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11.売らないけど買っちゃいました

「売るんじゃねぇって何度も言ってんだろ」 「俺は売ってません」 「ならこれはなんだ」 「買っただけ」 「………」 地下一階にあるダーツBAR『キール』。 そのいちばん奥にあるボックス席の周りだけ空気が冷たい。まるでアラスカの極寒地。 と言っても、その場所だけエアコンがきいているというわけじゃない。極寒地にしている迷惑な人がそこにいるのだ。 ここで一番危険な人、槇さんが撒き散らしているブリザード。それが俺に向かって一直線に吹きつけてくる。 …何もここまで怒らなくても…。 事の発端は、今からさかのぼること約1時間前。 いつものように、夜の繁華街を1人でフラフラしている時にそれは起きた。 これまたいつものように前に立ちはだかる障害物…、もとい、お兄様が二人。 例によって、いちゃもん付けだね。 そしてここで、いつもとは違う事が起きた。っていうか単に珍しく俺の機嫌が悪かったっていうだけなんだけど…。 本当に珍しく苛ついていて、このままモヤモヤしているのも気分が悪いから、お兄様二人にちょっと手伝ってもらおうかと。 まぁいわゆる“飛んで火に入る夏の虫”ってやつ。 『そんなに俺が気に入らないって言うなら相手してやる。こいよ』 眇めた目でお兄様方を睥睨し、片手はジーンズのポケットに、もう片方の手を出してその人差し指でチョイチョイっと挑発合図。 そして俺の希望通り、怒髪天を突いたお兄様方が固めた拳を振りかざして突進してきた。 隙がありあり。こんなんじゃストレス発散にもならないわ。予想以上にお兄様方は弱そうで、ちょっと失望。 拳を避け、鳩尾を狙って思いっきり膝蹴りを入れる。はい、一丁上がり。 もう一個飛んできた拳を腕でガードし、間近に迫った見苦しい顔の鼻の付け根にこっちの拳を入れて、はい、完了―。 あーぁ、鼻血噴き出してるし。返り血浴びなくて良かった良かった。 な~んてのん気に見てたら、なんとビックリ、仲間がもう一人いたわけだ。背後からナイフで切りかかって来るなんて卑怯でしょう。 気配を感じて間一髪で避けたけど、………掠ったんだよね、左頬に、ナイフの刃が…。 表皮一枚の浅い傷だけど、俺も人間だから赤い血が少しだけ滲み出た。もちろんそいつもニッコリ満面の笑みで地に沈めたけれど…、来たんだよ、そこに、 …ター君が…。 『ギャー!!愛唯さんの麗しい顔から血がー!!!!』 『…ター君うるさい…』 『ヤバイ!槇さんに殺される!皆殺しだ!全員避難してー!!!』 ドスッ! とりあえず本当にうるさいから。少し眠っててね。 自分で言うのもなんだけど、首筋に入れた手刀の威力や凄まじく、ター君は白目を剥いて地に倒れ込んだ。放っておいても20分もすれば目覚めるでしょう。 ようやく静かになった身辺に溜息を吐いて、その場から歩き出した。 …一歩しか進めなかったけど…。 なんでこういう時に現れるかな。 『よう。派手にやらかしたな、愛唯』 『…橘さん…』 ホントに最悪。もうこの後の展開読めちゃったし。 『って事で、その傷の手当てしにいこうか』 どこに…って、それはもう間違いないくあの場所だよね。 “ダーツBARキール” これが事のあらまし。全容。 そして目の前でブリザードを吹き散らかしてる悪魔…、じゃなくて鬼…、いやもうどっちでもいいけど、とにかく危険な人が1人。 最初は普通だったのに、俺の頬にある掠り傷を見た瞬間から般若化した。無表情の中で目だけが切れ上がって本当に凶悪。もう素顔で歌舞伎できるんじゃない? 「あの、橘さん」 「なに」 「これって俺が悪いの?俺が怒られるのが当たり前なの?なんか違わない?」 「槇にしてみれば、お前の腕を知ってるから野放しにしてやってるのに、怪我なんかするんだったら閉じ込めるぞ、ってとこだろうな」 「……えー…」 斜め前に立って面白そうに事の成り行きを見守っている橘さん。 元はと言えば、この人が俺をここに引っ張り込まなきゃ事はそう大きくならなかったのに。 なーんてブチブチ文句を言っていたら、突然槇さんに胸倉を掴まれて引き寄せられた。アップで見ても惚れ惚れする格好良い顔が鼻先目前。 とか言っている間に、 ペロリ 「……あ…」 橘さんの間抜けた声が聞こえた。 そして俺は茫然と固まった。 槇さんが、俺の頬の傷口をペロペロ舐めている。というより、傷口にねっとり舌を這わせているって言った方が正しい。 なんかヤらしい舐め方してるし…。

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