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18.昔日~死神と呼ばれた男~
久世愛唯、中学三年生の秋。
まだ若干の幼さが残る可愛らしい顔。
ただし、その眼光の鋭さに気付いてしまえば、可愛らしいなどという感想は死んでも言えない。
気を付けろ。目が合ったら殺される。
気を付けろ。機嫌が悪い時は半径50メートル以内に近づくな。
気を付けろ、
………死神は足音を立てずにやってくる。
「俺の前を塞いでんじゃねぇよ」
「ッガ!…は…ッ」
怒声に驚いて振り向いた少年は、その瞬間横に殴り飛ばされた。
地面に伏した少年の目に映ったのは、最強・最凶・最狂の全てを冠に抱く人物の姿。
倒れた障害物なんて気にも留めていない薄暗い眼差しは路地の向こう側へ向けられ、そのまま何事もなかったように歩き去っていく。
「…おい、大丈夫か?」
「死神の通り道に立ってたのが運の尽きだったな」
「起きられるか?」
近くにいた仲間達が次々と倒れた少年に声をかけてくる。
その本人は、切れた口端から伝う血を手の甲でグイと拭い、ただ茫然と死神の去って行った方角を見つめていた。
あぁ~つまらない。何か面白い事ないかな。
夜の繁華街を歩きながら、どこを見るともなく冷めた目付きで進行方向に視線を向ける愛唯。
夜の住人達で賑わっているけれど、愛唯の姿に気がついた彼らは一様に身を引いて道を開ける。
別に退かなくてもいいのに。殴る楽しみがなくなる。
(確かにここに生きているのに、生きている意味そのものを見出せない)
とりあえず、誰かと殴り合っている時だけは生きている実感がある。だから、目が合った奴には誰彼構わず喧嘩を仕掛ける。
影で自分が“死神”と呼ばれていると知ったのは、槇さんからの情報。
橘さんなんて、何がおかしいのか爆笑してたし。
自分達だって同じようなもんなのに、俺だけ危険物扱いって酷くない?
ムッとして睨んだら、橘さんに髪をグシャグシャにされた。
そんな先日の事を思い出しながら歩いていると、正面から何やら邪魔くさい軍団が近づいてくるのが見えた。
ハゲ(※スキンヘッド)、ムッキー(※マッチョ)、チョロ(※チビ)、の3兄弟だ。
いいところに鴨が自ら来てくれた。鍋にするには不味いから、俺の憂さ晴らしに付き合ってもらおう。うん、そうしよう。
「探してたんだぜ、愛唯ちゃん」
俺の前で立ち止まったムッキーが、ニヤニヤしながら話しかけてきた。
「今から俺達と遊ぼうか」
これまたニヤニヤしたハゲが言う。最後はチョロの睨みだ。
何これ。笑うところだよね?笑っていいんだよね?
って事で、フッと鼻先で笑ってやった。
途端に顔を般若化させる3兄弟。
「こっちに来やがれ!クソガキがぁッ!」
襟首掴まれて引きずられた先は、路地裏。表通りから一本中に入っただけなのに、雰囲気がガラリと変わる。
表の喧騒とはうってかわった静けさと、外灯の無い暗闇。そして、日中でも陽の光が差し込まないせいか、妙に湿っている空気。
そんな路地裏に連れ込まれ、ドンっと肩を押された。
「いっ…たいなぁ、この乱暴者」
押されたせいで、後ろのコンクリート壁に背中をぶつけた。ふざけた扱いだよホントに。
面倒くさいからそのまま壁に寄りかかり、少しだけイラっときたから半眼で見つめ返す。
「お前に乱暴者とか言われたくねぇんだよ!」
「調子に乗り過ぎだテメェは!」
「いくら強いったって、俺達3人相手には勝てねぇだろうが!」
なんだかキャンキャン吠えてますよ、ウザイ3兄弟が。
っていうか、そもそも今のセリフ、1人じゃ俺には勝てない言ってるようなものだろ。
「情けなくて涙が出ちゃう。だって愛唯、男の子だもん」
そう言って涙を拭く真似をしたら、チョロがキレた。
無言で殴りかかってきましたよ。チョロのくせに。
壁から身を起こしてヒョイッと横に避けながら少しだけ体勢を斜めにし、左足を繰り出す。
チョロの膝目がけてレッツエンジョイ。
容赦なく蹴りを放てば、チョロの膝は横からの攻撃に耐えきれず地面に崩れ落ちる。初めて聞いたチョロの声は、「ゥグッ!」という、なんとも美しくないものだった。
そうこうしている内に、大切な兄弟の1人がやられたとあってか、今度はムッキーとハゲが同時に襲いかかって来た。
なんか暑苦しくて鬱陶しい組み合わせだから触りたくない。
萎える気持ちに眉を顰め、それでも迎え撃つ体勢をとったんだけど…、
「ガハッ!!」
「ぶふッ!!」
突然ムッキーが下に崩れ落ち、ハゲが横に吹っ飛んだ。
え、なんかの病が発病?発作?
って思うくらいには、いきなりすぎる展開。
でもすぐに原因がわかった。
「あれ、顔無し君だ。久し振り」
いつの間にか、ハゲとムッキーの背後に立っていた包帯男。詳しくは、“顔だけ包帯男”
こうやって俺が誰かと遊んでいると、何故かいつも顔に包帯をぐるんぐるんに巻いた状態で現れる。
髪は黒。包帯の隙間から唯一見えている瞳も黒。って事で、たぶん日本人だろうという事はわかる。いや、アジア系か?でも、それ以外は全部不明。
最近気付いたけれど、顔無し君は俺が1~2人と遊んでいる(暴れている)時は姿を現さない。3人以上を相手にしている時だけ姿を現わし、そして俺に加勢する形で参戦し、何も言わずに去っていく。
それ以外では姿を現さない事もあって、周知されてる存在ではない。
だが、やられた人間の口から噂で流れ伝わり、一部の間では有名になってきているらしい。それもどうやら、“死神の影”と呼ばれているんだとか。
なんだそれ。俺にはみんなのネーミングセンスがわからない。俺は独自で顔無し君と呼んでるけどね。あの有名なキャラクターに雰囲気が似てるんだ。
で、今まさにその顔無し君が目の前に立っている。
相変わらず、一言も喋らず表情も変えず(…って言っても包帯で目しか見えないけど)、淡々とムッキーとハゲを地に沈めた。
たぶん、喧嘩の腕は俺より上。まともにやりあったら、僅差ではあれこっちが負けるだろう。
最初の頃は、俺にも攻撃してくるのかと警戒した事もあるが、何故か顔無し君は俺には一切仕掛けてこない。挙句の果てには、なんだか手助けしてくれているように見えるから不思議。
…なんで?…どうして?
と疑問に思ったけど、敵じゃないならまぁいいや精神で、最近ではこの顔無し君の存在を容認している自分がいる。
「ご機嫌麗しゅう、顔無し殿」
にこりと笑いかけて片手をヒラヒラ振って見せれば、それまで足元のムッキーをゲシゲシと蹴っていた足を止め、その漆黒の瞳が俺を見た。
吸い込まれそうに深く黒い光。まるで黒曜石とも呼べるそれに見つめられると、心の澱がスーッと解けていくような、なんとも不思議な感覚がする。
俺を一瞥した顔無し君は、用は済んだとばかりにくるりと踵を返し去っていった。
いつもなら、何も言わずにこれを見送る。でも今夜は、なんとく顔無し君とコミュニケーションを取りたくなった。
「なんでいつも俺のところにくるの?」
孤高を醸し出す背に問いかける。
べつに答えが欲しかったわけじゃない。そもそも、顔無し君から答えが返ってくるとも思っていない。
だから、驚いた。
顔無し君が足を止めてこっちを振り返ったから。
いやもう本当にビックリしたんだよね、パチパチと何度も瞬きしちゃうくらいには。
おまけに、
「……なんとなく、気に入ったから……」
…言葉を発しちゃったよこの人。
ちょっと掠れ気味の静かな声。初めて、彼が生きている人間だと実感した。
…あぁ…、そうだ、彼も俺も生きてるよ。こんなに普通に。
何かがストンと心にハマった。
今度こそ去っていく顔無し君の後ろ姿を眺めて、こみ上げる笑いに肩を揺らす。
生きている意味がわからなくて、何が何だかよくわからなくて、とにかくイライラしていた。
周りの人間全てに対して、馬鹿じゃねぇの?なんて、冷めた目で見てイライラしてた。
俺がこんなに真剣に、生きる意味がわからなくて藻掻いているのに、世界は何もしてくれない。
自分の存在価値が、見出せない。
……なーんて思ってたけど、それでも俺、普通にこうやって生きてんじゃん。
生きてる意味を探すなんてそんな高尚な事、悟りを開いたブッダじゃあるまいし、俺にわかるはずもない。
っていうか、そんな事に労力使う前に、楽しんだもの勝ちじゃない?
だってどう考えたって、そんな答え、見つかるはずがないんだし。そもそも答えなんてない気がする。
思わず、アハハハハハって笑いが溢れだした。
なんなんだ。いろいろくだらねぇ。
何やってんの顔無し君。
何やってんの、死神と呼ばれている俺。
笑いが過ぎた後、今度は「あ~ぁ」と溜息が出た。肩の力が抜けた。
なんか、ホッとした。
「飽きた」
愛唯のその一言を、皆がどれほど待ち望んでいた事か。
これで安心して道を歩ける…、と心の底から喜んだ人間は、いったいどのくらいの数にのぼるのか。
気が付けばいつの間にか、死神とその影はひっそりと夜の闇に身を沈めた。
「…ってねぇ、本当に思春期のなせる技だよ。反抗期が人よりちょっと激しかっただけなのに、よりにもよって死神って…。俺が死神なら槇さんなんて魔王だ」
槇さん達チームの溜まり場であるダーツBARにて、槇さんを目の前に笑いまくる俺。
(反抗期じゃなくて反抗鬼って言われてたんだよお前は!)
その場にいる全員が心の内でツッコミを入れた事なんて知る由もなく。
若かりし頃の自分を思い出すと同時にフと気になったのは、顔無し君の事。今頃どうしているのか。
相も変わらず包帯グルグルなのか、もしくはもう既に死んでたりして…。
奴が幽霊になって出てきても驚かないだろうよ。
時が経っても色褪せない彼の強烈な姿を脳裏に思い描いて、ヘラリと緩い笑いを浮かべた。
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