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君の絵にはアオが足りない 1
異星人攻め/攻めが卵吐く/触手
目の前を、呑気な色合いの光彩 グラスに似た翅がひらひらと羽ばたいていた。手入れされた花が並べられた住宅街裏の河川に沿った遊歩道で、その虫は頻りに草花に留まっては飛び立った。まるで道案内をするように。綺麗に咲いた花々とその翅を持つ虫に引けをとらないほどの容貌をした青年、五泉 ・エグマリヌ=ヴァルゴ・姫乙女 は持ち前の運動神経と動体視力で視界を舞うそれを両手で潰した。長く細い脚がまだ動き、粉が掌に付いていた。左右対照に生えていた翅は歪み、中心の体は破裂していた。イツミは目的も予定も忘れ、長いこと手の中の死骸を眺めた。それから鳳 蝶が留まっていた花に横たえた。
家に帰り、両親と妹との4人で食卓を囲んだ。父は浮気をしている。妹は両親に心を閉ざし、母は通貨証拠金取引にのめり込んでいた。会話はないが互いが互いに何も気付かない振りをして卓に集まり、飯を食う。ある日、出掛ける父をイツミは追った。とうとう妹が痺れを切らし、父親を尾行していたからだった。イツミは彼女に帰るよう促し、代わりに後を付けた。そこは安いアパートで、とにかく薄汚れ荒れた感じがあった。
イツミには妙な力があった。まるで空を駆け回る鳥のように、壁や天井を擦り抜けて俯瞰した視点でものをみることができた。大きなベッドがあるだけで雑誌やゴミで散らかり放題のワンルームで、裸の父親の上に、まだ少年の匂いを濃く残す浅黒い青年が乗っていた。彼もまた全裸で、鍛えられた筋肉が上下に揺れていた。
部屋番号を押さえ、イツミは改めて訪問する。出てきたのは父親に突き上げられていたあの青年で間違いなかった。父と浮気をするのを止めるよう迫ると、彼は渋りながらも申し訳なさそうに了承した。
それから数週間経ち、イツミはぷらぷらとあてもなく散歩をしていた。河原を抜け、住宅街に入る。昔から代々受け継がれてきた家屋はイツミの住む区画と違い古めかしく建築の歴史を感じられた。しかし一軒の家が風情を台無しにした。人集りができ、怒号が飛んでいた。長閑 な地に感情の吹き溜りができている。イツミは人団子の中を覗いた。何者かが蹴られている。もっと細部まで見澄ました。父親の浮気相手がアスファルトにぐったりと横になっていた。イツミは暫くそれを眺めていた。蟻が死骸を運ぶように、父親の浮気相手は引き摺られていく。文字通り、アスファルトに投げ出した脚や尻を擦られ、どこかに連れて行かれるようだった。集団で獲物を引き摺る彼等の内側をイツミはまた覗いた。激しい怒り、愉悦、好奇、優越感。それが蒸し殺すように、イツミの父親の浮気相手ひとりを矛先にしていた。
父親の浮気相手の青年はすぐ近くの河原まで引き摺られ、後ろから羽交い締めにされたかと思うと腹に蹴りを入れられたり、四肢を取られ、関節を可動域の反対側へ曲げるよう力を加えられたりしていた。彼に意識はなく、顔は腫れ上がっている。イツミは土手からそれを見下ろしていた。嘔吐や痙攣を繰り返し、本当に動かなくなった父親の浮気相手は川に放り込まれた。先日の雨による濁流の前に、浮気相手は小さなものだった。目の前をひらひらと能天気な色味のステンドグラスを真似た翅が舞う。両手の中にまだ潰した死骸があるような気がした。空が閃いた。一筋の光が濁流の中に射す。イツミは空を見上げていた。立っていられないほどの地震が起き、天空からミサイルが降り注ぐ。父親の浮気相手は連れ去られていく。すぐ傍を飛ぶ鳳蝶も球体の中に閉じ込めて連れて行った。
◇
多面的な生態系を持つ惑星・蒼玉はほぼ壊滅した。持って帰ってきてしまった青年を蘇生すると、故郷に母親を残してきたことについて喚かれ、イツミの直接ではないが、上官が救助に向かった。青年はイツミが蒼玉から持ち帰ったアゲハチョウばかり眺め、イツミを警戒した。頭の中を覗く。要約すると、この青年の兄が罪を犯し、そのために義憤に駆られた者たちから暴行を受けていたらしかった。蒼玉の爆撃命令とともに消去されたイツミの父親のことは覚えていたようだが彼本人のことは知らないようだった。頭の中を視ている姿にも怯え、青年の大きな目が細まると、翅虫を潰した時に似た衝動が湧き起こった。この蒼玉内生命体の青年はやがて亡星の記憶を消され、居住型惑星・艦玉グランシャリオの地に放たれた。彼の母親もすでに拾い終わっていたらしいが、記憶の操作の手違いによってこの親子は互いに互いを忘れてしまった。
全壊した蒼玉に新たな開発事業が持ち上がり、イツミは整備のために有人機動兵器・アークトゥルスに乗る必要があった。彼に充てられたのは2号機だった。制御には激しく気力と体力を消耗し、蒼玉から帰ってくる頃には集中と疲労の反動から興奮状態に陥っていた。そのためにコックピットに入るためのブリッジには床業個体が待ち構え、帰着とともに機内で発散していた。コックピットのドアを開けるといつもどおりに床業個体が待っていた。これというこだわりもなく欲を発散できる相手ならば容姿も性別も問わなかった。イツミの尾 骨の辺りから複数本の触手が伸び、床業個体に向かった。しかし床業個体は触手を伸ばさなかった。
「ごめん。オレ、触手、無くて…」
聞き覚えのある声にイツミは顔を上げた。ひとつダウンライトが点いているだけのコックピットをブラウンの瞳が窺った。疑問を呈した暗号を受け取る素振りもない。何より相手には受信器も生えている様子がなかった。そして彼からも何も発信されていない。
「あ…えっと…、口にしないと、言葉も、分かんなくて……」
声からしても蒼玉で現地民として暮らしていた時の父親の浮気相手で間違いなかった。名前は湖詩 ・セレステ=アクエリアス・水鼈 といっていたが、このグランシャリオでも同じ名を使っているらしかった。
「コータセレステ」
イツミは彼を呼んだ。発声器はほぼ退化し、ひどく不安定だった。音波の届かない相手には発声器による意思疎通を図ることはそう少ないものではなかったが、イツミはあまり話す気質ではなかった。送受器による意思疎通であっても積極的ではなかった。呼ばれたコータセレステはブラウンの瞳を泳がせる。蒼玉に暮らしていた時代のことは忘れていても、肉体の造りは蒼玉内生命体と変わらず、グランシャリオ内生命体もまた送受器や口接尾などの有無という差異はあれど、容貌や機能は大して変わりがなかった。そのために蒼玉の監査は他惑星と比べても難易度が低かった。
「お兄さんかっこいいから、チェンジしないでくれるとありがたいなぁ…なんて」
コータセレステの唇が動き、イツミは口接尾という触手をそこに伸ばしていた。本来ならば触手と触手の先端を繋げ、絡ませながら分泌液を塗り込み合うはずだった。生温かい口腔を触手の先端が暴れ回った。イツミは慌てて尾を引いた。艦玉内生命体同士の行為のように、触手の先には相手の体液が光っていた。翅虫を潰した時に、掌を汚した汁を思い出す。腹の奥が疼いた。
分泌液交換もできずにイツミはコータセレステの腕を引き、操舵席に投げ付けた。
「ちょっ、!」
転倒しかけたが彼は手を付いて振り返った。触手が宙に揺れ、床人の手足を縛り、欲を発散させやすい体勢を作らせる。
「名前、教えてください。呼びたいし…」
相手は少し怯えたような焦った様子で訊ねた。イツミは癖で発信器で名を教えていたが、丸いブラウンの瞳の反応の無さから失敗に気付く。
「五泉 」
「ありがと、イツミさん」
引き攣った表情をする彼の四肢を押さえた触手の余りが衣服を剥ぎ取っていく。いつもと違う段取りと訳の分からない感覚と発散したい欲にイツミは珍しく落ち着きがなかった。
「あの、さ…」
浅黒い肌とつるりとした尻、その中心に蒼玉内生命体の排泄孔があった。イツミは触手の核である交接器を取り出した。薄膜を被せる様をみてコータセレステは何か言いたげだった。イツミはやはり習慣から受信器の意識を研ぎ澄ませた。しかし何も伝わらない。
「あ…えっと、声出ちゃったら、ごめん…」
蒼玉人の、艦玉個体との交接にはそぐわない小さな孔にイツミは薄膜を容赦なく触手核 を突き入れた。
「あ、ぐ……っぁ、」
コータセレステは絡み付く触手を引っ張り指を噛んだ。イツミはまったく予想もしなかった狭さに驚き、触手核を抜いた。最も太さのある先端部が硬く閉じた皺蓋に引っ掛かる。コータセレステは喉に物を詰まらせたような声を上げた。透視 しようとしたが、蒼玉人に擬態していなければ、蒼玉人の頭の中を覗くことは困難だった。意思疎通が言葉でしか図れない相手にイツミの発散欲は途端に弱まった。触手核は他者の繁殖液を求めていたが、蒼玉人にはその機能がないようだった。
「出したい」
腹の奥から卵が吐き出そうだった。艦玉人は周期的に腹の中に卵が作られ、他者と交接し、触手核を揉まれなければ吐き出せなかった。
コータセレステは肩で息をしながら、拘束する触手を引っ張り自身の尻たぶを持ち上げた。赤みを帯びた蒼玉人の排泄孔が蠢いている。
「慣らしますから…」
「いい。チェンジする」
「…ごめんなさい」
腰から伸びる9本の触手は、蒼玉でみた花が開くようにコータセレステを放した。まず艦玉グランシャリオで見られないブラウンの瞳が泳ぐ。追い払うように使えない床人を帰らせ、イツミはダウンライトのみのコックピットに残った。触手核は別個体の繁殖液を求めている。艦玉人は生産孔に突き入れて、触手核から放出した自身の生殖液と混ざり、再び吸収した混合液を腹の中の卵と結合させた後、口から吐く。これが蒼玉人との違いだった。蒼玉人は艦玉個体とは反対に、触手核を受け入れた側が受け入れた生産孔から胚子 を出す。元々の機能に大きな差があった。何故蒼玉人の床業を派遣したのか。イツミはコックピットから管理センターにいるパイロット監督責任者へ内線を掛け、艦玉個体の床業を寄越せと音波を送る。触手核はだらしなく繁殖液を垂らし、ダウンライトに濡れていた。蒼玉で暮らしていた時のように自らの手で触手核を騙す。先端部の窪みから粘度の高い液体が噴き上げ、イツミはティッシュで拭き取った。壊す前の蒼玉から奪取してきたものだけに価値が高く、あまり多くは使えなかった。艦玉の蒼玉を模した木々では上手く育たず、持ち帰った苗木も枯れてしまった。それでも2枚ほどは必要で、多量の繁殖液を処理した。交接の叶わなかった身体は燻り、しかし発散を終え、気怠さと目的のない焦燥に支配され、落ち着きなく操舵席に凭れかかった。消したはずのモニターが集中管理によって点けられた。オペレーターが映る。
『メンテナンスのお時間です』
卵生ではないオペレーターにも送受器は備わっていなかった。事務的な用件を告げ、メッセージの再生と承諾ボタンがモニターに表示される。承諾ボタンを押すと管理センターの操作でコックピットの分厚い装甲が開いた。
イツミは艦玉グランシャリオに格納され、有人機動兵器アークトゥルスを格納している浮遊艦ブルペキュラの中に居を構えていた。移動しない住まいも、蒼玉の山里を模した区画に一軒持っていたがほとんど帰った試しがなく、世話する者もいなかった。出動命令のない日もイツミはブルペキュラの居室に籠もっていた。床業個体を呼んで繁殖衝動を発散するか、ぼんやりしているか、蒼玉から戻ってきてからは土産にした翅虫を眺めるかでその日その日を過ごしていた。床人と繁殖の真似事をする気分でもなく、特殊なカプセルの中で翅を開閉させている影絵のような虫を眺めるていると、艦内アナウンスによってアークトゥルス4号機ハーシェルの機動テストを行うため多少揺れについて喚起された。暇潰しにドックに顔を出すと、ブリッジにあの蒼玉人が立っていた。イツミの知る限り蒼玉人はこの艦玉に2人しか存在していない。そしてその1人は床人でこのドックに来たことがある。イツミの他のパイロットに派遣されたのかも知れなかった。2人いる蒼玉人の片方であり、もう1人の蒼玉人の子であるコータセレステは、イツミの直属ではないものの上官にあたる池秋 ・プルシアン=ジェミニ・珠川(たまがわ)とともにいた。彼がこれから機動テストを受けるパイロットで、壊れた蒼玉からコータセレステの母親を連れ帰った者だった。背が高く、筋肉質で、優秀な繁殖液を持っていることが一目で分かる容貌をしていた。音波も非常に受け取りやすい波長をしている。ジェミニ珠川は送受器を持たない蒼玉人コータセレステに発声器 を使って意思疎通 していた。コータセレステは首の骨を忙しなく動かし、頭が上下に揺れていた。
「頑張ってください。オレ、応援してますから」
蒼玉ではイツミの父親役の浮気相手をしていた横顔とブラウンの瞳はジェミニ珠川だけを見つめ、艦玉人ならばそのままレーザー光線を撃ちかねなかった。しかしイツミは身を以て体験しているが蒼玉人の肉体ではどうやっても瞳孔からレーザー光線を放つことは出来なかった。蒼玉人は異星人から襲われたことがないようだった。艦玉個体だったなら、レーザー光線を立派に放てないような者は繁殖相手として劣り、欠陥があるといえた。
「ありがとう、セレステ。君にそんなふうに言われたら、手を抜くわけにはいかないな」
初めて聞いたジェミニ珠川の安定し発し慣れているらしき低い声と、大きな掌をコータセレステはそれが当然の文化や習慣とばかりに受けていた。イツミは蒼玉で翅虫を潰したことをまた繰り返したくなった。しかしこの艦玉にあの翅虫は存在せず、カプセルの中の翅虫を潰すのは自身が吐いた卵を破壊するより惜しかった。コータセレステはジェミニ珠川が4号機のコックピットに入るまでレーザー光線を撃ちそうなほどブラウンの瞳で彼を狙っていた。やがてコックピットの装甲が閉じるとコータセレステはイツミに気付いた。ブラウンの瞳がやっとレーザー光線射出の態勢を緩める。
「イツミさん…でしたっけ?この前は…」
「別にいい」
蒼玉人相手に艦玉個体のやり方しかできなかった自身をイツミは恥じた。ばつが悪い。4号機を観るためにコータセレステのほうへ近寄ったが、距離を空けてブリッジの手摺りに肘をついた。異星人と違い比較的穏和な蒼玉人はその体質から思考を覗いたり、目からレーザー光線を撃ち込んだり、刃のある尾で膾切りにしたり、体内の臓器や体液を一滴残らず吸い上げたりすることはないはずだったが、それでもイツミは警戒した。
「イツミさんも、この機械、運転するんですよね?」
一度発信器から返事をしたが、ブラウンの瞳は瞬くだけだった。
「ああ」
蒼玉人はおそらく操縦できないだろう。それがイツミの見解だった。根拠はない。送受器認証を多少変更すれば或いは蒼玉人もパイロットになれたかも知れないが、艦玉に2人しか存在せず、適正検査も受けていない者たちのために仕様変更する必要性も今のところ特になかった。
「かっこいいなぁ」
コータセレステは装甲と装甲、部品と部品の間の溝が発光しはじめたアークトゥルス4号機にブラウンの瞳を移し、小さく呟いた。まるでコックピットにいるジェミニ珠川へ、不可視光線でも放たんばかりの眼差しをしていた。翅虫を潰した時の手叩きの感覚が突然蘇った。
「今度乗せてやる」
「え、」
コータセレステは4号機から目を逸らした。イツミも彼を見ていた。艦玉人ではない色の双眸と、艦玉個体の青い眸子がかち合った。発声器を使った意思疎通は嫌でも自分の声を聞く。己の口にしたことが信じられなかった。
「いや…」
「ホントですか?楽しみにしていいんですか?」
コータセレステは白い歯と赤い口腔を見せた。退化した牙が見えたが異星人ほど鋭くもなく大きくもなかった。蒼玉人は容貌も然 ることながら、仕草までも醜かった。口の中を見せるなど、卑猥極まりないことを平然とやってのける。蒼玉人を装うための訓練は羞恥を伴ったものだった。
「イツミさん、怒ってるものだとばかり思ったから…嬉しい。次こそは、ちゃんとやりますから」
またコータセレステは白い歯と赤い口腔を見せ、言語ではない声を出した。自身の失態よりも恥ずかしくなった。送受器を持たず、主に声帯を使う蒼玉ではよくあることだ。しかしイツミはまた、文明の違いによる羞恥を煽られる。それでいてコータセレステは自分が蒼玉人であるという記憶さえないらしかった。つまり彼は音波送受も出来ず、触手もなく、卵を吐かず、瞳孔から光線を放つこともできない艦玉人の不具者として生きている。
「アンタはもう呼ばれない…だから、」
イツミが話している途中で、4号機は巨大な掌をブリッジの手摺りのない箇所に添えた。コータセレステのすぐ傍だった。彼は狼狽える。誤作動で肘に位置する関節が裏返り間違って指相当の装甲が開くことはない。意図を持っている操作だった。
「乗れと」
「え……でも、」
「あの個体 、操縦上手いから落ちない。多分」
コータセレステはおそるおそる一歩を踏み出した。もう片方ある装甲が華奢で容易に体液を破裂させる蒼玉人を、翅虫のように潰しそうな気がしてイツミは一度コータセレステを引き寄せてしまった。触手がその腰に巻き付き、イツミの傍に戻される。蒼玉人は背丈 の2倍以上のところから落ちると大体破裂か破損した。自己再生もせず、液状化反射も起きない。破裂したままだ。蒼玉で目にした。
「な、何?」
「いや…」
巻き付いた触手は彼を放した。イツミの
触手はまだ宙に留まり、コータセレステを狙う。蒼玉人の中では引き締まり、筋肉が付いている。父親役の上で懸命に腰を振っていた。それが仮想 のようだった。
「落ちるな」
今、もしあの翅虫の死骸のような様を見たら触手という触手が疼き、触手核が隠せないほど膨らんでしまいそうだった。イツミは他個体と比較しても繁殖欲が強いことを自覚していた。体内の卵が迫り上がる。別個体の分泌液を求めている。
「うん」
異星では父役の浮気相手だった成個体をの手を支えると機体の掌は彼に合わせるように高さを調整した。艦玉個体よりも荒さのある体表に触る必要がなくなった。イツミは手を離した。それでも触手は波を打ち、コータセレステに伸びようとしていた。彼は掌に乗り、姿勢を低くしていた。蒼玉人は触手がないためにバランス感覚があまり発達していないらしかった。
「ありがと」
細められたブラウンの瞳に見下ろされ、蒼玉でみた太陽、艦玉でいう陽玉のようにコータセレステを見上げた。翅虫が舞うようだった。両手で潰すと同時に彼を乗せた巨大な装甲の掌は持ち上がった。触手も伸びた。何も掴めず、何も潰せはしない。翅虫は瞬間的な圧迫から逃れていた。掌に残った痒みをみる。触手核がむくりと腹の奥で主張を始めた。アナウンスが流れ、ブリッジが動き、4号機の通る道を作る。振動とともに4号機ハーシェルは足を踏み出した。ブリッジが揺れる。数歩進み、車輪によって後退する。コータセレステはイツミに手を振って飛び跳ねる。歯を見せ、笑っている。それが蒼玉人的で、艦玉では非常に恥ずかしいことだった。コータセレステといるのは侮辱されたような心地になった。イツミはドックに背を向ける。床業個体を呼んで自室に戻った。床業個体が来るまで翅虫の入ったカプセルを熱心に眺める。このカプセルは誤ってレーザー光線を出してしまっても中身に影響が出ない捕獲用カプセルで、蒼玉から資源を調達するために開発されたものだった。虫は翅を開閉させる。その様を観察していたはずが、コータセレステに見せられた口の中が頭から離れなかった。股裏から体外に露出した触手核は繁殖可能な個体の主張、繁殖可能な態勢として晒すことはあっても、体内を晒すなど卑猥なことで、床業個体ですらも生産孔の内部は別個体に見せない。卵を吐くときであっても口内を見せないのが常識だった。それをコータセレステは何の屈託もなく晒した。蒼玉人でいう喜びとともに。衝撃的だった。あの蒼玉人は知らず知らずのうちに誰彼構わず破滅的な繁殖行為を求めている。ジェミニ珠川はすでに配偶個体がいたはずで、養個体 もいる。蒼玉の文化と違い特に問題はなかったが、個体増殖の抑制のため査問会議によってどちらかの繁殖器官が摘出され、再生もできなくなる。この繁殖器官がなければやがて送受器が衰え、液状化反射からの自己再生も起こりづらくなり、意思疎通も図れなくなる。しかし蒼玉人はどうなるのだろう?
破廉恥極まりない蒼玉人の末路を考察 して触手核がはち切れんばかりに膨らんだ。床業個体がやって来る。卵廃棄箱 ばかりが入ったダストボックスを取り替える。
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