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第1―12話

それは表の上部にグリーンの横長の部分があって、『Emerald』と白抜きで印刷されている。 そして中央に羽鳥の氏名と住所がシールで貼られている。 そう、先月末にも届いたファンクラブの会報だ。 羽鳥は複雑な気持ちでその封筒をそっと掴むと玄関の鍵を開け、部屋に入る。 そしてダイニングテーブルに封筒をやはりそっと置くと、椅子にバッグを置いた。 それから手を洗い、上着をハンガーに掛けるとコーヒーメーカーをセットする。 香ばしいコーヒーの匂いが漂う中、羽鳥は会報を置いたダイニングテーブルの反対側に座る。 じっと封筒を見つめていて、コーヒーを淹れていたことに気付き、立ち上がってキッチンに向かうと、マグカップにコーヒーを注ぎ、またさっきまで座っていた場所に戻る。 コーヒーをひと口飲む。 羽鳥は美味いと思うと同時に、何故だろうと思う。 Emeraldのファンクラブの会報。 言うなれば、ただの郵便物。 なのにEmeraldの存在のように輝いて見える。 羽鳥がEmeraldを避けるようになって10日が過ぎようとしている。 勿論、DVDレコーダーは『Emerald』と『吉野千秋』でヒットした番組をせっせと録画し続けてくれているだろう。 折角、Emeraldを避ける生活に慣れてきたというのに、Emeraldは羽鳥を忘れさせないつもりらしい。 羽鳥はその封筒をそっと掴むと、リビングを横切り寝室に入る。 電気をつけずに入った部屋は、リビングからの光で僅かにボンヤリと家具の位置が見える。 そして暗がりの中、羽鳥はEmerald関連の物をきちんと整理して置いてある、勉強机の一番下の引き出しを開けた。 前回届いた会報の後ろに今回届いた会報を入れようとした瞬間、羽鳥の手から会報が滑り落ちた。 会報はカツンと小さな音を立てて、引き出しに収まった。 羽鳥はその小さな小さな音が気になった。 中身は小冊子のような印刷物だ。 なぜ硬質な『カツン』とした音がしたんだろう? 羽鳥はもう一度会報を手にとる。 今までは会報が来たことも何となく憂鬱な気分でいたので気が付かなかったが、薄いダンボールが入っている感触がする。 会報になぜダンボールが…? 羽鳥は好奇心に負けた。 羽鳥がEmeraldを避けていたのは、別にEmeraldに興味が無くなった訳では無いし、先日の生放送の番組の吉野千秋の発言で感じた思いのせいで、吉野千秋の姿や歌声を聴いて立ち直れなくなりそうで怖かったからだ。 けれど会報に特別な何かがあるかも知れないと思うと、確認だけでもしたいと思う。 それで立ち直れなくなったら、Emeraldと吉野千秋のファンを辞めればいい。 羽鳥は自分の自暴自棄な理論に笑いそうになる。 だが、そうでも思わなければ会報を開けられない臆病者の自分。 羽鳥は寝室を出るとソファの前のローテーブルに会報をそっと置くと、ペーパーナイフとダイニングテーブルに置きっぱなしだったコーヒーを淹れたマグカップもローテーブルに置いて、ソファに座った。 そうして会報の封筒を手にすると、慎重にペーパーナイフで封を開ける。 中から出てきたのは会報の冊子と薄いダンボール。 会報の表紙は紅葉に染まった公園の広場で、木佐翔太がセンターのいつもの並びで、メンバーは思い思いのポーズでピクニックシートの上に座っている。 柔らかな日差しの中、ぎゅっと固まった5人がかわいらしい。 吉野千秋は子供のように足を投げ出して、両手を身体の脇に着いている。 そして前回の会報のようにアイドルスマイルでは無く、ニコニコと子供のように笑っている。 衣装はグリーンのパステルカラーの襟ぐりの空いたAラインのニットだ。 大小様々なドット柄で、ドットの色もピンク・イエロー・ブルーのパステルカラーだ。 丈はウエストライン丁度だが、袖は萌え袖だ。 そして白い細身のパンツにブルーのパステルカラーのスニーカー。 羽鳥は暫くぶりに見た吉野千秋に、鼓動は早くなり、顔が赤くなっていくのが分かる。 やっぱり、かわいいな、と思う。 やっぱり、好きだな、と思う。 羽鳥は会報をローテーブルに置くと、まずはダンボールの正体を知りたいと思い、ダンボールを手に取る。 それは上部二箇所に引っかける爪のような物が着いていて、それを指に引っ掛けて開くと、ダンボールは簡単に開いた。 中にはDVDが入っている。 DVDの全体にはポインセチアが描かれていて、そこにEmeraldのメンバーが二頭身キャラで描かれており、それぞれ赤い葉の上でポーズを取っている。 これは… この絵は… 羽鳥は穴が空くほどDVDを見ていると、DVDの右下に小さく『作画/吉野千秋』と入っているのに気が付いた。 羽鳥はあの生放送の日から、頭を渦巻く自暴自棄でチンケな臆病者の理論が吹き飛んだ気がした。 そして会報とDVDのどちらを先に見ようか迷う。 普通は会報を見て、DVDを観るべきだろう。 だが、羽鳥はDVDが観たくて堪らなかった。 そして、吉野千秋にこんなにも飢えているのだと気付く。 羽鳥はDVDをレコーダーにセットした。 Emeraldというグリーンの文字が消えると、画面にEmeraldのメンバーが映ったかと思うと、メンバーそれぞれがクラッカーが鳴らして「メリークリスマス!!」と笑顔で言う。 ハウススタジオで撮ったのか、部屋はクリスマス一色で飾られていて、大きな窓の外には雪らしき物まで降っている。 BGMはクリスマスソング。 横澤隆史が「次に会報が届くのはクリスマスが終わってからになるので、早目にクリスマスを祝おうと思います!」と言って、メンバー全員がシャンパンフルートを持つと、木佐翔太が「かんぱ~い!」と楽しげに言って全員でグラスを合わせる。 木佐翔太以外は皆未成年だから、シャンパンフルートの中身はジンジャーエールらしく、「ジンジャーエールもこうして飲むとシャンパンみたいですね~」と小野寺律がバラしてしまい、「律っちゃん、ムード台無し!」と木佐翔太に突っ込まれて、小野寺律は赤面してアワアワしてるし、他のメンバーは楽しそうに笑っている。 だが羽鳥はそれどころでは無かった。 それこそ目を皿のようにしてテレビを見ていた。 それなのに。 吉野千秋の姿はどこにも映っていなかった。

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