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赤と白か黒 7

「煌のせいじゃない」  ぽろぽろとダイヤモンドと見紛う涙を零す籠原をベッドに寝かせ、寄り添いながら頬を撫でる。 「で、でもどこにも、いなくて、おれ、峡ちゃ、っぅぐ」  敷地内の監視カメラのどこにも映っていない。数十分前のデータも解析中らしい。籠原が咽びながら土下座してきた時は何事かと思った。外には逃げていないだろうけれど。 「脅しが足らなかったかもな」  しゃくり上げる籠原の頭を撫で、耳の後ろを柔らかく掻き上げる。左耳に挿し込まれた暗赤色のヘッドギアが軋んだ。 「ごめんなさ、のんさ、ごめっ、おれ、」  煌は宝石で出来ている。そのようなメルヘンなイメージが染み付いて、籠原から滴る涙を拭わずにいられない。 「おれが、峡ちゃんに、う、嘘ついたから、嫌われちゃったんだ、っ」  自身の額を鷲掴んで爪を立てる籠原の腕を振り解いてシーツに優しく置いた。 「ごめんなさ、のんさん、おれに、おれにお仕置きしてください、のんさっ」 「煌。いいんだよ。お前がいれば。怒ってないから。心配もしてない。煌が泣いてるのがちょっと悲しいだけ」  籠原の頭を優しく叩くと染めすぎて傷んでいる赤い毛先が手に刺さって痒い。 「お願いしまっ、峡ちゃんのこと、お仕置きしな、で。おれが、お仕置き、されますか、ら。お願いしッ」  籠原は起き上がって、添い寝する神楽常寺のスラックスに手を掛ける。慣れた手付きでバックルが外される金属の音が淫靡に響いた。 「煌」  呼べば籠原の手は止まる。神楽常寺も上体を起こして、籠原の身体に触れると四つ這いになるよう促した。 「可愛いな、お前は」  額を撫でて、唇にキスをする。切ない目を向けられて、目元にも唇を落とす。 「じゃあお仕置きだね、煌」  パンッと乾いた音がする。その度に籠原は息を呑み、声が鼻から抜けた。下半身を高く上げ、背中をしならせて、顔をシーツに埋める。 「イヤになったら言うんだよ?」  身体を倒して耳元に口を寄せ、猫撫で声でそう言えば、籠原は何度も頷いた。 「峡多郎のどこが好き?」  パンッ、とその間も籠原の臀部に振り落す掌は止めない。最高級の生地で仕立て上げたスラックスが擦り切れて反射している。そろそろ新調する頃かも知れない、と神楽常寺は思った。 「んっ、全部、ですっ」 「だぁめ、答えになってない」  臀部を叩いていた手を止め、スラックスの前を撫でるように揉む。固い感触が疼いている掌に伝わった。 「かっこいいかお、も、きれーな声、も、んぐ、真面目な、とこも、好き、ですッ」 「よく言えました」  スパンキングを再開する。 「でもね、それって、まぁ顔は相変わらずかっこいいけど、昔の話だろう?人間は変わるんだよ。でも煌の可愛さは、昔から変わらないね?」 「峡ちゃんが、峡ちゃんなら、おれも、変わる、からっ、おれ、峡ちゃ、」 「うん。大丈夫、煌は峡多郎が大好きなんだもんな」  赤い顔を耳まで染めて、シーツに顔を埋めたまま籠原は頷いた。かわいい男だと心底思う。 「煌は峡多郎とどんなことがしたい?」  狼、もしくは豹、イヌ科ネコ科の違いはあれど、野性的で肉食動物的な鋭さを纏った大きくしなやかな身体が神楽常寺の前で弱々しく傾く。 「ただ傍に、いて、ほしいけど、」 「けど?」  そろそろ手が疲れてきているのだが、籠原は籠原自身をまだ許していないのだろう。平手を下ろす間隔が開いてきている。 「一緒にご飯、作って、食べ、たり、一緒にお風呂入ったり、したいで、す」  「煌」  自分はこの男を叩けない。神楽常寺は振り上げた手を下ろす。 「もういいよ。お前にとってはこの状況が十分お仕置きなんだもんな」  のんさん?と言って顔を覗き込む籠原の首に両腕を回して強く抱き締める。 「峡ちゃん…」  呟く籠原の唇にまたキスした。 「雪村です、ただいま帰りました」 神楽常寺の自室をノックする。入室の許可が下り、扉を開ける。ベッドの上で籠原を抱き締める神楽常寺の姿は大型犬に甘える幼児のように雪村の目には映った。 「…峡多郎サン、やってくれたね。まぁいいや」 「採寸、やっていただきました。保健部の者に」 「ほぉ?」  片眉を上げて神楽常寺は雪村を窺う。雪村は手にしていた書類を渡した。 「ほぉん」  陰湿な笑みを浮かべて書面に目を通す。 「柿沼…?ほぉ。誰だ」  押されている印鑑の姓を読み上げる。何千人といる従業員を全て覚えているわけではないのだろう。 「医務室で、よく不出来なラップを歌ってる子なんですけど…」  籠原がきょろきょろと目を泳がせて、何か失態を犯した時のような落ち着きのなさを見せ始める。 「煌やオレよりも先に触れたわけだ?いい御身分だな」  記された結果には興味がないらしく、神楽常寺はテーブルに書類を置いた。 「煌はちょっと休んでていいよ。峡多郎、来い」  猫撫で声から鋭く冷たい声へと一瞬にして変わる。籠原が心配するような顔で雪村へ視線を向けたが、それに雪村が気付くことはなかった。  「ご迷惑お掛けしました」  深々と頭を下げる。溜息が聞こえる。 「最高級のチーズを盗み食いしたどぶねずみ一匹見つけられないここの管理体制の甘さがよく分かったよ」  神楽常寺の手が雪村の手首を乱暴に掴み、神楽常寺の自室から連れ出される。何の比喩かは分からなかったが、神楽常寺が怒っているということだけは分かった。もともと我儘で自分本位で軽率な男だ。怒りがこの程度で済んでいるということが雪村にとっては驚きだった。 「申し訳ございません」 「煌が、自分が嘘を吐いたからお前が怒っているのだと思って、ずっと泣いてた。最悪お前にGPSでも着ける覚悟なんだが」 「どうして…私みたいなどぶねずみにそこまでなさるのですか」  神楽常寺が顔を顰めて、は?と訊き返す。神楽常寺の比喩をそのまま引用したつもりだったが、それが癪に障ったのかもしれない。 「何か勘違いしてんな。まぁいいや」  雪村の手首を掴む力が潰すつもりなのかと思うほど強まった。神楽常寺に連れられて、雪村に与えられた部屋の前で立ち止まる。まだ私室は決まっていない。私室棟とは離れている。ここに運び込まれただけの、仮の私室だ。 「煌がお前に言ったのは嘘じゃねぇ。でも主に嘘吐くイケナイ子にはお仕置きが必要なワケよ」  神楽常寺よりも先に扉を開けようとしたが制され、神楽常寺が自らの手で扉を開け、雪村を放り込む。 「でもさっき煌がお前にお仕置きするなら自分が受けるって言い出すもんだから尻叩いたわけ。こんなにも愛されてお前、どうするの。応えてやれる?」  後ろ手に鍵を掛けて、ベッドに誘導される。座って、と言われ雪村はベッドに腰掛ける。不機嫌と怒りを押し殺すように神楽常寺は引き攣った笑みを浮かべているが、声は低い。スラックスのポケットから端末を出して、何か持ってくるように注文している。 「お前だから許すよ。怒っちゃいねぇんだわ。でもな、」 「弁解の余地もございません」 「煌以外にお前を触らせたくなかった」  落胆した声と、両肩を掴む男性にしては小さな手。端末が鳴って神楽常寺自ら扉を開け、届けられた物を受け取る。 「待って、ください」 「何」 「柿沼に何か処罰は下るのでしょうか」  不思議な瞳の色と、愛嬌のある目尻の皺が脳裏を過る。神楽常寺は答えず、ただわずかに首を傾げるだけ。見通したような笑みを浮かべて。 「それが嫌なら、相応の態度はとってもらわないと、ね?」  神楽常寺の唇が雪村の唇に触れた。身体が勝手に神楽常寺を拒んで、押し退けようとする。だがそれも見通されていたらしく、両腕を掴まれる。この男の兄の姿と白い布に覆われたふざけた青年の姿が交互に浮かんで、掴まれた腕は力なく下げられる。  唇をこじ開けられ、入ってくる舌に舌を絡められる。ぴちゃ、という生々しい水音がして、喉がしゃくり上げるような胃が引き攣るような嫌悪感に眼球の奥が熱くなる。  未馬様、お慕い申し上げております…  唇を唇が食み、歯列をなぞって上顎を撫でられる。舌の根本から掬い上げられるように掻き回されて、両耳を塞がれる。湿った音が木霊した。神楽常寺の唾液が甘く喉へ流れていく。唾液交換は相性を測っているのだと、雪村は聞いたことがあった。未馬が、そう言っていた。 お前とのキスはいいな。にかりと笑う姿を見て、一生、この人とキスしていたいと雪村は思った。 「何、考えてる?」  神楽常寺との間に透明な糸で結ばれて、大きく弛み、切れていく。酸素が入り、視界も思考もクリアになると目の前にいたのは求めていた男ではなかった。面影をほんのわずかでも残さない弟がいつになく真剣な眼差しを向けているだけ。かふ、かふと嚥下を繰り返して酸素を吸い込む。後ろへ倒れそうになる雪村を神楽常寺が腕を掴んで抱き留める。記憶を掠め取る香りがした。小さな身体に抱きしめられ、それでも筋肉がしっかりとついた胸板と腕の狭間で呼吸を整える。 「ずっと欲しかった」 「ッ…申し訳、ございません」  固い腕を丁寧に解いて、神楽常寺の胸から抜け出す。 「兄ぴっぴのついででも、お前がオレの世話焼いてくれたの、覚えてんぜ」  力なく神楽常寺は隣に座った。 「私は、仕事ですので、記憶にございません」  あ~あ、と神楽常寺は頭を掻いて雪村の制服に手を掛ける。 「閃い(ピッカンき)たんだけどお前は拒否だの拒絶だのする度に柿沼ってヤツの減給するのはどう?いい案じゃね?」 「それ、は」 「パワハラも辞さねぇよ、お前を抱けるなら」  パワーハラスメントも何も、訴えられる機関など無いも同然で、神楽常寺はそれを分かっている。何が起きても握り潰して揉み消す。そういう家だ。  支給された燕尾服を脱がされ、ホックで閉めるタイプのベストの前も開かれ、ホワイトシャツのボタンをひとつずつ外される。 「素肌にシャツじゃないってところが逆にエロい」  開かれたシャツの下にあるインナーを神楽常寺は掌で撫でる。胸元を揉み込みながら、胸の突起が引っ掛かる度にぞわぞわと背中から淡い痺れが広がっていく。 「支給品の中に、あり、ましたッので…」  着の身着のまま神楽常寺邸へ連れて来られたため、私物はわずか。インナーは制服と下着数着と一緒に支給された物だ。 「別に違反じゃねぇから。少数派なだけで」  胸を撫で回す手を止めることなく神楽常寺は笑った。中途半端に留められたシャツのボタンを外しさらに両端へ開いていくと神楽常寺の笑みが消え、手も止まる。胸倉を掴まれるような体勢で、雪村は力を抜いた。項にシャツの襟が喰い込んで、神楽常寺に体重を預ける。見られた、そう思った。 「何の絵?」  インナーの下、素肌に透ける墨。雪村の身体をゆっくりベッドに下ろして、襟元を捲った。鎖骨の少し下、大胸筋のわずか上に一列、文字と装飾代わりの絵が刻まれている。 「見ないで、ください…」  あまり気分がいいものではなかった。 「消せ、っていったら消す?」  煽られている。月光に照らされた目の前の男の兄と、鉱石と(たが)わない瞳を持つ青年の姿を思い出して、神楽常寺の冗談に答えられなかった。 「別にいいけど。ただ、お前はオレのものになったってことは、忘れんなよ」  スラックスからインナーを抜かれ、鎖骨まで捲り上げられ刺青にキスを落とす。胸を露出する格好が恥ずかしく、下ろしてしまいかったがそれは許されなかった。 「っあ、」 胸を舐められ、腰が浮いた。神楽常寺が嫌な笑みを浮かべている。 「初めてじゃない?それともそういう性癖あるとか?」 「っ…」  疼く胸元を突かれて漏れそうになった声を飲み込む。行き場のなくなった甘い電流を、唇を噛んで喉の奥で殺す。 「んじゃ、今からオレが直々に採寸してやるから」  神楽常寺の目、そのずっと奥をただ見つめるしか出来なかった。ほぼ同じ血と遺伝子で出来ているのにどうして神楽常寺は、雪村の求める相手ではないのだろう。似ていない顔が雪村を見下ろして、鼠を追い詰めた猫になっている。故事成語の鼠を心底羨ましく思う。 「待って、くださ、い」 「何」 「柿沼くんの、ことです、」  寒さで震える。返答次第では逃れられるけれどその後は、もうない。 「あ~、もぉ、分かってる。何もしねぇ。減給もしねぇ。だからおとなしくしててくんね?」  力を抜く。諦めるしかないらしい。身体は寒いが汗が背中で蒸れている気がしてならない。  華奢なガラス細工に触れるような手は最初のうちだけだった。慈しまれるように布製のメジャーを巻かれ、先端と中間の外周サイズ、根本から先端までの長さを測られる。ぼそりと呟かれる数値は、独り言なのかも分からず、羞恥で顔を腕で覆ってしまう。これでは終わらず、次の形態へ進むよう擦られていく。段々と神楽常寺の中の持つ衝動と本能に任せたものへと変わっていく。 「待って、待ってくださ、」  上体を一度起こして、ベルトを締めたままのスラックスのファスナー部分から露出された自身を見た。天井を向いている。神楽常寺が自らの手でそうさせた。内容や精神性が伴わなくても、甘い刺激だけで反応を示してしまう身体を憎く思った。 「何」  上体を起こす体勢がきつくなり、またベッドへ背を預ける。神楽常寺がわずかに五月蠅そうなカオをして完全に形を成してしまった雪村のものから手を放す。 「自分で、やります、から…」 「お前が自分でやってるとこ見るのは万々歳だけど、今やってるのは採寸な。勘違いすんなよ」  熱を持ち、吐精を待ち望むそれに神楽常寺の細い指に絡められた布製のメジャーが巻かれる。じれったいむず痒さと擽ったさに身を捩る。無意識に腰が浮いて、メジャーに擦り付けてしまう。神楽常寺は揶揄することはなかったが、冷ややかな目で雪村を見た。 「かっぐ、ら、じょ…ッ」  先端部にメジャーが触れ、びくびくっと身体が震えた。果てそうで、果てられない。刺激が足らない。神楽常寺の冷たい揶揄に満ちた眼差しが手枷となって、自らが触れることを許さない。 「――センチ…?申告と違うから、直しておくな?」 「ぁっ、」  耳元で囁かれ、ついでとばかりに耳朶を甘噛みされる。神楽常寺の舌先が耳朶を弄び、湿った音が鼓膜を犯す。 「あっ…あ、はぁッ」  ベルトのバックルを外す音と衣擦れの音、それからホックを外される感触がして、スラックスを下げられる。神楽常寺が視界から消え、ボトルを持ってまた現れる。粘り気を帯びた透明なものが下半身へと注がれ、下着の狭間から露出させた雪村のそれが受けとめ、滴っていく。冷たさも熱さもないが、重力にしたがって茎を伝っていく感覚も足らない刺激となってしまい、腰が揺れる。神楽常寺が嫌味な笑みを浮かべて、目の前の生きたおもちゃへと手を伸ばす。掌とそれの間にある水分で滑りがよくなり、容赦なく雪村を責めたてた。ぐちゃぐちゃと聴覚も神楽常寺へ味方する。 「あ、あ、もっ、あ、…!」  腰が浮く。眉根に力が入った。解放に向かう一歩手前で、神楽常寺は手を放す。 「下着、脱がすぞ」  神楽常寺はいつになく真面目だ。雪村を前にしたときのような剽軽さもなくなり、事務的なことをやっているのにお前何感じてんの?と言わんばかりに雪村に構うことなく、雪村の下着を下ろす。途中でまだ硬度を保ったまま放置されているものに引っ掛かり、痛みに呻く。 「何、をっ」  再びボトルが逆様になり、下半身が濡れていく。神楽常寺がゴム手袋を嵌めはじめ、パチン、と手首をゴム手袋の口で叩く。 「今日は直接じゃなくて悪ぃな?」  体勢を変えられ、四つ這いにされる。だが力が入らない。腿を掴まれ、下半身だけでも突き上げさせられる。 「ぅぁ、あっああっ、いやっ…」  神楽常寺が相手をしていたものはまだ立ち上がったまま。次の相手はその近く、だが窄まった粘膜。ローションを塗りたくり、(ひだ)のひとつひとつを伸ばすように指が撫でている。 「かぐ、ら、いや…!あっ」  侵入(はい)ってきている。指を突き立てられ、頭を振る。神楽常寺も目を見開いていた。人差指に加え、中指も入っていく。神楽常寺の眉間に寄せられた皺も増える。 「抜いて、抜いてくださっ…!」  雪村が暴れだす。 「んあっ、あああっ」  指が抜かれ、質量も質感も違う物が流れに任せたまま入ってくると、首が仰け反る。腹に向かって反っていたものも白い粘液を緩やかに吐き出してシーツに零れていく。 「トコロテンか」  揶揄というよりも悩ましげな神楽常寺の声。だがそれに気が付くこともできなかった。目の前がフラッシュし、肩で息を吐く。何を挿入されているのかも分からない。神楽常寺は真横にいる。 「あ、いや、あぐっ、はぁ、ぅんっあ、」  押されている。挿入されているものをさらに押されている。内臓が圧迫され、下腹部が重い。 「終わった」  冷えた声がする。びくびくと肩を震えさせて雪村はそのまま倒れた。下半身の先からまだ白い液体が溢れ、シーツを汚す。さらさら、っと鉛筆が紙面を擦る音は何とか聞き分けられたが、それ以外は耳鳴りのように雑音が混じっている。  峡多。  熱い息を吐いて未馬が雪村をベッドに押し付ける。火照った顔と汗ばんだ額。変な熱を持った指先と、潤んだ瞳。未馬がよくいる、月の光が挿し込む窓の下。  オレはお前じゃなきゃ、嫌、だ。  月光に照らされる必死な顔。消え入りそうな輪郭。死んでもいいと思った。人生に於いて、もう望むものはないような。未馬が雪村の唇を塞いで、2人の境界が擦り切れて溶け合うのではないかというほど抱き締め合って。  峡多、ずっと一緒に…。  未馬との仲を疑う者はいなかったはずだ。そして引き裂こうとする者も。  峡多…、だから、ほんの少し。  下唇を吸われてから何度も触れるだけのキスを落として、未馬は優しく微笑んだ。  ほんの少しだけ、野兎(のうと)のところで、我慢、出来るか?  未馬も逆らえない偉い人々の話し合いで、そう決まったのだそうだ。未馬の弟が、未馬の懐刀を欲しがっていると。  未馬様…。  つらかったら逃げてこい。  未馬のほうがつらそうに思えて、頬に触れる。首に腕を回して雪村から唇を奪う。 お前となら、オレは。  これ以上、どうすれば2人で快感を求められるのかも分からなかった。もしまだ残された快感があるのなら、その時おそらく、生きていられない。お互い抱き合って、触れ合って、一夜が数秒で明けてしまいそうで。未馬の瞳から落ちる涙を捉えることはできなかったが、月がその跡を照らしていた。  未馬様が、月に連れて行かれそうで、怖いのです。  濃い影に呑まれながらも、真っ白く輪郭を消す未馬の目元を親指で拭えば壊れるほど強く抱き締め、息もできないキスをされた。  峡多、  目が開く。シーツや枕とは違う後頭部の感覚。少し固い。 「峡ちゃん」  視界に入った顔、不本意ながら聞き慣れた声にぎょっとして飛び起きる。身体からはらりと掛けられていたらしい布が落ちた。 「大丈夫ですか?」  籠原だ。制服ではなくゆったりとした格好をしている。雪村はバスローブだけ巻かれている。 「あ、えっと…」  どういう状況なのかが分からない。神楽常寺はどこへ。そして何故籠原がいるのか。 「採寸、終わりましたので。シーツを替えようと思ったのですが、起こすのもなぁって思って、すみませんがそのままです。制服は洗わせていただいてます」  見た目に似合わない穏やかな口調でそう説明し、雪村は籠原から少し離れてベッドに腰を下ろす。わずかに下腹部が痛む。 「夜伽部は、ああいうことがあるのですね」  胸の内に蠢く鈍りのようなものを取り除きたくなって、雪村は口を開く。 「はい。慣れちゃえばどうってことはないんですけど。大変でしたか?」  本当に何ともないように籠原は答えた。籠原は最初からこういった部署に入ることが決まっていた。それはもう幼いうちから。まだ雪村がここを平然と出入りしている頃から。雪村が様々な指導を籠原にしている頃からその傍らでこういったことがなされていた。知らなかった。内容は漠然と分かってはいたが、心身ともにつらいものだとは思わなかった。誰かに負い目があるからだろうか。それさえなければ、肉体的にも気持ちが良いのだと割り切れるのだろうか。 ――おれ、峡ちゃんがいるから頑張ったんです  大変です、つらいです、とは答えられなかった。籠原を気遣ったわけではない。意地を張ったわけでもない。 「おれ、そろそろ戻りますね。コールしていただければ晩御飯も運びますから。ゆっくりおやすみください」  未馬の元を去ってその弟の元への移籍が決まる寸前まで、籠原も未馬の元にいた。誰に可愛がられるのかも分からない、その意味も内容も分からない小さな少年だった。今の雪村の腰までくらいの背丈で。

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