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第1―16話

「これから月曜日から金曜日、短い時間ですが、毎日ラジオで皆さんと交流できるのがとても嬉しいです! 俺のラジオで、布団から出るのが寒くて辛い日も『横澤のラジオがあるから起きてやるか!』と思って頂けるとマジで嬉しいです…ってこれは木佐に言われたことなんですけどね」 そう言って横澤は苦笑する。 「それで初めてのラジオの初回が生放送で、何を話そうか散々悩んで、これから生番組の音楽祭が続くので、その話がいいかなとか、でもこれからの音楽祭ではまだ発表できないことも沢山あるので、11月にあった生放送の音楽祭の裏話なんかも喜んで貰えるかなと色々と考えていたんですが、今、ファンの皆さんにどうしても伝えなければならない出来事が起きました。 1日の始まりに相応しい、爽やかで楽しい話ではありません。 でも一人でも多くの方に聞いて欲しい」 そこからEmeraldのデビューシングルが流れ出した。 羽鳥の喉がゴクリと鳴る。 横澤は息を深く吐くと、思い切ったように話し出す。 「ご存知の方も多いと思いますが、ファンクラブの会報が届いた当日の夜の仕事中に、会報の冊子と付属のDVDの内容がSNSとネットに晒されて炎上しているとチーフマネージャーに聞かされました。 そして俺達Emeraldは、SNSどころか普通にネットを見ることすら禁じられました。 元々、俺達はSNSもブログをやる事も、個人でネットで発信する事は全て事務所に禁止されています。 そして会報が届いて2日後の夜、事務所にメンバー全員が呼び出されて、会報に添付されていたDVDに俺と木佐と柳瀬と小野寺しか出演していないことが問題になっていると、社長から聞かされました。 俺達は意味が分からず唖然としていました。 なぜなら会報の冊子の最後に、ファンクラブと事務所から吉野を除く4人で撮影をした理由が説明されていたからです。 社長も、Emeraldのメンバーは勿論、ファンクラブにも事務所にも非は無いから、心配しなくていいと言ってくれました。 そしたら吉野が泣き出しました。 全部、自分のせいだと。 だから俺は初めてのラジオで、このことを話そうと決めました。 確かに吉野が自己管理が上手く出来なかったせいで、体調不良になったのは事実です。 普段はズボラで時間さえあれば、子供みたいに漫画に夢中になっている吉野です。 でもEmeraldの仕事は本当に一生懸命なんです。 吉野はEmeraldの中で一番体力が無いし、人酔いもします。 でもファンの皆さんの前では、そんな素振りは絶対に見せません。 プロとして完璧なパフォーマンスをお届けしています。 倒れた吉野は病院で、俺達4人に、予定通りDVDを作って欲しいと言いました。 俺達は当然断りました。 お前がいなきゃEmeraldじゃないからと。 でも吉野は目にいっぱい涙を浮かべて言うんです。 あのDVDは、ファンクラブの皆さんにクリスマスプレゼントのつもりで作るコンセプトだった。 だから、横澤さんと木佐さんと優と小野寺さんのファンの人にクリスマスプレゼントを届けて欲しいって。 俺は、じゃあお前のファンへのプレゼントはどーすんだよと言い返しました。 吉野はニコニコ笑いながら涙を零して言いました。 あのDVDは4人のファンの為のクリスマスプレゼントだけど、俺へのクリスマスプレゼントでもあるんだ。 4人のファンのみんなが喜んでくれるなら、それが最高のプレゼントだから。 それに俺のファンの人達はみんなのファンと同じで良い人達ばかりだから、俺と同じように思ってくれると思う。 だから作ってって…」 そこで横澤隆史は、我慢しきれないように嗚咽を漏らした。 いつの間にかEmeraldの曲も終わっており、横澤隆史の声だけがーーー今は横澤隆史の嗚咽だけが響いている。 すると突然、ラジオの始まりを告げた軽快な音楽が流れ、「初めまして!番組DJの清水です!」と明るい声に切り替わった。 「横澤くんの気持ち、伝わりましたよね? 明日からは収録放送ですが、これから徐々にコーナーなどを作りながら、横澤くんらしいラジオをお伝えしていきます! 横澤くんに聞きたいことがある方は、どんどんメールして下さいね~!」 そして清水がメールアドレスを告げて「それではまた明日の朝6時にお会いしましょう!」と清水が挨拶をして横澤隆史の初めてのラジオは終わった。 羽鳥は、横澤隆史のトークの途中から泣くのを我慢出来なかった。 けれど横澤隆史の言葉を一言一句聞き漏らさないように、ただ静かに涙を流していた。 そしてラジオが終わると、横澤隆史のように嗚咽した。 羽鳥は泣きながら不思議だった。 吉野千秋は自分を泣かせてばかりいる。 小学生の頃から大した我儘も言わず、親や教師の言いつけを守り、かと言って友達が少ない訳でも無く、容姿もそこそこ良くて、女子から告白をされるのは日常で、その中でも優等生と呼ばれる自分に相応しい子と付き合って、いつも振られてはいたけれど、順調に生きてきたと思う。 感情の起伏が余り無く、何かに夢中になったり拘ったりしない代わりに、何に対しても生真面目にコツコツと対応出来るから、そんなところも自分の長所だと思っていたくらいだ。 それなのに、初めて恋をした運命の人は羽鳥を泣かす。 心配させて、困らせる。 そして羽鳥をドキドキさせたり、胸を痛ませたり、苦しいくらい胸を締め付けたり、焦がれさせたりする。 羽鳥は洗面所に向かうと水で顔を洗った。 12月初旬の水は、もう冬が始まったことを羽鳥に教える。 羽鳥はタオルで顔を拭くと鏡に映った自分の顔をまじまじと見た。 先日、壁に打ち付けた額の傷は小さくて済んだ。 鏡に映る傷跡にそっと指先で触れて見る。 そう、吉野千秋には困らせられてばかりだ。 だけど。 吉野千秋は羽鳥を幸福にもしてくれる。 吉野千秋は魔法使いのように、ある時は羽鳥を泣かせ、ある時は羽鳥の世界を眩しくキラキラと彩らせる。 吉野千秋が自分の世界の中心なんだから、仕方ないか。 羽鳥はフッと笑うと、鏡の中の額の傷跡を指で弾く。 その顔は、吉野千秋を知る前と何ら変わらないように見える。 だけど、確かに、俺は変わった。 羽鳥はリビングに戻り冷めきったコーヒーを飲んで、思った。 横澤隆史のラジオを聞いたEmeraldのファンが、どうかもうファンクラブの会報の事で騒ぎ立てる事が無いようにと。 羽鳥は大学に登校すると、高屋敷からも他の誰からも、横澤隆史のラジオ番組に対して何も話しかけられなくてホッとした。 ただ羽鳥がいつも見ているネットのニュースに『アイドルグループEmeraldのリーダー横澤隆史が、ラジオの生放送で涙の謝罪』と午後には記事になっていて、内容もEmeraldに対して好意的だったが、『涙の謝罪』というのは羽鳥は違うと思った。 横澤隆史はEmeraldに突然降り掛かった災難の理由と、DVDを制作するに至った経緯を述べたに過ぎない。 普通のニュースでもこうなのだから、芸能ニュースやスポーツ新聞のニュースは、好意的にしろ、悪意があるにしろ、派手に騒いでるだろうなと思い、羽鳥はいつものように見ないことにした。 羽鳥は講義の後、高屋敷に、飲みに行かないかと誘われたが断った。 今夜はバイトも無いから、横澤隆史のラジオの録音を聞いて、書き起こしもしたいし、Emeraldを避けていた頃のEmerald関連の編集や整理がまだ終わって無いので、それをやりたくて堪らなかったのだ。 近いうちに必ず行くからと羽鳥が言うと、高屋敷は「絶対だぞ」と言って渋々了承してくれた。

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