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第1―7話

羽鳥は吉野千秋のフォトを目にした途端、会報をバンッと閉じ、ローテーブルの上に滑らせて、自分はソファに突っ伏した。 そしてハッとして立ち上がり、会報を恐る恐る手にした。 会報は表紙も裏表紙にも、傷も汚れも無くホッとするが、表紙のかわい過ぎる生き物、吉野千秋が目に入り慌ててページを捲る。 横澤隆史の凛々しい横顔が、少し気持ちを落ち着かせてくれる。 ほんの少し、だが。 羽鳥の心臓は鼓動というよりもバクバクと音を立て、息も上手く出来なくて酸欠になりそうだ。 それにらしくもなく赤面していて顔が熱い。 耳まで真っ赤になっている自覚もある。 それほど吉野千秋のソロショットは羽鳥の好みのドストライクで、尚且つかわい過ぎた。 表紙を軽く越えている。 羽鳥はフラフラとソファに座り込んだ。 でも、見たのは一瞬。 じっくり見たい気持ちに即負ける。 とりあえず鼻血で吉野千秋のページを汚してしまったら立ち直れないと思い、またティッシュをボックスから数枚引き抜く。 そして大量のティッシュを左手でしっかりと掴み、右手で柳瀬優辺りのページを開いてみる。 だが恋の神様の悪戯か親切なのか分からないが、開いたページは吉野千秋のページだった。 羽鳥はもう何が何だか分からない思考の中、ただただ吉野千秋のフォトに目が釘付けになる。 吉野千秋はアーガイル模様のカーペットの上で、大きなテディベアのぬいぐるみの前でうつ伏せで寝転がっている。 表紙と同じ衣装はもこもこの白いダメージ加工されたニット。 表紙でも思った事だが、吉野千秋には確実にサイズが合っていなくて大きい。 肩は鎖骨まで見えていて、ニットの袖から指先だけを出して、両手で顔を支えている。 定番のアイドルポーズ。 そう言えば、表紙で柳瀬優の右肩に両手を乗せていた時も指先しか出ていなかったな、と思い出す。 だが表情はアイドルスマイルではなく、表紙と同じく子供のようにニコニコ笑っている。 吉野千秋は仕事では木佐翔太や小野寺律には及ばないが、それでも笑顔は全てアイドルスマイルだ。 今回はファンクラブの会報ということで、リラックスしていたのだろうか。 理由はどうあれ、普段見れない表情が見れて嬉しい。 そして羽鳥を最大限に動揺させたのは、そのポーズ全体だ。 うつ伏せでニットから指先しか出ていない手で両頬を支えて、七分丈より少し短いスリムなジーンズで膝をブラブラ曲げている。 靴下は確か表紙はアンクルソックスだったが、こちらのフォトはピンクと白のボーダーのもこもこした靴下だ。 無邪気で無垢でかわいくて…羽鳥はこんなに自分のタイプにピッタリの人物に生まれて初めて出逢った。 吉野千秋は俺を一体どうする気なんだ…!! せめて足をブラブラさせることは無いだろう!! それに鎖骨を見せるなんて言語道断だっ!! 羽鳥は吉野千秋の羽鳥を引き付けてやまない魅力に、筋違いの怒りを向ける。 だがしっかりと大量のティシュを鼻に当てながら、次に右側のページを見る。 羽鳥は目を見張った。 そのページは漫画で描かれていた。 ただ普通の漫画とは違い、デフォルメされた二頭身キャラで。 吉野千秋のキャラが趣味から話し出している。 とにかく漫画が大好き!! ジャンルは関係無く少年漫画も少女漫画もみんな読む。 漫画を描くのも大好き!! 優も俺と同じマンガオタクだから、一緒にプロットやネームや原稿を描いたりする。 優とは他の趣味も合うけど、やっぱり漫画のことを話す時間が一番楽しい。 横澤さんはとっても面倒見が良くて、偏食気味な自分に俺好みの味付けでお弁当を作ってくれる。 いつもありがとう!! それにしっかりしてて、歌やダンスに絶対妥協しない頼りがいがあるリーダー。 木佐さんは歌もダンスも直ぐマスターしてしまう。 インタビューの受け答えも写真撮影も上手くて、完璧なアイドルだなあって思う。 尊敬してる。 それに性格も明るくてグループのムードメーカー。 俺は人見知りだから、木佐さんのそういうところも尊敬してる。 小野寺さんは真面目で努力家。 でも俺と同じで不器用なところもあるから、仕事のスケジュールの合間にダンスのレッスンを一緒にしている。 でも二人とも加減が分からないから、自主練習のやり過ぎでフラフラになってしまうこともしばしば。 でも優がその事を知ってから、スケジュールが合えば必ず差し入れを持って練習に付き合ってくれるようになったから、凄く助かってる。 優はキツイことも言うけど、それは全部俺の為を思ってだから、本当に感謝してる。 優、ありがとう!! そして最後は、一番大好きな漫画は伊集院響先生の『ザ☆漢』で締め括られていて、みんなはどんな漫画が好き?と吉野千秋の二頭身キャラが問いかけて終わっている。 吉野千秋以外のEmeraldのメンバーもみんな二頭身キャラで描かれて、それぞれの特徴をよく掴んでいてかわいくて、普段漫画は全く読まない羽鳥も楽しく読み進められた。 しかも漫画形式を取っているからか、吉野千秋のフォト以外のページは3ページあった。 それも羽鳥は得をした気分になって嬉しい。 明日は本屋に寄って吉野千秋の好きな『ザ☆漢』の1巻だけでも買ってみようと決める。 そして、裏表紙を見る。 さっき汚れていないか確認したが、汚れが気になってフォトまでじっくり見ていない。 裏表紙には白地に5人のピースが輪になって上から撮られている。 その中に小さくて白い、すらりと綺麗な指がある。 羽鳥はこれが吉野千秋だなと直感した。 そして右下に鮮やかなグリーンで20✕✕年10月31日と印字されている。 羽鳥はふーっと深く息を吐くと、ティッシュをソファに置き、会報をローテーブルに置くと、ステレオにEmeraldのCD2枚をエンドレスリピートにセットし、ソファに戻るとまたティッシュを掴み、表紙の吉野千秋とソロショットの吉野千秋を気の済むまで眺めて堪能し、吉野千秋の漫画を繰り返し読むのだった。 翌日、羽鳥は寝不足で大学に登校した。 女子が何だかざわめいている気がしたが、羽鳥にはどうでもいい。 それよりステレオは流石に近所迷惑になるかと20時には切り、iPodに切り替えたが、表紙を見て吉野千秋のフォトと漫画を読んでを繰り返していたら日付が変わっていた。 そして帰宅してから何も食べていない事に気が付いた。 風呂に入っていないことも。 羽鳥は明日も大学があるしと、まず風呂はシャワーで済ませ、冷凍してある混ぜご飯を解凍して2つ食べた。 それから明日の大学の支度をして、部屋の灯りを落とすとベッドに移動した。 勿論、iPodと会報を持って。 吉野千秋のたった2枚のフォト。 そして3ページの漫画。 ただそれだけなのに、何度見ても見飽きない。 それどころか、ベッドに横になってリラックスして見てみると、フォトや漫画に新たな発見を見付けたりして楽しくて堪らない。 勿論、いつ鼻血を吹いても対処出来るようにサイドボードにティッシュの束を置いてある。 そうして明け方まで吉野千秋に浸っていた。 それからはスマホの目覚ましのアラームで目覚めるまでの記憶は無いが、iPodと会報はきちんとサイドボードの上に置かれていた。 羽鳥はホッとして、今日は帰りに会報用のファイルも買おうと決めた。 そんな訳で羽鳥は2時間程しか寝ていないのだ。 でも気分は最高に良かった。 教室に入り定位置の席に座ると、いつものように高屋敷が隣りに座った。 高屋敷はテイクアウトのコーヒーを飲みながら、「昨日はEmerald祭りだったよな~」と笑った。 Emerald祭り? そんなイベントは無いはずだが…? 無言の羽鳥に高屋敷は「あっ、そっか。羽鳥Twitterやらねーもんな」と続ける。 羽鳥は大学の付き合いで大学専用のアカウントをひとつ持っているが、殆ど放置だ。 特に趣味の無い羽鳥にとって、そのアカウントは、大学生活をスムーズに過ごす為の付き合いに過ぎない。 「Twitterがどうかしたのか?」 Emerald関連となれば聞かない訳にはいかない。 高屋敷はため息混じりに答える。 「昨日、Emeraldの初めてのファンクラブの会報が届いたらしいんだよね。 それでエメオタの女子が騒いでさ~。 まあ会報だから流石に中身をツイートする奴はいなかったけど、感想ツイートが馬鹿みたいに凄くて。 トレンドがほぼEmeraldで埋まってたぜ。 俺も思わずスクショしたし」 そう言って高屋敷はスマホを高屋敷に向ける。 確かに1位はEmeraldで2位以下は名メンパーの名前や愛称が続いている。 モロに『Emerald会報』というのもあった。 ただ10位にあった『ユウチア』という言葉に嫌な予感がする。 羽鳥はさり気なく「このユウチアって何だ?」と訊く。 「ああ、これね」 高屋敷は屈託無く話し出す。 「何か会報で柳瀬優と吉野千秋が他のメンバー同士より超仲が良いって一部のオタが騒いでさ。 それで二人のことをユウチアって呼び出すオタが現れて、一気に拡散したらしい」 「そうか」 気の無い返事をしながら、羽鳥の胸はざわめいた。 確かに会報で、吉野千秋も柳瀬優のことは話題にしていた。 けれど吉野千秋はメンバー全員を話題にしていたし、特に趣味の合う柳瀬優も話題にして、ダンスレッスンで世話になっている柳瀬優に礼を言ったまでだ。 現に弁当を作ってくれる横澤隆史にも礼を言っている。 それに対して柳瀬優は吉野千秋の事しか話題にしていない。 順番的に柳瀬優から吉野千秋を読めば、二人が相当仲が良いと思う人間が現れてもおかしくない。 柳瀬優がどういうつもりで吉野千秋に構うのか分からないが、吉野千秋を特別に思っているのは明白だ。 せっかく一晩中、吉野千秋に浸って良い気分でいたのが、台無しされたような気分になる。 高屋敷が「まっ、羽鳥もTwitterを毛嫌いしないでたまには見るだけでも見てみろよ。Twitterは情報はえーぞ」と笑って言うが、羽鳥は返事をしなかった。 講義が全て終わり、高屋敷を含めた友達に飲みに行こうと誘われたが、羽鳥は断った。 『ザ☆漢』と会報用のファイルも買って帰るつもりだったが、出掛ける気になれず真っ直ぐ帰宅した。 料理もする気になれなくてコンビニで弁当を買って帰った。 大した事じゃない。 メンバーで仲が良いことは大切なことだ。 そう考えられるようになったけれど、これからもきっと『ユウチア』と呼ばれる柳瀬優と吉野千秋を思うと、心のざらつきどころか、自分は何万といるであろうファンのひとりでしかなくて、二人はEmeraldというアイドルなんだと改めて思い知らされる。 アイドルのメンバー同士が仲良くしているのだ。 自分が何を思っても無駄だろう。 例え、吉野千秋が初恋の相手でも。 羽鳥はコンビニ弁当を食べて、シャワーを浴びると、何もする気が無くなった。 ただTwitterは見たくなかったが、他のファンが会報をどう思っているか気になり、パソコンで『Emerald ファンブログ』と検索をかけてみた。 検索結果を上から見ていくが、殆どの管理人は女の子で、男の羽鳥にはついて行けない内容が多いし、何よりEmerald全員を応援していると言ってはいるが推しメン…羽鳥が推測するに一番好きなメンバーに内容が偏っているブログが多いし、はっきりタイトルに推しメンのメンバーの名前を入れているブログが殆どだ。 吉野千秋が推しメンのブログも多かったが、やはり女の子と男では好きなツボが違うのか、羽鳥の心情とはズレている。 羽鳥が惰性で画面をスクロールしていると『男』という文字が目に入ってきて、慌ててそのブログのタイトルを見た。 『男がEmeraldを応援してますけど、何か?』 男がEmeraldを応援してる… つまり管理人は男ということか…!? 羽鳥は素早く『男がEmeraldを応援してますけど、何か?』をクリックした。

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