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3.殿の覚えめでたき者に

 尻の間になにかがはさまっている気がする。  康頼は、ややガニ股ぎみに廊下を進み、玄関へ出た。朝食の後に外へ出ようと、為明から手紙が届いたのだ。  体の具合としては休んでいたかったのだが、断ることなどできやしない。国のために、為明に気に入られなければ。  気負う康頼の鼻に、優艶な香りが触れた。それを追って顔を向けると、おだやかに口許をしならせている義朝がいた。 「おはよう、康頼」 「おはようございまする」  深々と頭を下げると、クスクスと笑われた。 「そんなに、かしこまらなくてもいいよ。私と康頼はおなじ立場なんだから。それとも、私と友になるのは気が進まないかな?」 「いえ、そのようなことは」 「よかった」  花がほころぶとは、こういうことを示すのだなと、康頼はあでやかに広がった義朝の笑みに見惚れた。ぽうっと頬が熱くなり、気恥ずかしくなって目をそらす。 (義朝殿は競う相手であるのに)  格の違いを見せつけられた気にもなり、唇を引き結んだ。 「さあ、康頼」  さきに階を下りた義朝に手を差し出されて、康頼は疑問を浮かべる。 「あの……」 「歩きづらいんじゃない?」  続いた言葉に、カアッと満面に火がともった。康頼は返答もできずに硬直する。たのしげに息を揺らした義朝に手を取られて、うつむき加減にゴニョゴニョと「かたじけのうござる」と礼を言えば、うんとちいさくうなずかれた。 「慣れないうちは、そうだから」 (義朝殿も、このような仕儀になられたのか)  それはいつ、体験したのだろう。彼はいつから、ここにいるのか。どのくらい為明に愛されてきたのか。康頼はそれを知りたくなった。  ここのほかに、色夫の住まう館はないと朝食の時に世話役の男から聞いた。となれば、その年月は、ただひとり為明に愛され続けた時間の長さとおなじになる。 (どのくらい、ふたりはなじんでいるのだろう) 「どうしたの」 「あ……その、義朝殿は、いつからこちらにいらしておられるのかと」 「まだ年齢がひと桁のころからだから、十年以上前からだね。だから、為明とは幼馴染だし、この国のこともよく知っているよ。自国よりも詳しいくらいだ。――ああ。でも、色夫としての仕事をしたのは、来てから数年経ってからだよ」  さわやかに返されて、康頼は暗澹とした気持ちになった。 (それがしに入り込む余地はあるのか)  そっと腰に腕をまわされて、さりげなく支えられた康頼は顔を上げ、自分よりも高い位置にある義朝の顔を見た。透けるような白い肌と、さらりと流れる絹糸のような細く長い黒髪がまぶしい。 「なんだ。もう仲良くなったのか」  空間に響く声と共に、さっそうと為明が現れた。義朝の腕の中から外れて、康頼は深く頭を下げる。 「おはようございまする」 「ん。おはよう、康頼。義朝も」 「おはよう、為明。これから、私たちをどこへ案内する気でいるのかな」 「タカ狩りに行くつもりだ。康頼の披露も兼ねてな」  笑いかけられ、笑顔を返した康頼は腰の具合に不安をよぎらせた。この状態で、馬に乗れるだろうか。 「それなら、駕籠を用意してくれないか」 「なぜだ。馬には乗れるだろう」  目をまたたかせた為明が、義朝と康頼の間に視線を置いた。やれやれと義朝があきれる。 「昨日の今日で、馬に乗せるのは酷だよ。康頼は、はじめてだったんだから」  カッと羞恥に包まれて、とっさにうつむいた康頼の頬に為明の視線が触れる。 「ふむ。そうか……なら、こうすればいい」  ふわりと体が浮いて、なにが起こったのかと目をまるくした康頼の間近に、為明の顔があった。 「俺が抱いて、共に馬に乗れば平気だろう。なにか、やわらかな敷物を置けばいい」  それを聞いた従者が動くのを視界の端にとらえつつ、康頼は混乱した。 「いえっ、あの、そ、それがしは……っ、そんな、恐れ多い」 「遠慮をするな、するな! そんな具合にしたのは、この俺だからな」  カラカラと豪快に笑う為明の体に腕をまわしていいものか、康頼は迷う。 「しっかりつかまっておかないと、為明も動きづらいですよ」  そっと義朝にうながされ、それではと康頼はためらいがちに為明の首に腕をまわした。 「ん。それでいい」 「しかし、このような格好で眉をひそめられはいたしませぬか」 「なぜだ」 「いえ、その」  言いよどむ康頼に、大丈夫だと為明は請け負う。 「昨日、輿入れがあったと誰もが知っているからな。こうしていれば、おまえがその相手だとわかりやすい」 「はぁ」  そういうものかと納得できるような、しきれないような心地で義朝を見ると、苦笑交じりに肩をすくめられた。 (このような気性の御仁であるから、気にする必要はないともうされるか)  おそらく、そういう意味の身振りだと理解して、康頼はうなずいた。そのまま為明に運ばれて、鞍の前に置かれた綿のたっぷり入った敷物に座らされ、背後から為明に抱きしめられる。その恰好で狩場へ連れていかれた康頼は、草の上に敷かれた毛氈に落ち着き、その横に義朝が座った。 「では、今日は見学をしていろ」  そう言って身支度を整えた為明は、馬にまたがり配下のもの等と狩りに行ってしまった。  残されたのは、康頼と義朝、その身の回りの世話をするものや、荷運びのものたちだけとなった。 「タカ狩りと言っても、ここに残されるだけだから。のんびりと過ごせばいいよ」 「共に行かなくとも、かまいませぬのか」 「もしかして、私が気を使って残っているとでも考えている?」  康頼が視線を揺らすと、違うよとやわらかく否定された。 「ほら」  腕を伸ばして袖をめくった義朝が、軽く力こぶを作ってみせる。女の腕とまではいかないが、たくましさとはほど遠い。 「康頼も、そうだろう」  遠まわしに、色夫となるべく育てられたものに、タカ狩りは無理だと伝えられた。首肯した康頼に、義朝が「そういうことだから」と優美に指を動かして、控えていたものに茶の用意を命じる。 「為明が獲物を捕らえてくるのを、ここで待てばいいんだよ。そして戻ってきたら、どんな具合だったのか話を聞いて、酒の相手をすればいい。そういうことを、したことは?」 「ありまする」 「じゃあ、いいね。私たちは私たちで、好きに過ごして待っていよう」  茶が出され、茶請けが置かれる。炒った豆をつまみながら、康頼はぼんやりと空を見上げた。青く澄んだ空に、薄い雲が幕となってかかっている。あるかなしかの風を感じながら、炒り豆をポリポリやっていると、鳥のさえずりが耳に届いた。 「ずっと座っているのも疲れるし、散歩をしようか」  手を差し伸べられ、その手を掴んで立ち上がる。腰に手を添えられて、さりげなく体を気遣われた康頼は居心地が悪くなった。 「ひとりで歩けますゆえ」 「私が、こうしたいんだ。それに、ふたりが近ければ傘を持つものも楽だからね」  たしかに、こうしていれば日よけの傘はひとつでよく、付き添いのものが交代で傘を持てる。そこに考えのいたらなかった自分を、康頼は恥じた。 (義朝殿を差し置いて、それがしが為明殿の寵愛を受けるなど可能なのか)  見目だけでなく人柄でも勝てそうにない。それでも自分は国のために、為明に愛されなければならない。  狩りを終えて為明が戻るまで、義朝のさりげないしぐさや気遣いを意識し続けた康頼は、じょじょに決意や気合を削られていった。 (なんと優美で、非の打ちどころのない御仁か)  そこはかとなく色香漂うしぐさや優美な物腰に、かないそうもないと康頼は自信を失う。  そんな康頼の心情など知らず、大鹿を捕らえて上機嫌に戻ってきた為明は、狩りの上首尾を祝って盃を重ね、左右にはべらせた康頼と義朝にも酒を勧めた。唇を湿らせる程度で味わう康頼は、にぎやかな晴天下の宴に笑顔を浮かべつつ、場になじんでいる義朝と自分を比べて気落ちした。  その翌日も、そのまた翌日も、為明は康頼を誘って近場の道を散策した。  午前中はひとりで過ごし、昼食を取ってから義朝と共に為明に連れられて外に出て、茶を喫してから屋敷に戻る。  そんな日々を過ごしている康頼のもとに、国元から手紙が届いた。  あたりさわりのないあいさつからはじまって、こちらの健康などを気遣う言葉が続き、心身共に為明に尽くして愛されるよう励めと結ばれていた。 (あれから一度も、為明殿はそれがしの部屋を訪れてはくださらぬ)  初夜のときに知らぬ間にしくじりをおかして、あきれられたのだろうか。義理で初夜は迎えたが、なじんだ肌がいいと、義朝のもとへ通っているのかもしれない。  文机に向かった康頼は、返書をしたためるべく紙を広げて墨を磨った。 (なんと返事を書いたものか)  すぐにでも返信をしなければ、なにかあったのかと国元に不要な心配をさせてしまう。よきように扱われていると、ぼんやりとした表現で現状を濁すか。それとも希望的な文面にしてよろこばせるか。 (どちらも、不誠実だ)  ならば正直に、到着してから今日までのことを書き連ねるしかあるまいと、康頼は覚悟を決めて、泣き言にはならないよう配慮しながら、初日には閨へ訪れていただいたこと。翌日からは、仕事の合間の休息に、自分ともうひとりの色夫を散歩に誘ってくれること。もうひとりの色夫は越智前から幼い時分にやってきた、義朝という名の美麗な青年であることをつづった。 (義朝殿は十数年もこちらで過ごしているらしく、こちらによく馴染んでおられ候。気遣い、物腰、容姿に至るまで極めて優美な御仁にて)  筆を止め、康頼はため息をこぼした。 (なにを書こうとしているのだ)  自然と泣き言になりそうだ。義朝に勝てるわけはないと、書くつもりでいたのか。  顔を上げた康頼は、茜に染まりはじめた空の端に視線を投げた。筆を置いて立ち上がる。縁側に出て、ゆっくりと色合いを変えていく空をながめていると、手紙の続きを書く気が失せた。  文机に戻り、「ござ候」と強引に文章を〆ると日付と名前を書き入れて、墨が渇くのを待った。 (今宵も、為明殿は来てくださらぬのか)  ここに来て、もうすぐ十日が過ぎようとしている。はじめての夜から一度も、肌に触れられてはいない。 (お気に召してはいただけなんだか)  義朝と比べれば、見劣りをしてしまうのは否めない。あれほど優美な相手がいて、しかも気心が知れているとなれば、そちらを贔屓するのはしかたのないこと。 (なにを弱気になっておるのだ)  かぶりを振って、康頼は自分の弱気を追い出した。 (なればこそ、毛色の違う相手を求めておられるやもしれぬではないか)  いまはなにか忙しいとか、そちら方面に積極的ではないだとか、そういう理由でこちらに来ていないだけかもしれない。昼間にはかならず誘いがかかり、共に過ごしているのだし。 (よく話しかけてくださるのだし)  為明は、あれこれと相佐の国について教えてくれる。山育ちの康頼には海の幸が珍しかろうと、食膳には焼いた魚や蒸した貝などを乗せてくれる。食べつけないものを味わうのはとても愉快で、物珍しさから康頼の箸はよく進んだ。それを世話役の男から伝え聞いたと為明は笑い、気に入ったものがあれば、また食べたいと遠慮なく願えと言ってくれた。 (それがしを、気にかけてくださっておるのだ)  それは、わかる。しかしそれは愛情からなのか、慣れない場所になじめるようにとの配慮からなのか、判断しかねた。 (単に、あたらしく屋敷に迎えた犬や猫を相手にするようなお気持ちで、あられるだけやもしれぬし)  また弱気がぶり返してきた。康頼は墨の渇き具合を確認して、手紙を折りたたむと宛名をしたため、玄関先で返書の受け取りを待っている男のもとへ行った。  手紙を渡し、くれぐれもよろしくと駄賃を渡して見送る。  もう日が暮れる。あの男はどこかで一泊してから、早朝に出立をするのだろう。  いくら国元からやってきたものであったとしても、この屋敷に上げることはできない。玄関から床へと上がれるのは、色夫と為明。そして屋敷の中でこもごもの用事をこなす数人の男たちのみだった。警備のものが館の周囲を警戒し、ほかの誰も入れないよう厳重に監視をしている。世話役は交代制で、宿直のものは眠らずに、深夜に為明や色夫がなにかを求めた場合に備えつつ、不審なことはないかと目を光らせている。  監視下に置かれているような暮らしに、不満はない。国元では、これよりもっと窮屈な生活を強いられてきた。ほかの兄弟とは隔離され、傷ひとつつかないよう、細心の注意を払って育てられた。 (そうだ。それがしは、こうしてここに来るために、為明殿にかわいがっていただくために、生きてきたのだ)  そうなれるよう養育してきた両親や、国元のさまざまなもの等の期待に応えなければ。国交を正常に、あるいは優位に保てるかどうかは、己の双肩にかかっているのだと、常々言い聞かせられてきた。 (責務をまっとういたさねば)  そのためには、もっと積極的に為明と会話をし、この国のことを勉強しなければと、康頼は決意を新たに茜が失せて藍色に変わった空をにらみつけた。

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