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鯛焼きと踊る
おっさん受/美青年攻/人外攻
かわいいもの好きなサラリーマン美浦村 はひょうんなことから上司にぬいぐるみをあげることになるが、実はそれは曰く付きで…?
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美浦村 拾 は朝買ったぬいぐるみをデスクに並べた。かわいいと思って買うか迷い、暫く考えて、目がずっと合っていたことを口実に買ってしまった。
かわいい ね。
美浦村 の後ろを通った同期が声を掛ける。美浦村 のデスクはぬいぐるみがたくさん飾られている。スタンドライトにもストラップが引っ掛かっていた。ペン立てにはファンシーなステッカーが隙間なく貼られ、様々なキャラクターがペンの尻に付いている。アクションボールペンというペンをノックしたり、ペン先のボールが紙面を擦るたびにキャラクターの一部が動くのだ。
「朝、駅前の雑貨屋で買ったんです、かわいいでしょう?」
ふわふわした毛並みのハリネズミのぬいぐるみだ。同期の女性社員の社交辞令に美浦村(みほむら)は嬉々として説明した。美浦村 はファンシーなものに目がなかった。
「おはよう」
部長だ。まだ同期の女性社員と美浦村 しか出勤していないが、部長・古河 義典 は早い時間帯にやってくる。
おはようございます。
「おはようございます~、古河ぶちょ!」
美浦村 は新しいぬいぐるみの頭を撫でながら朗らかな笑みを浮かべて挨拶を返す。古河は厳つい容貌のくせ愛想はないが真面目なため人気がある。小柄でわずかに中年太りの気配があったが、美浦村 は一度ぶつかったことがあり、脂肪のような柔らかさとは違う引き付けるような固さをスーツ越しに感じた。筋肉を付けると肥えてみえる体格らしかった。
「美浦村 くんは今日も元気だな」
古河は愛想の無いまま席に着く。
「はい!」
美浦村 は元気よく返事をする。そして一瞬、動きを止めた。美浦村 は目を擦る。古河を包む、禍々しい霧。冬場の風呂に入っているときのような湯気によく似ている。体臭の可視化か。だが体臭というよりは悪臭や異臭というネガティヴなイメージのあるもの。そして古河はいつも強すぎない爽やかな香りがする。人工的だが主張の強くない、故意的ではないその香りを美浦村 は古河家の使う洗濯洗剤だと踏んでいる。好きな匂いだった。
「ねぇねぇ、根岸さん」
美浦村 は斜め後ろのデスクの同期・根岸までイスを転がす。根岸は爪を削っていた。
「古河ぶちょ、なんか変なオーラ放ってない?」
コソコソと耳打ちする。根岸はきょとんとして美浦村 が何を言っているのか分からないという顔をした。
オーラ?怒ってるってこと?そういう風には見えないけど…
「そっか、ごめん。花粉症で目が痒いだけかも」
美浦村は根岸がまた爪を削る作業に戻ったのを見て、またガラガラとイスを転がしてデスクに戻る。美浦村のイスには薄いピンク地に白の大きめな白抜きドットのカバーを被せている。スタンドライトから垂らされたストラップを突きながら美浦村は古河を盗み見る。熱されて燃えるかも知れないと言われてからライトの笠から離して引っ掛けた。
古河はまだ勤務時間にもならないというのに何かデスクへ目を向けていたが、PCやその周辺機器が並んでいるため、その先には何があるのかは分からない。ただ古河の身体から放たれる、黒とも紫ともいえない湯気のような、霧のような、煙のようなものは変わらない。物理的なものではないのは美浦村にも分かったが、しっかり見えている。美浦村は自身のデスクに目を戻す。うさぎのぬいぐるみと目が合った。プラスチックの目がきらりと光った。
「古河さん!ラッキーアイテムです!」
美浦村はにこにことそのうさぎののぬいぐるみを掴む。うさぎのぬいぐるみだが耳は短い。ミニうさぎのキャラクターらしかった。
「…どうした?」
古河は表情のない顔の中で片眉を上げた。
「ラッキーアイテムです!」
美浦村は古河の返事を待たずにデスクにぬいぐるみを置いた。古河は大きくはないが濃い瞳を美浦村に向ける。
「ラッキー…アイテム…」
美浦村はええ、と笑ってPCのディスプレイの脇に置かれたうさぎのぬいぐるみの頭を撫でた。ふわふわとした少しパールのような光沢のある質感のアイボリーのボア生地で作られ、赤い瞳はプラスチックでオーバルカットを模している。
「はい!この子、お守りなんですよ。厄除けなんです、すごいでしょ!」
美浦村はその容姿から女性によく好かれた。だが内面を知るとそういう意味では次々と離れていき、美浦村をよく知らない男性社員からは疎まれることが多々あった。特にファンシーに飾られたデスクのことは真っ先に上司へ報告される。だが古河は、そのほうが仕事に身が入るなら仕方あるまいと美浦村の色彩豊かなデスクには何も言わないでいるらしい。
「そ、そうか…ありがとう」
美浦村はにかりと笑う。ダークブラウンの癖っ毛に蛍光灯が輪を作る。根岸は困ったように美浦村を見ていた。
退勤直前に古河が美浦村の元へやって来た。美浦村は忘れていた。汚れたうさぎが小さいが厚い掌に乗っていた。まるでこのうさぎが古河を包んでいた妙な霧を吸い込んだように黒ずんでいる。鼻をつく、独特の匂い。
「すまない。美浦村くんの大事にしていたぬいぐるみを汚してしまった…クリーニングに出させてもらう。返すのが遅れてしまうが…本当に申し訳ない」
ある程度水分を弾く材質だが量が多かったのかエボニーに染まっている。コーヒーの芳ばしい香りが漂っている。
「エボニーアンドアイボリーですね!なんつって。いいんですよ、オレが勝手に置いただけなんですから」
「そういうわけにもいかない。実際助けてもらった…」
「へ?」
「大事な書類を汚さずに済んだ。このうさちゃんがコーヒーを受け止めてくれたから…」
美浦村は口を開けた。古河が"うさちゃん"と言うとは思わなかったのだ。美浦村の間抜けな面を古河は憤怒と受け取ったのか、すまない、と深々頭を下げる。
「へ?…じゃなくて!やめてくださいよぉ、ホント、オレが勝手に預けただけなんで!ほんと、ホントに!ホントです…!」
「しかし…」
「じゃ、じゃあその子、あげます!大事にしてくださいな」
美浦村は古河の掌にごと掴んで、うさぎのぬいぐるみを古河に向けて立たせる。触れるとコーヒーの香りが漂う。美浦村はコーヒー牛乳やカルーアミルクは別としてコーヒーをあまり好まない。
「だが…それでは…、」
「いいんですって!多分この子は古河ぶちょのホントのラッキーアイテムだったんですよ!」
「…」
古河の掌の上のうさぎを撫でながら美浦村は笑った。汚れはきっとクリーニングで落ちるかも知れない。落ちなくても美浦村には、このうさぎのぬいぐるみとそれなりの時間を過ごしている。汚れは大したマイナス点にはならない。しかし古河のような人のもとへ行くのなら惜しくはない。
「かわいがってもらうんだぞ」
うさぎのぬいぐるみの、赤いプラスチックが光る。まるで美浦村に返事をしているかのようだった。
「ありがとう…大切にしよう」
美浦村は笑みを浮かべた。古河は通勤鞄にうさぎをしまう。もう一度、うさぎのプラスチックの目が光った。それが何故か美浦村は気に掛かったが、何も言わなかった。今日は駅前の大型雑貨店の洋菓子店でサバンナの動物を模したケーキの企画第2弾の販売日だった。
白い翼を持った、床に着くほど長い白髪の背の高い男が淀んだ空間の中にいる。美浦村の視点からは背を向けている。進んだ。真っ白い着物を着ている。さらに進む。白髪の男は何かをしている。目の前の台に乗せてあるものに触れている。それは古河だ。眠っているのか意識のない仰向けの古河に、白髪の奇妙な男が触れている。
『古河ぶちょ!』
美浦村は呼ぶ。だが声は出ない。走る。だが泥沼を進むような腿の重み。進まない。脚を動かしているつもりで踵が地面に着かない。
『古河ぶちょ~!』
白髪の珍奇な男が振り返る。赤い双眸が古河を捕らえようとした。
はっとして画面が切り替わる。布団の中。胸に強くカピバラのぬいぐるみを抱いている。腕の骨が痛むほど強く抱き締めていた。起床時間の少し前だ。このまま起きていたほうが良さそうだわ。古河は無事だろうか。ただの夢だ。ただの夢。そう言い聞かせ、出勤を急く気持ちを落ち着かせる。
「古河ぶちょ!」
美浦村は3人目の出勤者に駆け寄った。いつも美浦村より先に来ている根岸がギョッとした。
「おはよう、美浦村くん」
美浦村が突然抱き着いて古河は驚いたのか身体を大きく跳ねさせた。美浦村がよかったよかったと呟いている間に根岸にも挨拶している。美浦村の骶骨 からは見えない尻尾が伸びて、千切れんばかりに左右に揺れているような限りなく事実に違い幻覚が古河と根岸には見えたことだろう。
「古河ぶちょの夢みて…心配になったんです…!」
弱々しくしょんぼりと肩を落としても180cmと少しある背丈は、古河を隠す。古河はびく、びくびくと小さく震えた。気のせいか顔が赤い。
「古河ぶちょ?」
「な、…ッなんだ?…、」
「何事もなくて良かったです」
「…ッ!」
美浦村の腕の中で力を無くした古河を咄嗟に支える。浅く息を吐いている。心配になってしまい、古河の腕を肩に回させた。
「休憩室行きましょう、ね?古河ぶちょ~」
古河は小さく頭を振る。だめです、と美浦村が言って、根岸に簡潔に説明すると古河を引き摺るように休憩室に向かう。パイプ椅子に座らせて美浦村は目の前に片膝を着いた。美浦村をよく知らない者が見ればそれは絵になる光景だった。
「やっぱりどこか体調が優れないのでは?」
赤い顔をして、潤んだ瞳が美浦村を見つめた。美浦村は首を傾げる。熱だろうか。古河の額に掌を添えた。
「ああッ…、」
古河は何度か小刻みに身動いで、美浦村にしがみつく。俯いているが美浦村を掴む手は強く、汗ばんでいて生温い。
『抱いてもらえよ』
へ?と美浦村は顔を上げる。床に着くほど白い髪が古河の肩を滑り、耳元で色白い青年が囁いている。いつの間にかそこにいる。不自然なほど白い髪。コスチュームプレイだろうか。だが何故それを休憩室で、このタイミングでするのか。白い翼が古河を覆い隠す。あまりにも作りが良い。
『抱いてもらえよ、年下の男に』
低く美しい吐息混じりの声が、肩を縮め内股になる古河の耳元に響く。美浦村は何度かぱちぱちと瞬きを繰り返す。誰もいない。
「美浦村くん」
とろんとした目をして古河は顔を上げる。
「ぶちょ?」
見下ろした美浦村の無防備な唇に、ちゅっ、と愛らしい音が立つ。古河の唇が当たった音だった。美浦村は驚いて何歩か後退ってしまった。何が起きたのかすぐに理解出来なかった。少し皺々とした柔らかすぎすわずかに固さのある感触。
【未完】
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