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跡 濁されたまま 12 ※
「ッはぁつ」
双海の細い腰を掴んで穿つ。ゲル状のような双海の内部が日野に絡み付く。意識もソコも持っていかれそうな動きに息を呑む。和室の窓際に取り付けられた鳥籠の中の黄色の鳥が2人を見下ろす。何も知らない顔をしてこの部屋で行われていたことを見ていたはずだ。今までずっと。聞いていたはずだ。日野に真っ黒な濡れた目を向け、蔑む。人間の営みを。分かるはずがない。本能に従っているわけではない。ただ欲望と快楽に従って、逆らわず。この鳥は知らない。ずっと鳥籠に閉じ込められて、知らない衝動と知らない本能に苛まれるのだ。
「ぅんっ」
捲り上げられたシャツの下の痩せた肌を撫でる。滑らかな感触を頼みながら指に引っ掛かる胸を指の腹で撫でると双海は背を反らす。
「義兄 さん」
日野を見ようとしない双海の顔を向けさせて唇を貪る。果実を喰らうように深く、深く。
「漣、くっ」
以前よりも軽くなった義兄の身体を持ち上げ、深く腰を落とさせる。短い悲鳴が漏れて日野の根元を何度も締め付けて、段々と緩慢な動きへと変わっていく。忌々しい男と甥と同じ名前を付けられて、ただ無償の愛を受ける小鳥が日野を見下ろている。小首を傾げて、黒い小さな目を日野へ向けて。蔑まれている。感情も思考もない哀れな鳥に。見せつけるように日野は双海を突き上げる。義弟の上で喘ぐ飼い主はあの鳥にどう映るのだろう。息子の代わりにされ、甥の代わりにされ、けれど餌を与えられ、安眠を与えられ、愛情を与えられ。気に入らない。気に入らない。気に入らない。日野は双海に腰を打ち付け続ける。何度も何度も。あの小鳥に何を求めているのだろう。日野自身にも分からなかった。ただ気に入らない。それだけがはっきりした答えで。消したはずだ。けれど形を変えて、種族を越えてまだいる。付き纏う。消したはずだ。多少の犠牲を伴っても。
「漣っくんっ、もぅ・・・!」
腰骨辺りに添えた手を双海が剥がしたいようで引っ掻いた。血は繋がらないけれど、姉ができた。そして義理の兄ができた。そしてその血を半分ずつ受け継ぐ甥ができた。
「漣・・・っく・・・っ」
テーブルに双海の状態を押し付け、奥へ奥へと叩きつける。自慰のための道具を使っているのと変わらない。好きな声で名前を呼んでくれる、生温かく固い自慰の道具。血の繋がった他人が日野を蔑む。日野の中にある姿よりも大きくなって。
「好きだよ、義兄 さん」
はひ、はひっ、と変な音を立てて呼吸を繰り返す双海の肩に歯を立てて、中へ白濁を注いでいく。
「彼と、緒深ちゃんには、何も・・・」
呼吸を整えながら、けれど焦って双海は言う。
「それはあいつら次第だけど」
条件は簡単だ。今よりも外部との接触を断つこと。そのために日野の契約しているアパートへ移り住むこと。
「もう用はないはずだろう・・・?どうして彼に構うんだ」
「俺のモノになってくれるんだろ?それならもう隠し事は要らないな?」
双海は顔を顰めて日野を睨む。
「忌々しいんだよ。義兄 さんが女とガキ作ったってだけで頭がおかしくなりそうだ」
日野は笑う。愉快そうに笑って双海を舐めるように見る。
「ガキ仕込む時の親のセックス見たことある?義兄 さん一人っ子だし、ないか?」
笑いを呑み込みながら日野は問う。下品な表現に双海は返す言葉を失った。
「産まれたガキみて鳥肌が立った。これかよ、って。これ作ってたのかよ、って。気持ち悪かったな。弟だとは思えなかった。ただの親父の精液にしか見えなかったよ、俺には」
けれど妹はそれを可愛がった。双海の表情が嫌悪に染まっていくのを見つめながら日野は続ける。
「妹は可愛かったが弟は可愛くなかった。それだけだ。可愛くない弟にそれなりの情を向けなきゃならないのが邪魔だった、それだけ。それと同じ理由で、デカくなった姿で現れられたら、余計邪魔だろ」
双海はゆるゆる首を振る。
「嘘、だ・・・」
「俺が俺のこと嘘ついてどうするのさ」
双海は信じられないという顔をして、ゆっくり立ち上がる。何をするのか。日野は横目で双海の姿を追う。
「じゃあ、殺した・・・?」
「殺意が起こることなんて誰にでもあるだろう。だが殺意だけなら殺人じゃない。たまたま事故が重なった、それは不運だ」
双海が鳥籠を、鳥籠を掛けていたスタンドから外す。
「でも、もときのこと、漣くん、かわいがってくれてた・・・」
運動会にも行った。ビデオ撮影もした。場所取りも進んでやった。料理下手な姉に変わり弁当も作った。親子で参加する競技にも参加した。授業参観にも行った。遠足の弁当も作った。誕生日会も開いた。そのための花も活けた。飾り付けも惜しまなかった。本格的な手作りケーキを作ることも厭わなかった。姉を手伝いながら夕飯も作っていた。幼い頃は仕事で遅い父親に代わりごはんを食べさせてもいた。家族を顧みず仕事に打ち込む父親に代わって、家事が苦手で育児にも追われる母親をずっと手伝ってもいた。小学校の時分だが学業成績を気にする姉のためにと勉強も教えた。休日は子どもが伸び伸びと過ごせるよう甥の要望に出来るだけ応えた。自然と触れ合いたいというのなら然るべきイベントに連れ出し、海に行きたいといえば連れて行った。バーベキューやキャンプがしたいというのならそれにも付き合った。甥の父は甥に興味を示さないのだから。
「かわいがってたように見えたのか」
双海は鳥籠を抱き締める。呆然としている。日野はそのような様子を見せる双海を訝る。そういう顔をされる内容は話していないはずだ。
「まぁ多少の情はあった。義兄 さんの遺伝子を受け継いでいるってことに、感心したよ。感動もした。あの小さい身体の半分は義兄 さんで出来ているんだと思うと」
鳥籠の中の黄色の鳥が忙しなく動く。ただならない空気を感じているようだ。
「義兄 さんはむしろ、もときが憎いんじゃないかと俺は思ったよ」
目を眇めて、今とは似つかない双海を思い返す。一に仕事、二に仕事、三に仕事、その次にやっと家庭が入るかどうか怪しいくらいに、家庭を放置していた。寝に帰るどころか、着替えを取りに帰ってくるだけの生活だったようにも思う。姉はそのことについて何も言いはしなかった。愚痴を溢すこともなかったように思う。甥も父について悪くいうことはなかった。父の日の作文で父の仕事を誇りに思うだのと書き連ねるくらいには。おそらくは添削はされているだろう、それが本心なのかは定かではないけれど。
「失ってから気付くなんてのは錯覚だ。強欲な人間の業でしょ。よせよ、後悔なんて聞こえはいいだけ。誤魔化すなよ。もときはそもそも要らなかった。違う?」
双海が叫ぶ。咆哮のように。鳥籠を抱いたまま和室を出ていく。逃げるように去っていく。日野は溜息を吐きながら双海を追う。
「可愛がってたわけじゃない。“不運にも”死んだ弟への償いでもない」
がちゃがちゃと音を立てて引き戸の鍵を開けようとする双海を見つめる。焦って上手く回せていない。
「多少の同情はあったけど。でも義兄 さんが自分を責めることじゃないんじゃない。要らなかった子でも俺は飢えさせたつもりはないし身形にも気を付けさせてた。友達もいっぱい作るように言ったし、実際クラスでも人気者だった。学級委員もやってたし。それも全部経済的余裕があったから」
双海は知らないだろう。息子がクラスの学級委員だったことなど、おそらく。友達がいっぱいいて、いつでも家に遊びに来ていたことなども、おそらく。小学校低学年にしては英語がよく出来たことも、おそらくは。いや、息子が死んだ後になら知っているかもしれない。
「おれは、もときが・・・」
目を見開いて、色素の薄い目が泳ぐのがよく分かる。鳥籠を抱き締める力が強まる。幼い子どもがお気に入りのぬいぐるみを離さないような。
「邪魔だったかどうかはどうでもいいよ。子どもなんて大概邪魔だしね。カワイイのなんて生まれて少しの間。俺はかわいいとか思わなかったけど。でもま、人の記憶も随分脆いな。もしかして忘れてた?」
仕事、仕事、仕事。ずっと仕事。息子にどれだけ構っていたのか忘れているのだろうか。そしてどういう態度で接していたかも。
「でも仕方ないさ。妻と子を養うため。経済的貧困は精神的貧困にも繋がるっていうしね。でも安心してよ、もときはきちんとイイ子だった。都合の良い子。文句は言わない、ワガママも言わない。嫌いなピーマンも梅干しもきちんと残さず食べられた、手間の掛からない聞き分けの良い子」
息子の嫌いな食べ物も、好きな食べ物さえ双海はおそらく知らないだろう。左利きだということは知っているだろうか。
「どう、して・・・そこまで・・・ただの、甥じゃないか・・・」
「義兄 さんの息子だから。義兄 さんになれる素質があるってこと。半分は違うけど、でも“俺の双海暁人”にはなれる可能性がある」
いつの間にかぼろぼろと泣き出している双海へ手を伸ばす。裸足のまま玄関へ出て、引き戸に背を預けて座り込んでしまっている。日野の手から逃れるように身動ぎ、双海は怯えた。
「でもそれも潰えた。だからもう俺には、義兄 さん、あんたしかいないんだよ。あのガキのことは、諦めればいいんだろ」
欲しいのは義兄で、甥ではない。そしてその甥によく似た、これからも似ていくであろう青年でもない。双海の頬から涙が滴っていく。双海の腕に抱かれた鳥籠を奪い取る。
「置いていけるよな」
黄色の鳥は首を傾げる。とぼけているようにも思えた。双海が首を振る。
「これがもときの代わりなら、あんたはずっと父親だ。父親できなかった、父親のあんたになるだろう」
鳥籠を掴む日野の両腕を双海が縋るように掴む。批難するような目で見て、鳥へと視線を移す。放置するとは飼い鳥にとっての死を意味する。
「そ・・・んな」
「茶番に付き合うのも疲れるな。やめちまえ、父親。向いてなかったんだ」
日野の腕に爪を立てる、指が白くなるほど。長年同居していた鳥を飢え死にさせろと言っている。縦にも横にも触れない首。そのまま日野を凝視してしまう。
「逃がすか?飼われていた鳥が野生でどれくらい生き残れると思う?」
双海は肩を落として下を向いた。
「どうする。選べ。この鳥か、あのガキか」
双海の肩に手を置く。身代わりの鳥だ。空に抱かれて死んだ妻と息子の。けれど日野は嫌いだという。憎いという。疎ましいという。
「いや」
日野は否定の言葉を口にする。この鳥のことは選べない。最初 から選んでいない。身代わりでしかなかったのだから。
遠慮がちに牧島は呼ばれて振り向いた。原田だ。何事もなかったようにいつも通り。気不味さを一瞬覚えたがすぐに消え去った。
「え、なに、どうしたの」
原田が牧島の反応に笑う。
「いや、何か。原田さんに嫌われたかと思って」
「なんで?私も感じ悪かったし」
消化不良の腹の滞りを溶かしてくれる原田の声に牧島にも笑みが戻る。
「いや・・・その・・・」
ふと口角を上げた原田に嫌な面影を見て牧島は咄嗟に顔を逸らす。
「どうか、した?」
原田の表情が曇る。見間違いだ。気のせいだ。牧島は否定の意を込めて頭を振った。どうもしていない。何も見ていない。原田は似ていない。日野に会った時も原田は何の反応も示さなかったではないか。
「何でもない!ごめん、原田さん、ちょっと1人で考えたいことあって」
原田に僅かながら他の異性とは違う意識を向けてはいたが、平生ではいられた。けれど一瞬だけ見た面影が原田に貼りついたまま。気のせいだ、意識のしすぎだ。顔立ちの系統も似ていない。
「まっき~くん?」
原田が呼ぶが牧島は原田に背を向けたまま足を止められない。牧島の背中を原田は見つめた。
ごめん、原田さん。すぐに振り向いて謝れと命令する頭に意地とやる気が妥協を許す。原田は素直で優しい人だ。だが一度だけ重なってしまった残像の一部が牧島の胸に靄をかける。
講義室のある棟へ向かう途中で肩に何か乗る。軽いけれど僅かな質量がある。驚くことはなかった。知っている感覚だ。
「お前」
季節外れの向日葵。視界に端に黄色が映る。首を斜めに傾け何の遠慮もなさそうに乗っている。
「双海さん?」
近くにいるのだろうか。この鳥がいるということは。双海を呼ぶが返事はない。
「逃げてきたんじゃないよな?」
指で小さな頭を撫でる。自ら牧島の指へ身体を寄せる。
「双海さ~ん?」
近くにいるのだろうか。それともいないのか。
「お前自分で帰れる?」
鳥は牧島の言葉を解するように首を振る。だが偶然だ。双海は近くにいないようで、肩に鳥を乗せたまま講義室へ入っていく。通りすがる友人にイケたファッションだの、新しいカノジョかだの、よくできた置物だのと揶揄されながらいつもの席へ座る。早く帰した方がいい。後から来た友人に突然焼き鳥の話を振られ、帰りに焼き鳥屋に誘われたときにそう思い、溜息を吐いた。
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