26 / 47

赤と白か黒 6

 初めての“ご奉仕(ほーし)”は衣装合わせと採寸だ、楽しめよ。神楽常寺に大きな部屋へと押し込められ、神楽常寺は仕事、と言ってその場にいるつもりはないらしい。後からやって来た籠原が「当日の楽しみにしていらっしゃるのだと思います」と言った。きらきらとした双眸はいつものことだが、雰囲気がいつもよりも浮ついているように雪村には思えた。 「峡ちゃんの衣装合わせを手伝えて幸せです」 「悔しくないのですか」  衣装部の者が雪村の着ている制服を丁寧に脱がせていく。横で座っている籠原は首を大きく傾げていた。緩んだ口元、目元がわずかに引き締まる。 「何のことですか?」  こてんと首を倒し大きな疑問符を浮かべる姿は外見と合っていない。だが籠原という人物を知ってしまうと違和感はいつの間にか消えていた。 「パーティーの同行の話です」 「おれが外されて、峡ちゃんがのんさんと同行することがですか?」  何故とぼけたのだろうか雪村から問い返したかった。 「はい」 「悔しがるところ、なんですかね…?おれはのんさんが峡ちゃんをお選びになったのなら、それが正解なんだと、思うんです、ケド、」  衣装部の者が真っ赤なジャケットを持ってきて、雪村に袖を通すよう促す。目が痛くなるような陰影を無視する彩度に眩暈を起こしそうだ。籠原は真っ赤なジャケットを羽織った雪村を見て感嘆の声を漏らす。 「すごく似合ってます!」 「さすがに派手すぎやしませんか」 「のんさんは派手なの好きですよ?」  衣装部の者が首を傾げて、雪村から真っ赤なジャケットを脱がす。 「神楽常寺様の同行の世話係という趣旨からは外れているように思います」  次の衣装部の者は白と黒の市松模様のジャケットを差し出す。他にも深いブルーのシャツや白黒のグラデーションがかかったスラックスなどが次々と運び込まれた。籠原は何を着ても目を輝かせ、両手を叩く。試着するだけでも疲れが滲みはじめる。 「シャツは黒がいいや。それでループタイにしよ。ジャケットはワインレッドのが確かあったよね?」  無難な色合いや形のものはないのだろうか。難しい顔をして小さく溜息を吐きながら襟元に豹柄があしらわれたジャケットを脱いでいると籠原が衣装部の者を呼び、そう指示を出す。 「やっぱループタイはナシ。オレンジとゴールドのスカーフがあったはずだからそれにしてみて。アクセサリーは要らないや。とりあえずそれで合せてみて調整しようか」  待て、をされている犬のようにも思える籠原のてきぱきとした一面に雪村は籠原を凝視してしまう。それに気付いたのか籠原も雪村を向き直り、それから破顔した。 「峡ちゃん、今から合わせるの嫌だったら言ってくださいね。何となくトーン低い無地のやつのほうがいいのかな、って」  へへへ、と籠原は鼻の下を指の背で掻く。雪村の知るデパートまるごとの規模くらいはありそうな衣裳部屋に見るからに高額だと分かる衣服がずらりと並べられ、ほぼ森と化している。以前雪村が勤めていた時よりも広くなり、新しくなっていた。  すぐに籠原の指定したものたちが揃えられ、袖を通す。ブラウン寄りのワインレッドは雪村が想像していたものよりも落ち着いた印象を受ける。赤みの強いオレンジとゴールドと少しのオフホワイトが入ったスカーフが黒いシャツとシックな色味のジャケットに映え、雪村もすぐに気に入った。 「いいですね、これにします」  籠原が大きく手を叩く。汚い物をたくさん見てきたくせ、濁りのない大きな目がさらに大きくなって輝いている。 それでは採寸致します、ところで籠原様。  衣装部の者が籠原に耳打ちする。籠原の目は床を泳いで、雪村を捕らえてからまた床を泳ぐ。みるみる浅黒い肌が赤く染まり、素直すぎる眉は八の字を描いている。 「聞いてないですけど、そういうことなら…」  籠原の方は衣装部の者へ耳打ちせず直接返す。関係のないことだろうか。それならなぜ籠原は自身を一度見たのだろう。雪村は気にはなったがただ視線を衣装部と籠原に向けただけだった。腕の長さや肩幅、脚の長さなどを測られ、話を終えたらしい籠原がスタイルがいいんですね、と感激した。嫌味だろうかと思ったが、嫌味を言えるタイプでもないことは、雪村も分かっている。 「峡ちゃん」 「何ですか」  呼ばれて籠原へ顔を向ければ、赤面して目を逸らされる。 「え…っと、別の採寸もあって…、とりあえず医務室に行くことになるんですけど…」  別の採寸とは何だろう。試着したものを返して籠原とともに医務室へ向かう。  ~♪君のネイル ごてごてパール 凍るメールにSoulful どうだい後悔してる? ごめんねのCALL 低能のやつらに送るYell~♪  韻を踏んだ歌声が聞こえる。籠原は慣れているのか何の反応も見せずにいたが、雪村はきょろきょろと周りを見渡した。  ~♪No Ruleに則るLife イカれた王者に物申す 呆れた構図 がっかりすんなそれがいつかのForce~♪  前を歩いていた籠原が雪村を振り返る。 「うるさくないですか?」 「はい。楽しそうですね」  それならよかったです、と籠原は苦笑した。 ~♪うるせぇ? それこの階級制?なんせ?とんでもねぇ俗世 はぁなんて?なんて聞いとけパンピ そんで来世もパリピ属性~♪  籠原には聞こえてないのかとすら思えたが、うるさいかどうかを訊ねるということは聞こえているのだろう。そのまま思ったことを伝えたが、籠原にはうるさかっただけでなく、楽しそうでもなかったらしい。 ~♪ふざけた独裁者 なりたいな ならなくちゃ なれるわけない王様 今日も裸 相変わらず井の中 ワンチャン目指そうか 悪魔のような 白い高級車~♪  籠原は廊下に流れる歌声に気分を害しているように雪村には思えた。雪村を気にせず前へ進んで行く背中がどこかそういった雰囲気を漂わせている。内容がわずかに禁忌的な意味合いを含んでいるように受け取れかねないからだろうか。  歌声は医務室からだった、目元と口元だけを出し、顔面を殆ど布や包帯で覆い、さらに白いパーカーのフードを被った者が椅子に座って左右に回っている。ホワイトシャツの上からパーカーを着て制服を着ているため、異様な格好をしているが、事情があるのだろうか。雪村と籠原の2人を確認すると椅子から立ち上がり、人の好さそうな笑みを浮かべた。目尻に皺が寄り、また開いた目は、グレーのようなブラウンのような不思議な色をしていた。 「いらっしゃい」  軽い口調だった。歌声の主と質が似ている。この者で間違いない。 「採寸のことで、医務室を借りたいんですけど…」 「どうぞ」  態度も軽く、包帯の男は医務室を出て行く。籠原にぶつかりそうな距離を通り、雪村のほうへも、ぶつかりに来ているのではないかというほど距離を詰めて。 「医務室で、採寸、スか」  ぼそり、とすれ違いざまに包帯の男が呟く。石鹸の柔らかい香りがした。振り向く。病気か怪我か。医学的知識も技術もなかった頃の流行病で肌を覆わなければならない事情があった時代はすでに終わっているはずだ。 「峡ちゃん?」 「医務室で、採寸…?」  包帯の男が言ったことを復唱する。籠原は何も言わずにクリーム色のカーテンに覆われたベッドへ雪村を誘導する。何も考えずに雪村もベッドの前まで歩み寄った。カーテンを閉め切られて、それからまた疑問が浮かぶ。 「採血…ではなく?」  籠原は大きな目を泳がせて、口をぱくぱくさせている。忙しなく動くが、どれも声になっていない。 「だから、その…のんさんのが…。サイズ測って、準備とかあるから、その、切れたら痛いですから…」 「はい?」 「のんさんの手を煩わせるわけには、いかないでしょ、だから、フィットするやつ…オーダーメイドするから…」  泣きそうな顔でどもりながらたどたどしい説明をされるが、故意なのか不明瞭だ。 「神楽常寺様の何にフィットするっておっしゃいました?切れるって何がです?準備って何の」  責めるような声音になってしまい、籠原は大きな図体と強面に似合わず怯えはじめている。 「何って…だから…その、セ、セック、ス、の…」  雪村は固まった。足が勝手に動いた。上半身が伴わず、転びそうになったが持ち直し、医務室を飛び出ていく。知らないわけではない。意味もやり方も分かる。だが神楽常寺を相手に対象が自身になるとは思っていなかった。それは籠原の仕事のはずだ。神楽常寺のものを舐めさせられたのは、この前置きだったのか。  広く長い廊下を走る。目的地はない。神楽常寺の自室とは反対方向を反射で選んでいた。以前勤めていた頃と構造は変わらないが新しく作り替えられているだけで全く知らない場所のように思えた。白を基調とした内装が眩しい。だが警報が鳴りはじめ、照明が赤く染まる。侵入者だろうか。足音が複数聞こえる。だがすぐに探されているのは自身かも知れない、と一度止めた足を再び動かす。  ~♪もう消えない導火線 どうにもできません いうてそれもオレのせい うるさい You Say やっぱいわないで today 聞きたくないGoodbye~♪  医務室から聞こえた韻を踏んだ歌が聞こえる。呑気だ。だがその呑気さを雪村は追った。  ~♪あっち こっち そっちはどっち そこはエッチ! 毎日がいまいち 幼稚な統治 でもいい街 育った土地 ここに誘致 捨てたお(うち) 人は軽視 神の勇姿それは信号無視 兄は事故死 親は刑死~♪      十字路も韻を踏んだ歌の方へ進んで行く。赤く点滅する視界で、グレーのようなブラウンのような不思議な色の瞳が脳裏に焼き付いている。自分が神楽常寺邸のどの辺りにいるのかも分からないまま雪村は走り続ける。  曲がった途端に目に入る、赤い光を受けた白い物体。包帯の男だ。行き止まりになってはいるが、扉がある。包帯の男はそこへ向かうようだった。 「何スか」  扉を開いて、それから閉めるために包帯の男が振り返り、突進するかのように迫ってくる雪村に怯む。 「え、ちょ、マジで何」  相手は病人も重病人、もしくは怪我人かも知れないということは分かっていたが、雪村は包帯の男を抱き込むようにそのまま目の前の扉に直進する。 「すみません、すぐに出て行きますから」  部屋の照明は点いていなかった。赤の点滅で視界がちかちかしている今、暗い室内は助かった。ただグリーンに光る炭酸飲料が入ったような円柱のお洒落なランプが灯っているだけ。雪村に押し倒された体勢で伸びている包帯の男の肩に触れる。 「っ痛ぇ。何、何したのお兄サン」  後頭部を摩りながら包帯の男は雪村の下から抜け出して、照明を点けた。衣服や包帯や生活用品で散らかった部屋が露わになる。私室のようだが、私室が並ぶ棟は反対の方角にあるはずだ。 「私室でしたか…勝手に入って本当、すみません」 「いいっスよ。それよりお宅何者…?」  包帯の男は落ち着いた様子で茶菓子の用意をはじめる。 「いや…何者、というほどでもなくて…」 「あ、そっスか。神楽常寺様の暗殺者だったら匿ったぼくちんの首も文字通りトびそ」  ふざけた口調は素なのか故意なのか雪村には分からなかった。 「何故こちらに私室が…?私室棟って…」 「あ、それ訊くカンジっスか。これ病後の傷が治りきらなかったんスけど、結構グロくって。包帯男状態でも夜とか見ると怖いんですって」 鼓膜を(つんざ)くような高い笑い声をわざと上げて包帯の男は雪村の様子を遠慮なく見ている。 「そうでしたか。不躾な質問でした」 「いいっスよ。久々に人と話してバイブス上がったっス」  へへへ、ハハハと目尻に皺を寄せて素の笑い声を上げて包帯の男。頭の隅を突っつかれている気分なのだが、それが何なのか分からない。 「お兄サン、新人?さっき一緒にいた人て結構偉い人っスよね」 「はい。採寸って話だったんですけど、思ってた話と違くて…」 「やっぱりね!変だと思ったんスよ。なんで医務室で採寸するんだ?って。身体検査だったんスね」  雪村は頷いた。珍しいことではないのだろうか。 「どうしても嫌で…」 「逃げ出して警報鳴らされるくらいにスか。通信で来てるんスよ、なんかそれらしき人見つけたら捕まえろって」  包帯の男は端末を雪村の前に置いた。だが突き出す様子はない。 「すみません、ご迷惑を掛けてしまって…でもどうしても…あの、さっき一緒にいた人に、そういうことされるのは嫌で…」 「あ、そっち?それならぼくちんが職権濫用してちょろまかしましょうか」  包帯の男は胸をとん、と叩く。 「いい、んですか?」 「おっけおっけ」  ミルクの多いココアを思わせる瞳が大きな光を差し込んで細まる。  荒らされたのかとさえ思うほど散らかった床を躊躇なく踏み荒らし、置けるだけ上に物を置いたらしい机の抽斗(ひきだし)から書類を出す。鉛筆で必要事項をさらさらと書いていた包帯の男が顔を上げた。 「名前は?」 「雪村峡多郎です」 「キョータロさんね。幸せに村?雪のほう?」 「雪に村。海峡の峡に多数派の多いに太郎の郎です」  綺麗とは言い難い不安定な薄い字が紙面に刻まれていく。 「アソコの太さと大きさ、どうします?」 「どうします…?」  どうします、とはどういうことだろう。雪村は眉間に皺を寄せる。 「測りたくないから逃げてきたんスよね?自信ないとか」 「自信があるとか、無いとか分からないですけど…」 「じゃあ平均サイズにしておくっスね。8㎝と15㎝でいいスか」  具体的な数字を挙げられて、雪村は俯いてしまう。膝の上に置いた拳を握り直す。 「は、はい」  包帯の男が雪村を見て、目が合うと不思議な色味が消え、刻まれた目尻の皺に惹きつけられた。妙な安堵感に自然と口が開く。 「すごく、苦手な人で。その、一緒にいた先輩…籠原さん…」 「そうなんスか。キョータロさん、生年月日と血液型教えてください。訊き忘れてました」  軽い返事と紙面に注がれた包帯の男の視線。生年月日と血液型を答えると乱雑な英数字が刻まれる。 「27スか。めっちゃ年上じゃないスか」 「気になさらないでください。新人なので…」 「年上後輩スか。絡みづら」  けたけたと笑って包帯の男は男性器に関してだけでも十数個ある項目を埋めていく。平均数値を全て暗記しているらしい。 「なんてね。ちょっと落ち着いちゃってる23とか24歳くらいかと思ってたス」 「ありがとうございます。そういえば、お名前訊いてませんでした。教えていただけますか?」  見入ってしまう瞳と暫く目が合ったままになった。包帯の男との会話のテンポが狂う。 「柿沼。…えっと、ぼくちん20だから、敬語は要らないス」 「柿…沼、」  聞き覚えのあるような、ないような名に雪村の視線が泳ぐ。だが記憶の中に柿沼といわれて浮かぶ人物はいない。頭の中の片隅をまたもや突っつかれるような気分がした。柿沼と名乗った男は口を尖らせて、怪訝な顔をして、どうしたんすか、と問うた。 「いや…なんでもないです…なんでもないよ」 「んでケツよ、ケツ」  かつかつと鉛筆の尻を紙面に叩き付けながら柿沼は雪村の顔を覗き込む。 「はい?」 「神楽常寺様のブツ突っ込むのに、キープするための器具作らなきゃならなくて、これテキトーにするとツラいのキョータロさんなんだよね」 「え?」 「最近キョータロさんの苦手な籠原サンにメロメロっぽいから大丈夫かも知れないっスけど」 「でも俺、そういう部署じゃ、」 「――なくてもやるんスよ。採寸が来てるってことは神楽常寺様がキョータロさんのこと、そういう目で見てるってこと」  柿沼が苦笑しているとインターホンが鳴る。溜息を吐いて柿沼は照明を消してから訪問者の元へ出て行った。  最近入った男を探しているんだが―。いや知らないですね。警備部の方でも厳戒態勢で―。あ、そんな重要人物なんですか。神楽常寺様がたいそうお気に入りらしく―。へぇ、分かりました。何かあったら連絡します。  訪問者と柿沼の会話に心臓の鼓動が速まる。柿沼は神楽常寺に自身を突き出すだろうか。そうでなくても柿沼を巻き込んでしまっている。神楽常寺の前に、どう戻ればいいだろう。扉の閉まる音がして、鍵を掛ける音もする。室内の照明がまた点けられて柿沼が戻ってきた。 「巻き込んで本当にごめんね、柿沼くん。もう戻るから…」  柿沼は、何言ってるんスか、と言わんばかりに肩を竦める。 「今戻っても余計問題になるスよ」  鉛筆を握り直して紙面に数字を書いていく。ふざけたが色が消え、わずかに声が低くなっている。 「お互いどうすれば問題にならないかもう少し考えましょ。それまで匿う覚悟出来てっスから」  懐かしい、と思った。 「それよか早くこの偽造書類終わらせないとっスよ。まだいっぱい項目あるんで」

ともだちにシェアしよう!