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赤と白か黒 4

「帰りたいですか…?」  ベッドでぼうっとしていると籠原が話し掛けてきた。雪村は厳つい造形のくせ幼さと愛嬌のあふれた顔を一瞥する。返事はひとつしかない。否定も肯定もせずとも、籠原は苦い笑みを浮かべていちいち訊くことじゃないですねと続けた。 「でも、おれは、また会えて嬉しい、です」  暗赤色のワイヤレスイヤホンと思しき機器が左耳に挿さっている。正面からみると角のような触覚のような、太いアンテナのような、側頭部に添うように突き出ている。初めて見た物だが技術の発展とともにトランシーバーやインカムから変わったのだろうか。 「外の暮らしってどんな感じなんですか」  躊躇いがちに訊ねる籠原の目が泳ぐ。吸い込むような籠原の幼さは皆無でありながら幼い雰囲気を醸した大きな目が苦手だ。 「ここよりは自由ですよ」 「自由…ですか?ここより…?」  籠原の生まれはこの神楽常寺家だ。使用人が産まれて間もない嬰児を庭で見つけ、拾ってきた。 「美味しい物とか毎日食べられるわけではないですが、自分で洗濯して、自分で食事作って、テレビとか観られますし、服とかも自分で選べますね。黒塗りされてない本も読めます。好きな音楽も聴けますし」  籠原は神楽常寺の散歩に付き合う以外は外の世界と関わりがない。首を傾げる籠原に説明が面倒になり話題を逸らす。 「それよりも姉のことです。もうすぐ子ども産まれるので」  姉は落ち込みやすい。弟が神楽常寺に戻ったと知ってどう思うだろうか。自分は無事だ、そう言えたなら。けれど。 「会いたいですよね、…お、れ頼みます、のんさんに…」 「何をですか?何を頼んでくださるのですか。私を解放するよう、頼んでくださる?」 「それは…嫌です。離れたく、ありませ…。峡ちゃんがお姉さんに会えるように、ってのんさんに頼みます」  要りません。シーツを握る。実家に神楽常寺家の者が近付くのは、雪村は気が乗らなかった。父は神楽常寺家で命を落とした。姉にそれを思い出させたくはない。 「峡ちゃんのためになりたいんです、お…れ…」 「結構です」  しゅん、として籠原は肩を落とし眉を下げた。わずかにその姿に罪悪感を覚えたが、繕う言葉は浮かばない。 「峡ちゃん…」  誰が想像できるだろう。腰は細いが肩幅があり、長身で浅黒い肌、引き締まり衣服の下からでも分かる筋肉と険しい顔立ちから放たれる低い声が甘味を帯びて可愛らしく元上司を呼ぶなど。声変わり前は子犬のようにきゃんきゃんとしていた。背も雪村よりずっと低かった。越されるとは思わなかった。立場でさえも。 「昔のことはお忘れになってください」  籠原は首を振る。その様子を雪村は黙って見つめていた。 「おれ、峡ちゃんがいるから頑張ったんです。偉くなろうって思って…峡ちゃんが帰ってくるってずっと、信じててよかった。  実家に帰るタクシーの後を追ってきた籠原の小さな身体。まだ覚えている。だがそこまで懐かれるようなことをした覚えはない。 「峡ちゃんは…やっぱり未馬様の方が…良いんですか?」  どういう意味で訊いたのか。訊ね返したかったが墓穴を掘りそうで雪村は一度開いた口を噤む。 「明日からよろしくお願いします」  雪村の答えに籠原は不満のようで眉根を寄せて唇を尖らせる。 「峡ちゃん…分かりました。こちらこそ、よろしくお願いします」  残念そうな顔を引き締めて、凛々しい面構えとなると、雰囲気が増した。 「神楽常時様」  神楽常寺は自室で新聞を広げている。薔薇園が見渡せる大窓を背に、テーブルにコーヒーを乗せ、脚を組んでいた。 「煌。どうした。今日も一段とかわいいね」  野良猫を手招きするように呼ばれ、籠原は速やかに歩み寄って、床に膝を着くと神楽常寺の膝に頭を寄せ、頬擦りする。 「彼に冷たくされたか」  籠原の赤みの強い、赤みを帯びた茶髪に指を通す。刈り上げてある側頭部にも指を這わせた。 「自由ってなんですか?」  は?、と神楽常寺は一度コーヒーカップに伸ばそうとした手を止めた。 「お、れにも、あるんですか?」  拗ねるような声音の籠原に神楽常寺は天井を睨む。何言っているんだ?何を言われたんだ?様々なやり取りを想像する。 「神楽常寺様はご自由ですか?」  膝小僧を掴むように指に力を込められると、擽ったさと紙一重の心地良さが広がる。 「後から気付くモンだから、今は分かんねぇわ」  籠原の顔を捕らえて背を丸める。籠原が首を伸ばして神楽常寺の唇を受け入れた。啄むようなキスだけで、神楽常寺は離れていく。ふわりと2人の間をコーヒーの香りが通り抜けた。 「後から、気付くものなのですか?」  首を傾げる籠原に神楽常寺は何の話をしていたか忘れていた。そうだ自由とは何ぞやという話だった、籠原の漆黒のガラス玉のような目を見つめながら十数秒前の記憶を手繰り寄せる。 「結果論みたいなもんだから。何言われたか知らねぇケド、気にすんな」  晴れやかな表情はされなかった。いつでも素直に従い、晴れやかな笑顔を絶やさず、明朗快活な姿しか見たことがなかった。 「峡ちゃんに、昔のこと忘れてってまた、言われたんです」  可愛らしさとは縁の遠い大きな目が可愛らしく歪んで、光を増す。険を失った厳つい顔が一度は耐えるが耐えきれず歪み、クリスタルのような雫が二筋滑り落ちた。低く落ち着いた声が消え入りながら震えている。籠原から相談紛いな個人的な話をされるのは稀だ。神楽常寺は面食らい、返す言葉が白紙に戻る。 「すみませッ、こんな話。でも、おれはっ、忘れたくなくて。だって峡ちゃんは、変わっちゃったけど、峡ちゃんだから」」  目元を拭おうとする繊細さを覚えたばかりの無骨な手を掴んで、神楽常寺が代わりに指で掬う。クリスタルは冷たく、触れた瞬間に形を失った。 「何を言われても気にすんな。あいつはあいつかも知れねぇけど、10年もすれば人なんて変わっちまう。でもあいつはあいつなんだよな。だから連れてきた。お前は何も間違っちゃいない」  肩を震わせ、鼻を啜り、静かに咽び泣く籠原の髪をただ撫で続ける。 「それとも拾ってこない方がよかったかな?」  乳児をあやすように訊けば、脳震盪を起こすのではないかと思うほどの勢いで籠原は頭を横に振った。 「またあいつがお前に酷い(ドイヒー)なこと言うかもだけど、耐えられる?ずっと欲しかったから、傍に置いておきたいんだけど。お前が嫌だっていうならいつだって…」  籠原は何度も頷く。何度も何度も頷いて鼻を啜った。 「おれ、峡ちゃん大好きですから」  片耳に挿さるメタリック塗装の暗赤色の機器を見つめ、神楽常寺は籠原の髪を撫でる。心地良さそうに、猫だったら喉を鳴らしているだろう、目を細めている。 「良い子だね」  額と唇の端にキスすると、唇へのキスを強請られ、それに返した。 「お前さ」  雪村に与えた部屋の前の廊下で庭を見ている雪村に声を掛ける。雪村は深々と頭を下げた。 「まぁ、いいや。まだ“ごほーし”の日じゃねけど、フェラの練習すっぞ?」  雪村の端整な顔が僅かに歪む。それに神楽常寺が渋い表情を見せれば、すぐに取り繕った。 「神楽常寺様ッ」 「廊下で舐めたい?」  雪村の背を叩き、その手を下部へずらしていく。引き締まった臀部を撫でた。雪村に与えた部屋へ誘い込んで、整えられたベッドの上に神楽常寺は腰掛ける。雪村は無意識なのか微かに首を振り、信じられないと言わんばかりに開かれた神楽常寺の脚の間を見つめる。 「神楽常寺様、本気で…」 「概ねマジだね」  雪村の喉が上下するのを神楽常寺は満足そうに見つめる。雪村は諦めたようで、脚を開いた神楽常寺の前に跪く。 「最終段階では口だけでファスナー開けてもらうから」 「…っ承知しました」  背の高い男が、見上げている。見下ろすとこう見えるのかと、額に前髪が貼りついた真っ白い顔をした雪村を見下ろす。堀の深い男性的な顔立ちが、神楽常寺は羨ましかった。歯と舌でスラックスのホックを外し、ファスナーを起こし、引っ掛け、下げていく。そこに至るまでにも、途中で何度かファスナーの持ち手部分を放してしまい、探り当てる間に雪村の鼻先が神楽常寺の股間を掠め、それだけでわずかに熱を持つ。口がファスナーを探り当てる度に通った鼻梁が神楽常寺の中心やその付近に触れる。ファスナーを下ろす振動で頭がおかしくなりそうで、雪村はそのままおかしくなってしまいたかった。これで第一段階が終わっただけだった。体感的には1日の仕事を終えた気分だった。まだ神楽常寺の肌を覆うボクサータイプのパンツがある。シャツは神楽常寺が自ら捲り上げ、六つに割れた腹筋が見えた。括れた腰を締める真っ白いゴム部分が芸術的だと思い始め、雪村は一度身を引いて、それから目を閉じる。 「なんだよ早くしろって」 「…ッ。すみません。お待たせ致しました」  大きく息を吐いて、息を止める。それから真っ白いゴム部分を甘噛みして、下げていく。噛む力が弱すぎて、ゴムは神楽常寺の滑らかな肌を叩く。やってしまったと冷えた心地がしたが神楽常寺は特に何も言わなかった。もう一度ゴムを噛んで、下げていく。まだ形を成していない神楽常寺のものが現れて、ここからが実質のスタートなのだと思い知らされる。 「あのさ、あんまり遅いとオレここで仕事するけど、いい?」 「申し訳、ございません」  怒りと嫌気で拳が震える。低い声で謝り、神楽常寺の皮膚へ口を付ける。愛撫するよう舐め上げて、先端で掬う。やり方は知らない。神楽常寺 未馬(みゅうま)はこのようなことはさせなかった。  未馬様はもっと…。慈愛のある目を向け、軽口を叩きつつも真面目だ男だった。愛らしい目と小動物のような口元の可愛らしさが特徴的で、笑うと八重歯が見える。 「へったくそ過ぎて」  だがこの男はあくまで、神楽常寺未馬の弟でしかない。神楽常寺未馬ではないのだ。現実に引き戻され、無意識に雑に動かしていた舌を止めてしまう。 「すみ、ません」 「頼むわ。オレ仕事するけど、まぁベスト尽くしてね?」  神楽常寺は雪村の頬を撫でる。その仕草はやはり未馬に似ていて、呆けてしまった。神楽常寺は端末でPCを持ってくるよう言いつける。神楽常寺の露わになった股間の前で呼吸を整えながら、この様を誰かに見られるのかと思うとうんざりした。少ししてノート型PCが届き、神楽常寺の意識は仕事の方へ移ったらしい。雪村は強敵を目の前に息を呑む。舐めればいいのか、吸えばいいのか、何をすればいいのかも分からない。そういった業務はしたことがない。 「これオレが直々にやってるの、お前への配慮のつもりだったんだけど、あれなら教育係の煌に教えて(コーチング)してもらう?」  冗談じゃない!という言葉を呑みこむ。このようなことを籠原に教えてもらうくらいならばこの男のものごと舌を噛み切るほかない。 「真剣に取り組まさせていただきます」  舌や喉が拒否し歯列が浮いて入歯のように抜けてしまいそうなほど、身体は嫌がっている。雪村は姿勢を正してまた神楽常寺を口腔へ迎え入れる。舌の裏側で先端を絡めるように舐め、窄めた口の内側で締め上げる。唾液が分泌され、唇の端から零れていきそうになる。 「手、使っていいよ」  全体的に唾液で濡れると、神楽常寺がPCから視線を外さないままそう言った。わずかに質量を持った気がする。雪村は自身の唾液で光る神楽常寺を握る。根本を緩く動かして、首を曲げて裏側から舐めていく。頼むから早く出してくれ、と気持ちが焦る。根本を擦り上げ、口に含める部分を奥まで咥えて粘膜で刺激する。歯が当たりそうだ。 「ンっふ」  神楽常寺が僅かに眉根に皺を寄せた。このままいけばいいのだろうか。神楽常寺の脚を掴んでさらに喉の奥まで入れていく。神楽常寺の雄の味か、それとも唾液の味なのか、分からないまま一心不乱に舌と頭を動かした。頬が疲れ、素早く動く視界に酔いそうだ。ふうふう呻りながら目を閉じて、ただ意識を集中させる。 「ちょ、ストップ」  額を小さな掌で押されて、放される。がくんと首が後ろに倒れて天井を仰ぐ。両頬がじんじんと疼いた。肩で息をする。視界はぐらぐらと揺れていた。 「同じ動きで単調すぎ。…大丈夫?」  それでも神楽常寺の中心はある程度の形を成してきていたが、まだ半分も達成はしていないのだろう。先が長い。 「まぁ、こういうのはムードが4割くらいあるからな~」  がんがんと頭痛に変わってきた額を押さえる。 「やります。ですから…、ですから籠原先輩からの指導だけは、ご勘弁願います」  思考がまともに働かず、半ば自暴自棄になり立ち上がり、神楽常寺の両肩に触れ、押し倒す。ぎしり、とベッドが揺れた。神楽常寺の機嫌を損ねれば、大問題だ。けれど神楽常寺はわずかに目を見開いたが、挑発的な笑みへと変わって、いいね、と呟いた。  

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