに怖がらずともよい。まずはよくなれ」
冷たい指がそっと頭を撫でてくる。その優しい仕草に思わずセナは泣きそうになる。頭を撫でてもらうなど、初めてのことで、こんなに気持ちがいいこととは知らなかった。その涙にルカは困惑し、今度は頬を撫でてきた。
「食べるとしても痛くはさせぬ。気持ちよくしてやるぞ」
「…………?」
ルカのからかうような声に、セナはくすん、と鼻を鳴らすとあまりの気持ちのよさに目を閉じた。急激に眠気が襲ってくる。荒野にずっと一人でいたのだ。緊張と疲労で身体が衰弱しているのはルカに言われずともわかっていた。
──少しだけ。少しだけ……。
すぅ、と寝息を立てたセナの綺麗な髪をもう一度手に取り、ルカは微笑んだ。そっと口付ける。きらめく銀の色。それは彼の人を思い出させる。
「マリー……」
鳥籠の中にいる瑠璃色の鳥が小さく鳴いた。
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