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雨上がりのパチョリ 3
待てども客は来なかった。隣室の菊ノ一文字の客の連れで、遅れてくるとは聞いていたがそれにしても遅かった。来ないかも知れない。ナカソネは半ば高を括っていた。廊下に控えている見習を中に入れた。雨ノ羅列は下半身がまだ痛んでいるようでぎこちない座り方にぎこちない立ち方、歩き方をするため彼女は楽にしているよう言った。
「霧ノ二文字の方様…」
書院甲板に頬杖をついて円窓の奥の空を見ていたナカソネは呻くような声のほうを向いた。仰向けになって脚を開いている。話し始めたのは彼のくせ、目が合うと狼狽え姿勢を正そうとする。それを制した。陰部が痛まないような体勢は無礼なほど滑稽で、彼は逆さまに見上げたまま喋る。
「菊ノ一文字様のことなのですけれど…」
相槌もうたず返事もしないでナカソネは瞬きする。
「おかしなことを、ご相談しますが…………あの方にいじめられました……」
「兄貴に?」
表情には出なかったが耳を疑った。人当たりの好い穏やかな義兄が、見習をいじめるなど。雨ノ羅列は少し怯えた。
「いつ…」
「診療センターに付き添ってくださったときです。その…」
彼は起き上がり、スカートを捲った。腿に虫刺されに似た小さな薄紅のシミが浮かんでいる。
「何をされた?」
「抓られました。あと、お尻と…それからここも打たれて…」
まだ幼さの残る指がスカートのプリーツを撓 らせる膨らみを差した。
「なるほど。普段の兄貴の品行からして信じがたいが…嘘ではあるまい?本人に訊いてみて真 ならば改めを乞おう。それで良いか?」
雨ノ羅列の大きな目が惑う。
「菊ノ一文字様ご本人にはおっしゃらないでくださいまし!」
あどけない手がナカソネの腕を慌てて掴んだ。診療センターから戻ってきて早々に懐かれたことがふと脳裏を掠めた。陰部の苛烈な痛みによるものかと思っていた。
「ではどうしたい」
「2人きりになりたくないのでございます…」
「分かった。努めよう」
「わたくしめの言 を信じてくださるのですか」
舌ったらずに彼は言った。ナカソネは緊張した面持ちの少年から目を逸らした。
「まったく信じないわけではない。想像は、しづらいが」
雨ノ羅列は頭を下げた。それを特に観察するでもなく視界に留めていた。世間的に評価の高い人物の悪評を敢えて近しい者に相談するのは賭博に似ている。信用されているか、もしくは侮られているかだ。不思議と前者である確信が彼女にはあった。仮に後者だとしても特に思うところはない。
ナカソネはまた書院甲板に頬杖をついていた。霧の間は殺風景で、布団と塵芥箱、ティッシュという各部屋の備品以外には菓子を置くための高坏 と、店で一目見て欲しくなってしまった狸を模したお手玉が飾られているくらいだった。同じ物を雨ノ羅列も持っている。狸か狐かを迷い、両方買って彼に選ばせ、選んだほうを贈った。円窓のほかに見るものはそれくらいしかない。布で作られた狸は天井を真っ直ぐ凝視している。いつまで経っても客は来ない。うっかり知り合いの唖者のように行列の前を横切り、死んだのかも知れない。時計が予約されていた時間の終わりを告げる。気怠げに立ち上がると陰部の痛みを堪えていた少年も立とうとした。気拙げな表情と目が合ってしまう。
「こういうこともある」
化粧も着替えも意味を成さなかった。
「オーナーのところに行く」
「わたくしめもご同行します!」
仕事終わりにオーナーへ客の様子などを報告する必要があった。ついでに、というよりかは報告は建前で主にオーナー・キサラギの排乳が目的だった。人の顔を見れば胸を濡らす。ナカソネたち従業員の戯夫も誰の固定客であろうが店内で客を見れば勃たせろと教わった。勃ってしまえば、そこに欲が伴う必要はなく、むしろ欲熱を持って客を抱いたことはない。おそらく菊ノ一文字もそうだろう。ある客を除いて。陰気で根暗な感じのある鈍臭そうで湿っぽい、滅々として鬱屈していそうな中年の男性客だ。彼は吃 ったり躊躇しながら半端な態度でナカソネに声を掛けたり、寒々しく物憂いに満ちつつも媚び顔色を窺い胡麻を擂るような眼差しを向けてくる。ナカソネは菊ノ一文字が気に入っているあの中年の男性客に嫌悪を催していた。顔には出さないどころかむしろ表情の乏しさ、寡黙さが売りでもあったため、対応は相変わらずだったが馴染みの客に接するよりも素気無かった。
オーナーに報告すると、労いの言葉を掛けられ授乳される任のある雨ノ羅列を待った。オーナー・キサラギはこの少年を特に気に入っていた。ナカソネは少し離れた椅子に座り、大きな乳飲児をあやす親の姿を眺めていた。彼女は親を知らない。物心ついた頃から独りで、そこをオーナー夫斎 に拾われた。
「お薬飲んで……眠くなってない?寝ていいよ…」
目を眇め、静かな声で彼は腕の中の嬰児を鼓動に合わせてオーナーは揺らす。ナカソネは近くのテーブルに頬杖をついて暇げにしていた。
「お霧も飲む?」
「いいえ」
しかし溺れるようにしながら雨ノ羅列は顔を上げた。
「も…お腹いっぱいで、無理です。無理れすぅ……」
「じゃあ、おいで、お霧」
まだ飲まれていないほうの乳頭に導かれ、ナカソネは小さなそこを咥えた。吸う前から乳汁が口内に広がった。
「お客様は来なかったんだろう?ついでに抜いてあげようか?」
「要りません」
口を離した途端に顔面に父汁が飛んだ。興奮した客に顔面で射精された時に似ている。
「そう。お腹いっぱい、飲むんだよ」
舌で乳暈を柔く揉む。下から見たオーナーは恍惚とした目でどこか遠くを凝視していた。音を絡ませた息が鼻から抜けている。
「あのお客様は……僕もよく知らなくてね…ぁっ………んん、付き添い人にいきなりお霧を指名するなんて、すごいよね」
加糖煉乳 臭い柔らかな綿紗に顔に飛び散った乳汁を拭われる。
【未完】
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